電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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HappyHalloween

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〈加賀編〉

 エレベーターが一階で止まり、ドアが開くと「あっ」と甲高い声が上がった。
「加賀さんだ! おつかれさまでーす」
 隣の部屋に住む姉妹の、妹のほうだ。パネルの、開くボタンを押して、笑みをこぼす。
「なんか可愛いカッコしてるね」
「えっへへ、これで電車乗ってきましたよ」
 ミニスカートに黒タイツ、腕の部分がレース素材で全身黒だ。黒い猫耳、黒い手袋、どうやらこれは、黒猫をイメージしたコスプレだ。
「寒くないの?」
「寒いですけど……、トリックオアトリート!」
 彼女が両手の肉球を突きつけてくる。
「え? どうした急に」
「もうっ、ハロウィンですよ。お菓子くれなきゃいたずらしますよ?」
 少し恥ずかしそうに、猫の手でパンチを繰り出してくる。ノリが悪くてすまない、と苦笑した。
「衣装、凝ってるね」
 エレベーターに飛び乗った彼女のスカートに、何かついている。しっぽだ。
「友達はもっとヤバいですよ。特殊メイクでゾンビとか、めっちゃリアルで笑ったぁ」
「ゾンビ……、そりゃいい」
 倉知が、高校の学園祭でゾンビメイクをしていたことを思い出し、ニコリと笑う。
「加賀さんと倉知さんはハロウィンしないんですか?」
「ハロウィンって何するの?」
「んー、コスプレしたりパレード参加したり? 道行く人にお菓子ちょうだいって迫ったり? パーティとか、楽しいですよ」
 上昇するエレベーターの中で、彼女は猫の尻尾をぶんぶんと振り回してみせた。
「よくわかんないけど、男二人でやってたら怖くない?」
「えっ、可愛い。絶対可愛いですって」
「いやいや」
 エレベーターが止まる。開いたドアを押さえ、彼女を先に下ろしてあとに続く。
「お姉ちゃんにコスしようよって誘ったんですけど、大人はそんなことしないって。しないんですか?」
 後ろ向きで前を歩く黒猫女子が訊いた。
「さあ、する大人もいるんじゃない? 俺もしないけど」
「えー、しましょうよ。加賀さんはそうだなあ、なんか制服系? 警官とかよくないですか? やばい!」
 うんうん、と生返事をしながら妄想を開始していた。
 子どもじみたイベントではあるが、お菓子くれないといたずらするぞと脅す倉知は、きっと可愛い。照れながら精一杯盛り上げようとする健気な姿は想像だけでも幸せになれた。
 いたずらって具体的に何すんの? いいよ、してみせて? と逆に迫ってやるのも楽しそうだ。
 なるほど、ハロウィンも悪くない。
 でも俺は三十路を過ぎたおっさんだし、はっきり言って「お菓子」やら「仮装」やらで浮かれていたら不気味だ。
「加賀さん」
 先を歩く隣人が、はたと足を止めて俺を呼ぶ。
「ん?」
「これ」
 猫耳カチューシャを外すと、目の前に差し出してくる。
「貸してあげますね」
「んん?」
 首を傾げながら受け取ると、彼女は満足そうに笑って玄関のドアを開けた。
「ハッピーハロウィーン!」
 ドアが閉まる重い音が、叫び声を遮断する。
 静かな廊下に、一人、立ち尽くす。
 これを俺にどうしろと?
 俺に着けろと?
 何食わぬ顔で猫耳を着けて帰宅したら確かに面白いかもしれない。
 いや面白いか?
 捨て身のギャグが滑るのも怖い。倉知にドン引きされたらどうする。
 ドン引き。
 倉知が。
 ドン引きする倉知も見てみたい。一度は蔑むような目で見られてみたいなんて、俺は本当にどうしようもない。
 想像したらちょっとゾクゾクして、下半身が疼いた。
 廊下にうずくまり、はあ、と息をつく。
 選択肢を間違えてはいけない。
 腰を上げ、玄関のノブを握る。
「ただいま」
 靴を脱いで、いざ、リビングへ進撃する。何かのテキストらしきものを読んでいた倉知が、顔を上げ、輝く瞳を俺に向ける。
「おかえりなさい」
 全身からわかりやすく「好き」というオーラを放ち、ふわ、と笑った。
「今日、おでんです」
「お、いいね。あったまる」
 着替えてくるわ、と言い置いて、寝室に向かう。秒速で着替えを終えると、リビングに飛んで戻り、ソファをポンポンと叩きながら、キッチンに立つ倉知を手招いた。
「倉知君、ちょっと座って」
「え? なんですか?」
「いいからおいで」
 のこのことやってきた倉知が、ソファに腰を下ろし、「なんですか?」ともう一度訊いた。
「目ぇ閉じて」
 素直に目を閉じる。
 その隙に、後ろ手に隠し持っていた猫耳を、倉知の頭にそっと装着した。
 これは……。
 いい。想像以上に、可愛い。
「え? なんですか?」
「待て、触るな。撮るから取るな」
 スマホを向ける俺を、倉知は不思議そうに見上げている。
 無言で何枚も立て続けに撮影した。
「あの」
 カシャ。
「加賀さん」
 カシャ。
「もう、なんですか?」
 痺れを切らし、倉知が猫耳をもぎ取った。
「これ……」
 なんてものを着けるんですか、と恥ずかしがるかと思いきや、真顔になり、すっくと立ちあがると、「見せて」と手のひらを向けてきた。
「お、おう。ごめん、でもすげえ可愛いから許して」
 ほら、とスマホを顔の前に突きつけると、意外な言葉が返ってきた。
「ほんとだ、可愛い」
「……え?」
「どうしたんですか、これ。可愛いですね」
 自ら猫耳を装着し直し、はしゃぐ倉知を唖然と見つめる。まさかと思うが、気に入ったらしい。
 嘘だろ、男子大学生が猫耳気に入るの、可愛すぎないか?
 困惑したが、やがてハッと思い至った。
 倉知は猫が好きだ。
「あ、ハロウィンですか? 加賀さんがこういうことするの、珍しいですね」
「それさっきそこで隣の子に借りたやつだから」
「じゃあ、返しちゃうんですね」
 猫耳姿でダイニングテーブルに土鍋を運ぶ倉知が、動きを止めて俺を見る。
「加賀さん」
「いや、俺は着けないよ? だって犬派だし」
「俺は猫派です」
 猫の倉知が、笑いながら距離を詰めてくる。
 追いかけられ、捕まえられ、腹に乗られて、見上げると、猫の倉知。
 今日だけ俺は、猫派になることにした。

〈おわり〉
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