電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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加賀さん、スマホを買う。

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〈加賀編〉

 実は、と前置きをするほど大した話ではないが、俺の携帯電話はガラパゴス携帯、つまりガラケーだ。フィーチャーフォンともいうらしいが、とりあえず今はガラケーで統一しておこう。
 別に、ガラケーであることに誇りを持っているわけじゃない。
 スマホに敵対心を持っているとかでもない。
 仕事とプライベート兼用で使っているが、会社側は料金を一部負担してくれるだけで、スマホにしろと強制はしてこない。
 周囲は、こだわってるんですねと勝手に決めつけたがるが、そんなカッコイイものでもない。ただ単に、スマホにする必要性を感じないだけだ。
 電話が使える。メールができる。写真も撮れる。一応、インターネットも使える。
 何かスマホじゃないと駄目なことがあったとして、倉知のを使えば済む。
 つまり、本当に俺には不要なのだ。
 と思っていたが、ついにガラケーとお別れするときがきてしまったようだ。携帯の調子が悪く、ショップを訪れた。そこで、電池パックの生産と修理の受付を終了するという悲しいお知らせを告げられたのだった。
「うっわ、どうしよ」
 落胆する俺に、ショップ店員が執拗にスマホへの機種変更を勧めてくる。聞けば聞くほどに、スマホに変えたら負けだという謎の負けん気が発動した。
「直せないならもういいから、ガラケーに機種変しようかな。新しい機種あります?」
「えっ、はい、ございますが、でも、せっかくですのでわたくし個人としましても、スマートフォンをオススメいたします」
「はは、せっかく」
「加賀さん」
 店の中を見て回っていた倉知が背後に立ち、頭上から俺を呼ぶ。振り仰いで、「何?」と促すと、空いていた隣の椅子を引いて軽く頭を下げた。
「失礼します」
 腰を下ろし、咳払いをして「あの」と言いにくそうに口を開く。
「俺……」
「うん?」
「スマホに変えるの賛成です」
「お、なんだよ、二対一?」
 うふ、と店員が口元に手を添え、品のいい笑顔を浮かべた。
「なんでスマホがいいんだよ。スマホに変えるメリットを述べよ。二百文字以内で述べよ」
 うふふ、とまた店員が笑い声を漏らし、倉知と俺を交互に見た。倉知は少し間を置いて、頭を掻いて言った。
「メリットありますよ」
「うん、何? 俺の心を揺さぶってみろよ」
「たとえば、アプリがあります」
「ざっくりしてんなあ。自分がアプリ活用してから言えよ」
「してますよ? ほら、あの、マップが、ナビがあるから地図がすぐ見られるし、便利です。カレーが食べたいなって思ったときに、カレーって入力したら周辺のカレーのお店が」
「お前の作ったカレー以外食べたくないんだけど」
 喋っている途中に割り込むと、倉知が口を開けたままで言葉を切り、ほんのりと頬を染めた。
「たとえばです。カレーじゃなくて、じゃあラーメンのお店が」
「わかった。でも、それはお前のスマホがあるからいいよ。どうせ一緒に食べに行くだろ」
 倉知が口をつぐみ、俺の頭の上に目線をやって、「えっと」と何か考え始めた。
「ゲームができます」
「別になあ、しなくても。もうおっさんだし」
「加賀さんはおっさんじゃないけど、おっさんでもゲームしますよ」
「そういうお前はゲームしてんの? 見たことないけど」
「はい、しません」
「ほらな。いらないんだよ。ていうか俺がゲームにハマって家にいる間中スマホいじってたらどうする?」
「それは、……いやです」
 倉知がたじたじになった。そして悲しそうな顔をした。多分、想像したのだろう。俺がスマホ中毒になったところを。なるはずがない。ゲームには興味がないし、SNSもやらないし、中毒になる要素がない。
「加賀さんはガラケーにしましょう」
「おいおい、あっさり敗北か?」
「だって」
 しょんぼりした倉知が、急にハッとしたように目を見開いた。そして、明るい表情で俺を見据え、きっぱりと告げた。
「俺、加賀さんとLINEしたいです」
「LINE」
「はい」
「あれってメールとどう違うの?」
「全然違いますよ。短い文章でポンポン会話できるし、送った文章さかのぼるのも簡単だし、スタンプとか送れたり、とにかく、いいです」
「へえ、とにかくいいんだ」
「はい、とにかくいいんです。親密になれる気がするし、手軽です」
 机に片肘をついて、力説する倉知を笑いながら眺めた。
 正直、もうスマホにしてしまってもいいと思っている。別にガラケーじゃないと駄目な理由はない。
「あっ、違う」
 突然倉知が小さく叫んだ。
「違うって何が?」
「やっぱりやめましょう。加賀さんはガラケーがいいです」
 倉知が慌てて首を左右に振った。
「大丈夫だよ」
 倉知の脚に膝をぶつけて、笑いを堪えた。
「お前のことほったらかしてスマホばっかいじらないって約束する」
「加賀さん」
 眉を下げ、情けない顔になった倉知が唇を噛む。
「LINEも倉知君としかやらない」
 倉知の肩が、ふっと、下がった。体の力が抜けたのがわかる。もう一度膝をぶつけてから、頭をガシガシと撫でた。
「安心した?」
「しました」
「よし。オススメの機種ってどれですか?」
 店員に向き直る。彼女は両手で口を覆い、なぜか潤んだ目で俺たちを見ていた。すぐに正気を取り戻し、慌ててパンフレットを開いて説明を開始した。とりあえず色が黒なら他はこだわらないから一番性能のいいやつで、とさっさと機種を決め、契約を済ませた。
 その間、店員はどこか心ここにあらずという感じに見えた。視線がたびたび逸れるのだ。多分、俺と倉知のペアリングに気づいたのだろう。でも何か突っ込むこともなく、職務を全うしてくれた。
「お客様、LINEのほうですが、お二人だけで使いたい、ということでよろしいですか?」
 ヒソヒソ声で店員が身を乗り出した。はい、と二人で声を潜め返すと、「でしたら」と真剣な目で言った。
「初期登録を間違えると、電話帳に登録してある知人全員にお客様がLINEを始めたことが知られてしまいます」
「え、それは怖い」
「ご安心ください。わたくしにお任せください」
 そう言って、彼女はインストールと新規登録を手伝ってくれた。こうして無事に、倉知だけを「友だち」に追加することに成功した。
 店を出るとき、外にまで見送りに出た店員は、何度も頭を下げ、最後には拝んでいた。よくわからないが、もしかすると歩合制なのかもしれない。彼女の給料に貢献できるのならよかった。親切な店員で助かった。
「さっき、約束してくれましたけど」
 外で夕食を済ませて帰宅すると、倉知が言った。
「好きにいじっていいですよ」
「……ん?」
「制限したくないです。自由にして欲しいです」
「ああ、スマホの話?」
 他に何が? と首を傾げる倉知の股間を無造作に揉んだ。
「ここの話かと思った」
「ちょ、ちょっと」
 大きな体をこわばらせる倉知が可愛い。押し倒したくなるのを我慢して、すぐに手を離した。
「いじるったってなあ。何見たらいいの? みんなスマホで何やってんの?」
 ポケットからスマホを出して、ソファに体を投げ出した。画面を触りながら、適当なアプリを開いたり設定を見たりしていたが、すぐに飽きた。倉知を触っていたほうが楽しい。隣に座った倉知の太ももを撫でまわしていると、「そうだ」とごまかすように声を上ずらせた。
「加賀さん、LINEの練習しましょう」
「練習? そんなのいる?」
「楽しいのわかりますよ。はい、アプリを起動してください。わからなかったら教えますから、まずは自分でやってみてください」
「はい、倉知先生」
 隣に座っていながら、LINEを送り合うことになった。アプリを起動し、たった一人の友だち、「倉知七世」をタップした。トーク画面を開き、画面下の入力部分に「こんにちは」と打ち込んで、送信する。
「あっ、来た!」
 隣で倉知が体を弾ませた。
「うん」
「こんにちは、だって」
「うん」
「なんか可愛い」
「なんでだよ」
「あ、そうだ、今から喋るの禁止です。LINEで話しましょう」
「お、おう」
 そういうことになった。



 倉知の上にまたがって、キスをする。
「加賀さん」
 俺の背中に手を回して、倉知がつぶやいた。目を開けて、顔を覗き込む。
「うん」
「あの、本当に、好きにしていいですから」
「え?」
「LINEも俺とだけじゃなくて、いろんな人と」
「何、またスマホの話?」
 はは、と軽く笑いが起きた。スマホを持つことが人生の大きな転機だとでも思っているのだろうか。俺にとってはまったくどうでもいいことだ。ガラケーより薄くていい。それくらいの感覚だ。
「倉知君としかしないよ。約束する」
 囁いて、キスを落とす。唇を吸って顔を離すと、薄く目を開いた倉知に微笑んでみせた。
「好きにしていい?」
「……え?」
「今そう言ったよな」
「あ、あの、そういう意味じゃ」
 ずっと触っていたい、見ていたいのは、ただ一人。

〈おわり〉
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