雨の烙印

月世

文字の大きさ
上 下
5 / 17

第四話 疑惑

しおりを挟む
 部活を終え、帰宅すると、隼人は夕食の準備を手伝っていた。二人で話したくてもできない。隼人は俺を見て何かを察したようだったが、目を逸らされた。
 触れたくないに決まっている。
 夕食の間、隼人の顔ばかり見ていた。考えごとをしているのか、今日はいつもより表情が暗い。
 今はちゃんと、隼人なのだろうか。それとも別の人格?
 気になって、そわそわしてしまう。
 うちの家族は何も知らない。いつか不審に思われるときがくるのだろうか。そのとき俺は、どうすればいいだろう。隼人を守ってやれるだろうか。
「隼人君、あとで数学教えて? どうしてもわからないところがあって」
 虹子が言った。黙って箸を動かしていた隼人が、ハッと顔を上げた。
「うん、いいよ」
 いつも通りの爽やかな笑顔だ。どうやら「隼人」らしい。
「隼人君が来てから虹子の成績も上がったよね」
 母が言う。
「教え方がすごく上手なんだよ」
 得意げに虹子が言って、ちら、と俺を見る。
「兄貴が隼人君くらい頭よかったらなあ」
「馬鹿ですいませんね」
 いじける俺に、父が追い打ちをかける。
「亮も隼人君に勉強を見て貰ったらどうだ」
「隼人、学年下なんだけど」
「お前は基礎がなってないからな、隼人君に教えて貰いなさい」
 父は冗談をあまり言わない人だ。真面目な顔をしている。本気なのだ、とわかって肩を落とすと、虹子が「やーい」と冷やかしてくる。
「あの」
 隼人が箸を置いた。みんなの顔を見回してから、父を見て、口を開く。
「お話したいことがあります」
 驚いて小さく、えっと声が出てしまった。何を言い出すつもりだ。まさか、多重人格だと打ち明けるつもりだろうか。
「お話というか、お願いしたいことがあって」
 身構える俺の心境を知りもしない虹子が、身を乗り出して「なになになに」と体を揺する。楽しい話題じゃないことだけは確かだ。
「なんだろう」
 父が促すと、隼人が少しうつむき加減で答えた。
「一人暮らしをしたいんです」
「え?」
 全員の目が点になる。無言になる俺たちに、隼人が慌てて無理に明るい声を出す。
「違うんです、ここでの暮らしがイヤとかじゃなくて」
「ボクのせい? 勉強教えてなんてうっとうしいこと……」
「違うよ、虹子ちゃんは何も悪くない」
 取り繕うように隼人が首を振る。
「私がこき使ったから……」
 今度は母が絶望的な顔で声を詰まらせる。隼人は両手の平を見せて「違います」と叫ぶように言った。
「家の手伝いは、自分が好きでやってることなので」
「じゃあ、亮と同じ部屋なのがイヤとか?」
 父が別方向で責めてきた。隼人は当然、首を横に振る。
「誰かが悪いとかじゃないんです。そうじゃなくて、俺は」
 何を言うつもりだ。どくん、と心臓が大きな音を立てて跳ね上がる。
「俺はずっと、一人でした」
 声のトーンを落として隼人がつぶやいた。
「父は仕事で留守のことが多くて、夜も一人で、だから家族っていうものがどういうものか、知らなかったんです」
 三人の顔つきが真剣なものに変わった。箸と茶碗をテーブルに置く。隼人の話を黙って聞くことにしたらしい。
「すごくよくして貰って、嬉しかったです。みんな優しいし、楽しいし、明るくて、いつも笑顔だし、家族ってこんななのかって、初めて知りました」
 虹子が鼻をすする。どうやら泣いているらしい。
「みんなのことが好きです。卒業するまでお世話になろうと思ってました。でも、楽しくて、幸せすぎて、つらくなるんです」
 わからない、と思いながら聞いていた。そんなふうに感じるなら、ここにいればいいのに。
 多分、これは理由のこじつけだ、と気づいた。
 隼人は多重人格を知られないために、家を出たいと言っている。
「俺はいつも父から、お前は呪われてるって言われてました」
 空気が張り詰める。父と母が素早く目配せをしたのがわかった。
「その通りなんです。俺は、近くにいる人をいつも不幸にしてきた。もう誰にも迷惑をかけたくない。母が死んだのも、俺のせいです。父のことも、多分俺が」
「やめなさい」
 父が止めた。
冴子さえこは車に轢かれたんだ。あれは不幸な事故だった。呪いじゃない」
 眼鏡を外し、目頭を揉みながら言った。冴子というのは隼人の母親の名前だ。隼人の母親は、父の妹なのだ。妹を亡くした父の無念を想像して、胸が痛くなる。
 隣で泣きべそをかいている虹子を見た。もしこいつが突然事故で死んだら。
 喧嘩ばかりで仲がいいとは言えないが、たった一人の妹だ。想像したくもない。
「どうしても一人暮らしをしたいと言うのなら、反対しないよ。お父さんが残したお金があるから、それを使うといい。隼人君のお金だから、好きなことに使いなさい」
 父はあっさりと一人暮らしを認めた。意外だったが、これは父なりの優しさらしかった。母が、でも、とごねかけたのを制止して眼鏡をかけ直し、ぼそっと言った科白が印象的だった。
「君を、自由にしてやりたい」
「……ありがとうございます」
 自由に。
 隼人は、自由じゃなかったのだろうか。
 解離が起きる原因の多くは、幼児期のトラウマだと先輩が言っていた。やはり隼人は父親から虐待を受けていたのだろうか。
 いつから? いつまで?
 トラウマになるほどの出来事が、実の親の手によって与えられる。俺には想像もできないほどの恐怖だと思う。
 亡くなった人へのやり場のない怒りを感じた。死んでからも息子を苦しめ続けているのだ。
「ごめんね」
 夕食後、ようやく部屋で二人きりになると、隼人が突然謝ってきた。
「事後報告になったけど、ごめん」
「うん、びっくりした」
 同じ部屋で、半年寝起きした。隼人はもう家族みたいなものだし、急にいなくなると言われても実感が沸かないし、寂しい。
「多重人格だから? それが出ていく理由?」
 ベッドに腰かけて、訊いた。隼人は後ろ手を組み、ドアに張りつくようにして立っている。
「ここに来てからは、一度もなかったんだ。だから油断してた。普通でいられるかもしれないって、期待した。でも、違った。俺はやっぱり、変なんだ」
 口元だけでかすかに笑って、目を伏せたまま言った。
「昨日の夜みたいなことは、もう二度と、起きちゃいけない。亮に迷惑をかけるのは、絶対にイヤなんだ」
 隼人は「迷惑」という言葉を使ってばかりいる。迷惑と思っているのは本人だけだということをわかっていない。
「お前が一人暮らしのほうが気を遣わなくていいって言うなら、俺も止めないよ。学校は一緒だし、二度と会えなくなるわけじゃないもんな」
 隼人はホッとした顔でうなずいた。
「でも、それ、そのままにしておくのか?」
 それ、というのが多重人格を差しているのだと隼人はすぐに理解した。表情を曇らせて黙り込む。
「先輩が、屋上で会ったあの人が、医者を紹介してくれるって。人格の統合? よくわからないけど、もし症状がよくなるなら」
「ならないよ」
 隼人が決めつける口調で言った。
「やってみないとわからないだろ」
「今日知り合ったばかりの人だよね? どうしてそんなに信用できるの?」
「どうしてって」
 先輩の言うことは全部当たっていたし、むしろ信用しない理由がない。だって、樋本朔夜だ。
「あんなふうにナイフを扱えるのは、普通じゃないよ。それに盗聴器を学校に仕掛けるような人だよ?」
「え?」
 ポカンとすると、隼人が眉間にシワを寄せた。
「まさかと思うけど、本当にわかってなかった?」
「え、あの盗聴器って、先輩が?」
「盗聴器があそこにあることを知ってるのは仕掛けた本人だけだし、俺たちの会話を聞いてたなら、あの人が受信機を持ってるはずだし、……わかるよね?」
 最後のほうは心配そうに言われた。
「でも、なんで先輩が盗聴器なんて」
「それは知らないよ。とにかく、あんまり関わらないほうがいいと思う」
 わかった、とは言えなかった。俺のスマホには先輩の携帯番号が入っていて、それがずっと妙に嬉しくて誇らしい気持ちでいっぱいなのに、関わらないなんて無理だと思った。
「それより、亮に相談があるんだ」
 隼人が神妙な面持ちで言った。
「何?」
 訊くと、隼人がはっきりと、「縛って欲しい」と言った。
「し、縛る?」
「俺の手を、ガムテープでぐるぐる巻きにして、ベルトで縛って解けないようにして欲しいんだ」
「はあ? なんでそんなこと」
「そうしないと、安心して眠れない。なるべく早く出ていきたいけど、住むところが決まるまで、そうするしかない」
 隼人はドアに張りついたままで、思いつめた目をして、一点を見つめていた。
「そんな大げさな」
「大げさじゃないよ」
「昨日のこと気にしてる? 俺、男だから別に何も」
「そういう心配をしてるんじゃないんだ」
「じゃあ何?」
 隼人は言葉を切り、聞き取れないほどの小さな声で何かをつぶやいた。
「何?」
 聞き返すと、すう、と息を大きく吸い込んでから、今度ははっきりとした声で言った。
「殺したかも、しれないんだ」
 確かにそう言った。
 かもってなんだよ。冗談だよな。
 訊きたくても訊けない。隼人は真剣な顔をしていた。
 誰を、殺した?
「あの人を、お父さんを、殺したかもしれない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

片桐くんはただの幼馴染

ベポ田
BL
俺とアイツは同小同中ってだけなので、そのチョコは直接片桐くんに渡してあげてください。 藤白侑希 バレー部。眠そうな地味顔。知らないうちに部屋に置かれていた水槽にいつの間にか住み着いていた亀が、気付いたらいなくなっていた。 右成夕陽 バレー部。精悍な顔つきの黒髪美形。特に親しくない人の水筒から無断で茶を飲む。 片桐秀司 バスケ部。爽やかな風が吹く黒髪美形。部活生の9割は黒髪か坊主。 佐伯浩平 こーくん。キリッとした塩顔。藤白のジュニアからの先輩。藤白を先輩離れさせようと努力していたが、ちゃんと高校まで追ってきて涙ぐんだ。

処理中です...