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のろける
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※この話は「泥酔LOVER」に出てきた飲み会のお話です。
〈後藤編〉
テーブルに料理が並び、全員にアルコールが行き届く。乾杯、お疲れ様、と声を交わす。
「久々だね、このメンバーで飲み会」
前畑が言った。
「気心知れた仲間同士だから、落ち着きますねぇ」
高橋君が言った。
「やべえ、この小籠包すげえ美味い」
加賀君が言った。
「ね、この店にしてよかったでしょ」
千葉君が言った。
グラスの半分までビールを飲んだところで、一息ついてから、訊いた。
「で、なんで千葉君がいるの?」
「えっ、ダメですか? 俺も混ぜてください、お願いします」
千葉君が両手を顔の前で握り合わせ、懇願のポーズをする。
「駄目じゃないよ。ただ、他部署なのになんでかなって思っただけ。誰が誘ったの? 加賀君?」
「前畑さんです」
千葉君が前畑に手のひらを向けて言った。
「何、なんで? そんな仲良かった?」
「あっ、もしかして、浮気ですか?」
高橋君がヘラヘラ笑いながら訊いた。前畑は澄ました顔で「私は加賀君一筋だから」と言った。
「ていうか誘ってないからね。いい店知らないかって訊いただけなのに、勝手についてきたんだよ」
前畑が言うと、千葉君が「勝手に」と寂しそうに眉を下げた。
「俺たち仲間じゃないですか。名付けてチーム加賀です」
「何それ」
加賀君が吹き出した。
「だって、全員加賀さんが好きでしょ」
「待って、あんた加賀君が好きなの?」
千葉君が箸を伸ばしたタイミングで、前畑がターンテーブルを回した。行き場を失った箸で虚空をつかむ動作をしながら千葉君が簡単に答えた。
「好きですよ」
前畑が口元をぴくぴくさせた。にやけたいのを我慢している。
「むしろ嫌いな人います?」
「まあ、いないよね」
「いないです」
前畑と高橋君が頷き合う。
「普通、女性に好かれたら反感を買うんですよ、男から」
千葉君は得意げに「俺のように」と付け足した。
「でも加賀さんは男からも好かれてる。上層部から可愛がられ、同僚からは認められ、後輩からも慕われる。仕事ができて、社内の評価がすこぶる高い。俺は加賀さんのような男になりたい」
「かゆっ」
加賀君が顔をゆがめて首を掻く。
「過大評価すぎて痒いんだけど。俺ただのおっさんだからな?」
「これ! これよ、わかる?」
前畑がカラになったグラスを勢いよくテーブルに置いて、わめく。
「千葉は加賀君のこの謙虚な姿勢を見習いなさい」
「謙虚」
難しい顔で腕を組んで、千葉君がつぶやいた。
「そうか、俺に足りないのは謙虚さか」
謙虚、謙虚、と繰り返している。そういうのは身についてしまっているもので、大人になってからコントロールできるものでもない、と思ったが黙っていた。
「そんなことより」
前畑がカラになったグラスにビールを注ぐと、目をギラギラとさせて加賀君のほうに身を乗り出した。
「のろけが聞きたいな」
「あ、賛成」
あんかけチャーハンを取り分けながら、軽く手を挙げて加賀君を見る。
「僕も聞きたいです」
高橋君も手を挙げたが、千葉君は乗り気じゃないのか動かない。基本、千葉君は自分が大好きで、他人の恋愛には興味がないタイプだ。
前畑が鋭い音で舌を打ち、お前も手を挙げろと目だけで脅す。千葉君は操られるように手を挙げた。
「うん、のろけないよ」
私の手渡したチャーハンを受け取ると、加賀君が肩をすくめて苦笑いをする。
「なんで? もしかして上手くいってないとか」
前畑がハッと息を飲んで、口を手で覆った。
「それはない。すげえラブラブ」
今のも充分のろけだ。前畑が下唇を噛んで、必死でニヤニヤを封印している。加賀君の無意識ののろけを引き出すのはわりと簡単なのだ。
「なんだ、てっきり喧嘩でもしたのかと思った」
さりげなく揺さぶりをかける私を、加賀君は大口でチャーハンを掻き込みながら、上目遣いで見る。この人は綺麗な顔に似合わず、食べ方が男らしい。以前、前畑がこのギャップがたまらない、と騒いでいた。
「喧嘩はしないよ。あいつすげえいい子だし。なんの不満もない。完璧」
うんうん、と一同が揃って首を縦に振る。全員の顔を見回して、加賀君が念を押した。
「のろけないからな」
「うん、ねえ、このチャーハン美味しいね。七世君の作ったのとどっちが美味しい?」
私の質問に、加賀君が一呼吸の間も置かず、「倉知君」と当然のように言った。前畑が歯を食いしばっている。テーブルの下で、自分の手の甲をつねっているのが見えた。そうしないと腐女子の暴走が始まるのだろう。
「どこで何食っても倉知君が作るやつのが美味いんだよ」
「ごっ、ごちそうさまです!」
前畑がガタガタと椅子を鳴らして大喜びしている。
「いやいや、これ別にのろけじゃないよ? 倉知君が料理上手いのは事実だから」
「こういう、餃子とかも作れちゃうんですか?」
高橋君がギョーザを食べながら訊いた。
「皮から作るよ、あいつ」
加賀君はどこか誇らしげだ。確かに、誇ってもいいと思う。うちは当然というか市販の皮だ。皮を作るなんて発想は抱いたことがない。
「皮」
不思議そうにぼんやりつぶやく高橋君に、前畑がにこっと笑みを投げかけた。よくやった、と心の声が聞こえてきそうだ。
「同棲してたらやっぱり家事の分担とかしてます?」
千葉君が訊いた。のろけを引き出そうとしているのではなく、ただの疑問だったようだ。
「前に同棲してた子、料理も掃除も下手で、全部俺がやってたんですよ」
と愚痴った。
「一応分担したけどいつの間にかほとんどやってるね、倉知君が」
「それ、まずいですよ。そんな任せっきりだといつか愛想つかされて出てっちゃいますからね」
千葉君の警告に、加賀君はビールに口をつけて「マジかあ」とのほほんとして笑った。
「馬鹿千葉! 千葉馬鹿! 七世君はね、加賀君の面倒見るのが幸せなの!」
前畑が決めつけてうっとりする。でもわかる。多分、それが正解だ。掃除と洗濯をこなし、完璧な料理で帰宅する夫を出迎える妻。という立ち位置に収まるのは、やぶさかではないはずだ。
「まあ、そういう感じのことはたまに言うけどね」
「言っちゃうの? 七世君たら、可愛いんだから!」
「うん、可愛いんだよ」
加賀君がビールを飲み干してグラスを置くと、前畑がニヤニヤしながらすかさず注ぎ足した。もしかしたら酔わせてのろけを引き出す作戦かもしれないが、加賀君はビールだけじゃ酔わない。酔ったら何をどこまで喋ってくれるのか、興味はある。
こうなったらとことん酔わせてみるか、とメニューを手に取り、アルコールのページに目を落とす。一通りは揃っているようだが、気になったのは紹興酒だった。よくわからないが種類が多い。
「紹興酒頼もうかな。飲む人」
メニューから顔を上げて募ると、加賀君を除く全員が手を挙げた。
「加賀君、飲まないの?」
「うん、俺もう帰りたい」
「えっ」
「やだー!」
「はあ?」
「もう!?」
一斉にブーイングが起きた。
「みんなが倉知君のことばっか言うから、顔見たくなった。どうしてくれんだよ」
こいつは……。胸を抑えてときめきを押し殺す。いつからそんな可愛い発言を堂々とするようになったのだ。酔っているわけじゃなさそうだが、そういえばさっきから結構のろけている。シラフでものろけたくなるほど七世君が好きで堪らないのだろう。
「生きててよかった……」
前畑が顔面を覆ってハアハア言っている。
「とにかく、紹興酒ボトルで頼むから」
私が店員を呼ぶと、みんな調子に乗ってそれぞれ日本酒やらハイボールやらを注文し、テーブルの上は酒類で埋め尽くされた。
それから食べて飲んで、笑って喋って大いに盛り上がった。飲まないと言ったくせに、いつの間にか紹興酒やその他もろもろに手をつけた加賀君は、次第におかしくなっていった。私を含めた全員が、寄ってたかって七世君の話題を振り、その都度ためらわずに大いにのろけてくれたのだが、やがてホームシック状態に陥ったのだ。
「倉知君に会いたい」
泣く寸前だ。前畑は母性本能をくすぐられたような顔をして、千葉君は笑いを堪え、高橋君はすでに酔い潰れてテーブルに突っ伏していた。
「今すぐ会いたい」
「うん……、うん……!」
前畑が涙ぐんで何度もうなずいている。感情移入しすぎだ。
「加賀君、いいこと教えてあげるね。こういうときはね、写真だよ」
「写真?」
目元をぬぐって加賀君が訊き返す。
「携帯で撮った画像とかないんですか?」
千葉君が訊くと、ハッと気づいた顔になって、花が咲いたように笑った。
「そうだ、写真だ。写真で我慢しよう」
いそいそと携帯電話を取り出して、操作し始めた。その隙に三人で顔を寄せ合い、打ち合わせをする。
「確認ですけど、これ、加賀さん、酔ってますよね」
「うん、珍しいけどかなり酔ってる。可愛いすぎて死ねる」
「ねえ、もう七世君のとこに帰してあげない?」
とっくに日付けも変わっている。衝立があるだけの半個室で、人の気配をなんとなく感じることができるが、おそらく客は私たちだけになっている。
「待ってよ、もうちょっと堪能させて」
前畑が慌てて止めた。
「俺ももう少し見てたいです、面白いんで」
千葉君が人の悪い笑みを浮かべて言った。薄情な奴らめ。
充分、収穫はあった。酔った加賀君が七世君を可愛い可愛いと連呼し、毎朝いってらっしゃいのキスをしていることまで聞き出せたのだ。これ以上何を望むのか。
「なあなあ、これ見てこれ」
加賀君が携帯画面を向けて私たちのほうに差し出してきた。
「めっちゃ可愛くない?」
どれ、と三人が覗き込む。携帯の画面には七世君が映っていた。なぜか、巨大なクマのぬいぐるみを膝に乗せていて、恥ずかしげにはにかんでいる。確かに、可愛い。
「いやーっ、何これ、どういうこと? 可愛いすぎる!」
前畑が絶叫し、千葉君は引いている。
「これ車内ですか? 何撮ってんですか? 倉知君てこういう趣味? なんでクマ?」
「あ、まずい。これ誰にも見せないって約束したんだった」
加賀君が思い出したように言った。
「つーわけで、今からお前らの記憶を消す。いいな?」
真顔で言うから一体今から何が行われるのか、と三人同時にポカンとなった。
「あー、アレどこいった。誰かアレ持ってない?」
ワイシャツの胸ポケットを叩きながら加賀君が言った。
「あれって?」
私が訊くと、「ピカッて光るやつ」と満面の笑みで答えた。
「宇宙人見ちゃった一般人の記憶消すアレだよ、アレ」
どうやら映画の話らしい。
「加賀君、帰り大丈夫? 送っていかなくて平気?」
心配になって訊いた。加賀君は「大丈夫だよ」と、両肩をすくめて手のひらを上に向け、外国人のようなジェスチャーをして見せた。
「だってほら」
そう言って指さしたほうに、トイレのドアがある。
「あれ、どこでもドアだろ?」
これは駄目だ。三人が脳内で同じことを思ったに違いない。
もうお開きにしよう、ということになった。
「俺、マンションまで送りましょうか」
千葉君が名乗りを上げたが、加賀君が頑として大丈夫と言い張った。
スーツの上着を羽織りながら、泥酔状態だったのが嘘のように頼もしく微笑み、千葉君の肩を叩いた。
「お前は高橋を頼む」
高橋君は小柄だが、かといって女二人で引きずって帰るのもつらいものがある。酔っていても加賀君は加賀君だ。ちゃんと状況を見ているのだ。
料金の支払いを済ませ、店を出ると、呼んでおいたタクシーが二台、停まっていた。
一台に前畑と、高橋君を抱えた千葉君の三人が乗り込んだ。
「倉知君、呼んだら迎えに来てくれませんか?」
名案を思いついたような顔で千葉君が言ったが、加賀君がすぐに「バーロー」と某探偵の口調を真似て頭を小突いた。
「倉知君はねんねしてるの。起こしたら可哀想だろ」
「は、はあ」
千葉君はいまいち判断がつかないようだが、加賀君はめちゃくちゃ酔っている。
三人を乗せたタクシーが走り去ると、もう一台の後部座席のドアが開く。
「やっぱり、送ってこうか」
もうすぐ旦那が車で迎えに来てくれる。我が家と加賀君のマンションは、反対方向ではある。でも送り届けたほうが安心できる。
「めぐみさん、俺そんな酔ってないよ」
「かなり酔ってるよ。自覚しなさい」
スーツの襟が片方立ち上がった状態だ。それを直してから、加賀君の体をタクシーに押し込んだ。
「じゃあね、おやすみ」
「ん、おやすみ」
ドアが閉まると、窓ガラスに張りついた加賀君が、無邪気に笑って手を振った。手を振り返し、思わず顔がほころんだ。
今年三十路だというのに、まるっきり、子どもの笑顔だった。
〈おわり〉
〈後藤編〉
テーブルに料理が並び、全員にアルコールが行き届く。乾杯、お疲れ様、と声を交わす。
「久々だね、このメンバーで飲み会」
前畑が言った。
「気心知れた仲間同士だから、落ち着きますねぇ」
高橋君が言った。
「やべえ、この小籠包すげえ美味い」
加賀君が言った。
「ね、この店にしてよかったでしょ」
千葉君が言った。
グラスの半分までビールを飲んだところで、一息ついてから、訊いた。
「で、なんで千葉君がいるの?」
「えっ、ダメですか? 俺も混ぜてください、お願いします」
千葉君が両手を顔の前で握り合わせ、懇願のポーズをする。
「駄目じゃないよ。ただ、他部署なのになんでかなって思っただけ。誰が誘ったの? 加賀君?」
「前畑さんです」
千葉君が前畑に手のひらを向けて言った。
「何、なんで? そんな仲良かった?」
「あっ、もしかして、浮気ですか?」
高橋君がヘラヘラ笑いながら訊いた。前畑は澄ました顔で「私は加賀君一筋だから」と言った。
「ていうか誘ってないからね。いい店知らないかって訊いただけなのに、勝手についてきたんだよ」
前畑が言うと、千葉君が「勝手に」と寂しそうに眉を下げた。
「俺たち仲間じゃないですか。名付けてチーム加賀です」
「何それ」
加賀君が吹き出した。
「だって、全員加賀さんが好きでしょ」
「待って、あんた加賀君が好きなの?」
千葉君が箸を伸ばしたタイミングで、前畑がターンテーブルを回した。行き場を失った箸で虚空をつかむ動作をしながら千葉君が簡単に答えた。
「好きですよ」
前畑が口元をぴくぴくさせた。にやけたいのを我慢している。
「むしろ嫌いな人います?」
「まあ、いないよね」
「いないです」
前畑と高橋君が頷き合う。
「普通、女性に好かれたら反感を買うんですよ、男から」
千葉君は得意げに「俺のように」と付け足した。
「でも加賀さんは男からも好かれてる。上層部から可愛がられ、同僚からは認められ、後輩からも慕われる。仕事ができて、社内の評価がすこぶる高い。俺は加賀さんのような男になりたい」
「かゆっ」
加賀君が顔をゆがめて首を掻く。
「過大評価すぎて痒いんだけど。俺ただのおっさんだからな?」
「これ! これよ、わかる?」
前畑がカラになったグラスを勢いよくテーブルに置いて、わめく。
「千葉は加賀君のこの謙虚な姿勢を見習いなさい」
「謙虚」
難しい顔で腕を組んで、千葉君がつぶやいた。
「そうか、俺に足りないのは謙虚さか」
謙虚、謙虚、と繰り返している。そういうのは身についてしまっているもので、大人になってからコントロールできるものでもない、と思ったが黙っていた。
「そんなことより」
前畑がカラになったグラスにビールを注ぐと、目をギラギラとさせて加賀君のほうに身を乗り出した。
「のろけが聞きたいな」
「あ、賛成」
あんかけチャーハンを取り分けながら、軽く手を挙げて加賀君を見る。
「僕も聞きたいです」
高橋君も手を挙げたが、千葉君は乗り気じゃないのか動かない。基本、千葉君は自分が大好きで、他人の恋愛には興味がないタイプだ。
前畑が鋭い音で舌を打ち、お前も手を挙げろと目だけで脅す。千葉君は操られるように手を挙げた。
「うん、のろけないよ」
私の手渡したチャーハンを受け取ると、加賀君が肩をすくめて苦笑いをする。
「なんで? もしかして上手くいってないとか」
前畑がハッと息を飲んで、口を手で覆った。
「それはない。すげえラブラブ」
今のも充分のろけだ。前畑が下唇を噛んで、必死でニヤニヤを封印している。加賀君の無意識ののろけを引き出すのはわりと簡単なのだ。
「なんだ、てっきり喧嘩でもしたのかと思った」
さりげなく揺さぶりをかける私を、加賀君は大口でチャーハンを掻き込みながら、上目遣いで見る。この人は綺麗な顔に似合わず、食べ方が男らしい。以前、前畑がこのギャップがたまらない、と騒いでいた。
「喧嘩はしないよ。あいつすげえいい子だし。なんの不満もない。完璧」
うんうん、と一同が揃って首を縦に振る。全員の顔を見回して、加賀君が念を押した。
「のろけないからな」
「うん、ねえ、このチャーハン美味しいね。七世君の作ったのとどっちが美味しい?」
私の質問に、加賀君が一呼吸の間も置かず、「倉知君」と当然のように言った。前畑が歯を食いしばっている。テーブルの下で、自分の手の甲をつねっているのが見えた。そうしないと腐女子の暴走が始まるのだろう。
「どこで何食っても倉知君が作るやつのが美味いんだよ」
「ごっ、ごちそうさまです!」
前畑がガタガタと椅子を鳴らして大喜びしている。
「いやいや、これ別にのろけじゃないよ? 倉知君が料理上手いのは事実だから」
「こういう、餃子とかも作れちゃうんですか?」
高橋君がギョーザを食べながら訊いた。
「皮から作るよ、あいつ」
加賀君はどこか誇らしげだ。確かに、誇ってもいいと思う。うちは当然というか市販の皮だ。皮を作るなんて発想は抱いたことがない。
「皮」
不思議そうにぼんやりつぶやく高橋君に、前畑がにこっと笑みを投げかけた。よくやった、と心の声が聞こえてきそうだ。
「同棲してたらやっぱり家事の分担とかしてます?」
千葉君が訊いた。のろけを引き出そうとしているのではなく、ただの疑問だったようだ。
「前に同棲してた子、料理も掃除も下手で、全部俺がやってたんですよ」
と愚痴った。
「一応分担したけどいつの間にかほとんどやってるね、倉知君が」
「それ、まずいですよ。そんな任せっきりだといつか愛想つかされて出てっちゃいますからね」
千葉君の警告に、加賀君はビールに口をつけて「マジかあ」とのほほんとして笑った。
「馬鹿千葉! 千葉馬鹿! 七世君はね、加賀君の面倒見るのが幸せなの!」
前畑が決めつけてうっとりする。でもわかる。多分、それが正解だ。掃除と洗濯をこなし、完璧な料理で帰宅する夫を出迎える妻。という立ち位置に収まるのは、やぶさかではないはずだ。
「まあ、そういう感じのことはたまに言うけどね」
「言っちゃうの? 七世君たら、可愛いんだから!」
「うん、可愛いんだよ」
加賀君がビールを飲み干してグラスを置くと、前畑がニヤニヤしながらすかさず注ぎ足した。もしかしたら酔わせてのろけを引き出す作戦かもしれないが、加賀君はビールだけじゃ酔わない。酔ったら何をどこまで喋ってくれるのか、興味はある。
こうなったらとことん酔わせてみるか、とメニューを手に取り、アルコールのページに目を落とす。一通りは揃っているようだが、気になったのは紹興酒だった。よくわからないが種類が多い。
「紹興酒頼もうかな。飲む人」
メニューから顔を上げて募ると、加賀君を除く全員が手を挙げた。
「加賀君、飲まないの?」
「うん、俺もう帰りたい」
「えっ」
「やだー!」
「はあ?」
「もう!?」
一斉にブーイングが起きた。
「みんなが倉知君のことばっか言うから、顔見たくなった。どうしてくれんだよ」
こいつは……。胸を抑えてときめきを押し殺す。いつからそんな可愛い発言を堂々とするようになったのだ。酔っているわけじゃなさそうだが、そういえばさっきから結構のろけている。シラフでものろけたくなるほど七世君が好きで堪らないのだろう。
「生きててよかった……」
前畑が顔面を覆ってハアハア言っている。
「とにかく、紹興酒ボトルで頼むから」
私が店員を呼ぶと、みんな調子に乗ってそれぞれ日本酒やらハイボールやらを注文し、テーブルの上は酒類で埋め尽くされた。
それから食べて飲んで、笑って喋って大いに盛り上がった。飲まないと言ったくせに、いつの間にか紹興酒やその他もろもろに手をつけた加賀君は、次第におかしくなっていった。私を含めた全員が、寄ってたかって七世君の話題を振り、その都度ためらわずに大いにのろけてくれたのだが、やがてホームシック状態に陥ったのだ。
「倉知君に会いたい」
泣く寸前だ。前畑は母性本能をくすぐられたような顔をして、千葉君は笑いを堪え、高橋君はすでに酔い潰れてテーブルに突っ伏していた。
「今すぐ会いたい」
「うん……、うん……!」
前畑が涙ぐんで何度もうなずいている。感情移入しすぎだ。
「加賀君、いいこと教えてあげるね。こういうときはね、写真だよ」
「写真?」
目元をぬぐって加賀君が訊き返す。
「携帯で撮った画像とかないんですか?」
千葉君が訊くと、ハッと気づいた顔になって、花が咲いたように笑った。
「そうだ、写真だ。写真で我慢しよう」
いそいそと携帯電話を取り出して、操作し始めた。その隙に三人で顔を寄せ合い、打ち合わせをする。
「確認ですけど、これ、加賀さん、酔ってますよね」
「うん、珍しいけどかなり酔ってる。可愛いすぎて死ねる」
「ねえ、もう七世君のとこに帰してあげない?」
とっくに日付けも変わっている。衝立があるだけの半個室で、人の気配をなんとなく感じることができるが、おそらく客は私たちだけになっている。
「待ってよ、もうちょっと堪能させて」
前畑が慌てて止めた。
「俺ももう少し見てたいです、面白いんで」
千葉君が人の悪い笑みを浮かべて言った。薄情な奴らめ。
充分、収穫はあった。酔った加賀君が七世君を可愛い可愛いと連呼し、毎朝いってらっしゃいのキスをしていることまで聞き出せたのだ。これ以上何を望むのか。
「なあなあ、これ見てこれ」
加賀君が携帯画面を向けて私たちのほうに差し出してきた。
「めっちゃ可愛くない?」
どれ、と三人が覗き込む。携帯の画面には七世君が映っていた。なぜか、巨大なクマのぬいぐるみを膝に乗せていて、恥ずかしげにはにかんでいる。確かに、可愛い。
「いやーっ、何これ、どういうこと? 可愛いすぎる!」
前畑が絶叫し、千葉君は引いている。
「これ車内ですか? 何撮ってんですか? 倉知君てこういう趣味? なんでクマ?」
「あ、まずい。これ誰にも見せないって約束したんだった」
加賀君が思い出したように言った。
「つーわけで、今からお前らの記憶を消す。いいな?」
真顔で言うから一体今から何が行われるのか、と三人同時にポカンとなった。
「あー、アレどこいった。誰かアレ持ってない?」
ワイシャツの胸ポケットを叩きながら加賀君が言った。
「あれって?」
私が訊くと、「ピカッて光るやつ」と満面の笑みで答えた。
「宇宙人見ちゃった一般人の記憶消すアレだよ、アレ」
どうやら映画の話らしい。
「加賀君、帰り大丈夫? 送っていかなくて平気?」
心配になって訊いた。加賀君は「大丈夫だよ」と、両肩をすくめて手のひらを上に向け、外国人のようなジェスチャーをして見せた。
「だってほら」
そう言って指さしたほうに、トイレのドアがある。
「あれ、どこでもドアだろ?」
これは駄目だ。三人が脳内で同じことを思ったに違いない。
もうお開きにしよう、ということになった。
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千葉君が名乗りを上げたが、加賀君が頑として大丈夫と言い張った。
スーツの上着を羽織りながら、泥酔状態だったのが嘘のように頼もしく微笑み、千葉君の肩を叩いた。
「お前は高橋を頼む」
高橋君は小柄だが、かといって女二人で引きずって帰るのもつらいものがある。酔っていても加賀君は加賀君だ。ちゃんと状況を見ているのだ。
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一台に前畑と、高橋君を抱えた千葉君の三人が乗り込んだ。
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名案を思いついたような顔で千葉君が言ったが、加賀君がすぐに「バーロー」と某探偵の口調を真似て頭を小突いた。
「倉知君はねんねしてるの。起こしたら可哀想だろ」
「は、はあ」
千葉君はいまいち判断がつかないようだが、加賀君はめちゃくちゃ酔っている。
三人を乗せたタクシーが走り去ると、もう一台の後部座席のドアが開く。
「やっぱり、送ってこうか」
もうすぐ旦那が車で迎えに来てくれる。我が家と加賀君のマンションは、反対方向ではある。でも送り届けたほうが安心できる。
「めぐみさん、俺そんな酔ってないよ」
「かなり酔ってるよ。自覚しなさい」
スーツの襟が片方立ち上がった状態だ。それを直してから、加賀君の体をタクシーに押し込んだ。
「じゃあね、おやすみ」
「ん、おやすみ」
ドアが閉まると、窓ガラスに張りついた加賀君が、無邪気に笑って手を振った。手を振り返し、思わず顔がほころんだ。
今年三十路だというのに、まるっきり、子どもの笑顔だった。
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