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20 ヒートですか?
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洋介は途方に暮れた。何で富士子がこの本を引っ張り出して来たのか分からない。
「洋ちゃんが編集したんだから、内容は覚えてるでしょ?」
「覚えてるけど、何しろ20年近く前の本だし。そもそも編集って……ウチの会社の場合は外注してたし」
後半はモゴモゴと小声になってしまう。それがとってもコンプレックスだったのだ。誰も名前も知らないような小さな出版社だという事より、編集の仕事だなんて凄いって言われても、実際は編集プロダクションに外注していた事が。しかしそんな事は富士子には言っても分からないし、そもそも言ってない。
「何?」
「いや、何でもない。で、何でこれ?」
「まさか自分が編集した本の内容、忘れてるの?」
あの頃一体何冊担当してたと思ってるんだよと言いたいのを飲み込む。最低でも毎月一冊は自分の担当した本が出版されるのだ。だから同時進行で何冊も企画は動いていた。まあどうせ富士子には言っても分からないし。
しかしその飲み込んだのを富士子は誤解したようだ。
「えー、ほんとに忘れてるの? そんなに無責任な人だったの? 信じらんない」
富士子は心底呆れたというようにテーブルの本を取り上げると、洋介に突き付けた。
「読みなさい。うん。読んだら分かります。ほら!」
その昔洋介は自分が担当した本を、全て富士子に献本していた。富士子が喜ぶからだ。誇らしかった。だが読んでいるところは一度も見たことがない。洋介が勤めていたのは実用書を専門に出している出版社で、実用書というのがその分野を必要としていない人にとっては何の興味もわかない本であることは重々承知していた。そもそも就職する前の洋介がそうだったし。ボールペン字の練習帳とか、手紙の書き方とか、姓名判断の本とか、自身も担当しなければ読もうなんて思わなかったから。富士子は「凄いわねー」と嬉しそうにその場でパラパラと捲るが、結局読まずに本棚の専用の場所に並べてそれっきりだった。まあ、食べ合わせの本とか、あと、ツボ押しの本は平介が興味を持って、トイレで読んでいたが。
20年ぶりに見たその本は、洋介が担当した中では一番売れたものだ。
『よく分かる 第三の性』、掛かっている帯には第三の性を取り上げたドラマで主役を演じた俳優の顔写真とコメントが刷られている。当時流行っていたドラマだ。
富士子が怖かったので、洋介は二階の自分の部屋へ逃げ込んだ。木造の古い家なので、階下で富士子が平介に「信じられない、信じられない!」としきりに文句を言っているのが聞こえてくる。洋介は耳栓をした。
この本を編集した時のことが思い出される。
ドラマの影響で、他社から既に第三の性を扱った本が何冊も出ていた。それで営業から、売れているようだからウチもと企画が上がって来たのだった。普段そうやって営業から何番煎じかの企画が上がって来た時、編集長は嫌がって大いに渋る。何故なら、何番煎じかの時点でもうネタ切れ、作る方は大変だ。おまけに売れないと営業は自分達の企画だというのを棚に上げて、編集部を責める。それに流行っているうちに出さないと売れなくなるから、スケジュールもタイトになる。だが、その時は編集長は張り切って飛びついた。そのドラマにハマっていたからだ。
担当に選ばれたのは洋介だ。まだ若かった洋介はやる気に溢れていた。入社した時は自分の仕事が、編集とは名ばかりで、実際は外注してスケジュールを管理するだけだと知ってやさぐれそうになったが、自ら企画書を書いたり、著者や編集プロダクションとこまめに打ち合わせしたり、ゲラに熱心に目を通すうちに、やりがいを感じるようになって来た。自分らしさが本の中に出せているようなそんな気になっていた時だった。
パラパラとページを捲る。
他社から出ていた第三の性を扱った本は、硬い内容の専門書に近いものが多かった。洋介はそれを変えたいと可愛らしいイラストを用い、漫画や当事者のエッセーを入れて、若者向けにする事を提案した。企画は当たり、未だに書店で見かける息の長い本になった。洋介が担当した本で、未だに生き残っているのはこの本だけかもしれない。洋介の勤めていた出版社が小さいこともあるが、基本的に実用書は売れない。だから、作る時に1回でも重版が掛かれば元が取れるように遡って経費を設定していく、3回重版が掛かれば御の字だ。二冊目を出そうなんて話も出たりする。実際、この本の後二冊目、三冊目も担当させられた。
この本に関しては、編集長にも営業にもだいぶ褒められた。若者向けに可愛らしく分かりやすい本を目指したが、内容はきちんとしている。著者が、それだけは譲れないと拘ったからだ。著者と会う為に、日本第三の性協会の事務所には何度も足を運んだ。
(そう言えば、あの子、元気にしてるかな?)
洋介は当時、協会の事務所で知り合った子を思い出して口元を緩めた。
制服を着た小学生の男の子と仲良くなったのだ。まあ、事務所に行った時に何度か会って、挨拶してちょっと話すくらいだが。何処かの有名大学の附属に通っていたらしく、学帽と詰襟、半ズボンの制服がよく似合っていた。洋介が話しかけると、頬をピンクに染めて嬉しそうに受け答えするのが、とても可愛らしかった。
本の内容は覚えている筈だ。何しろ、ゲラは必ず3回は目を通していた。赤字チェックは編集プロダクションがするからそこまでする必要はないと上司には言われたのだが、そうやって初稿から細かく目を通すのが洋介のこだわりだった。案外、編集プロダクションと著者が見落としているミスが見つかったりもして、洋介の後輩もいつしか真似するようになった。
懐かしいな。
順番に目を通していくうちに、洋介の手が止まる。
(あ、これ、か)
第三の性を持つ男性には、第三の性を持つ女性とは違い、ヒートがある。3ヶ月に一回、人によって程度の違いがあるが、症状が重い人は3週間ほど寝込む事になる。
そうだった。どうしてこれを忘れていられたのか。
ヒートについて何処迄深く掘り下げて本に載せるか、週刊誌の記事のようなエロ目線の扱いでもなく、専門書のような学術的な内容でもない。その塩梅について、随分と打ち合わせしたのに。
「洋ちゃんが編集したんだから、内容は覚えてるでしょ?」
「覚えてるけど、何しろ20年近く前の本だし。そもそも編集って……ウチの会社の場合は外注してたし」
後半はモゴモゴと小声になってしまう。それがとってもコンプレックスだったのだ。誰も名前も知らないような小さな出版社だという事より、編集の仕事だなんて凄いって言われても、実際は編集プロダクションに外注していた事が。しかしそんな事は富士子には言っても分からないし、そもそも言ってない。
「何?」
「いや、何でもない。で、何でこれ?」
「まさか自分が編集した本の内容、忘れてるの?」
あの頃一体何冊担当してたと思ってるんだよと言いたいのを飲み込む。最低でも毎月一冊は自分の担当した本が出版されるのだ。だから同時進行で何冊も企画は動いていた。まあどうせ富士子には言っても分からないし。
しかしその飲み込んだのを富士子は誤解したようだ。
「えー、ほんとに忘れてるの? そんなに無責任な人だったの? 信じらんない」
富士子は心底呆れたというようにテーブルの本を取り上げると、洋介に突き付けた。
「読みなさい。うん。読んだら分かります。ほら!」
その昔洋介は自分が担当した本を、全て富士子に献本していた。富士子が喜ぶからだ。誇らしかった。だが読んでいるところは一度も見たことがない。洋介が勤めていたのは実用書を専門に出している出版社で、実用書というのがその分野を必要としていない人にとっては何の興味もわかない本であることは重々承知していた。そもそも就職する前の洋介がそうだったし。ボールペン字の練習帳とか、手紙の書き方とか、姓名判断の本とか、自身も担当しなければ読もうなんて思わなかったから。富士子は「凄いわねー」と嬉しそうにその場でパラパラと捲るが、結局読まずに本棚の専用の場所に並べてそれっきりだった。まあ、食べ合わせの本とか、あと、ツボ押しの本は平介が興味を持って、トイレで読んでいたが。
20年ぶりに見たその本は、洋介が担当した中では一番売れたものだ。
『よく分かる 第三の性』、掛かっている帯には第三の性を取り上げたドラマで主役を演じた俳優の顔写真とコメントが刷られている。当時流行っていたドラマだ。
富士子が怖かったので、洋介は二階の自分の部屋へ逃げ込んだ。木造の古い家なので、階下で富士子が平介に「信じられない、信じられない!」としきりに文句を言っているのが聞こえてくる。洋介は耳栓をした。
この本を編集した時のことが思い出される。
ドラマの影響で、他社から既に第三の性を扱った本が何冊も出ていた。それで営業から、売れているようだからウチもと企画が上がって来たのだった。普段そうやって営業から何番煎じかの企画が上がって来た時、編集長は嫌がって大いに渋る。何故なら、何番煎じかの時点でもうネタ切れ、作る方は大変だ。おまけに売れないと営業は自分達の企画だというのを棚に上げて、編集部を責める。それに流行っているうちに出さないと売れなくなるから、スケジュールもタイトになる。だが、その時は編集長は張り切って飛びついた。そのドラマにハマっていたからだ。
担当に選ばれたのは洋介だ。まだ若かった洋介はやる気に溢れていた。入社した時は自分の仕事が、編集とは名ばかりで、実際は外注してスケジュールを管理するだけだと知ってやさぐれそうになったが、自ら企画書を書いたり、著者や編集プロダクションとこまめに打ち合わせしたり、ゲラに熱心に目を通すうちに、やりがいを感じるようになって来た。自分らしさが本の中に出せているようなそんな気になっていた時だった。
パラパラとページを捲る。
他社から出ていた第三の性を扱った本は、硬い内容の専門書に近いものが多かった。洋介はそれを変えたいと可愛らしいイラストを用い、漫画や当事者のエッセーを入れて、若者向けにする事を提案した。企画は当たり、未だに書店で見かける息の長い本になった。洋介が担当した本で、未だに生き残っているのはこの本だけかもしれない。洋介の勤めていた出版社が小さいこともあるが、基本的に実用書は売れない。だから、作る時に1回でも重版が掛かれば元が取れるように遡って経費を設定していく、3回重版が掛かれば御の字だ。二冊目を出そうなんて話も出たりする。実際、この本の後二冊目、三冊目も担当させられた。
この本に関しては、編集長にも営業にもだいぶ褒められた。若者向けに可愛らしく分かりやすい本を目指したが、内容はきちんとしている。著者が、それだけは譲れないと拘ったからだ。著者と会う為に、日本第三の性協会の事務所には何度も足を運んだ。
(そう言えば、あの子、元気にしてるかな?)
洋介は当時、協会の事務所で知り合った子を思い出して口元を緩めた。
制服を着た小学生の男の子と仲良くなったのだ。まあ、事務所に行った時に何度か会って、挨拶してちょっと話すくらいだが。何処かの有名大学の附属に通っていたらしく、学帽と詰襟、半ズボンの制服がよく似合っていた。洋介が話しかけると、頬をピンクに染めて嬉しそうに受け答えするのが、とても可愛らしかった。
本の内容は覚えている筈だ。何しろ、ゲラは必ず3回は目を通していた。赤字チェックは編集プロダクションがするからそこまでする必要はないと上司には言われたのだが、そうやって初稿から細かく目を通すのが洋介のこだわりだった。案外、編集プロダクションと著者が見落としているミスが見つかったりもして、洋介の後輩もいつしか真似するようになった。
懐かしいな。
順番に目を通していくうちに、洋介の手が止まる。
(あ、これ、か)
第三の性を持つ男性には、第三の性を持つ女性とは違い、ヒートがある。3ヶ月に一回、人によって程度の違いがあるが、症状が重い人は3週間ほど寝込む事になる。
そうだった。どうしてこれを忘れていられたのか。
ヒートについて何処迄深く掘り下げて本に載せるか、週刊誌の記事のようなエロ目線の扱いでもなく、専門書のような学術的な内容でもない。その塩梅について、随分と打ち合わせしたのに。
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