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はじまりのif
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※この話は、「もしあのとき加賀さんが本を読んでいなかったら」という別バージョンの出会い方をするお話です。ということで、パラレルですのでよろしくお願いします。
〈加賀編〉
今日は朝から天気が悪かった。風も強いし、雪が降りそうなほど寒い。と思っていたら本当に雪が降り出し、そのせいかはわからないが、電車が停まってしまった。
あと一駅なのに、とうんざりした。
普段は真冬でも暑い車内は、今日に限ってエアコンが故障しているらしく、乗ったときからすでに冷えていた。満員電車の人肌のおかげで、凍えるほどではないが、寒い。
動かない車内は、文句を言ったり、電話をかけたり、罵倒する乗客の声でざわついていた。小さく「さむっ」と声を漏らす。俺のコートはデザイン重視で防寒機能には優れていない。
体を小刻みに振動させ、寒さを紛らわせていると、「あの」と控えめな声が上から降ってきた。顔を上げると、学ランにダウンジャケットを羽織った男子高校生が、緊張した様子で俺を見ていた。
「寒い、ですか?」
俺のつぶやきが聞こえたらしい。電車が停まって手持ち無沙汰なのだろうか。満員電車で見知らぬ高校生が話しかけてきた。
この状況が面白くて、笑いながら身を揺すり「うん、寒い」と答えた。すると彼は、肩に担いでいたバッグを開けて、何かを取り出した。マフラーだ。
「これ、よかったら……」
「え?」
差し出されて困惑する。高い位置にある高校生の顔が「しまった」というふうに歪み、慌てて弁解を始めた。
「あの、これ、今朝、母が寒いからって渡してきて、手編みで、昨日完成して、だから一回も着けてないし、あの、綺麗です」
しどろもどろで一生懸命言葉を紡ぐ若者が、にわかに赤面した。
「すいません、気持ち悪いですよね」
「あー、待って」
いそいそとバッグに片付けようとするのを止めた。羞恥のせいか、涙目になっているのが可哀想で、見ていられなくなった。
「貸して」
手のひらを向けると、驚いた顔になった。恐る恐るマフラーを手渡してくる。
「これ手編み?」
「はい」
「お母さん、すごいね」
市販のものだと言われても信じる。色は奇抜なデザインだったが、ふわふわで温かそうだ。母の愛が詰まっている気がした。
「なんで着けないの?」
せっかく作ってくれたのに、どうしてバッグに片付けておくのだろうと思ったが、彼は硬い声で言った。
「そんなにも寒くなかったんで」
「え? 今日すげえ寒くない? 雪降ってるよ?」
言った途端、電車が風に押されてわずかに揺れた。
「寒くないです」
それだけは譲れないという強い意志を感じた。頑固な奴だな、と笑ってしまった。
「借りてもいいの? おっさん臭くなるかもしれないけど」
「えっ? おっさん?」
「加齢臭」
「いえ、そんなの、全然、あの、どうぞ」
首にマフラーを巻きつけてみると、一気に温かくなり、人心地がついた。
「おお、あったかい」
「よ」
高校生が、言葉を詰まらせる。
「よかった、です」
泣きそうだ。よくわからないが、何かに感動しているようにも見えた。下唇を噛んでから、唾を飲み込んだのがわかった。喉仏が上下する。泣くのを堪えている。
寒さに震える他人にマフラーを貸す行為が、高校生にとって相当勇気がいることなのはわかる。
普通、しない。よほど心根の優しい奴なのだろう。
「いい子だな、サンキュ」
顔を見上げて、勇気をたたえるつもりで、にこやかに笑ってみせた。
彼が息を呑んだのがわかった。それから自分の胸の辺りを鷲づかみにして、息苦しそうに吸ったり吐いたりしたあとで、真剣な顔で俺を見据え、口を開いた。
「好きです」
よく通る声が、騒々しい電車の中でひときわ大きく響いた。一瞬、しんと静まり返り、視線が集中する。我に返った彼は、自分の口から飛び出た科白に大層驚いていた。
青くなったと思ったら、赤くなった。大きな体を小さくして、俺から精一杯顔を背けてうつむいた。耳が赤い。首まで赤い。全部が赤い。
突然好きだと言われて、意味がわからずに、赤く染まった彼をぼんやりと見上げる。
初対面のはずだ。今、このちょっとしたやり取りで、いきなり俺に惚れたのか、それともずっと前から、俺を見ていた?
ぞく、ときた。
嫌悪じゃない。
むしろ逆の、気持ちのいい、ぞく、だ。
恥ずかしくて消えてしまいたい。彼の脳内が透けて見える。
口元がにやけた。なんだろう、図体がでかいのに、可愛いじゃないかと思ってしまった。
何か言ってやらないと、と思いついたときに、車内にアナウンスが流れた。停まったことへのお詫びと、今から運行を再開するむねが伝えられると、乗客が沸いた。電車が動き出すとパラパラと拍手が鳴った。
数分後、無事駅に到達し、開いた扉から吐き出されていく人々。俺も、降りる駅だ。流れに乗ってホームに降り立つと、振り向いて彼を見た。怯えた目で俺を見ていた。
「これ、借りてもいい?」
マフラーを指さして訊くと、放心状態で小さく「はい」と返事をした。
「また明日な」
手を振ると、ドアが閉まる。ガラス越しに手を振り返す男子高校生は、泣き顔で、笑っていた。
〈おわり〉
〈加賀編〉
今日は朝から天気が悪かった。風も強いし、雪が降りそうなほど寒い。と思っていたら本当に雪が降り出し、そのせいかはわからないが、電車が停まってしまった。
あと一駅なのに、とうんざりした。
普段は真冬でも暑い車内は、今日に限ってエアコンが故障しているらしく、乗ったときからすでに冷えていた。満員電車の人肌のおかげで、凍えるほどではないが、寒い。
動かない車内は、文句を言ったり、電話をかけたり、罵倒する乗客の声でざわついていた。小さく「さむっ」と声を漏らす。俺のコートはデザイン重視で防寒機能には優れていない。
体を小刻みに振動させ、寒さを紛らわせていると、「あの」と控えめな声が上から降ってきた。顔を上げると、学ランにダウンジャケットを羽織った男子高校生が、緊張した様子で俺を見ていた。
「寒い、ですか?」
俺のつぶやきが聞こえたらしい。電車が停まって手持ち無沙汰なのだろうか。満員電車で見知らぬ高校生が話しかけてきた。
この状況が面白くて、笑いながら身を揺すり「うん、寒い」と答えた。すると彼は、肩に担いでいたバッグを開けて、何かを取り出した。マフラーだ。
「これ、よかったら……」
「え?」
差し出されて困惑する。高い位置にある高校生の顔が「しまった」というふうに歪み、慌てて弁解を始めた。
「あの、これ、今朝、母が寒いからって渡してきて、手編みで、昨日完成して、だから一回も着けてないし、あの、綺麗です」
しどろもどろで一生懸命言葉を紡ぐ若者が、にわかに赤面した。
「すいません、気持ち悪いですよね」
「あー、待って」
いそいそとバッグに片付けようとするのを止めた。羞恥のせいか、涙目になっているのが可哀想で、見ていられなくなった。
「貸して」
手のひらを向けると、驚いた顔になった。恐る恐るマフラーを手渡してくる。
「これ手編み?」
「はい」
「お母さん、すごいね」
市販のものだと言われても信じる。色は奇抜なデザインだったが、ふわふわで温かそうだ。母の愛が詰まっている気がした。
「なんで着けないの?」
せっかく作ってくれたのに、どうしてバッグに片付けておくのだろうと思ったが、彼は硬い声で言った。
「そんなにも寒くなかったんで」
「え? 今日すげえ寒くない? 雪降ってるよ?」
言った途端、電車が風に押されてわずかに揺れた。
「寒くないです」
それだけは譲れないという強い意志を感じた。頑固な奴だな、と笑ってしまった。
「借りてもいいの? おっさん臭くなるかもしれないけど」
「えっ? おっさん?」
「加齢臭」
「いえ、そんなの、全然、あの、どうぞ」
首にマフラーを巻きつけてみると、一気に温かくなり、人心地がついた。
「おお、あったかい」
「よ」
高校生が、言葉を詰まらせる。
「よかった、です」
泣きそうだ。よくわからないが、何かに感動しているようにも見えた。下唇を噛んでから、唾を飲み込んだのがわかった。喉仏が上下する。泣くのを堪えている。
寒さに震える他人にマフラーを貸す行為が、高校生にとって相当勇気がいることなのはわかる。
普通、しない。よほど心根の優しい奴なのだろう。
「いい子だな、サンキュ」
顔を見上げて、勇気をたたえるつもりで、にこやかに笑ってみせた。
彼が息を呑んだのがわかった。それから自分の胸の辺りを鷲づかみにして、息苦しそうに吸ったり吐いたりしたあとで、真剣な顔で俺を見据え、口を開いた。
「好きです」
よく通る声が、騒々しい電車の中でひときわ大きく響いた。一瞬、しんと静まり返り、視線が集中する。我に返った彼は、自分の口から飛び出た科白に大層驚いていた。
青くなったと思ったら、赤くなった。大きな体を小さくして、俺から精一杯顔を背けてうつむいた。耳が赤い。首まで赤い。全部が赤い。
突然好きだと言われて、意味がわからずに、赤く染まった彼をぼんやりと見上げる。
初対面のはずだ。今、このちょっとしたやり取りで、いきなり俺に惚れたのか、それともずっと前から、俺を見ていた?
ぞく、ときた。
嫌悪じゃない。
むしろ逆の、気持ちのいい、ぞく、だ。
恥ずかしくて消えてしまいたい。彼の脳内が透けて見える。
口元がにやけた。なんだろう、図体がでかいのに、可愛いじゃないかと思ってしまった。
何か言ってやらないと、と思いついたときに、車内にアナウンスが流れた。停まったことへのお詫びと、今から運行を再開するむねが伝えられると、乗客が沸いた。電車が動き出すとパラパラと拍手が鳴った。
数分後、無事駅に到達し、開いた扉から吐き出されていく人々。俺も、降りる駅だ。流れに乗ってホームに降り立つと、振り向いて彼を見た。怯えた目で俺を見ていた。
「これ、借りてもいい?」
マフラーを指さして訊くと、放心状態で小さく「はい」と返事をした。
「また明日な」
手を振ると、ドアが閉まる。ガラス越しに手を振り返す男子高校生は、泣き顔で、笑っていた。
〈おわり〉
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