電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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図書館ゲーム

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〈倉知編〉

 図書館に来るのは何年ぶりだろう。
 静かだ。みんな黙って本を読んでいる。一人の世界に浸っていて、誰も他人を気にしないのがいい。
 作家名の「あ」から順番に整列している棚を、上の段からゆっくりと眺めた。タイトルを一つずつ丁寧に口中で読み上げていく。
 決まった本を探しているわけじゃない。漠然と、面白そうな本を探している。
 今日は休日で、図書館には二人で来た。加賀さんは、別の棚を吟味している。
 ゲームをしようと加賀さんが言い出した。中を見ずに、タイトルだけでお互いに一冊選び、相手に読ませて面白かったほうが勝ち。
 加賀さんは本をたくさん読んでいる。加賀さんの影響で、俺もそれなりに読んではきたが、はるかに及ばない。不利な勝負だ。インスピレーションだけで、面白い本を選ぶなんて、至難の業だ。
「決まった」
 こそ、と囁く声に、振り返る。俺の腕に肩をぶつけ、見上げてくる目で、決まった? と加賀さんが訊いた。首を横に振って、待ってて、と口を動かした。
 俺の背中を軽く叩くと、テーブルを指差した。座って待っている、ということだろう。うなずいた。椅子が六脚あって、隅の席に女性が一人座って本を読んでいる。加賀さんはその女性の対面の椅子を引いた。女性が一瞬、顔を上げる。すぐに本に視線を戻したが、お手本のような二度見をして、目を大きく見開いた。驚愕の表情だ。
 彼女の手から分厚いハードカバーが滑り落ち、重い音が響く。
「す、すいません」
 謝る彼女に、多分加賀さんが微笑んだ。後姿だからわからない。多分、いや絶対に、万人を魅了する、美しい微笑みを投げかけたのだろう。女性の顔が朱に染まり、俺は、急がなければと思った。
 ろくに見ずに一冊引き抜くと、加賀さんのかたわらに飛んでいき、腰を屈める。
「決まりました。帰りましょう」
 耳元で囁いた。加賀さんが俺の手首をつかむ。本を持ち上げ、タイトルを確認し、「え」と声を漏らす。改めて、自分の選んだ本を見た。その本のタイトルは、たったの三文字で、単純明快だった。
 sex。
 加賀さんが少し困った顔をして、俺を見上げている。
 違います、別になんの意味もなく、適当に選んだのがたまたまこれで、セックスがしたいとかセックスしか頭にないとかじゃなく、いやでも、セックスはしたいです。
 脳内で言い訳を並べ立てていると、加賀さんが腰を上げた。
 すごく、笑っている。声は出ていない。でも、ものすごく笑っている。
 笑顔のまま俺の手を引いて、本を借りて、颯爽と図書館を出た。途端、加賀さんが笑う。心置きなく、笑っている。
「俺の負けだわ」
 おかしさを絞り出すように笑ったあとで、加賀さんが言った。
「えっ? まだ読んでないのに?」
「もはや出オチじゃん。めっちゃ面白い」
「あの、俺、ちゃんと見ないでたまたまこれを」
「うん、だろうなって思った。本の山から適当にsex引き当てるってのがもう面白いし、倉知君がsex持ってきたら誰でも笑うだろ。童貞みたいな顔しといてsexだぞ」
「加賀さん、あの、言い過ぎです」
 周囲に人はいない。でも、連呼されるとまずい。加賀さんが「セックス」と流暢に発音するたびに、股間に備わったセンサーが反応してしまうのだ。
「でも俺sex未読だから楽しみだわ、sex」
「ちょ、もうやめて」
 声を潜め、若干前屈みになる俺を見て、加賀さんが「はは」と無情に笑う。
「帰ったら読書タイム? それともsex?」
 歩きながら頭の中で円周率を唱えていると、加賀さんが訊いた。
「セッ……、読書しましょう」
「今セッって言わなかった?」
「加賀さんが選んだ本は?」
「谷崎潤一郎」
「なんか文豪ぽい」
「文豪、うん。でも、エロいよ」
「え?」
「エロい文章で発情する倉知君、絶対可愛いなって」
 目が合った。
 俺を見る加賀さんの目は、いつでも優しい。
 でも、どこか挑発的で、淫靡な欲望を隠そうともしない。
 帰宅して、最初にすることは。
 読書か。それとも。

〈おわり〉
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