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妄想腐女子
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私は腐女子である。
歴はまだ浅い。
好きなアニメの二次創作ものにうっかりハマったのがきっかけだが、現在は一次創作に興味が移行している。
萌えの伝道師たちによって新たに生み出されたオリジナルのキャラクターは、二次創作とはまた一味違った良さがある。
こんな世界があるのかと思った。
知れば知るほど味わい深く、果てしなく広がる萌えの大地。
同人誌を買い漁り、商業、同人、問わずにすぐに飛びついた。
とりあえずなんでも口に入れてみる。そして咀嚼してみる。今までに、吐き出したことは一度もない。なんでも美味しく食べられる。
私には、いわゆる地雷というものがないのだとやんわりと気づく。おかげで腐女子生活が楽しくて仕方がなかった。
今日も今日とて本屋のBLコーナーを眺めていた。平積みされた新刊を一冊、二冊と脇に抱えニヤついていると、隣に大きな人影が現れた。ぎく、として身がすくむ。男の人だ。
ここはボーイズがラブする漫画のコーナーですよと心の中で忠告し、そそくさと距離を置く。単に間違えたのか、ただの興味本位か。ほんの数メートル先から彼の動向を見守っていた。
彼の手が、迷いなく一冊の新刊をつかんだ。私がすでに脇に抱えているものと同じ、ろっこ先生の本だ。
腐男子だろうか。
「加賀さん、ありましたよ」
彼に呼ばれ、男性が隣に並ぶ。うわっと声が出るところだった。慌てて口を抑えた。
サラサラな黒髪に、整った顔の部品、黒いジャケットから伸びるスキニージーンズを履いた脚は、細くて長い。洗練された雰囲気だ。
「全私が泣いた、切なさ100パーセント、だって。なんじゃそら」
平積みされているろっこ先生の新刊についたポップを、彼が読み上げた。この本屋のBLコーナーは、いつもポップが少し空回りをしている。でも愛は感じるので、私は気に入っている。
「どうする? 二冊買う?」
「買いましょう。そしたら一緒に読めるし」
耳を疑った。
腐男子が確定したとして、一緒に読むとは?
息を荒くして二人を凝視する。
「よーいどんで読む?」
「よーいどんで読みたいです」
ぐっ、と喉が詰まった。
待って、可愛い。
身震いが抑えきれない。ガクガクと膝が笑いだす。
「じゃあ二冊買うか。他になんか買う?」
「あ、じゃあバスケの雑誌、見ときたいです」
ろっこ先生の新刊を二冊手に取って、二人が並んで移動する。私はハアハア言いながら、彼らの後ろを尾行した。
なんだろう、すごくいい。
大きいほうの子は、高校生か大学生か、若い感じだが、とにかく長身だ。バスケの雑誌、と言っていたからきっとバスケをしているのだろう。
もう一人の男性との身長差が、ものすごく滾る。
少し見上げる感じで話しかけているのが、可愛い。
現実に、こんな二人を見られるなんて。ラッキーにもほどがある。人生の運を使い果たしたかもしれない。
バスケ雑誌の棚を見ている二人の背後で、犬の雑誌を手に取った。そして、チラチラと肩越しに振り返り、盗み見る。
「欲しいなら買えば?」
「うーん、まだシーズン始まってないんで、買うならもうちょっと後ですね」
あれ? と、首をひねる。
二人を見ていると、何か、既視感を感じた。
どこかで会ったことがあっただろうか、と考える。
誰だっけ、誰だっけ、と脳内を掻き回していると、隣に人が立ち、私が読んでいるものと同じ雑誌を手に取った。
ふわ、といい香りがして、思わず目を向ける。そして、息を呑む。
片割れの、美形だ。
犬の雑誌の中でもマニアックな柴犬専門の雑誌なのだが、彼がこれをチョイスしたのが妙に嬉しくて、心の中で「柴犬いいですよねっ」と声を弾ませた。
それにしてもいい男だな、と息を殺しながら隣を何度も見ていると、彼が口の端を持ち上げて、にこりと微笑んだ。
犬の雑誌を見て、優しそうに笑うイケメン。
うわーうわー。
腰の辺りがぞくぞくする。歯を食いしばって、いろんな感情を飲み込んだ。
「犬ですか?」
「うん、柴犬」
彼の背後から覗き込む長身のバスケ男子。
「あ、この子可愛い」
「この黒いの?」
「なんか加賀さんみたい。可愛い」
「なんでだよ」
はは、とのんきに笑う彼につられて、私も内心で激しく「なんでだよっ!」とツッコミを入れた。
「あー、すげえ癒される。見ろよこれ、子犬、可愛すぎだろ」
「加賀さんのほうが可愛いです」
子犬にメロメロになる彼の耳元で、後ろから囁いた小さな声が、私にも聞こえてしまった。
私は一言も声を漏らさず、息を止め、唇をわななかせた。
自分で自分を褒めてやりたい。
よく耐えた。
「はいはい」
適当に流して、雑誌を棚に戻す彼の手に、目が奪われた。左手の薬指に指輪をはめている。ハッとなって、もう一人の彼を見る。
ろっこ先生の本を二冊、鷲づかみにしている大きな手。やはり薬指にはシルバーのリングが見えた。
そうだ。
天啓のように閃いた。
どこかで彼らに会っている、と感じた既視感。
この二人は、私が大好きな同人漫画家の一人、むつのはなさんの「電車の男」シリーズの登場人物に似ているのだ。
高校二年生の男子高校生が、電車の中で年上の社会人に一目惚れをするというオリジナル漫画だが、作中の二人も付き合ってから数年後に、お揃いのペアリングをつけるようになった。
バスケをしていて背が高く、敬語を使う童顔の男の子。
笑顔の優しい、美しい黒髪の、細身の美形。
身長差と、歳の差と、二人が醸し出す雰囲気と。外見も、漫画からそのまま飛び出してきたようだ。
似ているとかいうレベルじゃなく、もはや本人たちだ。
夢を見ているのだろうか。
それとも、まぼろしか。
目をこする。頬をつねる。
現実だし、私は起きている。
二人はちゃんと、目の前に存在している。
レジを済ませ、店を出ようとする二人の背中を、我知らず、拝んでいた。
ありがたや。
自動ドアの向こう側で、黒い車に乗り込む二人が見えた。そこで私はまたしても、激しく混乱することになる。
彼らが乗り込んだ車は、黒いフェアレディZだった。私は車に詳しくない。でも、この車種だけは自信を持って見分けることができる。「電車の男」に出てくるからだ。
本当に、まるっきり、そっくりだ。
唖然とする。彼らはやっぱり、電車の二人だ。
震えが止まらない。胸が熱くなり、目の奥がジンとなる。
いつもあなたたち二人を応援してます、大好きです、と喉の奥で絶叫する。
実在の人物をモデルに漫画を描いたのではないかという仮定に辿り着いたのは、それから数日後のことだった。
むしろそっちのほうが現実的なのに、なぜか「漫画から飛び出してきた」と信じて疑わなかった。
間抜けだなあ、と笑ってしまうが、それでいいのだ。
腐女子とは、常に妄想する生き物。
私は今日も明日もこれからも、彼らの幸せな日常を、妄想する。
〈おわり〉
歴はまだ浅い。
好きなアニメの二次創作ものにうっかりハマったのがきっかけだが、現在は一次創作に興味が移行している。
萌えの伝道師たちによって新たに生み出されたオリジナルのキャラクターは、二次創作とはまた一味違った良さがある。
こんな世界があるのかと思った。
知れば知るほど味わい深く、果てしなく広がる萌えの大地。
同人誌を買い漁り、商業、同人、問わずにすぐに飛びついた。
とりあえずなんでも口に入れてみる。そして咀嚼してみる。今までに、吐き出したことは一度もない。なんでも美味しく食べられる。
私には、いわゆる地雷というものがないのだとやんわりと気づく。おかげで腐女子生活が楽しくて仕方がなかった。
今日も今日とて本屋のBLコーナーを眺めていた。平積みされた新刊を一冊、二冊と脇に抱えニヤついていると、隣に大きな人影が現れた。ぎく、として身がすくむ。男の人だ。
ここはボーイズがラブする漫画のコーナーですよと心の中で忠告し、そそくさと距離を置く。単に間違えたのか、ただの興味本位か。ほんの数メートル先から彼の動向を見守っていた。
彼の手が、迷いなく一冊の新刊をつかんだ。私がすでに脇に抱えているものと同じ、ろっこ先生の本だ。
腐男子だろうか。
「加賀さん、ありましたよ」
彼に呼ばれ、男性が隣に並ぶ。うわっと声が出るところだった。慌てて口を抑えた。
サラサラな黒髪に、整った顔の部品、黒いジャケットから伸びるスキニージーンズを履いた脚は、細くて長い。洗練された雰囲気だ。
「全私が泣いた、切なさ100パーセント、だって。なんじゃそら」
平積みされているろっこ先生の新刊についたポップを、彼が読み上げた。この本屋のBLコーナーは、いつもポップが少し空回りをしている。でも愛は感じるので、私は気に入っている。
「どうする? 二冊買う?」
「買いましょう。そしたら一緒に読めるし」
耳を疑った。
腐男子が確定したとして、一緒に読むとは?
息を荒くして二人を凝視する。
「よーいどんで読む?」
「よーいどんで読みたいです」
ぐっ、と喉が詰まった。
待って、可愛い。
身震いが抑えきれない。ガクガクと膝が笑いだす。
「じゃあ二冊買うか。他になんか買う?」
「あ、じゃあバスケの雑誌、見ときたいです」
ろっこ先生の新刊を二冊手に取って、二人が並んで移動する。私はハアハア言いながら、彼らの後ろを尾行した。
なんだろう、すごくいい。
大きいほうの子は、高校生か大学生か、若い感じだが、とにかく長身だ。バスケの雑誌、と言っていたからきっとバスケをしているのだろう。
もう一人の男性との身長差が、ものすごく滾る。
少し見上げる感じで話しかけているのが、可愛い。
現実に、こんな二人を見られるなんて。ラッキーにもほどがある。人生の運を使い果たしたかもしれない。
バスケ雑誌の棚を見ている二人の背後で、犬の雑誌を手に取った。そして、チラチラと肩越しに振り返り、盗み見る。
「欲しいなら買えば?」
「うーん、まだシーズン始まってないんで、買うならもうちょっと後ですね」
あれ? と、首をひねる。
二人を見ていると、何か、既視感を感じた。
どこかで会ったことがあっただろうか、と考える。
誰だっけ、誰だっけ、と脳内を掻き回していると、隣に人が立ち、私が読んでいるものと同じ雑誌を手に取った。
ふわ、といい香りがして、思わず目を向ける。そして、息を呑む。
片割れの、美形だ。
犬の雑誌の中でもマニアックな柴犬専門の雑誌なのだが、彼がこれをチョイスしたのが妙に嬉しくて、心の中で「柴犬いいですよねっ」と声を弾ませた。
それにしてもいい男だな、と息を殺しながら隣を何度も見ていると、彼が口の端を持ち上げて、にこりと微笑んだ。
犬の雑誌を見て、優しそうに笑うイケメン。
うわーうわー。
腰の辺りがぞくぞくする。歯を食いしばって、いろんな感情を飲み込んだ。
「犬ですか?」
「うん、柴犬」
彼の背後から覗き込む長身のバスケ男子。
「あ、この子可愛い」
「この黒いの?」
「なんか加賀さんみたい。可愛い」
「なんでだよ」
はは、とのんきに笑う彼につられて、私も内心で激しく「なんでだよっ!」とツッコミを入れた。
「あー、すげえ癒される。見ろよこれ、子犬、可愛すぎだろ」
「加賀さんのほうが可愛いです」
子犬にメロメロになる彼の耳元で、後ろから囁いた小さな声が、私にも聞こえてしまった。
私は一言も声を漏らさず、息を止め、唇をわななかせた。
自分で自分を褒めてやりたい。
よく耐えた。
「はいはい」
適当に流して、雑誌を棚に戻す彼の手に、目が奪われた。左手の薬指に指輪をはめている。ハッとなって、もう一人の彼を見る。
ろっこ先生の本を二冊、鷲づかみにしている大きな手。やはり薬指にはシルバーのリングが見えた。
そうだ。
天啓のように閃いた。
どこかで彼らに会っている、と感じた既視感。
この二人は、私が大好きな同人漫画家の一人、むつのはなさんの「電車の男」シリーズの登場人物に似ているのだ。
高校二年生の男子高校生が、電車の中で年上の社会人に一目惚れをするというオリジナル漫画だが、作中の二人も付き合ってから数年後に、お揃いのペアリングをつけるようになった。
バスケをしていて背が高く、敬語を使う童顔の男の子。
笑顔の優しい、美しい黒髪の、細身の美形。
身長差と、歳の差と、二人が醸し出す雰囲気と。外見も、漫画からそのまま飛び出してきたようだ。
似ているとかいうレベルじゃなく、もはや本人たちだ。
夢を見ているのだろうか。
それとも、まぼろしか。
目をこする。頬をつねる。
現実だし、私は起きている。
二人はちゃんと、目の前に存在している。
レジを済ませ、店を出ようとする二人の背中を、我知らず、拝んでいた。
ありがたや。
自動ドアの向こう側で、黒い車に乗り込む二人が見えた。そこで私はまたしても、激しく混乱することになる。
彼らが乗り込んだ車は、黒いフェアレディZだった。私は車に詳しくない。でも、この車種だけは自信を持って見分けることができる。「電車の男」に出てくるからだ。
本当に、まるっきり、そっくりだ。
唖然とする。彼らはやっぱり、電車の二人だ。
震えが止まらない。胸が熱くなり、目の奥がジンとなる。
いつもあなたたち二人を応援してます、大好きです、と喉の奥で絶叫する。
実在の人物をモデルに漫画を描いたのではないかという仮定に辿り着いたのは、それから数日後のことだった。
むしろそっちのほうが現実的なのに、なぜか「漫画から飛び出してきた」と信じて疑わなかった。
間抜けだなあ、と笑ってしまうが、それでいいのだ。
腐女子とは、常に妄想する生き物。
私は今日も明日もこれからも、彼らの幸せな日常を、妄想する。
〈おわり〉
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