引きこもりの受難

小桃沢ももみ

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15 寝起きですか?

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 次の日、洋介はいつものように朝五時に風太郎に起こされた。朝の散歩に出たいのだ、二時間ぐらいで戻って来て朝飯をねだるのがいつものルーティンだ。
 風太郎の起こし方は、最初は優しい。ニャーニャー鳴きながら寝ている洋介の腹の上に乗り上げて香箱座りを決め込む。風太郎は六キロあるのでそこそこ圧迫感がある。だが朝の五時、洋介の瞼は重い。待っていて起きないとみると、風太郎は今度は踏み踏みし始める。小さな猫の足でもお腹の柔いとこに食い込まれるとうっと呻くくらいの痛みがある。ここで起きれれば御の字である。しかし昨日遅くまで本を読んでいた洋介はそれでも起きたくない、そこで第三段階、ガブリと手首に噛み付かれる。

 「うおぅ! いて!」

 思わず振り払うと、身軽に避けた風太郎は離れたところから、鳴き声を大きくする。

 「はいはい。下僕は起きますよ」

 因みに今のは甘噛みだ。痛いが歯型はつかない。最終段階まで起きないと、今度は本気でガブリとやられる。お陰で腕まくりすると洋介の腕には結構傷がある。あと、脛にも引っ掻かれた傷が。それでも可愛いのだから、言うことをきくしかない。
 ガリガリとドアを引っ掻くので開けてやると、早くしろとニャーニャー鳴きながら足にまとわりつく。

 「はいはい。分かってるから、行くから」

 トントンと身軽に階段を降りて行く風太郎に続いて下まで降りると、星が寝ている部屋のドアはきっちりと閉まっている。あの後は問題なく眠れたらしい。玄関の鍵を開け、ドアを薄く開くと隙間から風太郎はまだ暗い外に出て行った。
 もうひと眠りする前にトイレに行くことにする。
 洋介の家の周辺は水洗トイレの配管が敷かれていないので、汲み取り式だ。汲み取る量が多いとその分、汲み取り屋さんに支払う料金も増えるため、節約策として洋介の家では尻を拭いた紙は便所には捨てず、燃えるゴミとして捨てることになっている。これが、昨晩富士子が星に説明していた我が家の流儀だ。ぼっとん便所なんて星は見たのは生まれて初めてだったんじゃないだろうか、男だからあんまり関係ないかもしれないが紙を便所に流してはいけないというルールにも引いたんじゃないかと思う。
 星さんは今時の若い子だからなーと洋介は、行介のお嫁さんの康子ちゃんと比べた。大学生の頃から行介に連れられて遊びに来ていたが、康子ちゃん家も福島の田舎だからか、このウチの謎ルールにすぐに馴染んだ。まあ、内心何か思っていても言わないだけだったかもしれないけど。だとしても星さんにはちょっと我が家の暮らしは無理そうな気がする、だって風太郎のことお化けと勘違いしてたくらいだからな、と洋介はふふっと思い出し笑いをした。

 さて、岬家の朝食は八時だ。
 朝食を作るのは平介だ。歳をとって朝が早くなった平介は四時くらいには目が覚めてしまうらしい。六時には食べられる状態になっていて、リンちゃんが来ている時はその時間にみんなで食べてしまう。何しろ幼児は朝から元気で早起きして走り回るし、普段家でも仕事に行く行介に合わせてそれくらいに食べているそうで、自然と岬家の朝食時間も早まる。だが三人の時は多数決で、まだ寝ていたい富士子と洋介に合わせることになる。
 平介は六時に朝食の用意を終えると、チャップスを連れ散歩に出掛け、近所の農家に借りている家庭菜園を見回る。それから朝風呂に入って、八時に皆で朝食をとるのがルーティンだ。
 しかし八時になって三人が食卓についても星は起きて来なかった。

 「お袋、昨日時間言ったんだよな?」
 「うん。疲れてるのよー、寝かしておいてあげましょ」
 「いや、朝食は皆でとるのが岬家流だ」

 珍しく、平介が自己主張する。
 張り切ったのだろう、ダイニングテーブルいっぱいに料理が並んでいるから、星と一緒に食べたいらしい。いつもはテーブルの上に置きっぱなしのお菓子や文房具なんかも綺麗に退けて、広げたスペース全部使い切っている。普段三人だけの時も品数は多いが、ほとんどが前の日の残り物だ。けれど今日は明らかに今朝作りました、という料理が多い。若い星向けなのか、肉が多いのがご愛嬌だ。

 「洋ちゃん起こしてあげて来てよー」
 「でも、雨戸開ける音でも起きなかったんだよな?」

 気を遣ったらしく、いつもはもっと早い時間に開けてしまう雨戸を、平介はギリギリまで開けずにいたらしい。我が家とは言え、他人が眠っている部屋に入るのは気まずい。

 「今日仕事休みなら別にいいんじゃ」

 と口にすると、平介にジトッとした目で見つめられた。

 「仕方ねえな」

 洋介は椅子から立つと、星の寝ている部屋へ向かった。途中、玄関の外に風太郎が見えたので中に入れてやる。入って来た所を直ぐに抱えて風呂場へ運ぶ。嫌がって抗議の声を上げているが、無視して残り湯を少なめに汲んだ洗面器に足先を一本ずつちょんちょんとつけて濡らしてから丁寧に雑巾で拭く。外から帰って来たので、綺麗にしないと家に上げられないのだ。拭き終わって洋介の手が離れると、風太郎は一気に逃げて行った。だがすぐ寄って来て強請るので餌をやる。ご機嫌でガツガツと食べているようなので、放っておいて小さく星の部屋をノックした。

 「あの、星さん?」

 反応はない。もう一回ノックして名前を呼んでみてから、ゆっくりとドアを開けていく。この部屋は和室で、ドアは引き戸になっている。そろそろと引いていくと、隙間からさっと風太郎が潜り込んだ。

 「あ、ふう、ダメだ!」

 なるべく小さい声で、洋介は叱りつけた。どの部屋も入り放題の風太郎だが、この部屋だけは富士子がダメと決めているのだ。畳に毛が散るのが許せないらしい。とはいえ、リンちゃんは猫が好きだし、炬燵も置いてあるので、なんだかんだ言って結構風太郎は勝手に入ってしまっていた。特に人が寝ている布団の暖かさには惹かれるらしく、迷うことなく星が眠っている膨らみの側に行き着く。餌を食べていると思って安心していたら出し抜かれた。
 良さそうな場所を探し踏み踏みしながら彷徨く風太郎に、洋介は慌てる。

 「あ、おい。ダメだ。戻って来い」

 手招きしてもどこ吹く風。風太郎は悠々と星の膨らみに沿って布団の上を歩き、窪んだ部分を体のラインをなぞるようにして踏み締めていく。昨日の様子だと、星は猫が苦手という訳ではなさそうだった。だからと言って、寝起きを猫に襲われるのは嫌だろう。

 「ああ、もう!」

 洋介は静かにドアを全部引くと、音を立てないように星の布団へ近付いた。風太郎を捕まえようとすると、するりとその手をすり抜けていく。

 「ふう、ダメだって。コラ!」

 普段なら簡単に捕まえられるのだが、星を起こしたら良くないという気持ちと、人が寝ている上でバタバタしているという引け目から何度か逃げられてしまう。星は布団に丸く包まって寝るタイプらしい。しかも頭までしっかり布団を被っているので、これは中々起きないだろうと洋介は段々気が大きくなって来た。ちょっとくらいなら音をたてても平気じゃないかと。
 しかしそうは問屋が卸さなかった。

 「ちょっと、洋ちゃん! まだあ?」

 様子を見に来た富士子がデカい声を出したので、星が起きてしまった。もぞもぞと布団が捲れて星が顔を出した。

 「え? 洋介……、さん?」
 「あ、おはようございます」

 やっと風太郎を捕まえた洋介は、猫をぶら下げたまま誤魔化し笑いで星に朝の挨拶する羽目になった。
 
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