電車の男ー社会人編ー番外編

月世

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MarryYou

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〈千葉編〉

 鉄板を挟んで向かい合い、焼けていくお好み焼きを無言で見つめている。
 彼女はどちらかというと、無口なほうだ。話題によっては息継ぎを忘れるほどおしゃべりが止まらなくなるが、基本的にはあまり喋らない。
 ならば俺が喋って盛り上げなければ、と思っていたのは初期の頃。
 今はこの沈黙にも焦ることがなくなった。気づまりでもなく、苦でもない。
 退屈にさせてはいけないとか、笑わせなければとか、考える必要はないのだ。
 客の気配を遮断できる個室。天井のスピーカーから、流行りのJ-POPが流れている。
 今、二人で向かい合い、お好み焼きが焼けるのを静かに待っている。
 この空気が、心地よい。
「あ、ごめん。LINEきた」
 六花さんが言った。一緒にいるとき、彼女はあまりスマホを見ない。スマホに用事のあるときは、断りを入れてくる。こういうところが好きだった。
 スマホを眺めて世界に没頭する彼女を見るのも好きだったが、外のデートではちゃんと二人だけの時間を大切にして、俺を優先してくれる。
 スマホを見た彼女の表情が、柔らかくなった。
 弟からだろうとすぐに見当がついた。
 出会った当初、彼女はとてもクールで、感情を読み取るのが難しい人だった。唯一わかりやすかったのは、弟に関するときだけ。とても素直になり、抑えきれない愛情と優しさが溢れてくる。
 俺はこのときの彼女を見るのが、変わらずずっと、大好きだ。
「加賀さんの指輪もだいぶ見慣れてきたけど、倉知君も職場で着けてるんだよね?」
「うん、そう、新米教師が結婚指輪してるんだよ。あの顔で、スーツで教壇に立って、左手の薬指に指輪とか可愛すぎる。もう、どうにかして学校に潜入して生徒のふりして倉知先生の授業受けたい」
 六花さんがテーブルを叩いてまくしたてた。
「それ、加賀さんも言ってたよ」
「加賀さんに学ラン着せたい」
 教師と生徒の禁断の恋、先生抱いてください、抱いてくれないなら俺が先生を抱きますよ? とブツブツ始まったのを笑って聞きながら、お好み焼きをひっくり返す。
「今日、誕生日なんだよね」
 六花さんが突然言った。
「え、誰の?」
「私の。あ、言ってなかったよね、やっぱり」
「そっ、えっ、あっ、お、おめ、おめでとう!」
「ありがとう」
 お好み焼きが焼ける香ばしい匂いの中、六花さんが少し笑った。
 笑顔を返しながら、テーブルに頭を叩きつけたいほどに、激しく狼狽した。
 なんということだ。なんという失態。
 誕生日はカップルにとって重要性が高い一大イベントだ。何日も前からプレゼントを用意して、デートプランを立てて、完璧に準備するのが普通なのに。
 なんで今日に限ってお好み焼き屋なのか。いや、彼女がここがいいと言ったからなのだが、ロマンチックのかけらもない。
 夜景が綺麗な高層階で、年代物のワインで乾杯。それが理想。
 現実は、窓の外をトラックが走り、お好み焼きが焼ける音と煙に包まれ、テーブルの隅で生ビールのジョッキが汗をかいている。
 嫌われるかも、嫌われたくないと、いちいちなんにでも躊躇していた時期があまりにも長すぎた。壊れないように、丁寧に関係を築いてきたのだ。慎重すぎて誕生日を訊くことすらできずにいた。もうそんな時期はとっくに終わったのに。
 頭を抱えたくなった。
「七世から毎年欠かさずLINEくるんだけど、見てこの私のツボを押しまくったパーフェクトなツーショット。絶対これ、加賀さんの御業《みわざ》。あの人はもう、天使を越えた、神だと思う」
 六花さんがスマホの画面を俺に向けて微笑んだ。スーツの二人がお互いの肩を抱き寄せて、笑っている。本当に幸せそうで、見ているだけで泣きそうになった。グッとこらえて「いいね」と同意した。
 彼氏からのプレゼントがなくても、このツーショット写真があれば彼女はこんなにも幸せそうなのだ。別にそれをつまらないとか悔しいとかは思わない。多少寂しくはあるが、六花さんが幸せなら俺は満足だ。
「もう焼けたかな」
 六花さんが手際よく、ソースとマヨネーズと鰹節をかけ、二つの皿にお好み焼きをのせた。
「いただきます」
 行儀よく手を合わせる彼女を見て、俺もそれに倣う。
「千葉さん」
「うん」
「千葉さんって、明らかに披露宴したい派の人間だよね。会社の偉い人とか先輩後輩友達呼んで、二次会三次会って延々やりたい人?」
「え? うん……、うん?」
 ぼんやりと返事をする俺を放置して、六花さんがお好み焼きを美味しそうに食べている。
 半分ほど食べたところで、ビールジョッキを傾けながら俺を見た。
「食べないの?」
「食べるけど、え? 今の話って、続かないの?」
「あ、続く。私は何があっても披露宴はしたくないし、そこは絶対譲れないし、千葉さんが披露宴したい人なら、申し訳ないから結婚してって言えないなって」
「ちょっと待って」
 心臓を押さえ、思わず腰を上げた。
「今、けっ、結婚って言った?」
「万が一結婚するなら同じ価値観の相手と結婚しようって思ってきたんだけど、そういうことじゃないなってわかったんだよね。好きな人の価値観を否定したくないし、捻じ曲げてもほしくない」
 それだけ言って、六花さんがお好み焼きを口に運ぶ。
 この話は終わりとでもいうように、お好み焼きを食べる動作が止まらない。
 腰を下ろし、箸を持ち、お好み焼きを食べた。食べたというか、胃に入れた。味はよくわからなかったし、なかなか入っていかないのをビールで流し込んだ感じだ。
「美味しかったね」
 六花さんが、ごちそうさまと手を合わせる。美味しかったらしい。
「あ、今日、俺が奢る」
 毎回奢られるのをよしとしない六花さんが、交互にお金を出し合うというルールを決めた。今日は六花さんが奢る番だが、なんせ誕生日だ。
「誕生日なのに何もできなかったし、せめて奢らせて」
 急いで財布を出すと、六花さんが俺に手を合わせた。
「じゃあ、ごちそうさまです」
「えっ、六花さん、今日誕生日?」
 レジに飛んできた店の男が、馴れ馴れしく六花さんと呼んだ。
「そうだけど。なんかくれるの?」
「はい、……あのー、こちら、彼氏?」
 男は俺を、値踏みするようにじろじろ見てくる。若い男だ。倉知家の近所だし、ただの顔見知り程度かもしれないが、元カレの可能性もある。身構えつつ、軽く会釈した。
「うん、彼氏」
 六花さんが答えると、男がその場にしゃがみこんだ。すぐに立ち上がって目の端をぬぐう。
「お誕生日おめでとうございます! 本日のお会計は、俺からのプレゼントということで」
 一体どういう知り合いなのか。モヤモヤして店を出ると、六花さんが首にマフラーを巻きながら、「あいつ、七世の同級生なんだ」と教えてくれた。
「同級生っていうか、親友」
「じゃあ、加賀さんとのことも」
「うん、知ってる」
「六花さんのこと、好きっぽいね」
「ただの女好きだよ。あ、ちょっと千葉さんとかぶる」
「俺は」
 そうじゃない、とは言えなかった。過去、大勢の女性と付き合ってきたし、モテるのが大好きだった。そういう位置づけにされても仕方がない。
「あ、過去形ね。今はあいつ、彼女に一途らしいし。そこも千葉さんとかぶる」
 ホッとした。ちゃんと、わかってくれている。
「さて」
 六花さんが腕時計を見た。
「親がケーキ作って待ってるんだけど、どうする? うちくる?」
「行きます」
 つい、敬語が出てしまう。六花さんが黙って俺の手をとって、歩き出す。
 何か、大事なことを忘れている。
 結婚。そう、結婚だ。
 六花さんは、多分、いや、確かにこう言った。
 申し訳ないから、結婚してって言えないなって。
 結婚してって言えない。
 結婚して。
 もしかして、プロポーズだったのだろうか。
 まさか。
 コートのポケットの中で、小さなケースを握り締める。
 去年の年末に決心して、年が明けてすぐに購入した。以来、二人で会うときは、いつでも渡せるようにポケットに忍ばせている。
 倉知家を目指し、夜道を歩く。つないだ手が温かくて、幸せで、なぜか、「今しかない」と思った。
「六花さん」
「うん」
「えっと、さっき」
「うん」
「なんていうか、その」
「うん」
「俺は、確かに披露宴したい派だけど」
「うん、だよね」
「六花さんの花嫁姿、見たいし、見せびらかしたい」
「うん、でしょうね」
「だからと言って、着たくもないものを着ろとも言わないし、なんていうか、俺は別に式に対してそこまで情熱を持ってなくて、そもそも憧れとか夢とかでもなくて、やらなくても死なないし」
「うん」
「何言ってるかわからなくなってきた」
「ふふ」
「つまり、披露宴をするかしないかはまったくもって些末な話で、……六花さん」
 倉知家の玄関ポーチで足を止め、彼女に向き直る。照明の下で片膝をつき、ポケットの中のケースを取り出して蓋を開けた。
「俺と、結婚してください」
 渾身の科白に、複数の足音が重なった。通行人がこっちを見ている空気を感じる。プロポーズ? 玄関で? とヒソヒソ言う声が遠ざかっていく。
 今じゃなかったかもしれない、と落ち込んでいると、六花さんが笑いを堪えた声で言った。
「なんで今? ていうか、なんで持ってるの?」
 思い描いていたスマートなプロポーズとは程遠い。めちゃくちゃカッコ悪い。やり直したい、と思ったが、六花さんの手が、ケースに伸びてきた。
「ありがとう。忘れられない誕生日になった」
「……返事は? イエス?」
「うん、結婚しよっか」
 ゆっくりと立ち上がる。「はい」と答えて、顔を覆う。
 涙はなかなか止まらなかった。
 俺の頭を撫でる彼女の手は、とても、優しかった。

〈おわり〉
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