死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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三章 棘の迷宮

第24話 外法外道 魘魅畜生の理〈前編 死への憧れ〉

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 カイムは星空から自身を閉じる事を選んだ。

 わずかながらも乱れた心を、主人として猟犬へ見せるべきではないと思い、そして何よりも、個人として、見られたく無い思いも強かった。

 己の猟犬すら拒絶して、個人の精神へ引き籠もる。この戦況ではあまりにも愚策であろう。猟犬を不安にさせる。しかし、主人が何を体感したのか、猟犬へは細やかな輪郭すら、触れられてほしくなかった。そして、主人が抱える情動の痛みすら、共有してほしくなかった。

 ヘルレアの声が心の底に没んでいかなくて――。

 けして擦れない記憶の中から、幾つもの声を捕えられてしまったようで、愛しい言葉が何重にもカイムの心を、鋭利な塵で掻いていった。

 それは、カイムをけして殺さない。ただ、浅く彼を傷付けて、繰り返して、繰り返して、苛み続ける。たとえ傷だらけになっても、そうした自分を見ているだけ。壊れる事が出来なくて、独り夜空に立ち尽くす。

 幸福な記憶が、愛する者が、必ずしも救いと喜びを心にもたらすものとは限らない。カイムの複雑に絡み合った心のあり方には、傷を増やし抉る苦痛しかもたらさなかった。
 
 何よりも痛みを強くするのは、母が子をそのさまを、二人の姿へ確かに見ずにはいられなかったからか。

 そういった愛の形を、死の具現が知り得て、演じる事もいとわなかったからか。

 忌むべき暴虐の王が施す死が、あまりにも、真実の慈愛に満ちていたからか――。

 カイム自身も感じた、死への憧れと安らぎ。

 ヘルレイアという死の王が施す慈しみは、最良の死であり、生命が逃れられない本質的な争いや苦痛から、眠るように永遠の離脱を許してくれる。

 けれども、その慈悲のありようが心を傷付け、また、同じ強さで乱すのだろう。

 考えずとも解る。

 見たく無くても、突き付けられて――、

 その答えなど、とても単純で浅ましい。

 ただ、ヘルレイアへと悪を見出したいだけ。

 カイムは自然と薄く笑む。誰にも気付かれない小さな笑み。その答えは世界蛇と戦う者として、あまりにも身勝手で矛盾していて、滑稽に過ぎよう。子供が抱く、細やかな底意地の悪さに似た、期待。本心から願っているのか、と問われれば、それは違う。ただ、割り切れない。幼稚な愚かさ。

 未だ瞬く心の痛みに意識を澄ます。輝く塵は硝子よりも鋭利で、褪せない記憶が連想によって、浮上が止まらない。あるがままを見ているしかないその世界に、独り居ると、小さな光が青く灯るのを見付けた。

 それは何故かとても眩くて、心を囚えられた。

 ――結局、最後には、あなたの幼い笑顔を、思わずにはいられないのか。

「……もう、手遅れなのかも」カイムは意味も考えず呟く。

 世界は遠く広がり、星が塵よりも強くきらめいた。塵は溺れるほどカイムを取り巻き流れたが、猟犬の囁きに耳を傾ける。猟犬が必至に主人の様子を窺っているのが解る。皆焦って不安に駆られているようで、怯えてすらいるようだ。

 彼らはカイムとジェイドが、何に立ち会ったのか知らない。


 ――すまない、少し考え込んでいたんだ。


 猟犬がカイムの反応に喜んでいる。だが、傍に居るチェスカルだけは険しい表情をしていた。

「カイム様、どうかご無理をなさらずに。猟犬などへお気遣いなさいませんよう」

 チェスカルは主人に拒絶されて、直ぐに異変へ気付いていたが、何も言わなかった。主人に近過ぎるチェスカルには、何か感じ取れたのかもしれない。それでも彼は、カイムへ何も触れようとはしなかったのだ。

「気にするな。自分の立て直し方くらい、心得ている」
 
 猟犬の心は、たぎるようなのに、それでいて弱く脆い――。

 主人との関わりであれば、なおさら繊細にそなえた性質が表れる。けれども、猟犬は主人が傍に居て繋がり続ければ、〈猟犬〉本来の身体能力を発揮出来るものだ。近ければ近いほどいい。具えた激しい闘争心が剥き出しになる。

 そして――主人が猟犬を、際限無く解放出来る。

 〈蜂の巣〉に居る全ての猟犬が、カイムの様子を間近で窺っている。その心には未だ、労りと不安、恐怖があり、カイムへ淡く吐露していた。主人は優しく背中を叩くような感覚を与えて、接触を許した。

 カイムはエルドへノックすると、まず、ジェイド達の状況を伝える事にした。選んだ方法は、伝達に最も手っ取り早い方法――記憶をそのままを引き出し渡す――そんな、本来プライバシーを著しく侵害しかねない手を取った。そうして、ジェイドから引き出した情報を、して流す。

 ヘルレアの姿は見せられなかった。


 ――巣の一室に、外道が侵入したようだが。


 エルドがと、ぽつりと呟いた。何か考えているようだが、カイムは猟犬が集中出来るよう、思考を覗かなかった。


【――奴らは単に、こちらの様子を窺っていただけではなく、そもそも本当に、天使のような格の高い、物質性の低い精神存在しか、今まで侵入させられなかったのかもしれません】


 ――精神存在の外道と言えど、物質的な傾向の強い、単なる喚起召喚体程度では、接触が難しかったということか? だが、護りは落ちたのだろう?


【――未だ侵入を阻止し続けるこの護りは、もう既に術だとは思えません。外界でも人界でもない力が働いて、侵入者を拒んでいるとしか思えないのです。
 女王蜂の仰りようと、現状をみるに、格が高すぎて把握不能な存在の力によって、〈蜂の巣〉は支配されているようです。
 女王蜂は、本当に何もご存知ないのですか】


 カイムは自然、ソファに座る女王蜂へ視線を向ける。それに気付いた女王蜂は、察したようにカイムを見据えた。

「〈蜂の巣〉の防衛機能は、本当に女王蜂の外界術のみなのですか」

「……正直に申し上げますと、私にも判らないのです。途絶を起こすのは初めてで、私の力が働かなくなった事は、この〈蜂の巣〉が生まれてから一度もありません。途絶がいったい何を招くのか、前例が存在しないのございます――申し訳ございません。私も多くを語れる立場に無く、お役に立てないばかりに、カイム様方へ更に負担をおかけすることに」

 女王蜂は酷く疲れた様子で俯き、手を膝に落として祈るように組んだ。

 娼館の女性が戦闘の前線間際に立つなど、相当な負担を感じてしまうだろう。しかも、自身の術と異能が一切効果しないという状態も、心理面でのストレスに拍車をかけるのは目に見えている。

 カイムは自然、身に付いた、穏やかな触れ合いの手を、女王蜂の祈る手へと重ねた。

「女王蜂……考えないと言うのは無理でしょう。多くの命がかかっています。主人であるあなたは責任も重い。
 しかし、こういう時は考え込み過ぎてもいけません。正しい判断が出来なくなってしまう。
 自分で言うのもなんですが、僕達ほど現状に適任の客はいないと思います――お任せください。
 そして、共に戦いましょう。あなたは独りではない」

 カイムは僅かに口角を引いて、女王蜂の煌めく瞳を真っ直ぐに見据える。

 女王蜂ほどの人物が、果たしてカイムの情緒操作に、僅かでも傾くのかは判らなかった。この異常な状況であれば、弱さの亀裂へ入り込める可能性もあるが、所詮は五分五分。

 猟犬以外の心さえ、図り円滑に運ぶ。

 床で女王蜂と触れ合った温もりが、冷めて行く感覚を、彼女の手に触れながら味わう。

 ――〈蜂の巣〉の主人である、女王蜂が折れては困るのだから。

 自分はもう、日常に帰って来てしまった。

 最初にカイムが女王蜂と見つめ合った時には、カイムの方から先に目を逸らした。だが、今度は女王蜂から、カイムの視線を外してしまった。

 何か心が動いたようだが、カイムに把握出来るだけの精神状態を表す挙動は、他に見つけられなかった。女王蜂は俯いてどこともないところへ、視点を置いていた。

「はい、独りではありませんね……、本当はこうしたことを言うべきではないのですが。カイム様が今、ここにいらして……良かった」女王蜂の目は潤んでいた。懸命に涙を溢さないようにしているのが分かる。

 だからカイムを見なかった。見ていられなかったのだろう。

 本心からの、何一つ飾らない言葉。カイムは女王蜂から、嘘偽りなど無い想いの吐露だと感じた。汎ゆる結果が、あることを解っている。そして、カイムの望むように女王蜂の心が動いた。

 カイムが女王蜂へ穏やかに笑むと、女王蜂も今度は真っ直ぐカイムへ向き合い微笑んだ。

 また、同じ。

 大切なものを踏みにじり続ける。
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