電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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さくら

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〈倉知編〉

 穏やかな日だ。たまにふわりと吹く風が心地よく、日差しが眩しい。
 すっかり春だ。上着がいらなくなった。そう言って、半袖をチョイスすると「それは寒くない?」と加賀さんはおかしそうに笑っていたが、暑がりの俺にはちょうどいい。
 満開の桜が咲き誇る河川敷を、並んで歩いている。
 近所で一番桜の綺麗な場所だ。花見がてら散歩するか、と言い出したのは加賀さんだった。
 キラキラしている。
 加賀さんが、キラキラしている。
 黒い髪が、白い肌が、輝いている。眩しい。神々しい。キラキラだ。
「キラキラしてる」
 加賀さんが言った。視線の先を目で追う。川面に太陽が反射して、キラキラしていた。川の流れに合わせて、光が躍っているように見えた。
「綺麗ですね」
「な、綺麗だな」
 優しく笑う加賀さんに、胸が締めつけられる。
 好きだ。
 桜の花びらが落ちてきて、絹の髪に着地した。反射的に手が伸びたが、すぐに止めた。このままにしておこう。なんだか可愛くて気に入った。もっとたくさん降ってこないだろうか、とひそかに期待する。
「あ、あの赤毛の子めっちゃ可愛い」
「え」
 加賀さんが俺を見上げて呆れた顔になる。
「お前、俺ばっか見てんなよ。前見てみ」
 前方に視線を向けた。ジャージ姿の女の子が桜の下で立ち止まってスマホを見ている。中学生か高校生かどちらか。可愛いかどうかはさておいて、赤毛というのがよくわからない。彼女の髪は、黒い。
「触っていいかな」
「えっ? どこを?」
「どこって、頭とか、背中とか?」
「やめてください、痴漢じゃないですか」
「なんでだよ」
 なんでって、と反論の科白を飲み込んだ。彼女の、スマホを持っていないほうの手からリードが伸びていて、犬が道端の雑草を必死に食べていた。まさに必死という感じで、剥き出しの歯が少し怖いと思ってしまったが、加賀さんの目から見ると「可愛い」のだろう。
「くるんってなったしっぽがめっちゃ可愛い」
「はあ」
 加賀さんは犬が好きだ。だから犬を見つけるレーダーが人より優れていて、いつもこんなふうに食いつくのだ。可愛いと顔を綻ばせる加賀さんを見るのは好きだが、ほんの少し、本当にわずかだが、犬に嫉妬してしまう自分がいる。
 いや、少しじゃない。大いに嫉妬する。
 犬が加賀さんにしっぽを振って、飛びついて、顔を舐めたりしようものなら、それは俺のです、と大声で叫んでしまうかもしれない。
 犬と飼い主の後ろを、無言で通り過ぎる。少し振り返って様子を窺ったが、犬も彼女もこちらには気づいていない。
「撫でないんですか?」
「ん、なんかめっちゃ一生懸命草食ってたから。邪魔しちゃ悪いかなって」
「優しい」
「はは」
 風が吹いて、加賀さんの髪が揺れ、花びらが飛んだ。ああ、と残念そうな声が出た。
「何?」
「いえ、なんでも」
「あ、倉知君、ストップ」
 加賀さんが足を止めた。つられて立ち止まると、加賀さんの手が俺の髪に触れた。
「ちょっと屈んで。花びらついてる」
「ああ、はい」
「やっぱやめた。なんか可愛いからつけとこ」
 同じことを思ったとは言わずに、「取ってください」と笑う。
「あらあら、仲良しねぇ」
 ほのぼのとした声をかけてきたのは、老婦人だった。杖をついて歩く旦那さんを、支えるようにして腕を組んでいる。
「はい、仲良しです」
 加賀さんが答えて、俺の手に指を絡めた。
「いつまでも仲良くね」
 上品に会釈をした彼女は、嬉しそうにウフフと笑っていた。小さくて丸い、寄り添う二つの背中を見送って、「幸せそうですね」とつぶやいた。
「多分、あっちから見たら俺らもそう見えたよ」
「そう、ですかね」
「うん、そうです」
「うん、……ですね」
 だって、本当に幸せだ。
 うんうんと頷き合って、歩き出す。
 手は、繋いだまま。
 暖かい春の空気が頬を撫で、頭の上を、薄桃色の花びらがひらひらと舞っている。

〈おわり〉
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