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楽しい運動会
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〈八坂視点〉
二学期になると、席替えがあった。
そのせいで、前の席だった持田さんはあっさりと遠い存在になった。
いや、距離が近くても、元々遠かった。彼女にとって俺は、後ろの席の男子というだけの認識だろう。
でも俺は、毎日学校が楽しみになる程度には、彼女を好きだった。
彼女が学級委員長に立候補したとき、副委員長の座を巡って若干揉めた。なりたがる男が大勢いたのだ。俺は勇気が出なくて、他の男が相棒になるのを黙って見ているしかなかった。
持田さんは、相変わらず倉知先生を好きだった。ノートを集めたり、プリントを配ったり、自ら仕事をしょいこんで、いつも忙しそうに動き回っていた。
忙しそうではあるが、常に笑顔で、元気いっぱいの彼女は輝いていた。
運動会でも全力で、輝くどころか迸っている。
「にっくっみ! にっくっみ!」
二年男子による騎馬戦を、女子たちが応援している。ダンスが可愛い。女子がダンスで応援しているクラスは二組だけだ。ラッキーだ。
本物のアイドルにだって負けていない。センターにいる持田さんが、誰よりも可愛かった。
可愛すぎて、奮い立つ。なんとか報いたい。
俺は騎手の一人で、責任が重大だった。鉛筆のような頼りなげな俺がなぜ重要なポジションを任されているのかというと、単に騎馬になる腕力も体力もないからだった。
運動場のあちこちで争いが起きているのを、俺と騎馬たちは端のほうに逃れて眺めていた。
「くっそー、もっちー可愛いぜ」
一人が言った。もっちーというのは、持田さんのことだ。女子は町子、男子はもっちーと呼ぶことが多い。
「ジャージでも天使」
「もっちー、三組のサッカー部のなんとかってやつ、フったらしいぞ」
「まだ告るやついるの? アホじゃん」
「倉知先生しか見てないもんな、もっちー」
「一途で純粋なとこ、めちゃ可愛い」
可愛い、可愛い、と騎馬たちがメロメロになっている。気持ちはわかるし同意見ではあるが、何か爪痕を残したい。
「あの、みなさん」
下のほうにあるクラスメイトの顔を見回して言った。
「そろそろ動かない?」
「でも八坂、ああいう中に飛び込んでいける?」
運動場のいたるところで激戦が繰り広げられている。砂煙が巻き起こり、さながら戦争だ。
「お前みたいなひょろい奴、瞬殺じゃん?」
「あそこ見て。後ろから近づけば、いけると思うんだ」
もみ合っている敵の大将の背中がガラ空きだ。
「俺は常日頃、教室で幽霊だから。気づかれない自信がある」
「何その渾身の自虐ネタ」
「まあでも確かに」
「説得力すご」
騎馬のみんながわははと笑う。
「俺は気配がないから。行けるよ、行こう」
騎馬のみんなが俺の下で「行く?」「行こう」と段取りをして、そろそろと動き出す。
「みんな急いで。大将首獲れば、持田さんが喜ぶよ」
「大将首て」
「八坂、なんか面白くね?」
「てかお前ももっちーのファン?」
「うん、俺は、持田さんに褒められたい。みんな、頑張ろう」
小さく、静かに、うおおおお、と雄たけびを押し殺し、敵の大将に忍び寄る。他の騎馬との対戦に気を取られている大将の背後に手を伸ばし、ハチマキを引き抜いた。
「え、何、誰?」
敵の大将が振り向いて俺を見る。
「あ、獲られてる」
誰かが言った。
「こいつ、本当にやりやがった……」
俺の下で騎馬がうなる。俺はハチマキを高々と掲げ、叫んでいた。
敵将、討ち取ったり!
叫んだのは脳内でだ。そんな科白を大声で喚くキャラでもない。掲げていた腕を下ろし、小さく「すみませんでした」と敵の大将に頭を下げた。
力と力のぶつかり合いをしていたのに、謎の伏兵にやられるというあっけない幕引きで、申し訳なくなってしまった。パラパラと控えめな拍手が風に乗って運ばれてくる。
でも自陣に帰ると、女子たちに褒め称えられた。もちろん、持田さんも大喜びだ。
「八坂君! すごかった! なんか、ぬるっとしてた!」
「ぬるっとしてた……かな?」
独特の表現方法が持田さんらしい。
「騎馬の男子もちょっとカッコよかったよね」
「見直した」
男子より、まさかの女子たちの視線が温かい。
「敵将、討ち取ったり! って感じだったね」
持田さんが突然そう言った。思わず「えっ」とのけぞってしまった。
「しびれた!」
持田さんが立てた親指を俺に向けて、にかっと笑う。
陰キャのオタクが何かしたところで、と思っていたが、がんばってよかった。何より、持田さんが嬉しそうなのが最高だ。
八坂君八坂君と興奮気味にまとわりつかれ、これはもしやお昼は一緒に弁当を食べる流れではと淡い期待を抱いたが、無駄だった。
昼休憩になると、倉知先生が教室にやってきたのだ。今日は特別にみんなと食べようと思って、と照れ臭そうに弁当を持参する先生に、生徒が群がった。無論、持田さんも飛びついた。
「どうする? どんなふうに机セッティングする? みんなで輪になる? そして倉知先生を真ん中にする? それとも奪い合う? じゃんけん? 入札する?」
「落ち着け町子」
「もっちー、平和的に解決しようよ」
発狂する彼女を、クラスメイトが優しくなだめて提案する。いつもこうだから、みんなもう慣れてしまった。今日の持田さんは特に朝からやかましい。ジャージで現れた倉知先生を、血管が切れそうな勢いで褒め称えていた。
「ああああーっ、早く倉知先生のお弁当見たい! 奥さんが作ったんですか? それとも先生が?」
「朝、ちょっと早起きして二人で……」
倉知先生がはにかんで答えると、みんながワッとなって、持田さんが「尊み! とうとみひでよし!」と自分の弁当を振り回した。
「はい! 先生と食べたい人! どうしても一緒に食べたくて死にそうな人だけ手を上げてください!」
持田さんが号令をかけると、次々と手が上がる。
「うそ、どうしても一緒に食べたくて死にそうな人がこんなに!?」
別にそこまで、と思いながら、先生と弁当を食べるというレアな経験を逃したくないという思いで俺も手を上げていた。
結局、全員が食べたがったので、机をくっつけた島を先生が順番に移動するという至極面倒な方法で弁当タイムが始まった。小学校みたいだ、と思ったが、悪くはない。
「先生のお弁当すごい」
「可愛い」
「美味しそうがすぎる! とうとみひでよしいいいぃ!」
倉知先生の弁当を、みんながスマホで撮っている。わいわいする声に紛れて持田さんの奇声が聞こえてくる。可愛くて、笑ってしまう顔を伏せて、弁当を掻き込んだ。
「もっちーって倉知先生のこと好きすぎじゃね?」
「あいつ一年ときからあんなだよ」
「なんつーか、裏表ないのがいいよな」
「いややっぱ顔だろ?」
同じ島で弁当を広げているのは、さっき騎馬戦を戦った騎馬役のメンツだ。なぜか自然とこうなった。彼らと一緒に昼を食べるのは今日が初めてだ。
「つか、奥さんと仲良く作った弁当に興奮してんの、どういうこと?」
「あんだけ好きなのに嫁を敵視しないの、意味わかんねえよな」
「俺はわかるけど……」
つい口を挟んでしまった。みんなが俺を見る。仕方なく口を開いた。
「……幸せな倉知先生を見るのが嬉しいんだと思う。推しを幸せにしてくれる相手も丸ごと尊いって感覚、俺はわかるかなって……」
馬鹿にされるかも、ドン引きされるかも、とドキドキしながらそう言うと、みんなが「ああ」と共感の色を含んだ声を上げた。
「まあまあ、わかる」
「先生追っかけてるもっちー、可愛いもんな」
「もっちーが可愛いの、先生のおかげか?」
理解を得られるとは思わなかったが、ホッとした。
というか、持田さんの、ああいう本能むき出しでぶつかっていく変態的な姿を、可愛いと思うのが自分だけじゃないというのが意外だった。
改めて実感する。ライバルが多い。
いや、ライバルというと語弊がある。別に俺は、持田さんと付き合いたいとかじゃない。仲良くなりたい願望はあるが、付き合えるなんて、思っていない。
彼女が付き合うのは一体どんな人なのだろう。
まず、倉知先生以上の男が想像しにくい。先生を基準にすると、どの男も見劣りしてしまいそうだ。
背が高くて顔も性格もいい。優しくて、ちょっと天然が入っているのが面白くて、バスケが上手くてスポーツ万能。
高校三年生に交ざって走っても、引けを取らないほどに脚が速い。ぐんぐん加速して、前の走者に肉迫する。
運動場がドッと沸く。
運動会の締めくくりの学年別リレーは、教師チームが一緒に走る。普段、澄ました顔で大人ぶっている先生も、必死の形相で走っている。それだけで面白くて、去年もすごく盛り上がっていた。
多分、去年の倉知先生も速かった。でも去年の俺は、倉知先生になんの興味も持っていなかった。今年は、違う。クラスメイトと声を振り絞り、絶叫する。
「いけーっ!」
「倉知先生、速い!」
「がんばれーっ!」
「抜けー!」
倉知先生は全校生徒に人気があるが、俺たちのクラス担任だ。自分たちの仲間、自分たちの先生、もっと言えば自分たちの所有物的な感覚すらおそらくあって、そのせいか応援に熱が入っている。俺も、我を忘れて腕を振り上げていた。
陸上部の三年生と競り合ったまま、先生がコーナーを曲がり、二年二組の前に差し掛かる。クラスメイトの歓声が、ひときわ大きくなる。先生がこっちを見た。俺たちの応援に気づき、笑顔になった。笑ってピースサインを向けながら、嵐のように駆け抜けていく。
みんなで体を弾ませて、抱き合ったり、叫んだり、タオルを振り回したり、すごいことになっている。
不思議な感覚だった。同調して激しく昂りつつ、胸のうちでは「カッコイイな」と冷静につぶやいていた。倉知先生は、本当にカッコイイ。尊み秀吉、と言いたくなる持田さんの気持ちがわかってしまった。
沸き立つクラスメイトの隙間から、持田さんが見えた。感情を爆発させてキャアキャア言っていて、可愛い。ほわ、と幸せになった。
推しを幸せにしてくれる相手が、丸ごと尊い。
我ながら名言だ。自分の科白がこうも的を射ているとは。
「よっしゃーっ、抜いた!」
となりにいたクラスメイトが肩を組んで揺さぶってくる。
難しいことは置いておこう。
人生で初めて、運動会が楽しい。
〈おわり〉
二学期になると、席替えがあった。
そのせいで、前の席だった持田さんはあっさりと遠い存在になった。
いや、距離が近くても、元々遠かった。彼女にとって俺は、後ろの席の男子というだけの認識だろう。
でも俺は、毎日学校が楽しみになる程度には、彼女を好きだった。
彼女が学級委員長に立候補したとき、副委員長の座を巡って若干揉めた。なりたがる男が大勢いたのだ。俺は勇気が出なくて、他の男が相棒になるのを黙って見ているしかなかった。
持田さんは、相変わらず倉知先生を好きだった。ノートを集めたり、プリントを配ったり、自ら仕事をしょいこんで、いつも忙しそうに動き回っていた。
忙しそうではあるが、常に笑顔で、元気いっぱいの彼女は輝いていた。
運動会でも全力で、輝くどころか迸っている。
「にっくっみ! にっくっみ!」
二年男子による騎馬戦を、女子たちが応援している。ダンスが可愛い。女子がダンスで応援しているクラスは二組だけだ。ラッキーだ。
本物のアイドルにだって負けていない。センターにいる持田さんが、誰よりも可愛かった。
可愛すぎて、奮い立つ。なんとか報いたい。
俺は騎手の一人で、責任が重大だった。鉛筆のような頼りなげな俺がなぜ重要なポジションを任されているのかというと、単に騎馬になる腕力も体力もないからだった。
運動場のあちこちで争いが起きているのを、俺と騎馬たちは端のほうに逃れて眺めていた。
「くっそー、もっちー可愛いぜ」
一人が言った。もっちーというのは、持田さんのことだ。女子は町子、男子はもっちーと呼ぶことが多い。
「ジャージでも天使」
「もっちー、三組のサッカー部のなんとかってやつ、フったらしいぞ」
「まだ告るやついるの? アホじゃん」
「倉知先生しか見てないもんな、もっちー」
「一途で純粋なとこ、めちゃ可愛い」
可愛い、可愛い、と騎馬たちがメロメロになっている。気持ちはわかるし同意見ではあるが、何か爪痕を残したい。
「あの、みなさん」
下のほうにあるクラスメイトの顔を見回して言った。
「そろそろ動かない?」
「でも八坂、ああいう中に飛び込んでいける?」
運動場のいたるところで激戦が繰り広げられている。砂煙が巻き起こり、さながら戦争だ。
「お前みたいなひょろい奴、瞬殺じゃん?」
「あそこ見て。後ろから近づけば、いけると思うんだ」
もみ合っている敵の大将の背中がガラ空きだ。
「俺は常日頃、教室で幽霊だから。気づかれない自信がある」
「何その渾身の自虐ネタ」
「まあでも確かに」
「説得力すご」
騎馬のみんながわははと笑う。
「俺は気配がないから。行けるよ、行こう」
騎馬のみんなが俺の下で「行く?」「行こう」と段取りをして、そろそろと動き出す。
「みんな急いで。大将首獲れば、持田さんが喜ぶよ」
「大将首て」
「八坂、なんか面白くね?」
「てかお前ももっちーのファン?」
「うん、俺は、持田さんに褒められたい。みんな、頑張ろう」
小さく、静かに、うおおおお、と雄たけびを押し殺し、敵の大将に忍び寄る。他の騎馬との対戦に気を取られている大将の背後に手を伸ばし、ハチマキを引き抜いた。
「え、何、誰?」
敵の大将が振り向いて俺を見る。
「あ、獲られてる」
誰かが言った。
「こいつ、本当にやりやがった……」
俺の下で騎馬がうなる。俺はハチマキを高々と掲げ、叫んでいた。
敵将、討ち取ったり!
叫んだのは脳内でだ。そんな科白を大声で喚くキャラでもない。掲げていた腕を下ろし、小さく「すみませんでした」と敵の大将に頭を下げた。
力と力のぶつかり合いをしていたのに、謎の伏兵にやられるというあっけない幕引きで、申し訳なくなってしまった。パラパラと控えめな拍手が風に乗って運ばれてくる。
でも自陣に帰ると、女子たちに褒め称えられた。もちろん、持田さんも大喜びだ。
「八坂君! すごかった! なんか、ぬるっとしてた!」
「ぬるっとしてた……かな?」
独特の表現方法が持田さんらしい。
「騎馬の男子もちょっとカッコよかったよね」
「見直した」
男子より、まさかの女子たちの視線が温かい。
「敵将、討ち取ったり! って感じだったね」
持田さんが突然そう言った。思わず「えっ」とのけぞってしまった。
「しびれた!」
持田さんが立てた親指を俺に向けて、にかっと笑う。
陰キャのオタクが何かしたところで、と思っていたが、がんばってよかった。何より、持田さんが嬉しそうなのが最高だ。
八坂君八坂君と興奮気味にまとわりつかれ、これはもしやお昼は一緒に弁当を食べる流れではと淡い期待を抱いたが、無駄だった。
昼休憩になると、倉知先生が教室にやってきたのだ。今日は特別にみんなと食べようと思って、と照れ臭そうに弁当を持参する先生に、生徒が群がった。無論、持田さんも飛びついた。
「どうする? どんなふうに机セッティングする? みんなで輪になる? そして倉知先生を真ん中にする? それとも奪い合う? じゃんけん? 入札する?」
「落ち着け町子」
「もっちー、平和的に解決しようよ」
発狂する彼女を、クラスメイトが優しくなだめて提案する。いつもこうだから、みんなもう慣れてしまった。今日の持田さんは特に朝からやかましい。ジャージで現れた倉知先生を、血管が切れそうな勢いで褒め称えていた。
「ああああーっ、早く倉知先生のお弁当見たい! 奥さんが作ったんですか? それとも先生が?」
「朝、ちょっと早起きして二人で……」
倉知先生がはにかんで答えると、みんながワッとなって、持田さんが「尊み! とうとみひでよし!」と自分の弁当を振り回した。
「はい! 先生と食べたい人! どうしても一緒に食べたくて死にそうな人だけ手を上げてください!」
持田さんが号令をかけると、次々と手が上がる。
「うそ、どうしても一緒に食べたくて死にそうな人がこんなに!?」
別にそこまで、と思いながら、先生と弁当を食べるというレアな経験を逃したくないという思いで俺も手を上げていた。
結局、全員が食べたがったので、机をくっつけた島を先生が順番に移動するという至極面倒な方法で弁当タイムが始まった。小学校みたいだ、と思ったが、悪くはない。
「先生のお弁当すごい」
「可愛い」
「美味しそうがすぎる! とうとみひでよしいいいぃ!」
倉知先生の弁当を、みんながスマホで撮っている。わいわいする声に紛れて持田さんの奇声が聞こえてくる。可愛くて、笑ってしまう顔を伏せて、弁当を掻き込んだ。
「もっちーって倉知先生のこと好きすぎじゃね?」
「あいつ一年ときからあんなだよ」
「なんつーか、裏表ないのがいいよな」
「いややっぱ顔だろ?」
同じ島で弁当を広げているのは、さっき騎馬戦を戦った騎馬役のメンツだ。なぜか自然とこうなった。彼らと一緒に昼を食べるのは今日が初めてだ。
「つか、奥さんと仲良く作った弁当に興奮してんの、どういうこと?」
「あんだけ好きなのに嫁を敵視しないの、意味わかんねえよな」
「俺はわかるけど……」
つい口を挟んでしまった。みんなが俺を見る。仕方なく口を開いた。
「……幸せな倉知先生を見るのが嬉しいんだと思う。推しを幸せにしてくれる相手も丸ごと尊いって感覚、俺はわかるかなって……」
馬鹿にされるかも、ドン引きされるかも、とドキドキしながらそう言うと、みんなが「ああ」と共感の色を含んだ声を上げた。
「まあまあ、わかる」
「先生追っかけてるもっちー、可愛いもんな」
「もっちーが可愛いの、先生のおかげか?」
理解を得られるとは思わなかったが、ホッとした。
というか、持田さんの、ああいう本能むき出しでぶつかっていく変態的な姿を、可愛いと思うのが自分だけじゃないというのが意外だった。
改めて実感する。ライバルが多い。
いや、ライバルというと語弊がある。別に俺は、持田さんと付き合いたいとかじゃない。仲良くなりたい願望はあるが、付き合えるなんて、思っていない。
彼女が付き合うのは一体どんな人なのだろう。
まず、倉知先生以上の男が想像しにくい。先生を基準にすると、どの男も見劣りしてしまいそうだ。
背が高くて顔も性格もいい。優しくて、ちょっと天然が入っているのが面白くて、バスケが上手くてスポーツ万能。
高校三年生に交ざって走っても、引けを取らないほどに脚が速い。ぐんぐん加速して、前の走者に肉迫する。
運動場がドッと沸く。
運動会の締めくくりの学年別リレーは、教師チームが一緒に走る。普段、澄ました顔で大人ぶっている先生も、必死の形相で走っている。それだけで面白くて、去年もすごく盛り上がっていた。
多分、去年の倉知先生も速かった。でも去年の俺は、倉知先生になんの興味も持っていなかった。今年は、違う。クラスメイトと声を振り絞り、絶叫する。
「いけーっ!」
「倉知先生、速い!」
「がんばれーっ!」
「抜けー!」
倉知先生は全校生徒に人気があるが、俺たちのクラス担任だ。自分たちの仲間、自分たちの先生、もっと言えば自分たちの所有物的な感覚すらおそらくあって、そのせいか応援に熱が入っている。俺も、我を忘れて腕を振り上げていた。
陸上部の三年生と競り合ったまま、先生がコーナーを曲がり、二年二組の前に差し掛かる。クラスメイトの歓声が、ひときわ大きくなる。先生がこっちを見た。俺たちの応援に気づき、笑顔になった。笑ってピースサインを向けながら、嵐のように駆け抜けていく。
みんなで体を弾ませて、抱き合ったり、叫んだり、タオルを振り回したり、すごいことになっている。
不思議な感覚だった。同調して激しく昂りつつ、胸のうちでは「カッコイイな」と冷静につぶやいていた。倉知先生は、本当にカッコイイ。尊み秀吉、と言いたくなる持田さんの気持ちがわかってしまった。
沸き立つクラスメイトの隙間から、持田さんが見えた。感情を爆発させてキャアキャア言っていて、可愛い。ほわ、と幸せになった。
推しを幸せにしてくれる相手が、丸ごと尊い。
我ながら名言だ。自分の科白がこうも的を射ているとは。
「よっしゃーっ、抜いた!」
となりにいたクラスメイトが肩を組んで揺さぶってくる。
難しいことは置いておこう。
人生で初めて、運動会が楽しい。
〈おわり〉
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