死を恋う神に花束を 白百合を携える純黒なる死の天使【アルファポリス版】

高坂 八尋

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二章 猟犬の掟

第21話 傀儡の女王

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 チェスカルは一組の男女、その女の方を捕えていた。二十代前半くらいの若い女だ。見た目には何の特徴もない凡慮な容貌である。半袖のシャツにロングスカートと、これもよく見る装いであった。

「随分と、お耳のよろしいこと」ダンスの相手を手放す。

 女の方がにっこり笑うと、額の真ん中に乾いたが入り、音がする程の強さで、外殻のようなものがぼろぼろと崩れ始めた。髪は抜け落ち、服は朽ちていくと、中にはまたご丁寧に別の服を来た女が現れた。まず目を引くのは白衣を着ている事だった。そして美しい女だった。髪は群青、瞳は灰、肌の色味はほとんど感じられず、微笑む唇が濃厚な桃色だった。顔立ちといえば成人はしているようなのだが、童顔に近く、さりとて可愛らしいと言い切るには、美貌を備え過ぎていた。

「お人形さんがまた来たと思ったのに、あなた達は何者なの?」案外と軽い調子で女は笑う。

「名乗る程、馬鹿だと思うか」ハルヒコが銃を向ける。

「それはそうね、お馬鹿さんならここまで来れないわ。放してくださる? うっとおしいのだけど」

「私には、従う理由はない」

「……だって面倒なのだもの。殺すと服が汚れてしまうわ」

 この女は強い。外界術特化型ではない。チェスカルはエルドから外界術を使う人種について学んだ事がある。外界術というのは学問のような側面が強く、エルドのように自身での戦闘行為を、そもそも行わない方が多いのだという。

 しかし、今チェスカルの目の前にいる女は、その立ち姿からして、筋肉の使い方を知っている者の様相だ。

 女がチェスカルと、ハルヒコを交互に指差し始める。

――ライブラ、ラトゥンフィッシュ、それとも聖母の盾に、御影の御手、ステルスハウ……あら、ワンちゃんなのね!」

 チェスカル達の反応を読んだ。異常だ。無意識に音へ反応しないように、チェスカルとハルヒコは訓練されているというのに、それを読み取った。

 女は満足そうに笑う。

「好き放題してると思ったら、ワンちゃん達が紛れ込んでいたの。どうしようかな? そうね、もう暇だし遊んであげる――欲求不満のオ、ズ、ワ、ル、ド」

 女は唐突にチェスカルの腕を引っ張り寄せると、そのまま片手を握り潰し、もう一方は上腕辺りを抑え込んだ。驚くべき事にチェスカルは女の腕力へ、一切抵抗出来なかったのだ。開いてる手も、女へ攻撃できる程振りかぶる事が出来ない。

 チェスカルと女はそのまま中空へと持ち上げられてしまった。虚空だというのに、身体が信じられない程安定している。

「踊り狂って死ねばいいわ――けがらわしい猟犬イヌ

 おそるべき速度でチェスカルは引き回される。前後不覚に陥りかけていたが、外界の変遷へ注意を怠らなかった。しかし、女しか視界に留めていられない。周囲は色だけが走っていき、意味のなさないものになっている。

「素敵、あなた筋肉でバッキバキね。ワンちゃんって皆こうなのかしら」

「……これ以上のお前は一体何なんだ」

「喋ると舌噛むわよ。では、始まり始まり」

 弦を爪弾く音が一回。体のどこかに擦れたような熱い痛みが走る。

 更に、爪弾く音。そして、熱と痛み。

 音、痛み。音、痛み。音、痛み――。

 繰り返しているうちに、弦を爪弾く音が、複雑な音色になって響き渡り始めた。

 全身が焼けるようだ。激しい損傷はなく、今のところは命には関わらないのだが、確実に殺しに来ている。

 チェスカルは痛みに気を取られそうな自分を叱咤して、置かれた状況を整理しながら、思考する事をけして止めなかった。どう動くべきかを考え、そして、するべきではないことを、全ての情報から選り分ける。

 少し前に聞いたはず。

 女の悲しげな顔が蘇る。

 鮮血がチェスカルを赤く染める。臭いと、ねとつくような感触。

 ――ああ、鋏か。

 弦が一つ爪弾かれる。チェスカルにはそれが一際大きく聞こえた気がした。

 さも愉快そうに女は笑っている。艶やかな笑顔だ。ともすれば興奮すら誘う。 

 チェスカルは弦の音が鳴った瞬間、素早くダガーを抜き、自身の背後、その可動範囲限界まで虚空を掻き回した。超高音で擦れ合う金属音が、伝播するようにして広がっていく。周囲は銀糸のきらめきに瞬き、熱で光が弾けた。 

 チェスカルは自重を取り戻して落下していくと、人の手で受け止められた。チェスカルはハルヒコの手を借りて、何事も無かったように立ち上がる。

「お馬鹿さんではないって分かっていたけれど、ここまで本物のお利口さんだとは思わなかったわ。よく気付いたものね」

「糸に実体はないのでは?」ハルヒコが目を細めて、一人虚空へ浮かぶ女を観察する。

「あの音は接触した時に糸を弾く音ではなく、実体化した時の弊害だ。音が鳴ってから一定の時間だけ、糸が物質に触れられるようになる。それは、物であろうが人間であろうが、変わりがないようだ――お前でもコントロールしきれないのだろう。調子に乗り過ぎたな」

「あまりにも理性的過ぎる男っていうのも嫌われるわよ。モテないのではないかしら。まあ、ミラちゃんを騙した時のようにすれば、性的欲求は満たせるのかな? だからお前、女に好かれそうもないのに、女の臭いあとが数え切れない程、染み付いているのか」

「下品な女だ」ハルヒコが吐き捨てる。

「……さあ、どうする。このまま素直に拘束されるか?」

「私が素直に従う程、弱くないって分かっているのに、問いかけるなんて変な男ね」

「面倒事は好まない」

「そうは言っても、私だって捕まってあげる程お人好しではないのよ。いいわ、あなた達の能力に敬意を評して、外法なんてくだらない小細工、止めてあげる」

 木を力一杯折るような音。乾いたような、軋むような、崩壊を想起する色に、チェスカルとハルヒコは、間合いを広く取る。女の皮膚は限界まで伸びると、裂けて艷やかな鱗が表れる。骨格は盛り上がるように変形して、細く長い三メートル弱くらいありそうな巨体となった。脊柱に沿って、鱗が発達した棘がある。

「特別に名前をわ。私はアデライン。何者か分からないだなんて、言わないでね、ワンちゃん」

「そんな、綺士……」ハルヒコがゆっくり後退する。

 チェスカルは綺士へ銃の照準を合わせる。

「残念だけれど、そんなおもちゃでは、虫刺されのようなものね」

 綺士、アデラインが顔を仰向けにして鳴声を上げると、微細な波動となって襲ってくる。チェスカルとハルヒコはさすがに耐え切れず耳を塞いだが、何の意味もなさず透過して来た。綺士は二人が崩れそうになっているのを見ると突進してくる。

「避けろ!」二人は方角も見失い闇雲に散った。

「ああ、なんて馬鹿らしいの。か弱いこと」綺士が酔ったように。さも楽しそうに、アスファルトを踏み締めて、鋭い爪の足型を道路へ食い込ませた。

 そうして遊んでいた綺士は、気を取り直すとチェスカルへ狙いを定め、一息に詰め寄る。チェスカルは立ち上がる時間も与えられず、綺士に腕を叩き付けられて、擦れ擦れに避けた。なんとか、転がるように後退っていた。

「さあ、頑張って、頑張って」

 ハルヒコが背後から綺士の脚へ発砲すると、血が弾け飛び、注意がハルヒコの方へ移る。チェスカルはすかさず銃を構え、同じ場所へ追撃する。脚の鱗が剥がれになった肉質が顕になった。自らの巨体を支え切れず、仰向けに倒れてしまう。

 銃の弾を一息に装填すると、倒れた綺士の脳天へ向けて連射した。中身が飛び散って灰白色の脳と脳漿が破裂する。

「ワ、ワ、わ、ちゃ、でもモモも、このていテい程度ななナナなの、のよねネ。もう、片付てテテて、し、し、しマおう、しら……でも、ももも、たいイな、いかなナなナ」

 ミンチになっている脳の奥から、滑らかな質感の正常な脳が盛り上がって来る。チェスカルはあ然と見ている自分に気付き、発砲を継続し続ける。綺士は迷惑そうに銃弾を手で避けている。

「そうウだわ、いいことトとと、た。こ、今度こそ、本当に、私のお人形さんに、してしまおう、かしら。さすがにそこいらの雑魚とは違うもの」

 綺士は不自由そうに片脚で身体を起こすと、膝立ちした。

 綺士が幾本からなる極細の銀糸を、両手指に掛け、一気に中空から引き出す。そして、指を糸遊びのように鮮やかに動かすと、最後に一糸弾いて音を奏でた。

「では、おやすみなさい。いい夢を」

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