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10章 ライフ・ゴーズ・オン
10章6話 死が我らを分かつとしても
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【西暦2019年6月15日 若葉】
こんな風に、時空と歴史と魂を巡る旅を経てきた私たちの物語も、そろそろ終わりが近づいている。
数ヶ月の婚約期間を経て、私はエックハルトと結婚することになった。彼の大学院修了を期にということにはしているけど、あまりゆっくりはしていられない。私はこの国では外国人だから、ビザが切れたら一緒にはいられない。確固とした身分の保証を得る必要があるのは、やっぱりこの世界でも変わらない。
日本での神前式にも彼は興味があったみたいだけど、私はそれはしたくないと言った。だって、結婚式があれば、披露宴もある、日本では。式だけ開いてご祝儀巻き上げたら帰ってもらうなんてわけにはいかないのだ。そうしたら、親族郎等や学生時代の知人をかき集めて、幼少期の映像やら思春期のエピソードやら披露しないとならない。恥の多い人生を送ってきた私にとって、それは羞恥プレイでしかなかった。唯一、エックハルトの黒紋付に袴の姿は見てみたいけど、私の白無垢は別に見てみたくはない。彼の方は少し違う意見だったみたいだけど。
まあ、大勢の宴席が設けられてお雛様みたいに陳列されることを考えると私が耐えられないだけで、そうでなかったら検討してもいいのだけど、それは今すぐじゃなかった。
代わりに少し憧れがあったのは、いかにもヨーロッパという感じの、こじんまりした結婚式だ。家族とごく内輪の友人だけを呼んで、式を挙げたら、ガーデンパーティに移行する感じのあれだ。そういう結婚式では、裾を引きずって歩くお姫様のようなドレスを着ることはなくて、もっとカジュアルなスタイルでいいのだ。
だから、私がお願いしたのもそういうドレスだ。色は白で、肩は出ているけど、裾は脛の真ん中ぐらいまで、軽く何かを羽織ってそのままガーデンパーティにも参加できるような、そんなドレス。それでも、見た目が映えるように何ヶ月かは準備していた。
「可愛いって言ってよ。いつもみたいにさ」
私はそんな、私らしくないことを彼に言う。いつもは世界一可愛いとか世迷言を吐く彼を黙らせようとするんだけど。だけど、こんな日ぐらいは自信を持ちたい、私だって。だけど、この男は意図的にペースを乱してくる、ここぞというタイミングで。
「綺麗だよ」
綺麗、そんな風に言われる側の人間に、私もなれたんだろうか? 辛うじて爪の先だけ引っかかっている、それぐらいだとしても。
一方のエックハルトは、そんなギリギリの話じゃなくて、本当に綺麗だった。ぴったり体に合った燕尾服、それはこの世界のいつものエックハルトじゃなくて、あの世界の方のエックハルトを思い起こさせる。
「…………」
私は恥ずかしさで目を逸らす。正直私は彼の人となりだけじゃなくて、容貌にも惚れ込んでいる。自分は地味女のくせに実は面食いって最悪じゃない? そんなことない?
こんな風に言うのも何だけど、挙式とかその辺の話は、恙無く執り行われた、程度のことしか私には言えない。あんまりロマンチックな修辞を駆使するのは私の得意とするところではないから。私の方は日本から呼んだ両親と、それから親しい友人何人かには声をかけていたけど、彼の方は当然、もっと呼ぶべき人はいて、会場には私の知らない人も多かった。
両親と言えば、式の数日前に私たちが交わした会話の、しょうもないエピソードがある。私の両親も、私に似て背が低い。
「……そう、由緒正しいチビなの。先祖代々。だから、あなたの遺伝子貰っても、子供はきっと背が高くならないよ。残念でした」
そんな風な、いつもの調子の軽口を叩く私。だけどエックハルトは数秒、びっくりしたように私の顔を見て、何度も瞬きしていた。それから、私の首と背中に腕を回して、耳元で囁くのだ。
「僕の遺伝子だったら、いくらでもあげるよ」
「……ーーーッ!!」
どうやら私は失言したらしかった。
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、内輪で行われたパーティの会場にいた、隅のテーブルに佇んでいる、見覚えのない、だけどすごく見覚えのある、二人の人影だった。
白を基調とした豪華な正装の、ほっそりした金髪の男性。
その隣に立つ、控えめだけど綺麗な、緑のロングドレス姿の、赤毛の女の人。
遠くからでも分かってしまう、その澄んだ青い目の自信に満ちた眼差し、灰緑の目の美しい微笑み。あれは、そう。
「リヒャルト。……アリーシャ!!」
私は思わず叫び声を上げる。そちらに手を伸ばして、駆け出す。
その手に伸ばそうとした私の手は空を掻く。
その勢いで私は転び、だけど急いで起き上がって、顔を上げる。
だけど、そこにはもう誰もいなかった。
そんな。いつから。
物質は、肉体は決して、平行世界を行き来できない。
行き来できるのは情報だけ。たぶん。
魂の存在は分からない。だけど、でも。
「見守ってて、くれたの。ずっと」
私は茫然と呟く。いつからなんだろう。
平行世界の時間軸を無理矢理並べたとすると、きっと二人はもう死んでいる。だけど、情報だけ、あるいは魂だけのことなら、どんな可能性だってあり得る。だからあるいは、私の目が覚めてからずっと。あるいは、こちらの世界のエックハルトが生まれてからずっと。あるいは、この結婚式の間だけ。あるいは、たった今、一瞬の間だけ。
でも、それでも。
もう何も見えなくなった空間に向かって私は呟く。
「ずっと会いたかった。会って、話がしたかったよ。私にチャンスをくれたのは、あなた。最後の一日だけじゃない、あなたがいなかったら、今の私はいない。それなのに、ずるいなんて思ってごめん。大好きだよ、アリーシャ。幸せだった? だよね、絶対そう」
これは、私の目の錯覚とか、気のせいとか、無意識の願望が見せた幻だった可能性を私は否定できない。だけど、魂の存在だって、同時に私は否定できない。
でも、それすら本質ではないのかもしれない。私がしなければならないのは、どこかの冷たい第三者に向けた魂の存在証明ではなくて、あの子たちへの私自身の魂の証明だ。
私の人生は私のもので、私の選択は私の責任で、その結果は私に降り掛かる。だけど、私は私だけではここに辿り着けなかった。私は私のこの人生を最大限幸福にしなければならない、それだけが、あの子たちがいることの証明になるのだから。
「……若葉?」
しばらくそのままでいた私の傍らに跪いて、エックハルトが声を掛ける。
「……ねえ、エックハルト」
私は立ち上がって、スカートに付いてしまった埃を払う。それから彼に向き直った。
「私、本当は嫉妬深いし、独占欲も強いの。あなたは正直、わけがわからなかったことだってあったと思う。それはきっと、これからも。だけど、そんなことで諦めたくない。あなたと、幸せな人生を生きることを。だから、これからよろしくね」
そう言って、私は彼に手を伸ばす。
でも、そんな私に、エックハルトは穏やかな、でも悪戯っぽい含み笑いで答えるのだ。
「何とか言ってよ! なに、笑ってるの」
「急にどうしたのかなと思って」
「いいでしょ別に。……いつも素直になれなくてごめん。本当は、もっと自信を持ちたい。あなたに相応しい女だと思えるぐらいに」
エックハルトは私に近づくと、私を抱え上げて言うのだ。
「じゃあ僕のことだって、もっともっとあなたに知ってほしい。僕にとってあなたがどんな存在なのかも。若葉、僕のヒーロー。聡明で勇敢な、僕の女神様。食べてしまいたくなるぐらい可愛い、僕の恋人。そして、今は僕の、最愛の伴侶」
「……ねえ。なんでそういう恥ずかしいことを、平気で口にできるの? もう」
エックハルトの感性はぶっ飛んでいて、だからこの私をここまで熱烈に愛せるんだろうと、改めて私は思う。でも、それで良くて、だからこそ良くて、それでこその私の可愛いエックハルトなのだろう。
その証拠に、エックハルトは続けて、こんなことを言うのだ。
「たとえ死だって、僕らを離れ離れにしてはおけない。最後にはまた巡り合える。……ねえ、そうでしょう?」
ヨーロッパの夏は美しい。だんだん夕刻が近づいてきて、それでも暗くならないその空を、私たちは見上げていた。
こんな風に、時空と歴史と魂を巡る旅を経てきた私たちの物語も、そろそろ終わりが近づいている。
数ヶ月の婚約期間を経て、私はエックハルトと結婚することになった。彼の大学院修了を期にということにはしているけど、あまりゆっくりはしていられない。私はこの国では外国人だから、ビザが切れたら一緒にはいられない。確固とした身分の保証を得る必要があるのは、やっぱりこの世界でも変わらない。
日本での神前式にも彼は興味があったみたいだけど、私はそれはしたくないと言った。だって、結婚式があれば、披露宴もある、日本では。式だけ開いてご祝儀巻き上げたら帰ってもらうなんてわけにはいかないのだ。そうしたら、親族郎等や学生時代の知人をかき集めて、幼少期の映像やら思春期のエピソードやら披露しないとならない。恥の多い人生を送ってきた私にとって、それは羞恥プレイでしかなかった。唯一、エックハルトの黒紋付に袴の姿は見てみたいけど、私の白無垢は別に見てみたくはない。彼の方は少し違う意見だったみたいだけど。
まあ、大勢の宴席が設けられてお雛様みたいに陳列されることを考えると私が耐えられないだけで、そうでなかったら検討してもいいのだけど、それは今すぐじゃなかった。
代わりに少し憧れがあったのは、いかにもヨーロッパという感じの、こじんまりした結婚式だ。家族とごく内輪の友人だけを呼んで、式を挙げたら、ガーデンパーティに移行する感じのあれだ。そういう結婚式では、裾を引きずって歩くお姫様のようなドレスを着ることはなくて、もっとカジュアルなスタイルでいいのだ。
だから、私がお願いしたのもそういうドレスだ。色は白で、肩は出ているけど、裾は脛の真ん中ぐらいまで、軽く何かを羽織ってそのままガーデンパーティにも参加できるような、そんなドレス。それでも、見た目が映えるように何ヶ月かは準備していた。
「可愛いって言ってよ。いつもみたいにさ」
私はそんな、私らしくないことを彼に言う。いつもは世界一可愛いとか世迷言を吐く彼を黙らせようとするんだけど。だけど、こんな日ぐらいは自信を持ちたい、私だって。だけど、この男は意図的にペースを乱してくる、ここぞというタイミングで。
「綺麗だよ」
綺麗、そんな風に言われる側の人間に、私もなれたんだろうか? 辛うじて爪の先だけ引っかかっている、それぐらいだとしても。
一方のエックハルトは、そんなギリギリの話じゃなくて、本当に綺麗だった。ぴったり体に合った燕尾服、それはこの世界のいつものエックハルトじゃなくて、あの世界の方のエックハルトを思い起こさせる。
「…………」
私は恥ずかしさで目を逸らす。正直私は彼の人となりだけじゃなくて、容貌にも惚れ込んでいる。自分は地味女のくせに実は面食いって最悪じゃない? そんなことない?
こんな風に言うのも何だけど、挙式とかその辺の話は、恙無く執り行われた、程度のことしか私には言えない。あんまりロマンチックな修辞を駆使するのは私の得意とするところではないから。私の方は日本から呼んだ両親と、それから親しい友人何人かには声をかけていたけど、彼の方は当然、もっと呼ぶべき人はいて、会場には私の知らない人も多かった。
両親と言えば、式の数日前に私たちが交わした会話の、しょうもないエピソードがある。私の両親も、私に似て背が低い。
「……そう、由緒正しいチビなの。先祖代々。だから、あなたの遺伝子貰っても、子供はきっと背が高くならないよ。残念でした」
そんな風な、いつもの調子の軽口を叩く私。だけどエックハルトは数秒、びっくりしたように私の顔を見て、何度も瞬きしていた。それから、私の首と背中に腕を回して、耳元で囁くのだ。
「僕の遺伝子だったら、いくらでもあげるよ」
「……ーーーッ!!」
どうやら私は失言したらしかった。
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、内輪で行われたパーティの会場にいた、隅のテーブルに佇んでいる、見覚えのない、だけどすごく見覚えのある、二人の人影だった。
白を基調とした豪華な正装の、ほっそりした金髪の男性。
その隣に立つ、控えめだけど綺麗な、緑のロングドレス姿の、赤毛の女の人。
遠くからでも分かってしまう、その澄んだ青い目の自信に満ちた眼差し、灰緑の目の美しい微笑み。あれは、そう。
「リヒャルト。……アリーシャ!!」
私は思わず叫び声を上げる。そちらに手を伸ばして、駆け出す。
その手に伸ばそうとした私の手は空を掻く。
その勢いで私は転び、だけど急いで起き上がって、顔を上げる。
だけど、そこにはもう誰もいなかった。
そんな。いつから。
物質は、肉体は決して、平行世界を行き来できない。
行き来できるのは情報だけ。たぶん。
魂の存在は分からない。だけど、でも。
「見守ってて、くれたの。ずっと」
私は茫然と呟く。いつからなんだろう。
平行世界の時間軸を無理矢理並べたとすると、きっと二人はもう死んでいる。だけど、情報だけ、あるいは魂だけのことなら、どんな可能性だってあり得る。だからあるいは、私の目が覚めてからずっと。あるいは、こちらの世界のエックハルトが生まれてからずっと。あるいは、この結婚式の間だけ。あるいは、たった今、一瞬の間だけ。
でも、それでも。
もう何も見えなくなった空間に向かって私は呟く。
「ずっと会いたかった。会って、話がしたかったよ。私にチャンスをくれたのは、あなた。最後の一日だけじゃない、あなたがいなかったら、今の私はいない。それなのに、ずるいなんて思ってごめん。大好きだよ、アリーシャ。幸せだった? だよね、絶対そう」
これは、私の目の錯覚とか、気のせいとか、無意識の願望が見せた幻だった可能性を私は否定できない。だけど、魂の存在だって、同時に私は否定できない。
でも、それすら本質ではないのかもしれない。私がしなければならないのは、どこかの冷たい第三者に向けた魂の存在証明ではなくて、あの子たちへの私自身の魂の証明だ。
私の人生は私のもので、私の選択は私の責任で、その結果は私に降り掛かる。だけど、私は私だけではここに辿り着けなかった。私は私のこの人生を最大限幸福にしなければならない、それだけが、あの子たちがいることの証明になるのだから。
「……若葉?」
しばらくそのままでいた私の傍らに跪いて、エックハルトが声を掛ける。
「……ねえ、エックハルト」
私は立ち上がって、スカートに付いてしまった埃を払う。それから彼に向き直った。
「私、本当は嫉妬深いし、独占欲も強いの。あなたは正直、わけがわからなかったことだってあったと思う。それはきっと、これからも。だけど、そんなことで諦めたくない。あなたと、幸せな人生を生きることを。だから、これからよろしくね」
そう言って、私は彼に手を伸ばす。
でも、そんな私に、エックハルトは穏やかな、でも悪戯っぽい含み笑いで答えるのだ。
「何とか言ってよ! なに、笑ってるの」
「急にどうしたのかなと思って」
「いいでしょ別に。……いつも素直になれなくてごめん。本当は、もっと自信を持ちたい。あなたに相応しい女だと思えるぐらいに」
エックハルトは私に近づくと、私を抱え上げて言うのだ。
「じゃあ僕のことだって、もっともっとあなたに知ってほしい。僕にとってあなたがどんな存在なのかも。若葉、僕のヒーロー。聡明で勇敢な、僕の女神様。食べてしまいたくなるぐらい可愛い、僕の恋人。そして、今は僕の、最愛の伴侶」
「……ねえ。なんでそういう恥ずかしいことを、平気で口にできるの? もう」
エックハルトの感性はぶっ飛んでいて、だからこの私をここまで熱烈に愛せるんだろうと、改めて私は思う。でも、それで良くて、だからこそ良くて、それでこその私の可愛いエックハルトなのだろう。
その証拠に、エックハルトは続けて、こんなことを言うのだ。
「たとえ死だって、僕らを離れ離れにしてはおけない。最後にはまた巡り合える。……ねえ、そうでしょう?」
ヨーロッパの夏は美しい。だんだん夕刻が近づいてきて、それでも暗くならないその空を、私たちは見上げていた。
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