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三章 棘の迷宮
第10話 高級娼館〈蜂の巣〉
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車が停まったのは、何の変哲も無い、白亜と言っていい様相のクラブだった。何の変哲も無いとは表現したものだが、車窓から眺めた様々な店と比べると、明らかに品位の高い店だった。何か大がかりな装飾があるわけでもない、むしろ、地味だと表現してもいいくらいなのだが、その佇まいの重厚さに深い歴史を感じさせる。だが、古臭さはどこにもなかった。
「綺麗なネエちゃんと、酒飲むだけの店に見えるな」ジェイドがロビーを観察する。
「いや、臭いが酷い。生き物の熱を感じる」ヘルレアが呟く。
オリヴァンがさっさと歩いて行くと、カイム達も後に続く。
ロビーに一人のボーイがいて、何故かトレーを小脇に抱えている。彼は軍人のような佇まいで直立不動だ。しかし、彼を見続けていると、むしろ、柱か何かのように無機質に感じられてくる。
オリヴァンが近付くと、ボーイは完璧な微笑みで出迎える。そのボーイは手袋をした手で、トレーをオリヴァンの前に捧げ持つ。オリヴァンは何も書かれていない黒いカードを置く。
「お帰りなさいませ、オリヴァン・リード様。今日はどのようなご用命でしょうか」
「遊びに来たんだが、知人を連れてきた。面倒を見てやってくれ」
「大変、光栄でございます」
「女王に相手を願いたい」
「どなたさまのご用命でございましょうか」
「あの金髪坊っちゃんだ」
「お顔をご拝見するご無礼をお赦し下さい」
オリヴァンはカイムを手招く。
カイムが少し近付くと、既にボーイはカイムの顔を見つめるような、礼を欠く行為を止めていた。
「御縁を結べた事を大変喜ばしく思います――カイム・ノヴェク様」
途端、沸騰するように猟犬の頭に血が昇った。察したカイムは、咄嗟に手で制する。
「まて、止めろ。騒ぎを起こすな」
ジェイドとチェスカルが微かに呼吸を乱している。二人の形相はまさに、鼻へ皺を寄せて牙を剥く闘犬のようだった。
「御名を不躾にもお呼びした事をお赦し下さい。御名は音として発声されておりませんので、当事者様方以外には何者にも感覚器官で捉えられる恐れはございません。そして、私も人間ではない故に顔が存在致しません。よって、第三者からの読唇術での読み取りも不可能でございます。更には外法により何重にも防御壁を展開しております故に、お言葉や、ご身分等は一切情報漏洩の心配はございません」
ボーイは淀みなくとうとうと語り終えると、カイムへ頭を垂れる。
「……とんでもないところに来たみたいだな」
ヘルレアが嘲笑う。
「驚いた」カイムは眼を見張る。
チェスカルがいつもより険のある目でボーイを見る。
「あなたは何者ですか」
「私は外道の術より喚起されし、魔物でございます。悪魔とも申しましょう。一度でもお客様をご案内させて頂きますと、即時私は抹消されます」
「ほら、納得しただろ。お前等も来い」
だが、カイムはジェイドとチェスカルは大丈夫なのかと不安になる。猟犬の名前は触れてはならない禁忌だ。
ジェイドがボーイの前へ来る。
「申し訳ございません。御名が存在しません」
そしてチェスカルがボーイの前に来ても、ジェイドと同じだった。
「二人は入れるのか」
「お名前の無いお客様でも、お二方様ならば問題なくご遊興頂けます」
カイムは、ふっと、ヘルレアの顔を見る。王はどう判断されるのだろうか。
ヘルレアがボーイの前へ来る。カイムが固唾を飲んでいると、ボーイはいつまでもヘルレアの顔を見たまま固まっている。
「……神や妖魔、または悪魔等の超高位存在とお見受け致します。品位が高くあらせられる故、私には判断致しかねます」
「ヨルムンガンドだけど」ヘルレアはなんの気兼ね無しに溢す。
「申し訳ございません。私は御種族名を頂戴出来ても、存在そのものを認識出来ないと、ご縁を結ばせて頂く事が、出来ないのございます――大変お手を煩わせ致しますが、貴方様は女王蜂と直接対面なさり、ご交渉をなさって頂きますよう、お願い申し上げます」
ボーイが頭を垂れる。そしてカイムへ向き直る。
「ノヴェク様、我らが女王蜂が貴方様とご縁を結ばせて頂ける事を、大変光栄に思っております。ようこそ〈蜂の巣〉へおいでくださいました」
「やっぱりな、カイムだったらイケると思ったよ」オリヴァンが笑う。
「女王蜂?」
「女王蜂は〈蜂の巣〉を統べる主人でございます。数ある蜂の中で、お客様へ最高級のおもてなしをさせて頂ける、唯一無二の才媛でございます」
「と、言うわけで。半端な客は一切取らない。客の格と品性が問われる。飛び込みで試してみたが、さすが坊っちゃんだ。様子を見るに迷われすらしなかったみたいだな」
「リード様、お二方様、蜂のご希望はございますか」
「俺っち、いつもの嬢」
「私達は主人である、ノヴェクの護衛です」チェスカルが頷く。
「畏まりました。護衛にさいする武器類の持ち込みについては、お断りは致しません。その他に何かご希望はございますか」
ジェイドはカイムへ視線を寄越す。
「部屋の前で待機させてくれ」
「畏まりました。では、まずはご縁を結ぶのが難しいお客様に、女王蜂へ対面交渉を行って頂きたいと思います。リード様のみ別の通路へご案内致します」
ボーイが恭しく礼を取ると、立っていた壁付近から数歩横移動する。
オリヴァンは勝手知ったるという感じで、少し離れた壁の前へ行く。
カイムはボーイに指示されて、そのまま白い壁に向かって立つ。そうしていると壁に切れ目が出来て、白い壁がスライドする。エレベーターが現れた。
ボーイが扉を抑える。
「このエレベーターは一方通行でございます。直接女王蜂にお会い出来ますので、迷われる事はないでしょう」
オリヴァンとは別れて、四人でエレベーターに乗る。階層ボタンのパネルがなく、頭上にも進捗状況を表す掲示すら何もなかった。
「地下へ降りているな」ヘルレアが呟く。
「なんだか凄く深い」
何故か皆口数が少ない。いつもの朗らかな馬鹿馬鹿しい会話もなく、緊張しているような感じを受ける。カイムは何も考えず気軽に、遊ぶなどと言って来てしまったが、カイムの立場で行う遊びの厄介さに今更気が付いた。連れて来られるのは高級娼館なのは分かっていたが、カイムはここまでされなければ遊べないのだ。外法外道で何重にも防御され、相手は女王蜂という唯一無二の娼婦だ。
チェスカルが途中で帰るかと、聞いて来た時に引き返せばよかったかと、ため息がでそうになる。
ヘルレアも殆どだんまりだ。何故か王はとても静かで、やはりその様子はいつもより落ち着いている。
エレベーターが停まって扉が開くと、驚くことに部屋へ直に接している。
ゆったりとした大型のソファセットが部屋の中程にあり、そこで女が座っている。
彼女は異国の服装をしている。生地を多く使った前開きの白い上衣を前で合わせて、黒いたっぷりとした巻きスカートを上から太い帯で締めている。その帯が鮮やかで金糸銀糸で彩られていた。黒い上着を肩に掛けていて、ゆったりとした身の丈があり、床を引きずる程長い。それは黒いのだが黒真珠のような光沢がある。かつて東方にあった大国――蓮華の民族衣装のようだった。
女がカイム達へ視線を寄越す。
漆黒の髪は高くセットしている。笑うと紅唇が艶めかしい。
「お会い出来て嬉しいわ」
女が立ち上がると、かなりすらりと背が高い。おそらくカイムと十センチくらいしか違いがない。
「さあ、いらしてくださいな」
カイムがエレベーターを下りると女の元へ行く。
艶やかな女だった。頭の形自体がよく、小ぶりにまとまっている。目が切れ長で猫のよう、瞳がオパールのように瞬いて見える。鼻はツンとして鼻翼があまり目立たず、紅を差した唇が生々しい。
人種区分は分からない。東西の美を受け継ぐ、複雑な容貌だ。
彼女は、大人の女だった。エマとも――勿論ヘルレアとも違う、世の中を知り尽くした泰然とした女性。
もし、カイムがヘルレアに会っていなかったら、彼の中で女王蜂が女性美の象徴となり、虜になっていたかもしれない。しかし、ヘルレアへ出会ってしまった今は、女王蜂の美では、カイムの心を大きく揺さぶる事は無かった。
ヘルレアのとうとうと燃える青い瞳が、カイムの身体を焼き尽くすようでいて、彼の眼を捕え続けて離さない。
ついカイムはヘルレアへ視線を送る。ヘルレアは前に居るので、彼からは後頭部しか見えなかったが、それでもその一対しか持ち得ない美を感じ取れる。
「カイム様、皆様も、私の巣へようこそ。さあ、お座りになって」
女王蜂がソファへ座ると、カイム達は続いて座る。
「今日はカイム様が私のお客様ですね」
カイムは頷く。
「そして、こちらのお若い方が……なるほど。ヨルムンガンドでいらっしゃいますね」
「……あのボーイから聞いたわけではないな」
ヘルレアの眼が鋭い。
「私は外法外道に通づる女にございます。ヘルレア」
カイムは女王蜂へ警戒心を抱く。この女はヘルレアと呼んだばかりか、カイムには付けた敬称を、ヘルレアへは付けなかった。ヨルムンガンドとの接し方を心得ている。
「まあ、そう怖い顔を皆さんなさらないで。それでは、ヘルレア。ようこそおいで下さいました。ご縁を結ばせて頂き光栄でございます。どの子がいいか、ご希望はありますの? 女も男も……人外もおります」
「人間の女がいい――男はゴツいから駄目だ。乱暴なだけで、気持ち良くない」
カイムは知らずしらずのうちに、視線を彷徨わせていた。
「……畏まりました。では、そちらの殿方はカイム様の護衛という事でよろしいですね」
チェスカルとジェイドが頷く。
「ヘルレアは別のお部屋へご案内致します。護衛の方々はご希望の通り、お部屋の前でお待ち下さい。カイム様はお楽になさっていて」
部屋の扉が伺いも無いまま開く。十才くらいにしかならないであろう、黒髪のおかっぱ少年がそこに居た。随分と可愛らしい子供だった。眼も黒くてクリクリしている。肌は白くて触るともっちりとしていそうだ。子供の着る黒い着衣は、女王蜂と同じ異国のもので、前開きの服を合わせて、帯で締めて結んでいる。下衣はゆったり幅のあるズボンで、靴は履いておらず裸足だ。
子供がヘルレアの傍へ行くと、深く腰を折って頭を下げる。マツダやハルヒコがするお辞儀というものに近い。
「ヘルレア、私がご案内致します。どうぞこちらへ」
ヘルレアがソファから立ち上がると、子供へついて行く。カイムはついヘルレアを目で追い掛けていた。何か言いそうになったが、言うべき言葉など何もない事に気が付いた。
ヘルレアは一度もカイムを見る事はなかった。
猟犬達も一緒に部屋の外へ出て行く。
扉は何の障害もなく閉まっていった。
車が停まったのは、何の変哲も無い、白亜と言っていい様相のクラブだった。何の変哲も無いとは表現したものだが、車窓から眺めた様々な店と比べると、明らかに品位の高い店だった。何か大がかりな装飾があるわけでもない、むしろ、地味だと表現してもいいくらいなのだが、その佇まいの重厚さに深い歴史を感じさせる。だが、古臭さはどこにもなかった。
「綺麗なネエちゃんと、酒飲むだけの店に見えるな」ジェイドがロビーを観察する。
「いや、臭いが酷い。生き物の熱を感じる」ヘルレアが呟く。
オリヴァンがさっさと歩いて行くと、カイム達も後に続く。
ロビーに一人のボーイがいて、何故かトレーを小脇に抱えている。彼は軍人のような佇まいで直立不動だ。しかし、彼を見続けていると、むしろ、柱か何かのように無機質に感じられてくる。
オリヴァンが近付くと、ボーイは完璧な微笑みで出迎える。そのボーイは手袋をした手で、トレーをオリヴァンの前に捧げ持つ。オリヴァンは何も書かれていない黒いカードを置く。
「お帰りなさいませ、オリヴァン・リード様。今日はどのようなご用命でしょうか」
「遊びに来たんだが、知人を連れてきた。面倒を見てやってくれ」
「大変、光栄でございます」
「女王に相手を願いたい」
「どなたさまのご用命でございましょうか」
「あの金髪坊っちゃんだ」
「お顔をご拝見するご無礼をお赦し下さい」
オリヴァンはカイムを手招く。
カイムが少し近付くと、既にボーイはカイムの顔を見つめるような、礼を欠く行為を止めていた。
「御縁を結べた事を大変喜ばしく思います――カイム・ノヴェク様」
途端、沸騰するように猟犬の頭に血が昇った。察したカイムは、咄嗟に手で制する。
「まて、止めろ。騒ぎを起こすな」
ジェイドとチェスカルが微かに呼吸を乱している。二人の形相はまさに、鼻へ皺を寄せて牙を剥く闘犬のようだった。
「御名を不躾にもお呼びした事をお赦し下さい。御名は音として発声されておりませんので、当事者様方以外には何者にも感覚器官で捉えられる恐れはございません。そして、私も人間ではない故に顔が存在致しません。よって、第三者からの読唇術での読み取りも不可能でございます。更には外法により何重にも防御壁を展開しております故に、お言葉や、ご身分等は一切情報漏洩の心配はございません」
ボーイは淀みなくとうとうと語り終えると、カイムへ頭を垂れる。
「……とんでもないところに来たみたいだな」
ヘルレアが嘲笑う。
「驚いた」カイムは眼を見張る。
チェスカルがいつもより険のある目でボーイを見る。
「あなたは何者ですか」
「私は外道の術より喚起されし、魔物でございます。悪魔とも申しましょう。一度でもお客様をご案内させて頂きますと、即時私は抹消されます」
「ほら、納得しただろ。お前等も来い」
だが、カイムはジェイドとチェスカルは大丈夫なのかと不安になる。猟犬の名前は触れてはならない禁忌だ。
ジェイドがボーイの前へ来る。
「申し訳ございません。御名が存在しません」
そしてチェスカルがボーイの前に来ても、ジェイドと同じだった。
「二人は入れるのか」
「お名前の無いお客様でも、お二方様ならば問題なくご遊興頂けます」
カイムは、ふっと、ヘルレアの顔を見る。王はどう判断されるのだろうか。
ヘルレアがボーイの前へ来る。カイムが固唾を飲んでいると、ボーイはいつまでもヘルレアの顔を見たまま固まっている。
「……神や妖魔、または悪魔等の超高位存在とお見受け致します。品位が高くあらせられる故、私には判断致しかねます」
「ヨルムンガンドだけど」ヘルレアはなんの気兼ね無しに溢す。
「申し訳ございません。私は御種族名を頂戴出来ても、存在そのものを認識出来ないと、ご縁を結ばせて頂く事が、出来ないのございます――大変お手を煩わせ致しますが、貴方様は女王蜂と直接対面なさり、ご交渉をなさって頂きますよう、お願い申し上げます」
ボーイが頭を垂れる。そしてカイムへ向き直る。
「ノヴェク様、我らが女王蜂が貴方様とご縁を結ばせて頂ける事を、大変光栄に思っております。ようこそ〈蜂の巣〉へおいでくださいました」
「やっぱりな、カイムだったらイケると思ったよ」オリヴァンが笑う。
「女王蜂?」
「女王蜂は〈蜂の巣〉を統べる主人でございます。数ある蜂の中で、お客様へ最高級のおもてなしをさせて頂ける、唯一無二の才媛でございます」
「と、言うわけで。半端な客は一切取らない。客の格と品性が問われる。飛び込みで試してみたが、さすが坊っちゃんだ。様子を見るに迷われすらしなかったみたいだな」
「リード様、お二方様、蜂のご希望はございますか」
「俺っち、いつもの嬢」
「私達は主人である、ノヴェクの護衛です」チェスカルが頷く。
「畏まりました。護衛にさいする武器類の持ち込みについては、お断りは致しません。その他に何かご希望はございますか」
ジェイドはカイムへ視線を寄越す。
「部屋の前で待機させてくれ」
「畏まりました。では、まずはご縁を結ぶのが難しいお客様に、女王蜂へ対面交渉を行って頂きたいと思います。リード様のみ別の通路へご案内致します」
ボーイが恭しく礼を取ると、立っていた壁付近から数歩横移動する。
オリヴァンは勝手知ったるという感じで、少し離れた壁の前へ行く。
カイムはボーイに指示されて、そのまま白い壁に向かって立つ。そうしていると壁に切れ目が出来て、白い壁がスライドする。エレベーターが現れた。
ボーイが扉を抑える。
「このエレベーターは一方通行でございます。直接女王蜂にお会い出来ますので、迷われる事はないでしょう」
オリヴァンとは別れて、四人でエレベーターに乗る。階層ボタンのパネルがなく、頭上にも進捗状況を表す掲示すら何もなかった。
「地下へ降りているな」ヘルレアが呟く。
「なんだか凄く深い」
何故か皆口数が少ない。いつもの朗らかな馬鹿馬鹿しい会話もなく、緊張しているような感じを受ける。カイムは何も考えず気軽に、遊ぶなどと言って来てしまったが、カイムの立場で行う遊びの厄介さに今更気が付いた。連れて来られるのは高級娼館なのは分かっていたが、カイムはここまでされなければ遊べないのだ。外法外道で何重にも防御され、相手は女王蜂という唯一無二の娼婦だ。
チェスカルが途中で帰るかと、聞いて来た時に引き返せばよかったかと、ため息がでそうになる。
ヘルレアも殆どだんまりだ。何故か王はとても静かで、やはりその様子はいつもより落ち着いている。
エレベーターが停まって扉が開くと、驚くことに部屋へ直に接している。
ゆったりとした大型のソファセットが部屋の中程にあり、そこで女が座っている。
彼女は異国の服装をしている。生地を多く使った前開きの白い上衣を前で合わせて、黒いたっぷりとした巻きスカートを上から太い帯で締めている。その帯が鮮やかで金糸銀糸で彩られていた。黒い上着を肩に掛けていて、ゆったりとした身の丈があり、床を引きずる程長い。それは黒いのだが黒真珠のような光沢がある。かつて東方にあった大国――蓮華の民族衣装のようだった。
女がカイム達へ視線を寄越す。
漆黒の髪は高くセットしている。笑うと紅唇が艶めかしい。
「お会い出来て嬉しいわ」
女が立ち上がると、かなりすらりと背が高い。おそらくカイムと十センチくらいしか違いがない。
「さあ、いらしてくださいな」
カイムがエレベーターを下りると女の元へ行く。
艶やかな女だった。頭の形自体がよく、小ぶりにまとまっている。目が切れ長で猫のよう、瞳がオパールのように瞬いて見える。鼻はツンとして鼻翼があまり目立たず、紅を差した唇が生々しい。
人種区分は分からない。東西の美を受け継ぐ、複雑な容貌だ。
彼女は、大人の女だった。エマとも――勿論ヘルレアとも違う、世の中を知り尽くした泰然とした女性。
もし、カイムがヘルレアに会っていなかったら、彼の中で女王蜂が女性美の象徴となり、虜になっていたかもしれない。しかし、ヘルレアへ出会ってしまった今は、女王蜂の美では、カイムの心を大きく揺さぶる事は無かった。
ヘルレアのとうとうと燃える青い瞳が、カイムの身体を焼き尽くすようでいて、彼の眼を捕え続けて離さない。
ついカイムはヘルレアへ視線を送る。ヘルレアは前に居るので、彼からは後頭部しか見えなかったが、それでもその一対しか持ち得ない美を感じ取れる。
「カイム様、皆様も、私の巣へようこそ。さあ、お座りになって」
女王蜂がソファへ座ると、カイム達は続いて座る。
「今日はカイム様が私のお客様ですね」
カイムは頷く。
「そして、こちらのお若い方が……なるほど。ヨルムンガンドでいらっしゃいますね」
「……あのボーイから聞いたわけではないな」
ヘルレアの眼が鋭い。
「私は外法外道に通づる女にございます。ヘルレア」
カイムは女王蜂へ警戒心を抱く。この女はヘルレアと呼んだばかりか、カイムには付けた敬称を、ヘルレアへは付けなかった。ヨルムンガンドとの接し方を心得ている。
「まあ、そう怖い顔を皆さんなさらないで。それでは、ヘルレア。ようこそおいで下さいました。ご縁を結ばせて頂き光栄でございます。どの子がいいか、ご希望はありますの? 女も男も……人外もおります」
「人間の女がいい――男はゴツいから駄目だ。乱暴なだけで、気持ち良くない」
カイムは知らずしらずのうちに、視線を彷徨わせていた。
「……畏まりました。では、そちらの殿方はカイム様の護衛という事でよろしいですね」
チェスカルとジェイドが頷く。
「ヘルレアは別のお部屋へご案内致します。護衛の方々はご希望の通り、お部屋の前でお待ち下さい。カイム様はお楽になさっていて」
部屋の扉が伺いも無いまま開く。十才くらいにしかならないであろう、黒髪のおかっぱ少年がそこに居た。随分と可愛らしい子供だった。眼も黒くてクリクリしている。肌は白くて触るともっちりとしていそうだ。子供の着る黒い着衣は、女王蜂と同じ異国のもので、前開きの服を合わせて、帯で締めて結んでいる。下衣はゆったり幅のあるズボンで、靴は履いておらず裸足だ。
子供がヘルレアの傍へ行くと、深く腰を折って頭を下げる。マツダやハルヒコがするお辞儀というものに近い。
「ヘルレア、私がご案内致します。どうぞこちらへ」
ヘルレアがソファから立ち上がると、子供へついて行く。カイムはついヘルレアを目で追い掛けていた。何か言いそうになったが、言うべき言葉など何もない事に気が付いた。
ヘルレアは一度もカイムを見る事はなかった。
猟犬達も一緒に部屋の外へ出て行く。
扉は何の障害もなく閉まっていった。
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