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ラーメン屋にて
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私は拗ねていた。
初めてのデートでラーメン屋に連れてこられるなんて。
ここ美味しいんだ、と自信満々に暖簾をくぐる彼を、置き去りにしようかと思った。
厨房でガチャガチャとラーメンを作ったりオーダーを取ったり動き回る人たちを、頬杖をついて眺めていた。
テーブル席はなく、カウンター席のみで、さらに騒々しいとなれば会話もしにくい。
どうしてデートのランチがラーメンなのか。
別に、ラーメンが嫌いというわけじゃない。ただ、あまりにも色気がなさすぎではないかと思うのだ。
隣を見る。
朴訥とした雰囲気の彼は、同じ会社の同僚で、先日告白されてなんとなく付き合うことになった。
彼は、「結婚を前提に付き合ってください」と言った。
私は、「結婚には興味ないけど、付き合ってもいいよ」と答えた。
噛み合わない気はしていた。この人と結婚したとして、きっと価値観の相違で即離婚だ。
彼は私の視線に気づくと、不器用な笑みを浮かべ、水を呷った。
眼鏡の横顔を見る。顔は多分、そんなに嫌いじゃない。
「いらっしゃいませー」
店の戸が開く音と、店員の声が重なった。
「お客様、二名様ですか? 申し訳ありません、ただいまお席、別々にしかご用意できなくて」
店員がすまなそうに頭を下げながら言った。
満席ではなく、私の右隣りと彼の左隣が空席だ。カップルに遠慮してか、一つずつ椅子が空いている。
ちら、と店の入り口に目をやった。やたらと背が大きな男の子と、細身の美しい男の人だった。
「並んだお席がよろしければお待ちいただくことになりますが」
「待ちます」
二人が声をはもらせた。
え、待つんだ、という感想だった。相談するまでもなく、待つんだ。男二人で並んだ席がいいんだ。
ふふっ、と笑いが漏れてしまった。なんだか可愛い。
「あの……」
突然隣の彼が、椅子から腰を浮かせておずおずと手を上げた。
「こっちの席に移動してもいいですか?」
私の右隣りを指差し、店員に訊いた。彼女は顔を輝かせ「ありがとうございます」と頭を下げた。どうしてこっちに座りたいのか、それより何がありがとうなのだ、と首を傾げる。
彼がお冷のグラスを持って私の右側に移動すると、左側に空席が二つ。そこでようやく「ああ」と気がついた。彼らが待たなくてもいいように、席を用意したのだ。
「二名様どうぞー」
店員にうながされ、彼らが私のそばにやってくる。目で追ってしまう。なんというか、存在感の強い二人組だ。
「席、譲ってくれてありがとうございます」
美しい人が美しくほほえんで、私と彼に向って軽くお辞儀をした。あまりの美しさに、顔が熱くなる。
「え、あ、はい、ええ、どうぞ」
てんぱってよくわからないまま、手のひらを向けて席を勧めると、背の高いほうの男の子が、ぐい、と割り込んできた。
「俺がこっちに座ります」
「お、おう」
大きな体をすとん、と椅子に乗っけると、こちらに向かって丁寧に「席、ありがとうございます」と会釈した。私が何かいいことをしたみたいな雰囲気だが、実は一ミリも動いていない。いえ、と肩をすくめて恐縮する。
私は繊細な気配りがあまり上手くない。対して彼は、社内でも気遣いの人だった。人の顔色ばかり窺って、疲れないのだろうかと思っていた。でももしかしたらそういうことではないのかもしれない。
少し、見直した。
「どれする?」
「店長は焦がし醤油が美味しかったって。でも焦がし醤油って何焦がしたんでしょうか」
「え、醤油だよね」
「あ、はっ、ですよね」
「はは、うん」
隣の二人の会話が聞こえてくる。私は、さもラーメン作りに興味があるふりで、厨房を凝視した。耳はしっかりと、彼らの声をキャッチしている。
「醤油焦がしたことないから想像できませんね」
「あー、チャーハン作るとき鍋肌から醤油回し入れるやつな」
「香ばしい感じですね」
「そうそう」
「なんかお腹空いてきた」
「空いてなかったのかよ」
私は口を押さえた。ちょっと、なんかこの人たち、可愛い。横目で見た。メニューを一緒に見て選んでいる姿も可愛い。
店員を呼び止めて注文を済ませた彼らは、黙った。何か喋らないだろうかとそわそわしていると、店の戸が開き、あちこちから飛ぶ店員の「いらっしゃいませ」を一身に浴びた客が入ってくる。中年の男性の一人客だった。
もしこの人が先に店に入っていたら、隣の二人組は待たなくてはいけなくて、そしたらこの会話に期待を膨らませている瞬間もなかったのだ。
おじさん、遅れてきてくれてありがとう。
「もうお前のいらっしゃいませ聞けないんだな」
大きな彼の体の向こう側で、美しい人が小さな声でそう言った。
「懐かしいな。めっちゃ可愛かった」
「かわ、いくは」
ごほっ、とむせてから、水を飲むと、「うち帰ったらいらっしゃいませしますね」とヒソヒソ声で言った。
「やった」
と、嬉しそうな声。
どういう顔をしていいのかわからない。この二人可愛くない? と彼に同意を求めるわけにもいかない。
内心でうろたえていると、目の前にラーメンがきた。とりあえず、食べよう。
スープを飲む。コクのあるみそ味は、太麺のちぢれ麺と相性がよさそうだ。
麺をすする。
うん、と思わず声が出た。これは美味い。それに温まりそうだ。
ガツガツと貪って、気づくと彼より早く完食してしまっていた。水も空になり、間が持たない。例の二人組も無言でラーメンを食べている。
「眼鏡」
「え?」
「ラーメン食べるとき眼鏡外すんだね」
眼鏡をしていないことに気づいて、ありのままを口にする。彼は少し照れ臭そうにはにかんだ。
「曇るから」
「うん」
わかりきったことを言ってしまった。眼鏡を外した彼を見るのは初めてで、新鮮な感じがした。眼鏡がないほうがいいなとも思った。
「ごちそうさまです。出よう」
スープを飲み干した彼が、慌ただしく腰を浮かした。伝票を持って支払いを済ませ、外に出るまでが素早く、無駄がない。
私は未練がましく入り口で振り返り、二つ並んだ背中を見た。当然だが、振り返ることもなく、ラーメンに集中している。
思い出し笑いで頬を緩めながら店を出ると、外にまで行列ができていた。
「すごい人気のお店なんだね」
「ごめん」
彼がなぜか謝った。
「デートにラーメン屋さんって、選択ミスだったかもしれない」
彼が言った。
「落ち着かなかったね、ごめん」
「いいよ。面白かったし」
「面白い? 美味しいじゃなくて?」
隣の会話が、とは言わずに手を握った。
「また来ようね。今度は焦がし醤油にしよっと」
眼鏡を外した彼を見るのも楽しみだった。
〈おわり〉
初めてのデートでラーメン屋に連れてこられるなんて。
ここ美味しいんだ、と自信満々に暖簾をくぐる彼を、置き去りにしようかと思った。
厨房でガチャガチャとラーメンを作ったりオーダーを取ったり動き回る人たちを、頬杖をついて眺めていた。
テーブル席はなく、カウンター席のみで、さらに騒々しいとなれば会話もしにくい。
どうしてデートのランチがラーメンなのか。
別に、ラーメンが嫌いというわけじゃない。ただ、あまりにも色気がなさすぎではないかと思うのだ。
隣を見る。
朴訥とした雰囲気の彼は、同じ会社の同僚で、先日告白されてなんとなく付き合うことになった。
彼は、「結婚を前提に付き合ってください」と言った。
私は、「結婚には興味ないけど、付き合ってもいいよ」と答えた。
噛み合わない気はしていた。この人と結婚したとして、きっと価値観の相違で即離婚だ。
彼は私の視線に気づくと、不器用な笑みを浮かべ、水を呷った。
眼鏡の横顔を見る。顔は多分、そんなに嫌いじゃない。
「いらっしゃいませー」
店の戸が開く音と、店員の声が重なった。
「お客様、二名様ですか? 申し訳ありません、ただいまお席、別々にしかご用意できなくて」
店員がすまなそうに頭を下げながら言った。
満席ではなく、私の右隣りと彼の左隣が空席だ。カップルに遠慮してか、一つずつ椅子が空いている。
ちら、と店の入り口に目をやった。やたらと背が大きな男の子と、細身の美しい男の人だった。
「並んだお席がよろしければお待ちいただくことになりますが」
「待ちます」
二人が声をはもらせた。
え、待つんだ、という感想だった。相談するまでもなく、待つんだ。男二人で並んだ席がいいんだ。
ふふっ、と笑いが漏れてしまった。なんだか可愛い。
「あの……」
突然隣の彼が、椅子から腰を浮かせておずおずと手を上げた。
「こっちの席に移動してもいいですか?」
私の右隣りを指差し、店員に訊いた。彼女は顔を輝かせ「ありがとうございます」と頭を下げた。どうしてこっちに座りたいのか、それより何がありがとうなのだ、と首を傾げる。
彼がお冷のグラスを持って私の右側に移動すると、左側に空席が二つ。そこでようやく「ああ」と気がついた。彼らが待たなくてもいいように、席を用意したのだ。
「二名様どうぞー」
店員にうながされ、彼らが私のそばにやってくる。目で追ってしまう。なんというか、存在感の強い二人組だ。
「席、譲ってくれてありがとうございます」
美しい人が美しくほほえんで、私と彼に向って軽くお辞儀をした。あまりの美しさに、顔が熱くなる。
「え、あ、はい、ええ、どうぞ」
てんぱってよくわからないまま、手のひらを向けて席を勧めると、背の高いほうの男の子が、ぐい、と割り込んできた。
「俺がこっちに座ります」
「お、おう」
大きな体をすとん、と椅子に乗っけると、こちらに向かって丁寧に「席、ありがとうございます」と会釈した。私が何かいいことをしたみたいな雰囲気だが、実は一ミリも動いていない。いえ、と肩をすくめて恐縮する。
私は繊細な気配りがあまり上手くない。対して彼は、社内でも気遣いの人だった。人の顔色ばかり窺って、疲れないのだろうかと思っていた。でももしかしたらそういうことではないのかもしれない。
少し、見直した。
「どれする?」
「店長は焦がし醤油が美味しかったって。でも焦がし醤油って何焦がしたんでしょうか」
「え、醤油だよね」
「あ、はっ、ですよね」
「はは、うん」
隣の二人の会話が聞こえてくる。私は、さもラーメン作りに興味があるふりで、厨房を凝視した。耳はしっかりと、彼らの声をキャッチしている。
「醤油焦がしたことないから想像できませんね」
「あー、チャーハン作るとき鍋肌から醤油回し入れるやつな」
「香ばしい感じですね」
「そうそう」
「なんかお腹空いてきた」
「空いてなかったのかよ」
私は口を押さえた。ちょっと、なんかこの人たち、可愛い。横目で見た。メニューを一緒に見て選んでいる姿も可愛い。
店員を呼び止めて注文を済ませた彼らは、黙った。何か喋らないだろうかとそわそわしていると、店の戸が開き、あちこちから飛ぶ店員の「いらっしゃいませ」を一身に浴びた客が入ってくる。中年の男性の一人客だった。
もしこの人が先に店に入っていたら、隣の二人組は待たなくてはいけなくて、そしたらこの会話に期待を膨らませている瞬間もなかったのだ。
おじさん、遅れてきてくれてありがとう。
「もうお前のいらっしゃいませ聞けないんだな」
大きな彼の体の向こう側で、美しい人が小さな声でそう言った。
「懐かしいな。めっちゃ可愛かった」
「かわ、いくは」
ごほっ、とむせてから、水を飲むと、「うち帰ったらいらっしゃいませしますね」とヒソヒソ声で言った。
「やった」
と、嬉しそうな声。
どういう顔をしていいのかわからない。この二人可愛くない? と彼に同意を求めるわけにもいかない。
内心でうろたえていると、目の前にラーメンがきた。とりあえず、食べよう。
スープを飲む。コクのあるみそ味は、太麺のちぢれ麺と相性がよさそうだ。
麺をすする。
うん、と思わず声が出た。これは美味い。それに温まりそうだ。
ガツガツと貪って、気づくと彼より早く完食してしまっていた。水も空になり、間が持たない。例の二人組も無言でラーメンを食べている。
「眼鏡」
「え?」
「ラーメン食べるとき眼鏡外すんだね」
眼鏡をしていないことに気づいて、ありのままを口にする。彼は少し照れ臭そうにはにかんだ。
「曇るから」
「うん」
わかりきったことを言ってしまった。眼鏡を外した彼を見るのは初めてで、新鮮な感じがした。眼鏡がないほうがいいなとも思った。
「ごちそうさまです。出よう」
スープを飲み干した彼が、慌ただしく腰を浮かした。伝票を持って支払いを済ませ、外に出るまでが素早く、無駄がない。
私は未練がましく入り口で振り返り、二つ並んだ背中を見た。当然だが、振り返ることもなく、ラーメンに集中している。
思い出し笑いで頬を緩めながら店を出ると、外にまで行列ができていた。
「すごい人気のお店なんだね」
「ごめん」
彼がなぜか謝った。
「デートにラーメン屋さんって、選択ミスだったかもしれない」
彼が言った。
「落ち着かなかったね、ごめん」
「いいよ。面白かったし」
「面白い? 美味しいじゃなくて?」
隣の会話が、とは言わずに手を握った。
「また来ようね。今度は焦がし醤油にしよっと」
眼鏡を外した彼を見るのも楽しみだった。
〈おわり〉
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