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幸せな日常
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〈倉知編〉
今日はバイトがない。向かい合って朝食を摂りながら、天気もいいしどこか出かけるか、と話した直後に加賀さんの携帯が鳴った。
俺に内容を聞かれることに抵抗がないようで、席を立たずにそのまま受け答えしている。
電話の相手は取引先らしく、終始敬語だ。俺は何食わぬ顔で食事をつづけながら、ひそかに胸を高鳴らせていた。
別人のような話し方が新鮮というか、声のトーンも微妙に違って、仕事中はこんななんだ、と新たな発見をした気がした。普段、俺と二人でいるときとは別の顔を垣間見たような、なんだか得をしたような感覚。
加賀さんが喋っている間、ずっと、甘ったるくて気持ちのいいドキドキ感に浸っていた。
「いえ、伺いますよ。大丈夫です、お任せください」
穏やかな声色が気持ちいい。はあ、いいなあ、とため息をつくと、通話を終えた加賀さんが「ごめん」とテーブルに両手をついて頭を下げた。
「仕事入った」
二人の時間は大切で貴重だが、物事には優先順位というものがある。
「休みなのに大変ですね」
根っから仕事が好きだからか、休日を邪魔されても嫌な顔一つしない。
「昼前には帰るから、美味いもんでも食いに行くか。何がいいか決めといて」
食べかけのパンを口に放り込んで、温くなったスープで流し込むと、加賀さんが席を立つ。シャツを脱ぎながら、寝室に向かう背中を見つめた。綺麗な背中だ。抱きつきたい。キスしたい。舐めたい。噛みつきたい。背中だけを愛撫していたら、前も触ってよ、とねだられて。言われた通りにすると、加賀さんが声を上げ、それが恥ずかしかったのか、枕に顔を突っ伏してしまう。震える肩。細い腰を抱いて、後ろから、ゆっくりと抜き差しを。
「あ、洗濯機止まった」
突然加賀さんの声が聞こえ、妄想が中断された。ピー、ピー、と脱衣所から電子音が漏れ聞こえている。
「干しといて」
俺が怪しげな妄想をしているうちに準備を終えていたらしい。スーツ姿の加賀さんが、身を屈めて顔を寄せてきた。唇にキスをされると、体が自然と震えた。顔が熱い。耳も熱い。いってらっしゃいのキスは、毎日している。なんてことはない、ただの触れるだけのキスなのに、さっきまでよからぬ妄想をしていたせいで、下半身がものすごく元気になった。
「いってきます。ってなんで赤面」
加賀さんが首を傾げていぶかしげに言った。
「なんでもないです、その……、いってらっしゃい、気をつけて」
立ち上がれずにその場で手を振る俺を見て、加賀さんが気づいた顔をした。テーブルの下を覗き込んでから、「おいおいおい」とにやけ顔で俺の股間に手を伸ばしてきた。
「なんで勃ってんの?」
「わっ、触らないで」
「何これ、フル勃起? なんで?」
艶めかしい加賀さんの背中を見たせいです。後ろから攻める妄想にふけっていたらこうなりました。とは言えない。
「まあいいや。行くわ」
ズボン越しに撫でまわしていた手が、あっさりと離れていく。
「えっ」
「我慢してて」
意地悪く笑う加賀さんが、スーツの袖をめくり、腕時計を見た。
「なるべく早く帰ってくるから、いい子で待っててよ」
「う、……はい」
股間を押さえてうめくように答えると、加賀さんが笑いながら背を向けて、玄関へと消えた。
我慢しろ、と言われても、こんな状態で放置されるとかなりきつい。
抜いてしまおうか。
「オナニーすんなよー」
加賀さんの声が玄関から響く。
「しません! いってらっしゃい、気をつけて!」
やけくそで返事をすると、うはははは、と悪魔のような笑い声が響いてきた。そして、ドアが閉まる音。みなぎる下半身を持て余しながら、深呼吸をして立ち上がった。
洗濯物を干さなければ。
洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダに出た。本当にいい天気だった。
加賀さんの靴下と、加賀さんのシャツ、そして、パンツ。加賀さんの、パンツ。高々と頭の上に持ち上げて、太陽に透かして見た。神々しい。頬ずりをして、匂ってみる。
「冷たい」
湿った感触と、芳香剤の香り。当たり前だ。
馬鹿なことをしていると、マンションの地下駐車場から出てきた黒いフェアレディZが見えた。ブンブンと手を振った。ここは八階だ。こっちを認識しているかはわからないが、見えなくなるまで手を振って、息を吐く。
幸せだ、と思った。
大好きな人の洗濯物を干して、出勤する車を見届けて。まるで奥さんだ。
「早く帰ってきてくださいね」
〈おわり〉
今日はバイトがない。向かい合って朝食を摂りながら、天気もいいしどこか出かけるか、と話した直後に加賀さんの携帯が鳴った。
俺に内容を聞かれることに抵抗がないようで、席を立たずにそのまま受け答えしている。
電話の相手は取引先らしく、終始敬語だ。俺は何食わぬ顔で食事をつづけながら、ひそかに胸を高鳴らせていた。
別人のような話し方が新鮮というか、声のトーンも微妙に違って、仕事中はこんななんだ、と新たな発見をした気がした。普段、俺と二人でいるときとは別の顔を垣間見たような、なんだか得をしたような感覚。
加賀さんが喋っている間、ずっと、甘ったるくて気持ちのいいドキドキ感に浸っていた。
「いえ、伺いますよ。大丈夫です、お任せください」
穏やかな声色が気持ちいい。はあ、いいなあ、とため息をつくと、通話を終えた加賀さんが「ごめん」とテーブルに両手をついて頭を下げた。
「仕事入った」
二人の時間は大切で貴重だが、物事には優先順位というものがある。
「休みなのに大変ですね」
根っから仕事が好きだからか、休日を邪魔されても嫌な顔一つしない。
「昼前には帰るから、美味いもんでも食いに行くか。何がいいか決めといて」
食べかけのパンを口に放り込んで、温くなったスープで流し込むと、加賀さんが席を立つ。シャツを脱ぎながら、寝室に向かう背中を見つめた。綺麗な背中だ。抱きつきたい。キスしたい。舐めたい。噛みつきたい。背中だけを愛撫していたら、前も触ってよ、とねだられて。言われた通りにすると、加賀さんが声を上げ、それが恥ずかしかったのか、枕に顔を突っ伏してしまう。震える肩。細い腰を抱いて、後ろから、ゆっくりと抜き差しを。
「あ、洗濯機止まった」
突然加賀さんの声が聞こえ、妄想が中断された。ピー、ピー、と脱衣所から電子音が漏れ聞こえている。
「干しといて」
俺が怪しげな妄想をしているうちに準備を終えていたらしい。スーツ姿の加賀さんが、身を屈めて顔を寄せてきた。唇にキスをされると、体が自然と震えた。顔が熱い。耳も熱い。いってらっしゃいのキスは、毎日している。なんてことはない、ただの触れるだけのキスなのに、さっきまでよからぬ妄想をしていたせいで、下半身がものすごく元気になった。
「いってきます。ってなんで赤面」
加賀さんが首を傾げていぶかしげに言った。
「なんでもないです、その……、いってらっしゃい、気をつけて」
立ち上がれずにその場で手を振る俺を見て、加賀さんが気づいた顔をした。テーブルの下を覗き込んでから、「おいおいおい」とにやけ顔で俺の股間に手を伸ばしてきた。
「なんで勃ってんの?」
「わっ、触らないで」
「何これ、フル勃起? なんで?」
艶めかしい加賀さんの背中を見たせいです。後ろから攻める妄想にふけっていたらこうなりました。とは言えない。
「まあいいや。行くわ」
ズボン越しに撫でまわしていた手が、あっさりと離れていく。
「えっ」
「我慢してて」
意地悪く笑う加賀さんが、スーツの袖をめくり、腕時計を見た。
「なるべく早く帰ってくるから、いい子で待っててよ」
「う、……はい」
股間を押さえてうめくように答えると、加賀さんが笑いながら背を向けて、玄関へと消えた。
我慢しろ、と言われても、こんな状態で放置されるとかなりきつい。
抜いてしまおうか。
「オナニーすんなよー」
加賀さんの声が玄関から響く。
「しません! いってらっしゃい、気をつけて!」
やけくそで返事をすると、うはははは、と悪魔のような笑い声が響いてきた。そして、ドアが閉まる音。みなぎる下半身を持て余しながら、深呼吸をして立ち上がった。
洗濯物を干さなければ。
洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダに出た。本当にいい天気だった。
加賀さんの靴下と、加賀さんのシャツ、そして、パンツ。加賀さんの、パンツ。高々と頭の上に持ち上げて、太陽に透かして見た。神々しい。頬ずりをして、匂ってみる。
「冷たい」
湿った感触と、芳香剤の香り。当たり前だ。
馬鹿なことをしていると、マンションの地下駐車場から出てきた黒いフェアレディZが見えた。ブンブンと手を振った。ここは八階だ。こっちを認識しているかはわからないが、見えなくなるまで手を振って、息を吐く。
幸せだ、と思った。
大好きな人の洗濯物を干して、出勤する車を見届けて。まるで奥さんだ。
「早く帰ってきてくださいね」
〈おわり〉
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