電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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恋する勇者と優しい魔王

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※この話は異世界ファンタジーです。シリアスではなくコメディです。本編とは一切無関係なパラレルですので、興味のない方はまるっとスルー願います。


 この世界には、魔物が存在する。
 凶悪で残忍な異形のモンスターは、人間を襲い、次々と街を滅ぼしていった。
 混沌を好む魔物たちと平穏を望む人間は、長く対立したが、魔王討伐に名乗りを上げ、世界を救った勇敢な勇者がいた。死闘の末に魔王を打ち破り、平和が訪れたかに見えた。
 悪は形を変え、何度でも蘇る。
 歴史は繰り返し、勇者の血を引き継いだものが命を懸けて戦った。
 戦い続けた。
 終わりがない。
 その終わりのない戦いに、俺は身を投じている。勇者の血を引いているという理由で。
 王は、人類の存亡はお前にかかっていると、人類の未来を俺に託した。
 来る日も来る日も、モンスターをほふる日々。
 それももう、過去の話。
 数年前から魔物の数が激減し、襲撃がぱたりと止んだ。理由は不明のまま、現在も多少は存在するモンスターを、なんとなく邪魔だから、という理由で狩りに行く。
 俺たちのパーティは無駄に経験値を稼ぎ、向かうところ敵なしになっていた。おそらく、もういつでも魔王とやらを倒せるくらいに、強い。武闘家のサツキは指一本でモンスターを粉砕し、賢者のリッカはあらゆる魔法を使いこなすことができる。装備している武器と防具は最強レベル、持ち金はありあまり、金銭感覚も消え失せた。
 もはや緊迫感はなく、緩い旅をのんびりと続ける日々を送っていた。
「ねえ、この街、カジノあるんだって」
 サツキが言った。
「いいね、カジノ。ひと儲けしよっか」
 リッカが言うと、二人は俺の意見など聞こうともせず、カジノを目指して歩き出す。
「これ以上お金持っててどうするんだよ? そんなことより、もうそろそろ魔王を倒そうよ」
 呼び止める俺を振り返り、二人が口を揃えた。
「やだ」
「え、なんで?」
「ラスボス倒しちゃったら旅も終わりじゃん。あたしはもっとモンスターを退治したいの」
 サツキが右、左と拳を突き出しながら言って、リッカはあくびまじりに耳をほじる。
「働きたくないし、親に結婚しろとか言われるのもだるいしさ。今のこの生活、気に入ってるんだよね」
 二人が顔を合わせて、「ねー」と同調する。
 俺は呆れて首を横に振った。どこまでも堕落しきっている。
「とりあえず、カジノね」
「行くよ、勇者様」
 本当に、こんなことでいいのだろうか。邪悪な魔王を倒し、一刻も早く世界を救わなければ。それが勇者の使命だ。
 とはいえ、世界はそこそこ平和で、争いごとがあるとすれば人間同士のそれで、人々の生活を脅かしているわけでもない魔王を、倒す必要があるのかはわからない。
 でもそんなことを言い出すと、勇者の、俺の、存在意義が失われる。
 勇者は魔王を倒す者。それは大昔から決まっていることだ。
「ひったくりよ! 誰かそいつを捕まえて!」
 背後で、女性の悲鳴が上がった。目の前を駆けていく少年。手に女物の鞄を抱えた彼の脚を、サツキが素早く引っかけた。小さな体が宙を飛び、砂埃を巻き上げながら転がっていく。
「ひったくり犯、確保!」
 サツキが少年の背中にどすんと尻を置いて、高らかに宣言した。おお、と周囲から拍手と歓声が上がる。
 はあ、とため息をついたのは、リッカだ。
「なんか嫌なとこに居合わせちゃった」
 何が言いたいのかはわかる。少年は、どう見ても十歳かそこらで、そんな子どもがひったくりをする場面は、心が痛む。
 リッカが拾い上げた鞄の土埃を叩き落していると、息を切らして追いかけてきた鞄の持ち主が手を差し出した。上品そうな貴婦人だ。
「ありがとう、助かったわ」
 礼を言ったあと、彼女は表情をがらりと変え、少年を睨みつけた。
「この小汚い野良犬……、警察に突き出してやるわ」
「え、警察?」
 サツキが驚いて、少年の上で身じろいだ。地面の上でもがきながら、ごめんなさい、見逃して、重い、と叫んでいる。
「でも、まだ子どもだよ」
「どうせまた同じことをやるのよ? 牢屋に入って貰わないと困るわ」
 俺たちは顔を見合わせた。
「鞄も戻ってきたんだし、反省してるようだし、許してあげたらどうでしょうか」
 俺の科白が気に入らなかったらしい。眉間に深いシワを刻んでから、婦人は何かに気づいた顔をした。
「あなたたち、もしかして勇者様ご一行?」
 長く勇者をやっているせいで、有名になってしまった。勇者だ、勇者だ、と周囲がざわつき始めている。仕方なく、そうです、と認めると、婦人は鼻を鳴らしてわめき散らした。
「じゃあとっととこいつを縛りあげなさい。それがあなたたちの仕事でしょ」
 俺たちの仕事は魔物を倒すことであって、街の治安を守ることではない。と思ったが、やじ馬が増えている。何も言い返せなくなった。
「小さな妹がいて、どうしてもお金が必要で……、ごめんなさい、もう、もうしないから、許して」
 サツキの尻の下で、少年が苦しげにごめんなさいを繰り返している。
「わたくしには関係ないわ。貧乏人は野垂れ死ねばいいのよ」
「は? 何それ。こんな奴、助けるんじゃなかった」
 サツキが舌を打つと、婦人がビシッと俺たち三人を順番に指差して、命令口調で言った。
「あんたたちがもたもたしてるから世の中がよくならないのよ。早く魔王を滅ぼしてきなさい」
「はあっ? 意味わかんない、全然関係ないし!」
 ある、ない、と言い争う二人を止めようとしたとき、やじ馬の中から一人、歩み寄ってくる人影に気づいた。黒いローブを着た人物は、静かに俺たちに近づいてきた。
「まあまあ、とにかくこの子からどいてあげたら? 内臓出ちゃうよ」
 フードを目深にかぶった男が言った。
「失礼ね、あたしが太ってるとでも……」
 サツキが跳ね起きて、男の胸倉をつかんだ。言葉が途切れた。フードが外れ、男の顔が露わになる。
 その男は、美しかった。艶やかな黒髪に、白い肌。恐ろしいほど整った容姿に、どこかゾッとするものを感じた。
「わ、わたくしは別に、盗られたものさえ戻れば、それでいいのよ。ホホホホ、ごめん遊ばせ」
 何度か振り返りながら婦人が逃げるように去ると、起き上がった少年が、怯えた目で俺たちを見上げた。
「僕がいなくなると、妹が死んでしまいます。どうか、許してください」
 目に涙を溜めてそう言うと、小刻みに震えてうつむいた。ローブの男が少年の前に屈み込み、肩を撫でて励ますように言った。
「大丈夫だよ、警察には連れていかないから」
 ね、と俺たちを見上げて同意を求める。サツキは赤い顔で呆然としていて、リッカは険しい顔をしていた。俺はうなずいて「連れていかないよ」と返事をした。
「よかったね、優しい勇者様たちに助けられて」
 男は少年の服の汚れを払うと、ふところから何かを取り出した。金貨だ。
「これあげる」
「え……」
 少年の手に、金貨数枚を握らせると屈託なく笑った。
「あの、これ、こんなに……?」
「さっきカジノで大当たりしたんだ。これで妹さんと美味しいものでも食べて」
 男が少年の頭を撫でた。これだけあれば、数年間は食うに困らないだろう。少年はみるみる顔を輝かせ、「ありがとうございます」と泣きながら頭を下げる。
「勇者様も、ありがとうございました」
 少年が俺にお辞儀をした。
「いや、俺は何も……」
 恥ずかしいくらい、何もしていない。貧しい少年一人を救うことすらできなかった。
 少年が駆けていくと、男が腰を上げた。そして、じっと俺を見る。
「これが勇者か。ふうん」
 瞳が、とても綺麗だ。とにかく、美しい。吸い込まれそうに、美しい。
「二人とも、離れて!」
 リッカが怒鳴った。爆音が巻き起こり、炎の塊が眼前に迫る。大きく飛びすさってやり過ごしたが、ローブの男にリッカの魔法が直撃した。辺りは騒然とし、街人が散り散りに逃げていく。
「ちょっと、イケメンに何すんの!」
 サツキがわめいた。
「目ぇ覚ましなよ。そいつ、人間じゃない」
 サツキと俺は、素早く男を見た。リッカの魔法をまともに食らったのに、声一つ上げずに平然としている。
「ああ、びっくりした」
 舞い散る火の粉を邪魔そうに払いのけて、男が言った。瞳の色が、変わっている。燃えるような、深紅。血の色だ。
「嘘でしょ、効いてない?」
 リッカが呪文の詠唱を始めた。今の攻撃より格段に威力がある上位魔法だ。
「リッカ、待って!」
 声を張り上げて止めると、リッカは詠唱を中断して「何か問題でも?」とイライラしながら杖の先で地面を打つ。
「この人、悪い人じゃないよ」
「はあ?」
「だって、子どもを助けたじゃないか」
「あたしも悪い人じゃないと思う!」
 サツキが拳を振り上げて力強く同意した。
「何か企んでるに決まってるでしょ。そもそも人じゃないって言ってるじゃない。魔物だよ」
 人じゃないのはわかる。邪悪なオーラは確かに感じる。普通じゃない。
 でも、魔物がどうして、人間の少年を助ける必要があるのか。
「とにかく、あんたたちも戦闘モードに切り替えなさい」
 リッカが呪文の詠唱を再開する。
「待ってってば、優しい魔物なんだよ」
「そんなものは存在しない!」
 リッカが一喝して、早口で詠唱を終えると、稲妻の魔法を繰り出した。迸る雷が、男を襲う。考えるよりも先に体が動いた。俺は、男の前に飛び出していた。
 リッカの魔法を受け止めた盾がビリビリと音を立てた。ダメージを軽減してくれたが、俺の体は魔法の勢いに押され、吹き飛ばされていた。
「馬鹿っ、あんた何やって……」
 リッカが駆け寄ってくる足音が、止まる。目を開けると、ローブの男が俺を覗き込んでいた。
「大丈夫? ごめんね、庇って貰わなくてもどうってことなかったのに」
 耳を疑った。背筋が寒くなる。今の魔法は、並みの魔法使いでは使いこなせない上位魔法なのに。この男は、一体何者なのだ。
「ねえ、ちょっと、なんかきた、なんか!」
 サツキが空を指差した。空間が歪み、生じた亀裂からぬるりと這い出てきたのは、禍々しい演出のわりに、拍子抜けするほど小さなコウモリだった。
「もー、やっと見つけましたよぉ。また人間界で遊んでたんですか?」
 パタパタと羽音を響かせて、ローブの男の頭上を旋回する。
「うん、カジノ行ってた」
「ずるいなあ、僕も行きたかったです」
「お前は無理だよ、だってコウモリじゃん」
「そんなの、魔王様の魔法でちゃちゃっと人間に変身させてくださいよ」
 二人の緩い会話に、聞き捨てならないフレーズがあった。三人同時に声を上げる。
「魔王様?」
「はい」
 男がケロッとした顔で返事をする。
「そんな……、信じられない」
 サツキが頭を抱えている。
「魔王がこんなにイケメンなんて……、無理、私には無理、とても倒せそうにない」
 ブツブツ呟くサツキの頭を、リッカが手のひらで打った。
「あれ、この人間たちは? 魔王様のお友達?」
 コウモリが言った。魔王と呼ばれた男はうーん、と首をひねった。
「どうかな?」
「そこはきっちり否定しなさいよ。こっちは勇者、そっちは魔王。人間と魔族は、相容れない存在でしょ」
 リッカが身構えたまま言った。この男が本当に魔王なら、今この場でラスボス戦が始まってしまう。
「勇者って、まずくないですかあ? こっちも仲間、呼びます?」
 コウモリが言ったが、魔王は首を振る。
「やめとこう」
 あっさりと答えて、俺に手を差し伸べてきた。
「殺し合わなくても済む方法は、いくらでもあると思うよ」
「……え?」
 魔王が、ふ、と目を細めて笑った。手を取ると、腕を引かれ、勢い余って魔王の体にもたれかかる。至近距離で、目が合った。なんて美しさだ。息が止まって、心臓が駆け足を始める。
「今度、みんなで俺の城に遊びに来てよ」
 そう言うと、魔王の体がふわりと浮いた。
「逃げるつもり?」
 リッカが杖を振り上げて叫んだ。魔王は「いやいや」と笑って頭を掻く。
「ほら、魔王は魔王らしく、城の一番奥深くで待ってないと」
 変なところで魔王ぶるのがおかしくて、吹き出しそうになった。
「待ちわびたぞ、勇者たちよ、ってやつがやりたい」
 リッカはあっけにとられ、サツキは相変わらず葛藤していた。
「勇者様」
「え、あ、はい?」
 突然魔王に呼ばれて間抜けな返事をしてしまった。
「庇ってくれてありがとう。魔界で待ってるよ。またね」
 コウモリが魔王の肩に飛び乗ると、空に渦が巻く。魔王の姿はそこに吸い込まれるようにして消えていった。
 あとに残ったのは異様な静寂と、魂の抜けた仲間が二人。
「魔界に」
 しばらくして声を漏らしたのは、俺だった。
「魔界に行かないと」
 会いたい。なんでもいいから、もう一度会いたい。
「でも、まずいよ。勝てる気がしない」
 気を取り直したリッカがその場にしゃがんで膝を抱えた。
「あたしも、無理。魔王があんなにイケメンだなんて……、攻撃できないじゃない」
 サツキもリッカの隣で膝をつく。
「うん、俺も、あの人を……、魔王を倒すなんて、できないと思う」
 優しくて、穏やかで、人間よりよほど、思いやりがある。ここ数年、魔物が悪さをしなくなった原因が、わかった気がした。
 あれは、優しい魔王なのだ。優しくて、美しい。
 外見も中身も綺麗な魔王なんて反則だ。あの目を思い出すだけでも体が火照ってしまう。
「ちょっと、勇者」
 リッカが杖の先で俺の脇腹を突いた。
「あんたもしかしなくても、魔王に惚れたね?」
「えっ、な、ち、違うっ」
 慌てて否定してみても、手遅れだった。リッカが顔中を笑みの形に変え、「そうなのね?」と脇腹を連打してくる。
「魔王×勇者? 勇者×魔王? どっちだろ、どっちでも萌えるぅ」
 意味のわからないことを言い出した。
「そっか、これは恋よ……!」
 急に生気を取り戻したサツキがすっくと立ち上がる。ドキッとしたが、どうやら自分のことらしい。
「魔界に行こうよ。会ってあたしのこの気持ち、確かめなきゃ」
「うん、行こう。受け攻めを見極めるために、ぜひ行こう」
 サツキとリッカが目を輝かせて俺を見る。俺はうなずいた。
 あの人に会えるなら、魔界にでも地獄にでも、行ってやる。
 俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
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