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六花のはなし
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〈六花編〉
窓ガラスの向こうに、七世の姿が見えた。ほぼ同時にあっちも私に気づき、軽く手を上げて笑った。
店内に入ってくると、店員に待ち合わせです、と断りを入れてからこっちに駆けてきた。
「久しぶり」
少し照れくさそうにはにかみながら、向かい側の椅子を引いて腰を下ろす。
午後からの講義が休講になったから、一緒にランチをしないかと誘われた。加賀さんを誘えばいいのに、と言うと、仕事の邪魔をしたくない、と返ってきた。クソ真面目だ。
「みんな変わりない?」
「相変わらず平和。そっちも相変わらずラブラブみたいだね」
七世の左手の薬指に視線をやって、ニヤニヤする。
「加賀さん、会社に着けていきたいってぼやいてたよ」
七世の手を取って、指輪をグリグリといじりながら言った。
「加賀さんとよく会うの?」
私にされるがままの七世が、どこか拗ねたような表情で訊いた。
「まあね。昼の休憩時間かぶったときだけ」
加賀さんは営業職だから、毎日十二時ぴったりに昼休みを取れるわけじゃなく、仕事の切れ目が休憩時間なのだ。
「あんたの安否確認と萌えの補給のためなんだけど、変な心配してないよね?」
「してないよ。ただ羨ましいだけ。俺も加賀さんとランチしたい」
同棲しているくせに、何を言うか。にやける顔が戻らなくなりそうだ。自分の頬を軽くつねってから、七世にメニューを渡して「何食べる?」と訊いた。
「六花は何にした?」
「ドリア。オススメだよ」
「じゃあ俺も同じの」
店員を呼ぼうと振り向くと、目の前に現れた人物に視界を遮られた。目線を上に上げると、見知った男だった。
「六花ちゃん」
会社の先輩の、山中さんだ。彼もこの店の常連で、昼休みによく顔を合わせる。私はこの太った中年が苦手だった。どれだけ冷たくしても、めげずにうろちょろして、正直うざい。
「いつもの男は? 別れたの? それとも浮気?」
「は?」
「手なんか握っちゃって、親密そうじゃない。ただならぬ関係だね?」
勝手に勘違いして、勝手に幻滅している。山中さんは七世に人差し指を突きつけて言った。
「君、二股かけられてるよ。六花ちゃんは、いつもここで別の男と会ってるんだ」
「えっ……? あの、俺」
七世が困惑した様子で私を見た。
いい? 合わせて、とテレパシーを送る。七世は弟です、という言葉を飲み込んで、目顔でうなずいた。
「浮気じゃないですよ。この子もあの人も、両方本気で好きなんです」
七世の手を素早く握り、指輪を隠した。私がペアリングを着けていないと怪しまれる。
「三人で愛し合ってるから、浮気じゃないですよ。ね」
七世に同意を求めた。七世は嘘をつくのが下手だ。私の手に右手を重ねて、ヘラヘラと謎の笑みを浮かべた。吹き出しそうなのを必死で堪える。
「信じられない」
「何がですか?」
「君はそんな子じゃない」
「こんな女ですよ」
山中さんが悲しそうに眉を下げて、肩を落として去っていった。彼が店の外に出たのを見届けると、息を大きく吸って思い切り吐き出した。
「あー、スッキリした」
「あの人、会社の人?」
七世が険しい顔で訊いた。
「そ。なんかすごい私のこと好きみたいなんだよね」
店員を呼び止め、注文した後で、ごめんね、と謝った。
「実は加賀さんに、彼氏のふりしてもらったことあったんだ」
「ああ、だから二股」
「普通、あんなイケメンが彼氏なら、諦めるでしょ? でもあの人、めげないんだよね」
仕事に口を挟んできたり、先輩面をしてかっこつけてみたり、いつでも私の目の前をチョロチョロしている。
「大丈夫なの?」
七世は心配そうに眉間にシワを寄せた。
「別に、平気だよ。社内でもみんな私に同情してるし」
「変なこと、されない?」
「ストーカーとか? 今ので幻滅してくれたんじゃない?」
「よくも夢を壊してくれたな、とか言って、殺されたり」
七世はこの手のネガティブな妄想が得意だ。
「そういうのはないよ。ヘタレだもん。それにあの人、新入りキラーって呼ばれてて」
若くて初々しい新人が入ると、目をつけてアピールを始めるらしい。好意を隠さず、あわよくば惚れられるのを待っている、というめんどくさい人種だ。うっとうしくて辞める人もいるから、新入りキラーと呼ばれている。
「次に私より若い子が入れば、お払い箱だよ」
「それならいいけど」
二人分のドリアがくると、一緒に手を合わせていただきます、と声を揃えた。
「六花って、どういう人がタイプなの?」
スプーンでドリアをすくい、ふうふうしながら七世が訊いた。
「ぽっちゃりで脂ギッシュなアラフォー男じゃないことは確かだね」
「好きな人、いないの?」
七世が私の恋愛に興味を持っている。こそばゆい。
「今はいないよ。ちょっともう一回ふうふうして」
スマホを操作しながら言った。
「何?」
「いいから、ほら、冷まして冷まして。まだまだ熱いよ」
怪訝そうにしながらふうふうする七世を動画で撮影した。
「ちょ、なんで撮ったの?」
「可愛いからだよ。加賀さんに見せたげよう」
喜ぶだろうなあ、と加賀さんの反応を想像していると、七世が「ねえ」とため息をついた。
「俺たちのことより」
「人の恋愛でキャッキャウフフしてないで、自分の恋を探せとか、そういうこと言いたいんでしょ?」
先回りして言った。七世はドリアを一口食べてから、無言でうなずいた。
「好きな人ってのは無理やり探すものじゃないよね」
「でも、五月みたいに合コンでいい人見つかることも」
「七世は加賀さんを自然に好きになったよね。運命の相手がいるとしたら、がっつかなくてもいつか出会うよ」
私の科白に、七世は腑に落ちた顔で反論をやめた。運命の相手、という単語に舞い上がっている様子だ。たとえ運命の相手というものが誰にでも存在するとして、その人に出会えるかはまた別問題だし、私は自分にそんな相手がいるとは思っていない。夢見る年齢じゃないのだ。
「それに私は今すごく、忙しいんだよ。やりたいことがたくさんあって時間が足りないの。それも大事なことだと思わない?」
「そう……、だね。そうかもしれない、うん」
「だから今はとりあえず、頑張ってイチャイチャしてみせてね」
ニヤニヤしながら言うと、七世は呆れた顔で肩をすくめた。
彼氏に時間を割きたくない。人生は短い。有限の時間をいかに無駄にせず、効率よく萌えを表現できるか。今の私には自分の恋とか彼氏とかなんかより、そっちがもっとも重要な、生きる意味なのだ。
〈おわり〉
窓ガラスの向こうに、七世の姿が見えた。ほぼ同時にあっちも私に気づき、軽く手を上げて笑った。
店内に入ってくると、店員に待ち合わせです、と断りを入れてからこっちに駆けてきた。
「久しぶり」
少し照れくさそうにはにかみながら、向かい側の椅子を引いて腰を下ろす。
午後からの講義が休講になったから、一緒にランチをしないかと誘われた。加賀さんを誘えばいいのに、と言うと、仕事の邪魔をしたくない、と返ってきた。クソ真面目だ。
「みんな変わりない?」
「相変わらず平和。そっちも相変わらずラブラブみたいだね」
七世の左手の薬指に視線をやって、ニヤニヤする。
「加賀さん、会社に着けていきたいってぼやいてたよ」
七世の手を取って、指輪をグリグリといじりながら言った。
「加賀さんとよく会うの?」
私にされるがままの七世が、どこか拗ねたような表情で訊いた。
「まあね。昼の休憩時間かぶったときだけ」
加賀さんは営業職だから、毎日十二時ぴったりに昼休みを取れるわけじゃなく、仕事の切れ目が休憩時間なのだ。
「あんたの安否確認と萌えの補給のためなんだけど、変な心配してないよね?」
「してないよ。ただ羨ましいだけ。俺も加賀さんとランチしたい」
同棲しているくせに、何を言うか。にやける顔が戻らなくなりそうだ。自分の頬を軽くつねってから、七世にメニューを渡して「何食べる?」と訊いた。
「六花は何にした?」
「ドリア。オススメだよ」
「じゃあ俺も同じの」
店員を呼ぼうと振り向くと、目の前に現れた人物に視界を遮られた。目線を上に上げると、見知った男だった。
「六花ちゃん」
会社の先輩の、山中さんだ。彼もこの店の常連で、昼休みによく顔を合わせる。私はこの太った中年が苦手だった。どれだけ冷たくしても、めげずにうろちょろして、正直うざい。
「いつもの男は? 別れたの? それとも浮気?」
「は?」
「手なんか握っちゃって、親密そうじゃない。ただならぬ関係だね?」
勝手に勘違いして、勝手に幻滅している。山中さんは七世に人差し指を突きつけて言った。
「君、二股かけられてるよ。六花ちゃんは、いつもここで別の男と会ってるんだ」
「えっ……? あの、俺」
七世が困惑した様子で私を見た。
いい? 合わせて、とテレパシーを送る。七世は弟です、という言葉を飲み込んで、目顔でうなずいた。
「浮気じゃないですよ。この子もあの人も、両方本気で好きなんです」
七世の手を素早く握り、指輪を隠した。私がペアリングを着けていないと怪しまれる。
「三人で愛し合ってるから、浮気じゃないですよ。ね」
七世に同意を求めた。七世は嘘をつくのが下手だ。私の手に右手を重ねて、ヘラヘラと謎の笑みを浮かべた。吹き出しそうなのを必死で堪える。
「信じられない」
「何がですか?」
「君はそんな子じゃない」
「こんな女ですよ」
山中さんが悲しそうに眉を下げて、肩を落として去っていった。彼が店の外に出たのを見届けると、息を大きく吸って思い切り吐き出した。
「あー、スッキリした」
「あの人、会社の人?」
七世が険しい顔で訊いた。
「そ。なんかすごい私のこと好きみたいなんだよね」
店員を呼び止め、注文した後で、ごめんね、と謝った。
「実は加賀さんに、彼氏のふりしてもらったことあったんだ」
「ああ、だから二股」
「普通、あんなイケメンが彼氏なら、諦めるでしょ? でもあの人、めげないんだよね」
仕事に口を挟んできたり、先輩面をしてかっこつけてみたり、いつでも私の目の前をチョロチョロしている。
「大丈夫なの?」
七世は心配そうに眉間にシワを寄せた。
「別に、平気だよ。社内でもみんな私に同情してるし」
「変なこと、されない?」
「ストーカーとか? 今ので幻滅してくれたんじゃない?」
「よくも夢を壊してくれたな、とか言って、殺されたり」
七世はこの手のネガティブな妄想が得意だ。
「そういうのはないよ。ヘタレだもん。それにあの人、新入りキラーって呼ばれてて」
若くて初々しい新人が入ると、目をつけてアピールを始めるらしい。好意を隠さず、あわよくば惚れられるのを待っている、というめんどくさい人種だ。うっとうしくて辞める人もいるから、新入りキラーと呼ばれている。
「次に私より若い子が入れば、お払い箱だよ」
「それならいいけど」
二人分のドリアがくると、一緒に手を合わせていただきます、と声を揃えた。
「六花って、どういう人がタイプなの?」
スプーンでドリアをすくい、ふうふうしながら七世が訊いた。
「ぽっちゃりで脂ギッシュなアラフォー男じゃないことは確かだね」
「好きな人、いないの?」
七世が私の恋愛に興味を持っている。こそばゆい。
「今はいないよ。ちょっともう一回ふうふうして」
スマホを操作しながら言った。
「何?」
「いいから、ほら、冷まして冷まして。まだまだ熱いよ」
怪訝そうにしながらふうふうする七世を動画で撮影した。
「ちょ、なんで撮ったの?」
「可愛いからだよ。加賀さんに見せたげよう」
喜ぶだろうなあ、と加賀さんの反応を想像していると、七世が「ねえ」とため息をついた。
「俺たちのことより」
「人の恋愛でキャッキャウフフしてないで、自分の恋を探せとか、そういうこと言いたいんでしょ?」
先回りして言った。七世はドリアを一口食べてから、無言でうなずいた。
「好きな人ってのは無理やり探すものじゃないよね」
「でも、五月みたいに合コンでいい人見つかることも」
「七世は加賀さんを自然に好きになったよね。運命の相手がいるとしたら、がっつかなくてもいつか出会うよ」
私の科白に、七世は腑に落ちた顔で反論をやめた。運命の相手、という単語に舞い上がっている様子だ。たとえ運命の相手というものが誰にでも存在するとして、その人に出会えるかはまた別問題だし、私は自分にそんな相手がいるとは思っていない。夢見る年齢じゃないのだ。
「それに私は今すごく、忙しいんだよ。やりたいことがたくさんあって時間が足りないの。それも大事なことだと思わない?」
「そう……、だね。そうかもしれない、うん」
「だから今はとりあえず、頑張ってイチャイチャしてみせてね」
ニヤニヤしながら言うと、七世は呆れた顔で肩をすくめた。
彼氏に時間を割きたくない。人生は短い。有限の時間をいかに無駄にせず、効率よく萌えを表現できるか。今の私には自分の恋とか彼氏とかなんかより、そっちがもっとも重要な、生きる意味なのだ。
〈おわり〉
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