雨の烙印

月世

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第一話 神崎隼人

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 人口二千人ほどの小さな町で彼は育った。田畑に囲まれたのどかで平和な田舎町で、父と母の愛を一身に受け、何不自由なく暮らしていた。
 幸せな日常が狂ったのは、彼が小学校一年生のときだった。
 母親が事故に遭い、亡くなった。彼の学校へ、忘れた傘を届ける途中に車に撥ねられたのだ。
 妻を溺愛していた夫は、たった六歳の息子を責めた。
 お前のせいだ、人殺し。
 通夜の席で小さな子どもを怒鳴りつけ、平手打ちをする姿を大勢が目撃している。
 近所の住人たちは孤独だった彼を気にかけ、面倒を見た。父親はそれが気に食わず、住人と何度かトラブルを起こしている。
 そして母親の死からおよそ十年後のある日、事件が起きた。
 彼の家が火事で全焼したのだ。放火だった。焼け跡からは成人男性のものと思われる遺体が見つかった。連絡が取れず、行方がわからなくなったことから、遺体は父親のものと判断された。
 逃げ遅れて焼け死んだ。ことはそう単純じゃなかった。父親の死因は焼死ではなく、火事の前にすでに絶命していたのだ。
 殺人事件として捜査が始まると、誰もが思った。
 息子が父を殺し、家に火を点けたのではないか。
 火事を逃れた彼は、炎に包まれる生家をただぼんやりと、取り乱すこともなく、見つめていたそうだ。
 彼は十年間、父親に罵られ、なじられ続けていた。それは殺人の動機になりえたが、事情を知る人間は誰も、彼を警察に売るような真似はしなかった。
 彼は大人しく、優しい少年だった。誰かと争ったことは一度もない。温厚な性格だった。自分の境遇を嘆いたりせず、前向きに、真面目に生きていた。
 だからもし本当に彼が父親を殺し、火を放ったとしても、許される。
 恐ろしい話だが、それが近所の住人の共通認識らしい。
 警察は、彼を容疑者から外して捜査した。動機の有無は無関係だった。彼には不可能な犯行だったからだ。
 父親は明らかな他殺体だったが、警察が発表していない事実がある。
 死体には、首がなかった。
 そして、それは見つかっていない。
 つまり、何者かが彼を殺したあと、家に火を点け、遺体の頭部を持ち去ったのだ。
 平和だった田舎町で起きた、残忍で難解な事件。当然捜査は難航し、事件から半年経つ今でも犯人の目星すらついていない。
 母親を事故で亡くし、その十年後、火事で家を失い、父親を殺された十六歳の高校生。
 彼は俺の一つ年下のいとこで、名前は神崎隼人かんざきはやと
 隼人の母は、俺の父の妹になる。家族と住む家をなくした隼人を、うちが引き取ったのだ。だから、公表されていない事実も知っているというわけだが、事件の話題は隼人の前ではご法度だった。この話は全部、父からの伝聞だ。
 父からは、隼人には何も訊くなと念を押されたが、身の上が壮絶すぎて、好奇心だけで軽々しく聞くこともできなかった。
 隼人はいい奴だ。
 ごめんが口癖で、居候をしていることを心苦しく思っているようだった。
 確かに、隼人が来て俺の生活は一変した。
 一人部屋から二人部屋になって、一人になれる時間がない。八帖の部屋にベッドと布団を並べて寝ているせいで、早寝早起きになり、プライバシーも消え失せた。
 ある日突然、ほとんど記憶にない「いとこ」と同室で暮らせと言われたのだ。笑って受け入れられるほど、俺は心が広くない。
 不満を抱いたのは確かで、態度に出ていたところもあったかもしれない。隼人は申し訳なさそうに、謝ってきた。
 高校を卒業したらすぐにこの家を出ていくから。
 それまではどうか俺をここに置いて欲しい。
 同居初日に深刻な顔で頭を下げられてしまい、自分のことばかり考えていたおのれを恥じた。
 いい奴なのはすぐにわかったし、妹の虹子にじこもあっという間になついてしまった。隼人が美少年だから、というだけで歓迎していた節のある虹子だったが、今はちゃんと外面だけじゃなく、内面を見ているように思う。
 俺たちは、なんの問題もなく、上手くやれていた。
 隼人が細やかすぎるほどに気遣いをしているせいかもしれない。亡くなった父親の遺産と、生命保険のおかげで金の心配はしなくてもいい。それなのに、肩身が狭いのか、夏休み中ずっとバイトをしていた。家のこともとにかく手伝った。早くに母親を亡くしたからか、家事は完璧だった。
 学校から帰ると洗濯物を取り込んで畳み、夕飯の支度を手伝っている。毎日あちこち掃除するせいで、隼人が来る前より我が家は綺麗で清潔で快適になった。
「あんたたちも少しは隼人君を見習ったら?」
 母に冷ややかな目で見られたが、俺も虹子も笑ってごまかした。
 隼人は、本当にいい奴だった。穏やかで優しくて健気でいつも笑顔。
 無理をしているわけじゃなく、演じているわけでもなく、真からそういう性格だということは、家族同様に時を過ごすことで痛感できた。
 でも。
 どこか、何かがおかしい。
 違和感があった。
 隼人の生い立ちを考えれば仕方がないとも思えた。
 父親を殺されて家を燃やされてから、半年しか経っていない。
 そう、人生を大きく揺るがす大事件から半年しか経っていないのに、隼人は暗い表情一つ見せないのだ。
 そのことに気づいてから、よくわからないが漠然とした不安を感じるようになった。
 ある夜。
 誰かに体を触られている感じがして、目が覚めた。
 重い。
 闇の中で、腹の上に何かが乗っているのが見えた。ハッとなって眠気が弾け飛んだ。人だ。暗くて見えないが、誰かが俺に乗って、服の中に手を突っ込んでいた。
 幽霊、いや、この重みは生身の人間だ。強盗かもしれない。
 隣の布団で眠っている隼人に、助けを求めようと思ったが、やめた。
 騒いだら、殺される危険がある。
 混乱した。どうすればいいかわからなくなり、寝たふりをしよう、と思った。
 目を閉じて、耐える。指が怪しくうごめき、胸のあたりに到達した。手の動きは止まらなかった。一体何をしたいのか。少なくとも、危害を加える感じじゃない。
 指先で乳首をこねくり回され思わず声を上げた。
「うっ……」
「あ、起きちゃった?」
 腹の上の人物が、手を伸ばしてカーテンを開けた。街灯の明かりが部屋に差し込んでくる。嘘だろ、と声が出るところだった。
 白い顔が、浮かび上がる。隼人だ。
「なに……、何して……」
 隼人が俺の胸に寝そべって顔を近づけてきた。
「ずっとしてなかったから、限界なの。体、貸してね?」
「え? 貸すってどういう」
 隼人が腰を揺すった。
 ちょうど股間の辺りに隼人の尻があり、触れ合っている部分がこすれて刺激され、いやおうなしに反応してしまう。
「ん、硬くなってきた?」
「ちょっ、ちょっと待て、なんで? 何やってんの?」
 慌てて腰をつかんで止めさせようとすると、隼人が体をよじって「あっ」と女のような声を出した。
「触られたら感じちゃうから」
「え、何、どういうこと」
りょう君、もしかして童貞?」
「はっ……?」
 おかしい。
 隼人の科白だとは思えない。そもそも喋り方が違う。それに隼人は俺を「亮」と呼び捨てる。
 明らかに別人だ。
 これは、隼人じゃない。
 誰なんだ?
 怖くなって突き飛ばす。キャッと悲鳴を上げて転がっていった隙に、素早くベッドから飛び降りた。ドアを開けて廊下に飛び出し、急いで隣の部屋に逃げ込んだ。
「虹子っ!」
 すでに眠っていた虹子の部屋は暗かった。明かりを点けて、もう一度「虹子っ!」と妹を呼ぶ。
「……何、地震? 何時?」
 布団から顔を出した虹子が、眩しそうに目を細めてこっちを見る。
「たす、助けて!」
「はあ? 何? ゴキブリ?」
「違う、なんか、隼人が変で」
 どう説明すればいいのかわからない。
 虹子はチッと舌を打つと、布団を被り直して毒づいた。
「クソ兄貴、よくも睡眠妨害してくれたな」
「起きろよ、いいからとにかく、俺の部屋に来い」
 布団を引っぺがし、虹子の手を引っ張った。
「なんなんだよ! ボクは眠いんだよ!」
 虹子を無理やり引きずって、廊下に出た。自室のドアは開け放したままだ。
「隼人君、寝てんじゃない? 騒いだら起きちゃうよ」
 虹子があくびをしながら言った。
「寝てない、だって隼人は」
 隼人だった。でも隼人じゃない、と感じた。
 隼人の顔で、隼人の体で、でも知らない女だった。
 演技とかじゃない。男の体なのに、女だったのだ。
 頭がぐちゃぐちゃでまとまらない。
「寝てるよ、ほら」
 部屋の中は暗かったが、廊下から差し込むわずかな明かりで、隼人の布団に誰かが寝ているのが見えた。
「寝たふりしてるんだよ。だってさっきまで、俺の上に乗ってて」
 虹子の小さな体を盾にして、後ろから中を覗く。
「何言ってんの? いい加減にしろよ」
 肩をつかむ俺の手を振り払って、恨みがましい目で睨んでくる。
「寝ぼけやがって。朝一で投げ飛ばすから覚悟しろ」
 吐き捨てて、自分の部屋に戻っていった。
 寝ぼけている、のだろうか。
 取り残された俺は、シャツの上から胸に手をやった。触られたところに余韻がある。股間をこすられる生々しい感覚も、夢だとは思えない。
 寝ぼけてない。俺は覚醒していた。絶対に夢じゃない。
 そしてあれはやはり隼人だった。
 カーテンが開いている。外が明るいから、眠るときは必ず閉める。さっき、隼人が開けた。一連の出来事は、現実だ。
 布団を覗いて確認する。寝息が聞こえている。これが寝たふり?
 今すぐ揺り起こしたかったが、ためらった。よくわからないノリで、また上に乗られるのは勘弁して欲しい。
 布団にくるまり、部屋の隅で警戒していたが、とうとう何もないまま朝になる。
「おはよう。なんでそんなとこに座ってるの?」
 隼人は普通だった。ぎこちなさはない。
「昨日のこと、覚えてない?」
 布団にくるまったまま、訊いた。
「昨日?」
「夜、俺の上に乗っかって、体貸してって言ったこと、覚えてる?」
 俺の科白に、隼人は青ざめた。見ていて心配なほど、狼狽している。
 恥ずかしがるとか、照れるとか、何それ、と言って笑い飛ばすとかは、なかった。
「あ……、あの、俺」
 元々色白な奴が青ざめると、死体みたいだな、と思った。蒼白になってガタガタ震える隼人は痛々しくて、見ていられない。
「顔洗ってくる」
 言い置いて部屋を出た。
 洗面台に立ち、鏡を見る。寝不足の顔だ。眠れるわけがない。そりゃそうだ。
 いつまた隼人が変なことをするかわからなくて、一睡もできなかった。
 どういうつもりなのだろう、と考えたところで、わからない。
 隼人は、怯えた様子だった。まるで俺が何か悪いことをしたみたいな気持ちになる。
「兄貴」
 背後で虹子の声がした。鏡の中に、制服姿の虹子が笑って立っていた。
「おはよ、うっ」
 言った直後に引き倒された。廊下の床に転がった俺の腹に、虹子の足の裏が落ちてくる。
「痛い、なんで!」
「約束しただろ、朝一で投げ飛ばすって」
 虹子は柔道部だ。身長百六十センチほどの小さな体で、百八十センチを超える俺を毎日のように投げ飛ばして遊んでいる。恐ろしい妹だ。一人称も「ボク」だし、見た目も男みたいだし、妹というより弟だ。制服を着ていればスカートのおかげでかろうじて女だとわかる。
「で、何、幻覚でも見た? やばいキノコでも食べた?」
 歯ブラシを咥えて虹子が訊いた。
「幻覚」
 そうかもしれない。あれは幻覚だったのかも。
 隼人は、女と見間違うほど綺麗な容姿をしている。心のどこかで、いやらしい目で見ていたから、それが具現化したのか。
 いや、ない。断じてない。俺は一度たりとも隼人をそんな目で見ていない。
 幻覚じゃない。
 隼人の様子もおかしかった。
 このままにはしておけない。
 隼人を、問い詰めることにした。
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