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父の葛藤
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〈倉知父視点〉
「言うの忘れてたけど」
今から寝ようという時間帯に、風呂上がりの六花がなんでもない口ぶりで言った。
「明日、千葉さんと京都行ってくる」
「え……? ちょ、え? 京都って、泊まり?」
リビングから出ていこうとしている六花を大慌てで呼び止める。
「日帰りだけど」
「そっ、そう」
「泊まってくればいいのに。全然ゆっくりできないじゃない」
妻がとんでもない発言をする。こらっ! とたしなめてから、六花の肩を揺する。
「絶対、帰ってきなさい。ねっ、わかったねっ」
「お父さん」
六花が呆れた顔で首を横に振る。
「過保護すぎ。私もう子どもじゃないよ」
子どもだよ、と内心で反論したが、自分が六花の歳の頃にはすでに結婚していたことを思えば、確かに「子どもじゃない」のかもしれない。
「わかった……、ぐ……ぬぅ……、泊まってきなさい」
「だから日帰りだって」
「京都に何しに行くんだよ?」
我ながらひどい難癖だと思ったが、なんだかモヤモヤして黙って送り出すことができない。
「清水寺の資料が欲しくて。あと模造刀も買いたいかな」
「資料? 模造刀? なんだ? 仕事か?」
「趣味のほう」
それ、彼氏と行く必要があるのか?
口を挟みかけて、やめた。
俺は今、とんでもなく嫌な父親になろうとしていた。
自分の頬を、無言で叩く。
「え、何?」
「なんでもない。気をつけていってらっしゃい」
六花がリビングを出て行くと、ソファの背もたれに背中を預け、天井を仰ぐ。
「お父さん、六花のことになると偏屈親父になるね」
妻が雑誌に目を落としながら言った。
「偏屈親父って」
「泊まったっていいじゃない。もう二十歳過ぎてるんだよ?」
大らかすぎる妻の科白に絶句した。言葉を継げない俺を横目で見て、悪巧みをしているようなダークな笑みを浮かべた妻は、不器用そうに肩をすくめた。
「五月と七世のことは野放しなのにね?」
妻の言葉のチョイスはたびたびおかしい。
「それは信用してるから」
「六花のことは信用してないんだ」
「いや、してる、してるって」
「ふうん」
妻は俺から目を逸らし、雑誌の世界に戻っていった。
子どもたちのことは、信用している。
五月は無鉄砲で馬鹿なこともするが、ああ見えてしっかりしている。男をとっかえひっかえしていた五月が今の彼氏で落ち着いてくれて、安堵している。
七世のことは何も心配していない。堅実で慎重だし、なんせ加賀さんがついている。
じゃあ六花は。
六花は幼い頃から手のかからない子だった。今でもそうだ。冷静だし、賢い。放っておいても間違わない。
三人とも、信用はしているのだ。平等だ。そのつもりだ。他の二人と差をつけているわけでもなく、でも、何か、どこの馬の骨ともわからない男には渡したくない。
その夜、思い返した。赤ん坊だった六花に、歯が生えて、歩くようになって、喋るようになって、初めてお父さんと呼ばれたときは、泣いて喜んだ。可愛かった。天使だった。あの子が三歳の頃に描いてくれた似顔絵は、宝物だ。
「大人になったんだよなあ」
布団の中で独り言をつぶやくと、妻が隣で「ふふっ」と笑った。起きているのか、寝言なのか、わからない。
次の日の朝、目覚めると、もう六花はいなかった。日帰りで京都だ。きっと早くに出たのだろう。
「いってきますくらい言えよな」
郵便受けから新聞を引き抜いて、ため息をつく。
「お母さん」
リビングのソファに腰かけ、新聞を広げ、朝食を作る妻を呼ぶ。
「なあに?」
「千葉君に会ってみたいって言ったら、六花に引かれるかな? 結婚するわけでもないのに会わせろって、うざい? 親失格? それとも人間失格?」
包丁の音が止んだ。間が空いた。妻が、くすっと笑った気配。
「大丈夫だよ、だって私も会ってみたいもん」
「そう? そうだよな?」
無意味に新聞をバサバサと鳴らすと、妻が「お父さん、可愛い」と褒めた。つもりだろう。居心地が悪く、わざとらしく咳払いをすると、妻が明るい声で言った。
「親の心、子知らずだね」
たまにはしっくりくる言葉も、使うらしい。
〈おわり〉
「言うの忘れてたけど」
今から寝ようという時間帯に、風呂上がりの六花がなんでもない口ぶりで言った。
「明日、千葉さんと京都行ってくる」
「え……? ちょ、え? 京都って、泊まり?」
リビングから出ていこうとしている六花を大慌てで呼び止める。
「日帰りだけど」
「そっ、そう」
「泊まってくればいいのに。全然ゆっくりできないじゃない」
妻がとんでもない発言をする。こらっ! とたしなめてから、六花の肩を揺する。
「絶対、帰ってきなさい。ねっ、わかったねっ」
「お父さん」
六花が呆れた顔で首を横に振る。
「過保護すぎ。私もう子どもじゃないよ」
子どもだよ、と内心で反論したが、自分が六花の歳の頃にはすでに結婚していたことを思えば、確かに「子どもじゃない」のかもしれない。
「わかった……、ぐ……ぬぅ……、泊まってきなさい」
「だから日帰りだって」
「京都に何しに行くんだよ?」
我ながらひどい難癖だと思ったが、なんだかモヤモヤして黙って送り出すことができない。
「清水寺の資料が欲しくて。あと模造刀も買いたいかな」
「資料? 模造刀? なんだ? 仕事か?」
「趣味のほう」
それ、彼氏と行く必要があるのか?
口を挟みかけて、やめた。
俺は今、とんでもなく嫌な父親になろうとしていた。
自分の頬を、無言で叩く。
「え、何?」
「なんでもない。気をつけていってらっしゃい」
六花がリビングを出て行くと、ソファの背もたれに背中を預け、天井を仰ぐ。
「お父さん、六花のことになると偏屈親父になるね」
妻が雑誌に目を落としながら言った。
「偏屈親父って」
「泊まったっていいじゃない。もう二十歳過ぎてるんだよ?」
大らかすぎる妻の科白に絶句した。言葉を継げない俺を横目で見て、悪巧みをしているようなダークな笑みを浮かべた妻は、不器用そうに肩をすくめた。
「五月と七世のことは野放しなのにね?」
妻の言葉のチョイスはたびたびおかしい。
「それは信用してるから」
「六花のことは信用してないんだ」
「いや、してる、してるって」
「ふうん」
妻は俺から目を逸らし、雑誌の世界に戻っていった。
子どもたちのことは、信用している。
五月は無鉄砲で馬鹿なこともするが、ああ見えてしっかりしている。男をとっかえひっかえしていた五月が今の彼氏で落ち着いてくれて、安堵している。
七世のことは何も心配していない。堅実で慎重だし、なんせ加賀さんがついている。
じゃあ六花は。
六花は幼い頃から手のかからない子だった。今でもそうだ。冷静だし、賢い。放っておいても間違わない。
三人とも、信用はしているのだ。平等だ。そのつもりだ。他の二人と差をつけているわけでもなく、でも、何か、どこの馬の骨ともわからない男には渡したくない。
その夜、思い返した。赤ん坊だった六花に、歯が生えて、歩くようになって、喋るようになって、初めてお父さんと呼ばれたときは、泣いて喜んだ。可愛かった。天使だった。あの子が三歳の頃に描いてくれた似顔絵は、宝物だ。
「大人になったんだよなあ」
布団の中で独り言をつぶやくと、妻が隣で「ふふっ」と笑った。起きているのか、寝言なのか、わからない。
次の日の朝、目覚めると、もう六花はいなかった。日帰りで京都だ。きっと早くに出たのだろう。
「いってきますくらい言えよな」
郵便受けから新聞を引き抜いて、ため息をつく。
「お母さん」
リビングのソファに腰かけ、新聞を広げ、朝食を作る妻を呼ぶ。
「なあに?」
「千葉君に会ってみたいって言ったら、六花に引かれるかな? 結婚するわけでもないのに会わせろって、うざい? 親失格? それとも人間失格?」
包丁の音が止んだ。間が空いた。妻が、くすっと笑った気配。
「大丈夫だよ、だって私も会ってみたいもん」
「そう? そうだよな?」
無意味に新聞をバサバサと鳴らすと、妻が「お父さん、可愛い」と褒めた。つもりだろう。居心地が悪く、わざとらしく咳払いをすると、妻が明るい声で言った。
「親の心、子知らずだね」
たまにはしっくりくる言葉も、使うらしい。
〈おわり〉
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