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失恋の終着点
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〈五月編〉
『合コン行こうよ』
亜矢から電話がかかり、出ると挨拶も抜きにそう言った。
『店長がセッティングしてくれたんだけど、女子が一人足りないんだよね。来るでしょ?』
大学を卒業した亜矢は専攻とはまったく無関係の、エステサロンに就職した。美の追求に余念のない亜矢には似合っている。
「行かないよ。今全然、彼氏欲しくないし」
『いない歴二年じゃない。まだ加賀さんにこだわってるの?』
「違うから」
『五月には似合わないよ』
「似合わないって、何よ」
加賀さんにあたしが不釣り合い、という意味か、と鼻息が荒くなる。
「七世よりは似合うわよ」
『そうじゃなくて、不毛な片思いが似合わないって言ってるの』
「別に、そんな意味で好きなんじゃなくて、もうなんか、家族みたいなもんだし」
『家族ねえ』
亜矢が、やれやれ、というニュアンスでため息をつく。
『世の中にはあの人よりいい男なんていくらでも』
「いないから」
全部言い終える前に否定してやった。
『ねえ五月』
「何よ」
『もうめんどくさい』
呆れた声で亜矢が呟いた。
『いいから合コン、おいでよ。イケメン揃いだって』
あたしはイケメンが大好物だった。顔さえよければ性格が悪くても、何か重大な欠点があっても、大抵許せた。
でも加賀さんに出会って、変わった。
顔だけよくてもダメなのだ。
加賀さんは顔もいいし性格もいいし悪いところなんてない。優しい表情とか、面白くて楽しいところとか、とにかく心が広いところとか、全部好きだ。なんであんな人が七世の彼氏なんだ、と今でもたまに歯がゆくてたまらなくなる。
自分から告白したことが一度もなかったあたしが初めて想いを伝えた相手は、弟の彼氏。どうにもならない。諦めている。
だって、加賀さんと七世が、どれほどお互いを大事にしているのか、知っている。わかっている。別れたらいいのに、と思ったことも、正直あった。でも、二人は別れない。ずっと、永遠に、別れない。
じわ、と目に涙が浮かんだ。
ダメだ。もう、前に進むときがとっくにきている。
加賀さんはあたしにとって、アイドルのようなもの。手の届かない偶像。芸能人と一緒。どんなに憧れても、彼があたしを一人の女として見ることはない。
涙を拭いた。
早く、見つけなくては。男を。
合コンに行こう。と、思った。
以前の女の子らしい、男受けのする恰好をすれば大体の男は落とせる自信はある。でももう、偽りの自分じゃなく、本来の自分を受け入れてくれる男を探したい。
化粧は最小限にとどめて、ウィッグもつけず、アクセサリーはピアスのみ。ガーリーとボーイッシュを絶妙に混ぜ合わせたコーディネイト。我ながらいい女だと思う。
「よかった、来てくれて」
亜矢はあたしの肩を抱き寄せて頭を撫でた。
「今日当たりだよ、ほら」
男が五人座っているテーブルを指さして、励ますように言った。
観葉植物の陰から値踏みする。確かにイケメンぞろいではある。
眼鏡のインテリ系、爽やかでおしゃれなタイプ、骨太の体育会系、エトセトラ。それぞれ魅力はあると思う。前向きに、ゲットする方向で頑張ることにした。
向かい合って座り、乾杯をして、自己紹介を始める。あたしは黙って男たちを見つめた。
加賀さんに出会う前だったら。
この中の誰を選んでも後悔しなかったと思う。レベルが高い。でも、何か、惹かれるものがない。
「ねえ、あと一人まだ?」
亜矢の隣に座っていた、幹事の女性が男側に訊ねた。そういえば女側が六人に対して、男は五人。一人足りない。
「なんかバイト長引いてるらしくて」
「バイト? 大学生?」
「そうそう。大学一年」
七世と同い年だ。それだけでもう却下だ。年下に興味がないわけじゃない。でもどうせなら年上で、頼りになる感じの人がいい。
大人で、優しくて、加賀さんみたいな人が。
「あたし、ちょっとトイレ」
席を立ち、トイレに向かう。鏡を眺めて、ため息をつく。
なんてつまらなそうな顔。
「仏頂面」
亜矢がトイレに入ってきた。
「やっぱダメ。なんかダメ」
「何がダメだっていうの? みんなカッコイイじゃん。眼鏡君は? 将来有望の医大生だよ?」
「しゃべり方がムカつく」
「じゃあ、その隣の子は?」
「食べ方が汚くて無理」
「趣味がサーフィンってスポーツマンの人は?」
「黒すぎてきもい」
他の二人も、服のセンスが嫌い、目つきがいやらしい、とダメ出しをすると、亜矢があたしのほほをつねってきた。
「付き合いたくない理由、無理やり探してない?」
「そんなことない」
「イケメンならなんでもよかったじゃない」
「だから、あたしは大人になったんだってば」
「吹っ切れてないだけに見えるよ」
亜矢に指摘され、ずき、と胸に痛みが走る。あたしだって、吹っ切りたい。加賀さんなんてどうでもよくなるくらい、素敵な彼氏が欲しい。でもそんな人、この世に存在しない。
「あたし帰る」
「えー?」
「ごめん、おなか痛くなったって言っておいて」
トイレから出ると、店の出口に向かう。亜矢が呼び止めているのを無視した。ドアノブを掴もうと手を伸ばしたとき、ドアがこっち側に勢いよく開いた。
避けようもなく、ひたいに激突する重いドア。
「あーっ、ご、ごめんなさい!」
ドアを開けた男が大声を上げて謝った。
「すいません、すいません、どうしよう、怪我してない?」
大騒ぎする男の声に、周囲の目が集まる。
「これくらい平気だから」
「でも、あっ、赤い! 赤くなってる! おでこが!」
なんてうるさい奴だ。
「五月、大丈夫?」
「うん、なんともない、帰る」
「まだ開始一時間も経ってないんだよ? 見極めるのは早すぎるって」
「もういいの。その気もないのに合コンしようってのが間違いだったのよ」
「あっ、あの!」
あたしにドアをぶつけた男が、裏返った声を出した。
「俺も合コン参加者っす」
「あ、バイトで遅れた子?」
亜矢が男をさりげなく上から下までチェックする。
「そうっす、遅れてすいません」
「じゃああたしはこれで」
脇を通り抜けようとするあたしの腕を、男が掴んだ。
「ちょっと、何すんのよ」
「ごめんなさい、でも、帰らないで!」
「はあ?」
「俺、一目惚れしました!」
大声で、絶叫する男。
「理想です、あなたのこと」
男の視線が、一瞬胸に注がれたのがわかった。正直でいい、とは思う。
「あっそう。でもあたし、今誰とも付き合う気は」
「友達からでもいいんで、よろしくお願いします!」
叫んで右手を差し出してくる。周りの面白そうな目が痛い。亜矢もにやついている。
「いいじゃん、付き合えば。イケメンだし?」
亜矢と男を無視して店を出た。
「待って、ええと、五月さん」
回り込んで、後ろ歩きであたしの前を歩く。こういうしつこい男は好きじゃない。
「馴れ馴れしく呼ばないでよ」
「五月様!」
「ついてこないで」
速足で男の脇を通り抜ける。
「その気もないのに合コンしようと思ったってさっき言ってたよね」
後ろで男が疑問をぶつけてくる。振り返って睨んでやったのに、ひるまずについてくる。
「なんで?」
「あんたに関係ないし」
「もしや失恋引きずってる、とか?」
「うるさい」
「俺も!」
競歩並みのスピードで歩くあたしの後ろから、男が小さく叫ぶように言った。
「俺も同じ!」
「勝手に決めないでよ」
「あれ、違うの?」
違う。あたしは。
足を止めた。
「わかってるもん」
うつむいて、歯を食いしばる。
「前に進まないと、気づいたら三十路になってて、男も寄り付かなくなって、このままじゃ売れ残っちゃう」
でも今妥協して、誰かと付き合っても、絶対に楽しくないと思う。この人が好きだと思える相手と付き合いたい。誰でもいいなんて、投げやりになりたくない。
そんなことを言っていたら、二十代なんてあっという間に過ぎてしまう。
「売れ残ったら俺が貰うよ」
視界に現れた男が無責任なことを言った。数分前に会ったばかりの、名前も知らない男。改めてじっくりと顔を見る。とりあえず顔はいい。ファッションセンスも嫌いじゃない。髪の色を明るく染めていて、片耳ピアスで、年下の大学生という点はマイナスポイントではある。でも総合的にみて、合格点に達している。
「あんた」
「はい」
「大学一年なんでしょ」
「うんそう」
男は少年のような顔で笑って、「オオツキカナメです!」と名乗った。
「あたし年上だから」
「え、そうなの?」
「敬語使える? 使えないなら付き合わない」
男が目を見開いて、それから嬉しそうな笑顔になった。
「うわっ、えー、はい、了解っす!」
「あと、お腹空いたからラーメン奢りなさい」
行きつけのラーメン屋はすぐそこだ。先に立って歩き出すあたしの後ろで、男がわめく。
「待って! え? 付き合ってくれるの?」
「敬語」
「あっ、付き合ってくれるんすか?」
「それ敬語じゃないんだけど」
なんだかダメな奴だ。軽薄でチャラくて、君だけだよ、とか調子のいいことを言っておいて、浮気をするタイプ、かもしれない。誠実さとは無縁な香りがする。
「やっべ、俺、敬語勉強しなきゃ」
出会ったばかりでお互い何も知らない。でもこんなふうに、付き合えることを手放しで喜んでくれる感覚は、なんだかこそばゆくて懐かしい。
まあいいか、と思った。
加賀さんみたいな人なんていないんだし。
誰を選んだところで、彼には敵わない。
だからこれはあたしにとって、大きな一歩だ。
〈大月編へつづく〉
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〈大月編〉
今日はラッキーな日だ。合コンに遅刻したおかげで、彼女ができた。
店の入り口で出会った美女と付き合うことになったのだ。
彼女は、四つ上だったが、童顔だから年上という感じがしない。ベリーショートで可愛らしい雰囲気で、気が強そうだけど、絶対にツンデレだと思う。いつか来るデレの瞬間が今から楽しみだ。と言うと多分殴られる。
ラーメン屋に入ると、勝手知った感じでカウンター席に座り、隣のスツールを一度だけ叩いた。座れ、ということだろう。
「オススメはどれっすか?」
「魚介とんこつ」
メニューを指さして彼女が答える。
「じゃあそれにしよ」
魚介とんこつ二つ、と注文を済ませ、いそいそとスマホを取り出した。
「あのー、連絡先交換しないすか?」
今のうちに聞き出しておかないと、このままフェードアウトされかねない。
「携帯の番号と、メアドと、あ、LINEも!」
「あたししつこいの嫌いだからね」
「了解っす」
「中身ない作文みたいなのも無視するから」
「う、はい、おはようコールもなし?」
「なし。うざい。ていうか睡眠妨害しやがったらぶっとばすから」
そう言いながらも、バッグからスマホを出してくれた。やっぱりこの人はツンデレ気質だ。
「メアド可愛いー。くらくらさつき。俺もクラクラかも」
ウキウキして声を弾ませると、顔面を盛大に崩して「寒い」と文句を言われた。
「単に名字から取っただけだから」
「へー、なんていうの?」
「倉庫のそうに」
「はいはい」
「知る、でくらち。さつきは暦の五月。登録しておきなさいよ」
スマホをタップする手が止まった。画面が暗くなってようやく我に返る。
「今、倉知って言った?」
「珍しい名字でしょ」
そう、珍しい。滅多にお目にかからないと思う。その名前の人物と出会ったことは、過去に一度だけある。
「五月さんって、弟いたり?」
「いるよ、あんたと同じ大学一年」
手からスマホが落ちて、テーブルでごとり、と音を立てた。
まさか。そんなことがあるのか。
両手で頭を抱え、うめくように訊ねた。
「弟さんは、すごい背の高い人?」
「何、あんた七世の知り合い?」
大声で叫びたい。
馬鹿な! そんな馬鹿な!
頭をテーブルに打ちつけて悲鳴を堪えていると、五月さんが俺の後ろ頭を軽く叩いた。
「何やってんのよ。ラーメン来たんだけど」
はい、と割り箸を差し出してくる。受け取って、彼女の横顔を見た。
姉弟だと言われれば、ああそうか、と納得できる。なんとなく、似ている。
俺が惚れた男の、彼氏に。
「あの、五月さん」
「いただきまーす」
両手を合わせて、ほんのり笑顔でそう言うと、ラーメンをすすり始めた。なかなか女性には珍しい豪快な食べ方だった。美味しそうに、幸せそうに食べる様子を見ていると、妙にときめいた。
こんなことをしそうに見えないのに、ちゃんといただきますを言うところもなんだか可愛らしい。
「安定の美味しさ!」
れんげでスープを飲んで、満足そうに顔をほころばせている。厨房に立って湯切りしている店主らしき男が、こっちを見てにやりと笑った。
「あんたも食べなさいよ。最高に美味しいから」
「はい……」
なんだか胸がいっぱいになってきた。
「何よ、もしかしてラーメン嫌いなの?」
胸を押さえていると、五月さんが怪訝そうに訊いた。
「好きっすよ。大好きっす」
「じゃあ食べてよ」
とりあえず話はあとにしよう。黙って食べることにした。
正直味はよくわからなかった。変な緊張感がずっと続いていて、胃が縮こまっているせいかたかがラーメン一杯を食べ終えるのに、やけに時間がかかってしまった。
「ごちそうさま」
完食して支払いを済ませると、五月さんがスマホの画面を見てつぶやいた。
「帰ろっかな」
「えっ」
「何、なんか文句あるの?」
「いや、その、どこかゆっくりできるところでお話しでも、と思っただけで」
まだ夜の九時前だし、別れるのは早すぎる。じっと俺を見上げていた五月さんの眉間に、しわが寄る。
「ゆっくりできるとこって、ラブホとか言わないでよ」
「まさか! 普通に、コーヒー飲めるとこっすから!」
そんな下心は誓って抱いていない。本当だ。疑わしそうに見られて心外だ。俺はそんな男じゃない。
「ちゃんと連絡してあげるから。またね」
俺に背を向けると、ひらひらと手を振って、去っていく。
気まぐれで華やかな、蝶のような女性だ、と思った。
「待って、俺、言わなきゃいけないことがあって」
呼び止めてから、待てよ、と気づいた。
なんて言うんだ? あなたの弟さんの彼氏を好きになって、ふられました?
男と付き合っているのを家族が知らなかったら?
そもそもあれから二年経った。まだ付き合っているとは限らない。
「言わなきゃいけないこと? なんなのよ」
「え、えっと、そのう」
「わかった」
五月さんが腕組みをして、大きなため息をついた。
「付き合ってって言ったの、取り消したい?」
「へっ」
「ラーメンがつがつ貪るような女とは付き合いたくないんでしょ」
ふん、と鼻で笑って肩をすくめる。
「こんな女で残念でした。もう自分を偽って男に媚びるのうんざりなの」
「いや、それは、むしろときめいたんすけど」
「……はあ?」
「美味しそうにたくさん食べる姿に、射貫かれました! いただきますってするとこもキュンとしたし、ギャップ萌えかな?」
拍子抜けした表情で俺を見ていた五月さんの顔が、赤くなっていく。
「可愛いっす」
「う」
赤面して、たじろいでいる。意外な反応だ。この人はやっぱりなんだか可愛らしい。
「帰るから!」
俺に背を向けて、全速力で逃げていった。取り残され、頭を掻く。仕方がないから帰ろう、と駅を目指して歩いていると、携帯が鳴った。
『今度の日曜、デートね。つまんなかったら別れるから』
というメッセージの後に、厳つい髭のおっさんのスタンプが現れた。思わず「あはは」と笑い声が漏れた。よくわからないけど面白い。今まで出会ったことがないタイプの女性だ。変にカッコつけないで、ニュートラルな状態で付き合える気がする。
別れるのが惜しい。今度のデートは本気で頑張ろう、と思った。
〈倉知編へつづく〉
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〈倉知編〉
夕食を終え、二人で片づけをしているときだった。六花から、新刊が完成した、と連絡があった。
『電車の男も、ついに同棲編に突入です』
俺と加賀さんをモデルにしたBL本「電車の男」はシリーズ化し、すでに五冊作られている。内容は現実に忠実で、もはやノンフィクションだ。
『取りに来ない?』
「なんか漫画貰いに実家帰るって恥ずかしいんだけど」
『じゃあお届けにあがります』
「え、そんな用事で来るの?」
自分たちの私生活をなぞった十八禁の漫画を、姉が持ってくるなんて、気まずい。
洗い物をしている加賀さんが、ちら、とこっちを見た。
「あの、取りに行くから」
どっちにしろ恥ずかしい。でもいらない、と断れないのは、単純に六花の描く漫画が楽しみで、好きだから、かもしれない。
「今度取りに行くよ」
『うん、ねえ、そういや聞いた?』
声色から、なんのことかピンときた。
「五月のこと?」
『久しぶりの彼氏だからか、なんか妙に楽しそうなんだよね』
声がにやにやしている。
『あんたと同い年だって』
「え、なんか意外」
『だよね。次付き合うなら年上で加賀さんみたいな人かと思ったけど』
加賀さんみたいな人。そんな人いるのか、と加賀さんを見る。ただ洗い物をしているだけでも、映画のワンシーンのように美しい。
返事に詰まると、六花がすぐに「そんな人いないか」と言った。うん、と賛同する。
『今日もデートだって出かけたし、順調そうで何よりだけどね』
加賀さんを好きになって以来、誰とも付き合ってこなかった五月がようやく彼氏を作る気になったのだ。俺も応援したい。
「六花ちゃん、なんだったの?」
電話を切ると、加賀さんが訊いた。
「新しい本、できたから取りに来いって」
「え、それは俺らの本?」
「ですね」
「まだ描いてたの?」
よく飽きないね、と少し困ったような顔で笑った。
「同棲編に突入したらしいです」
「そのまんまじゃん」
「なんか人気あるらしくて、やめられなくなったみたいです」
「そのうち売り子しろとか言い出しそうで怖いな」
「それ前に言われました」
売り子の意味がわからず訊き返す俺に、悪魔のようなほほえみで、「自分がモデルの薄い本を自らの手で読者様にお渡しするんだよ」と言った。
「もちろん、断りましたけど」
「そりゃそうだ」
加賀さんが肩をすくめた。いくら寛大な人でも、六花の願望は叶えられないだろう。
「で、取りに行くの?」
「ああ、はい。暇なときに」
「じゃあ行くか」
水を止めて、タオルで手を拭きながら加賀さんが言った。
「今からですか?」
「うん、暇だし」
今日は夕食が早かったからまだ七時前だ。夜の時間が長い、すなわち二人の時間が長いことを内心で喜んでいたのだが、加賀さんは「暇」と捉えたようだ。少し寂しい気もしたが、加賀さんはいつも俺を実家に帰らせたがる。家族に気を遣っているのかもしれない。
「ただいま」
加賀さんの運転でフェアレディZを走らせ、実家に戻ると、父はテレビを見ていて、母と六花が台所で食事の後片付けをしていた。五月はまだデートらしい。
「座って待ってて。今持ってくるから」
六花が仕事を途中放棄してリビングを出て行った。二人でソファに並んで座ると、父が「いいね」と腕を組んでうなった。映画を観ている。見覚えのある俳優が映っていた。
「この映画観た?」
父が俺じゃなく、加賀さんに訊いた。
「いえ、面白いですか?」
「面白い、というより、好きだ」
父はニヤニヤしている。
「好きな要素が詰め込まれてんだよな。とにかくストーリーが簡潔なのがいい」
映画について語り出す父に、加賀さんはうんうんと頷いて聞いている。俺にはよくわからない。
「お待たせ、はい」
六花が戻ってきて、黒い手提げのビニール袋を目の前に差し出した。
「二人で読んでね」
「うっ、うん」
受け取って、父の目から隠すようにしてソファに伏せた。父は六花が怪しげな漫画を描いていることを知っている。読ませろ、と言い出しかねない、と危惧したが、加賀さんと映画の話に花を咲かせていて気づいていない。助かった、と息をつく。
「はい、麦茶」
母がテーブルにコップを二つ置いたとき、玄関のドアが開く音がした。
「あれ、五月かな?」
リビングから廊下に顔だけ出して、母が「おかえり!」と声を上げる。
「あっ、あらあら、どうも」
五月ではなかったらしい。よそ行きの声になって、ドアの隙間から廊下に滑り出していった。
話し声が聞こえる。若い、男の声だ。やたら声が大きい。テレビの音にかぶさるようにして聞こえる声は、聞き覚えがあった。誰だっけ、と思い出そうとしていると、リビングのドアが開いた。
「お邪魔しまっす!」
がちがちに緊張した様子の男が勢いよく頭を下げて、顔を上げる。知っている男だった。でも、なんで。どうしてこいつがうちに。
「なんで……」
呆然と呟く俺に、男が気づく。目が合った。
「あ」
男が目を見開いて硬直する。そのすぐあとで、加賀さんの存在に気づき、もう一度大声で「か!」と叫んだ。
嬉しそうな笑顔になり、無意識、という感じで駆け寄ろうとして、はた、と動きを止める。
「何? 急にでかい声出して」
男の後ろで五月が言った。
俺は、頭を抱えた。
もしかしなくても、大月が五月の新しい彼氏だ。
〈加賀編へつづく〉
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〈加賀編〉
突然現れた見知った顔に、驚いた。どうして倉知家に大月がいるのか、すぐに理解できなかった。
場が、一瞬静まり返る。
「お父さん、五月の彼だって。大月要君」
倉知の母が紹介すると、大月は慌てて何度も頭を下げた。
「すいません、大月です。は……、はじめ、まして」
怯えた表情で父から倉知に視線を移す。五月と倉知が姉弟だ、ということは、どうやらわかっていたらしい。知らなければ、こいつならもっと大騒ぎしているだろう。申し訳なさそうに黙って身を縮めている。
「どうも、五月の父です」
倉知の父が立ち上がり、明るい声で言った。
「まあまあ、座りなよ」
父がソファに勧めたが、大月は「いえ! 自分、ここで十分です!」と声を張り上げて床に正座する。
「わあ、すごい野性的だね」
母がとんちんかんな感想を述べた。
「いやー、五月が男連れてくるなんて珍しいな」
父も母も娘の彼氏にテンションが上がっていて、俺たちの異様な空気に気づいていない。
「暗くなったから送るって聞かなくて」
五月はまんざらでもない様子だが、大月を押しのけて「加賀さん、いらっしゃい!」と俺の隣にくっついて座った。
「こらこら、彼氏ほったらかしたら可哀想じゃない」
たしなめたが五月は平然としていて動かない。大月は何か言いたそうに俺と五月を見比べている。
「五月、ちゃんと紹介してよ」
六花が自分の鼻を指さしてアピールしている。
「はいはい。これ、妹の六花」
はじめまして、とお互い頭を下げ合う二人。
「で、このでかいのが……、そういやあんた七世の知り合いじゃなかった?」
五月が怪訝そうに訊いた。大月がうろたえてしどろもどろになる。
「えっ、あっ、えっと、それはですね」
「知り合いだよ」
倉知が落ち着き払って言った。
「加賀さんとも知り合い」
「え」
五月と六花と両親が驚いて声をはもらせた。別に、知らないふりをする必要もない。
「あー、二年前にちょっといろいろあって。大月君、久しぶり」
「お、お久しぶりです!」
勢いよく頭を下げ、床に頭突きをかます。相変わらず騒々しい。ひたいをこすって苦笑いする大月を、五月が険しい顔で睨んだ。
「いろいろって? 何、待って、あんたなんか隠してない?」
「か、隠してるというかですね」
「なんで今まで七世のこと話題に出さなかったのよ。加賀さんとも知り合いなんて、相当親密なんじゃない」
気色ばむ五月に、大月は青ざめて目を泳がせている。
大月が倉知や俺のことを言い出せなかった理由はわかる。知り合った経緯がややこしい。
「まあまあ、てかなんで五月はそんな怒ってんの? 大月君が怯えてんじゃん」
倉知の父が割って入ったが、五月は収まらない。ソファから立ち上がり、大月の前で仁王立ちになる。
「言いなさいよ」
「へっ」
「隠し事されるの、我慢できない。言いなさい」
ひるんだ大月が、倉知の両親と、六花、倉知、と視線を移して、最後に俺を見た。助けを求める目だ。
彼女とその家族の前で、過去に男に惚れたとカミングアウトさせられるのはさすがに可哀想だ。適当にごまかすこともできるが、倉知や大月が芝居を打てるとは思えない。
「言えないっての?」
五月が大月の胸倉をつかんだ。
「言います! 言いますけど、言っていいのかわかんなくて!」
「何よ、それは。意味わかんないんだけど」
五月の怒りが増幅していくのを見かねて、倉知の父が「待て待て」と高く手を上げた。
「なんかややこしそうだし、お前らだけで話つけろ」
そう言うと、母の肩を抱いて「お母さん、風呂入ってこよう」とリビングを出て行った。さすがの対応だ。大月の肩の荷も少し軽くなっただろう。
はい、と六花が挙手して「なんか面白そうだし、見てていい?」と馬鹿正直に申し出た。
「どうだっていいわよ。早く、なんなのよ」
大月の胸倉は五月に捕まえられたままだ。揺さぶられて、降参のポーズをしながら叫ぶように言った。
「俺、加賀さんに告白しました!」
五月の動きが止まる。
「高二のとき、コンビニで財布忘れて困ってるとこ助けられて、そっからすごい好きになっちゃって」
その後、倉知と出会った経緯を事細かに説明するのを、懐かしいな、と思いながら聞いていた。大月と最後に話したのは高校三年の三月で、卒業したら大学に行く、もう会うこともないだろうけどお元気で、と涙を流していた。
俺も、もう会うことはないと思っていた。それがこんな形で再会するなんて。これも何かの縁かもしれない。
隣の倉知を見ると、同情するような目で、身を固くして大月を見守っていた。
「五月さんが倉知君のお姉さんだって知って、加賀さんとのことちゃんと言わなきゃって思ったんだけど、もし二人が付き合ってること知らなかったら迷惑が……、あ、あの、言って大丈夫でした?」
大月が情けない顔で俺に確認する。
「うん、家族公認だから」
言っていいのかわからない、というのは俺たちを気遣ってのことだったらしい。男に惚れて告白した過去を現在の彼女に知られたくないのかと思ったが、違った。大月は俺が思っているよりいい奴なのかもしれない。
「あんた、男が好きなの?」
黙って聞いていた五月が開口一番に訊いた。
「ちが! 違うから! 女の子大好き! おっぱい大好き!」
一言余計だ。六花がグフッと謎の音を発した。両手で口を隠しているが、目だけ見てもわかる。ものすごく嬉しそうに笑っている。大月が語った内容は、六花の大好物だ。
「だって、めちゃくちゃ美しい人が颯爽と現れて、助けてくれたんだよ? 優しいし、カッコイイし、男とかそんなの考えられなくなって」
「わかる」
五月がようやく大月を解放し、立ち上がってもう一度言った。
「わかる」
途端に、大月が脱力して床に両手をついた。五月は大月を見下ろして、鼻で笑った。
「あんた今でも加賀さんのこと好きでしょ」
「え、いや、いやいやいや、そんなこと、ないっすよ? ないないない。だってもうとっくに振られて諦めついてて」
うろたえる大月が、涙目で倉知のほうを確認する。倉知は成り行きを静観している。怒っている様子もない。二人がどうなるのか、ただ純粋に、心配しているように見えた。
「同じだから。あたしも」
はあ、とため息をついて、五月が大月の目の前に、しゃがみこんだ。
「あたしも告白して、振られて、でもまだ好き」
おいおい、と苦笑いが漏れた。恐る恐る隣を見ると、倉知は真顔で姉の丸まった背中を見つめていた。
「会えたら嬉しいし、ラッキーって思っちゃう。だって……」
俺を振り返って、すぐに前を向く。
「カッコイイもん。優しいし、楽しいし、大好きだよ」
彼氏の前で他の男を褒めるということは、今から別れ話に発展するのか、と気が重くなった。倉知も表情が暗い。
「あんたもそうでしょ?」
同意を求められた大月は、迷いながら、「はい」と認めた。
「ね、同じなのよ。あたしとあんたは」
そう言って、右手を差し出した。大月がその手と五月の顔を、交互に見て、ポカンとする。
「え?」
「同志でしょ、握手」
「あ……、はい!」
泣き顔で手を取ると、二人が握手を交わす。どうしてだか、二人とも憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしている。
大きな問題が解決した、というのが二人の共通認識のようだが、そんなんでいいのか、と口を挟みたくて仕方がない。
「え? 結局どうなったの」
六花がとぼけた声で訊いた。握手し続ける二人が、揃って六花を見る。
「どうって何よ」
「だから、別れるの? あんたたち」
「は? 別れないわよ。なんでよ」
「なんでよになんでよって言いたいんだけど。だって、二人とも加賀さんが好きで、忘れられないってことでしょ」
「ちっがーう」
五月が胸を張る。
「あたしの加賀さんへの好きって気持ちは、恋愛感情からファン意識に切り替わってるの。いい? ファンなのよ。キャーってなるでしょ、好きな有名人に会えたら。あれと一緒。わかる?」
六花が「はあ」とわかったのかわからないのか、あいまいに返事をする。
「俺は、すごくわかります」
大月が正座をし直した。両手を膝の上にきちっと置いて、上気した頬で俺を見る。
「大ファンっすから、加賀さんの」
もじもじと落ち着かない大月が、「あの、一言いいすか」と五月にお伺いを立てる。
「何よ、言いなさい」
許可が出ると、大月が大きく息を吸い込んで、雄たけびを上げる。
「私服の加賀さんが、超カッコ可愛いんですけど!」
顔を覆って崩れ落ち、悶絶する大月に、五月がまたしても「わかる!」と共感した。
「あたしも初めて私服見たとき死ぬかと思った!」
「ヤバイすよね! いや! スーツもめっちゃカッコイイんだけどね!? 俺もう、見た瞬間叫びそうになっちゃってさあ! ていうかマジでまた会えるとか神は俺を見捨てなかった!」
きゃあきゃあと手を取り合って騒ぎ始めた二人を見て、六花が「何これ」と呆れている。
「よかった」
倉知が大きく息をついて、ソファの背もたれに倒れこむ。
「よかった?」
「五月のこういう変なところを受け入れてくれる男の人、他にいないと思う」
ごもっともだ。ある意味、究極のベストカップルかもしれない。倉知は大月に、俺に近づくなと牽制していたが、自分の感情より姉の幸せを願うことにしたようだ。
この余裕は成長のあかしだろうか。
倉知が二人を見ながら、突然おかしそうにクスクス笑いだした。
「加賀さん」
「うん」
「俺、大発見しました」
「何?」
「二人が結婚したら、大月五月ですよ」
笑いをかみ殺した声でそう言うと、吹き出して屈託なく笑う。結婚とはまた飛躍したな、と思ったが、この二人はなんだかテンションが同じで、似たもの同士かもしれない。俺のことで同調はしても、喧嘩はしなさそうだ。
とにかく、末永く仲良くしていってくれればそれでいい。
〈おわり〉
『合コン行こうよ』
亜矢から電話がかかり、出ると挨拶も抜きにそう言った。
『店長がセッティングしてくれたんだけど、女子が一人足りないんだよね。来るでしょ?』
大学を卒業した亜矢は専攻とはまったく無関係の、エステサロンに就職した。美の追求に余念のない亜矢には似合っている。
「行かないよ。今全然、彼氏欲しくないし」
『いない歴二年じゃない。まだ加賀さんにこだわってるの?』
「違うから」
『五月には似合わないよ』
「似合わないって、何よ」
加賀さんにあたしが不釣り合い、という意味か、と鼻息が荒くなる。
「七世よりは似合うわよ」
『そうじゃなくて、不毛な片思いが似合わないって言ってるの』
「別に、そんな意味で好きなんじゃなくて、もうなんか、家族みたいなもんだし」
『家族ねえ』
亜矢が、やれやれ、というニュアンスでため息をつく。
『世の中にはあの人よりいい男なんていくらでも』
「いないから」
全部言い終える前に否定してやった。
『ねえ五月』
「何よ」
『もうめんどくさい』
呆れた声で亜矢が呟いた。
『いいから合コン、おいでよ。イケメン揃いだって』
あたしはイケメンが大好物だった。顔さえよければ性格が悪くても、何か重大な欠点があっても、大抵許せた。
でも加賀さんに出会って、変わった。
顔だけよくてもダメなのだ。
加賀さんは顔もいいし性格もいいし悪いところなんてない。優しい表情とか、面白くて楽しいところとか、とにかく心が広いところとか、全部好きだ。なんであんな人が七世の彼氏なんだ、と今でもたまに歯がゆくてたまらなくなる。
自分から告白したことが一度もなかったあたしが初めて想いを伝えた相手は、弟の彼氏。どうにもならない。諦めている。
だって、加賀さんと七世が、どれほどお互いを大事にしているのか、知っている。わかっている。別れたらいいのに、と思ったことも、正直あった。でも、二人は別れない。ずっと、永遠に、別れない。
じわ、と目に涙が浮かんだ。
ダメだ。もう、前に進むときがとっくにきている。
加賀さんはあたしにとって、アイドルのようなもの。手の届かない偶像。芸能人と一緒。どんなに憧れても、彼があたしを一人の女として見ることはない。
涙を拭いた。
早く、見つけなくては。男を。
合コンに行こう。と、思った。
以前の女の子らしい、男受けのする恰好をすれば大体の男は落とせる自信はある。でももう、偽りの自分じゃなく、本来の自分を受け入れてくれる男を探したい。
化粧は最小限にとどめて、ウィッグもつけず、アクセサリーはピアスのみ。ガーリーとボーイッシュを絶妙に混ぜ合わせたコーディネイト。我ながらいい女だと思う。
「よかった、来てくれて」
亜矢はあたしの肩を抱き寄せて頭を撫でた。
「今日当たりだよ、ほら」
男が五人座っているテーブルを指さして、励ますように言った。
観葉植物の陰から値踏みする。確かにイケメンぞろいではある。
眼鏡のインテリ系、爽やかでおしゃれなタイプ、骨太の体育会系、エトセトラ。それぞれ魅力はあると思う。前向きに、ゲットする方向で頑張ることにした。
向かい合って座り、乾杯をして、自己紹介を始める。あたしは黙って男たちを見つめた。
加賀さんに出会う前だったら。
この中の誰を選んでも後悔しなかったと思う。レベルが高い。でも、何か、惹かれるものがない。
「ねえ、あと一人まだ?」
亜矢の隣に座っていた、幹事の女性が男側に訊ねた。そういえば女側が六人に対して、男は五人。一人足りない。
「なんかバイト長引いてるらしくて」
「バイト? 大学生?」
「そうそう。大学一年」
七世と同い年だ。それだけでもう却下だ。年下に興味がないわけじゃない。でもどうせなら年上で、頼りになる感じの人がいい。
大人で、優しくて、加賀さんみたいな人が。
「あたし、ちょっとトイレ」
席を立ち、トイレに向かう。鏡を眺めて、ため息をつく。
なんてつまらなそうな顔。
「仏頂面」
亜矢がトイレに入ってきた。
「やっぱダメ。なんかダメ」
「何がダメだっていうの? みんなカッコイイじゃん。眼鏡君は? 将来有望の医大生だよ?」
「しゃべり方がムカつく」
「じゃあ、その隣の子は?」
「食べ方が汚くて無理」
「趣味がサーフィンってスポーツマンの人は?」
「黒すぎてきもい」
他の二人も、服のセンスが嫌い、目つきがいやらしい、とダメ出しをすると、亜矢があたしのほほをつねってきた。
「付き合いたくない理由、無理やり探してない?」
「そんなことない」
「イケメンならなんでもよかったじゃない」
「だから、あたしは大人になったんだってば」
「吹っ切れてないだけに見えるよ」
亜矢に指摘され、ずき、と胸に痛みが走る。あたしだって、吹っ切りたい。加賀さんなんてどうでもよくなるくらい、素敵な彼氏が欲しい。でもそんな人、この世に存在しない。
「あたし帰る」
「えー?」
「ごめん、おなか痛くなったって言っておいて」
トイレから出ると、店の出口に向かう。亜矢が呼び止めているのを無視した。ドアノブを掴もうと手を伸ばしたとき、ドアがこっち側に勢いよく開いた。
避けようもなく、ひたいに激突する重いドア。
「あーっ、ご、ごめんなさい!」
ドアを開けた男が大声を上げて謝った。
「すいません、すいません、どうしよう、怪我してない?」
大騒ぎする男の声に、周囲の目が集まる。
「これくらい平気だから」
「でも、あっ、赤い! 赤くなってる! おでこが!」
なんてうるさい奴だ。
「五月、大丈夫?」
「うん、なんともない、帰る」
「まだ開始一時間も経ってないんだよ? 見極めるのは早すぎるって」
「もういいの。その気もないのに合コンしようってのが間違いだったのよ」
「あっ、あの!」
あたしにドアをぶつけた男が、裏返った声を出した。
「俺も合コン参加者っす」
「あ、バイトで遅れた子?」
亜矢が男をさりげなく上から下までチェックする。
「そうっす、遅れてすいません」
「じゃああたしはこれで」
脇を通り抜けようとするあたしの腕を、男が掴んだ。
「ちょっと、何すんのよ」
「ごめんなさい、でも、帰らないで!」
「はあ?」
「俺、一目惚れしました!」
大声で、絶叫する男。
「理想です、あなたのこと」
男の視線が、一瞬胸に注がれたのがわかった。正直でいい、とは思う。
「あっそう。でもあたし、今誰とも付き合う気は」
「友達からでもいいんで、よろしくお願いします!」
叫んで右手を差し出してくる。周りの面白そうな目が痛い。亜矢もにやついている。
「いいじゃん、付き合えば。イケメンだし?」
亜矢と男を無視して店を出た。
「待って、ええと、五月さん」
回り込んで、後ろ歩きであたしの前を歩く。こういうしつこい男は好きじゃない。
「馴れ馴れしく呼ばないでよ」
「五月様!」
「ついてこないで」
速足で男の脇を通り抜ける。
「その気もないのに合コンしようと思ったってさっき言ってたよね」
後ろで男が疑問をぶつけてくる。振り返って睨んでやったのに、ひるまずについてくる。
「なんで?」
「あんたに関係ないし」
「もしや失恋引きずってる、とか?」
「うるさい」
「俺も!」
競歩並みのスピードで歩くあたしの後ろから、男が小さく叫ぶように言った。
「俺も同じ!」
「勝手に決めないでよ」
「あれ、違うの?」
違う。あたしは。
足を止めた。
「わかってるもん」
うつむいて、歯を食いしばる。
「前に進まないと、気づいたら三十路になってて、男も寄り付かなくなって、このままじゃ売れ残っちゃう」
でも今妥協して、誰かと付き合っても、絶対に楽しくないと思う。この人が好きだと思える相手と付き合いたい。誰でもいいなんて、投げやりになりたくない。
そんなことを言っていたら、二十代なんてあっという間に過ぎてしまう。
「売れ残ったら俺が貰うよ」
視界に現れた男が無責任なことを言った。数分前に会ったばかりの、名前も知らない男。改めてじっくりと顔を見る。とりあえず顔はいい。ファッションセンスも嫌いじゃない。髪の色を明るく染めていて、片耳ピアスで、年下の大学生という点はマイナスポイントではある。でも総合的にみて、合格点に達している。
「あんた」
「はい」
「大学一年なんでしょ」
「うんそう」
男は少年のような顔で笑って、「オオツキカナメです!」と名乗った。
「あたし年上だから」
「え、そうなの?」
「敬語使える? 使えないなら付き合わない」
男が目を見開いて、それから嬉しそうな笑顔になった。
「うわっ、えー、はい、了解っす!」
「あと、お腹空いたからラーメン奢りなさい」
行きつけのラーメン屋はすぐそこだ。先に立って歩き出すあたしの後ろで、男がわめく。
「待って! え? 付き合ってくれるの?」
「敬語」
「あっ、付き合ってくれるんすか?」
「それ敬語じゃないんだけど」
なんだかダメな奴だ。軽薄でチャラくて、君だけだよ、とか調子のいいことを言っておいて、浮気をするタイプ、かもしれない。誠実さとは無縁な香りがする。
「やっべ、俺、敬語勉強しなきゃ」
出会ったばかりでお互い何も知らない。でもこんなふうに、付き合えることを手放しで喜んでくれる感覚は、なんだかこそばゆくて懐かしい。
まあいいか、と思った。
加賀さんみたいな人なんていないんだし。
誰を選んだところで、彼には敵わない。
だからこれはあたしにとって、大きな一歩だ。
〈大月編へつづく〉
+++++++++++++++++++++
〈大月編〉
今日はラッキーな日だ。合コンに遅刻したおかげで、彼女ができた。
店の入り口で出会った美女と付き合うことになったのだ。
彼女は、四つ上だったが、童顔だから年上という感じがしない。ベリーショートで可愛らしい雰囲気で、気が強そうだけど、絶対にツンデレだと思う。いつか来るデレの瞬間が今から楽しみだ。と言うと多分殴られる。
ラーメン屋に入ると、勝手知った感じでカウンター席に座り、隣のスツールを一度だけ叩いた。座れ、ということだろう。
「オススメはどれっすか?」
「魚介とんこつ」
メニューを指さして彼女が答える。
「じゃあそれにしよ」
魚介とんこつ二つ、と注文を済ませ、いそいそとスマホを取り出した。
「あのー、連絡先交換しないすか?」
今のうちに聞き出しておかないと、このままフェードアウトされかねない。
「携帯の番号と、メアドと、あ、LINEも!」
「あたししつこいの嫌いだからね」
「了解っす」
「中身ない作文みたいなのも無視するから」
「う、はい、おはようコールもなし?」
「なし。うざい。ていうか睡眠妨害しやがったらぶっとばすから」
そう言いながらも、バッグからスマホを出してくれた。やっぱりこの人はツンデレ気質だ。
「メアド可愛いー。くらくらさつき。俺もクラクラかも」
ウキウキして声を弾ませると、顔面を盛大に崩して「寒い」と文句を言われた。
「単に名字から取っただけだから」
「へー、なんていうの?」
「倉庫のそうに」
「はいはい」
「知る、でくらち。さつきは暦の五月。登録しておきなさいよ」
スマホをタップする手が止まった。画面が暗くなってようやく我に返る。
「今、倉知って言った?」
「珍しい名字でしょ」
そう、珍しい。滅多にお目にかからないと思う。その名前の人物と出会ったことは、過去に一度だけある。
「五月さんって、弟いたり?」
「いるよ、あんたと同じ大学一年」
手からスマホが落ちて、テーブルでごとり、と音を立てた。
まさか。そんなことがあるのか。
両手で頭を抱え、うめくように訊ねた。
「弟さんは、すごい背の高い人?」
「何、あんた七世の知り合い?」
大声で叫びたい。
馬鹿な! そんな馬鹿な!
頭をテーブルに打ちつけて悲鳴を堪えていると、五月さんが俺の後ろ頭を軽く叩いた。
「何やってんのよ。ラーメン来たんだけど」
はい、と割り箸を差し出してくる。受け取って、彼女の横顔を見た。
姉弟だと言われれば、ああそうか、と納得できる。なんとなく、似ている。
俺が惚れた男の、彼氏に。
「あの、五月さん」
「いただきまーす」
両手を合わせて、ほんのり笑顔でそう言うと、ラーメンをすすり始めた。なかなか女性には珍しい豪快な食べ方だった。美味しそうに、幸せそうに食べる様子を見ていると、妙にときめいた。
こんなことをしそうに見えないのに、ちゃんといただきますを言うところもなんだか可愛らしい。
「安定の美味しさ!」
れんげでスープを飲んで、満足そうに顔をほころばせている。厨房に立って湯切りしている店主らしき男が、こっちを見てにやりと笑った。
「あんたも食べなさいよ。最高に美味しいから」
「はい……」
なんだか胸がいっぱいになってきた。
「何よ、もしかしてラーメン嫌いなの?」
胸を押さえていると、五月さんが怪訝そうに訊いた。
「好きっすよ。大好きっす」
「じゃあ食べてよ」
とりあえず話はあとにしよう。黙って食べることにした。
正直味はよくわからなかった。変な緊張感がずっと続いていて、胃が縮こまっているせいかたかがラーメン一杯を食べ終えるのに、やけに時間がかかってしまった。
「ごちそうさま」
完食して支払いを済ませると、五月さんがスマホの画面を見てつぶやいた。
「帰ろっかな」
「えっ」
「何、なんか文句あるの?」
「いや、その、どこかゆっくりできるところでお話しでも、と思っただけで」
まだ夜の九時前だし、別れるのは早すぎる。じっと俺を見上げていた五月さんの眉間に、しわが寄る。
「ゆっくりできるとこって、ラブホとか言わないでよ」
「まさか! 普通に、コーヒー飲めるとこっすから!」
そんな下心は誓って抱いていない。本当だ。疑わしそうに見られて心外だ。俺はそんな男じゃない。
「ちゃんと連絡してあげるから。またね」
俺に背を向けると、ひらひらと手を振って、去っていく。
気まぐれで華やかな、蝶のような女性だ、と思った。
「待って、俺、言わなきゃいけないことがあって」
呼び止めてから、待てよ、と気づいた。
なんて言うんだ? あなたの弟さんの彼氏を好きになって、ふられました?
男と付き合っているのを家族が知らなかったら?
そもそもあれから二年経った。まだ付き合っているとは限らない。
「言わなきゃいけないこと? なんなのよ」
「え、えっと、そのう」
「わかった」
五月さんが腕組みをして、大きなため息をついた。
「付き合ってって言ったの、取り消したい?」
「へっ」
「ラーメンがつがつ貪るような女とは付き合いたくないんでしょ」
ふん、と鼻で笑って肩をすくめる。
「こんな女で残念でした。もう自分を偽って男に媚びるのうんざりなの」
「いや、それは、むしろときめいたんすけど」
「……はあ?」
「美味しそうにたくさん食べる姿に、射貫かれました! いただきますってするとこもキュンとしたし、ギャップ萌えかな?」
拍子抜けした表情で俺を見ていた五月さんの顔が、赤くなっていく。
「可愛いっす」
「う」
赤面して、たじろいでいる。意外な反応だ。この人はやっぱりなんだか可愛らしい。
「帰るから!」
俺に背を向けて、全速力で逃げていった。取り残され、頭を掻く。仕方がないから帰ろう、と駅を目指して歩いていると、携帯が鳴った。
『今度の日曜、デートね。つまんなかったら別れるから』
というメッセージの後に、厳つい髭のおっさんのスタンプが現れた。思わず「あはは」と笑い声が漏れた。よくわからないけど面白い。今まで出会ったことがないタイプの女性だ。変にカッコつけないで、ニュートラルな状態で付き合える気がする。
別れるのが惜しい。今度のデートは本気で頑張ろう、と思った。
〈倉知編へつづく〉
+++++++++++++++++++++
〈倉知編〉
夕食を終え、二人で片づけをしているときだった。六花から、新刊が完成した、と連絡があった。
『電車の男も、ついに同棲編に突入です』
俺と加賀さんをモデルにしたBL本「電車の男」はシリーズ化し、すでに五冊作られている。内容は現実に忠実で、もはやノンフィクションだ。
『取りに来ない?』
「なんか漫画貰いに実家帰るって恥ずかしいんだけど」
『じゃあお届けにあがります』
「え、そんな用事で来るの?」
自分たちの私生活をなぞった十八禁の漫画を、姉が持ってくるなんて、気まずい。
洗い物をしている加賀さんが、ちら、とこっちを見た。
「あの、取りに行くから」
どっちにしろ恥ずかしい。でもいらない、と断れないのは、単純に六花の描く漫画が楽しみで、好きだから、かもしれない。
「今度取りに行くよ」
『うん、ねえ、そういや聞いた?』
声色から、なんのことかピンときた。
「五月のこと?」
『久しぶりの彼氏だからか、なんか妙に楽しそうなんだよね』
声がにやにやしている。
『あんたと同い年だって』
「え、なんか意外」
『だよね。次付き合うなら年上で加賀さんみたいな人かと思ったけど』
加賀さんみたいな人。そんな人いるのか、と加賀さんを見る。ただ洗い物をしているだけでも、映画のワンシーンのように美しい。
返事に詰まると、六花がすぐに「そんな人いないか」と言った。うん、と賛同する。
『今日もデートだって出かけたし、順調そうで何よりだけどね』
加賀さんを好きになって以来、誰とも付き合ってこなかった五月がようやく彼氏を作る気になったのだ。俺も応援したい。
「六花ちゃん、なんだったの?」
電話を切ると、加賀さんが訊いた。
「新しい本、できたから取りに来いって」
「え、それは俺らの本?」
「ですね」
「まだ描いてたの?」
よく飽きないね、と少し困ったような顔で笑った。
「同棲編に突入したらしいです」
「そのまんまじゃん」
「なんか人気あるらしくて、やめられなくなったみたいです」
「そのうち売り子しろとか言い出しそうで怖いな」
「それ前に言われました」
売り子の意味がわからず訊き返す俺に、悪魔のようなほほえみで、「自分がモデルの薄い本を自らの手で読者様にお渡しするんだよ」と言った。
「もちろん、断りましたけど」
「そりゃそうだ」
加賀さんが肩をすくめた。いくら寛大な人でも、六花の願望は叶えられないだろう。
「で、取りに行くの?」
「ああ、はい。暇なときに」
「じゃあ行くか」
水を止めて、タオルで手を拭きながら加賀さんが言った。
「今からですか?」
「うん、暇だし」
今日は夕食が早かったからまだ七時前だ。夜の時間が長い、すなわち二人の時間が長いことを内心で喜んでいたのだが、加賀さんは「暇」と捉えたようだ。少し寂しい気もしたが、加賀さんはいつも俺を実家に帰らせたがる。家族に気を遣っているのかもしれない。
「ただいま」
加賀さんの運転でフェアレディZを走らせ、実家に戻ると、父はテレビを見ていて、母と六花が台所で食事の後片付けをしていた。五月はまだデートらしい。
「座って待ってて。今持ってくるから」
六花が仕事を途中放棄してリビングを出て行った。二人でソファに並んで座ると、父が「いいね」と腕を組んでうなった。映画を観ている。見覚えのある俳優が映っていた。
「この映画観た?」
父が俺じゃなく、加賀さんに訊いた。
「いえ、面白いですか?」
「面白い、というより、好きだ」
父はニヤニヤしている。
「好きな要素が詰め込まれてんだよな。とにかくストーリーが簡潔なのがいい」
映画について語り出す父に、加賀さんはうんうんと頷いて聞いている。俺にはよくわからない。
「お待たせ、はい」
六花が戻ってきて、黒い手提げのビニール袋を目の前に差し出した。
「二人で読んでね」
「うっ、うん」
受け取って、父の目から隠すようにしてソファに伏せた。父は六花が怪しげな漫画を描いていることを知っている。読ませろ、と言い出しかねない、と危惧したが、加賀さんと映画の話に花を咲かせていて気づいていない。助かった、と息をつく。
「はい、麦茶」
母がテーブルにコップを二つ置いたとき、玄関のドアが開く音がした。
「あれ、五月かな?」
リビングから廊下に顔だけ出して、母が「おかえり!」と声を上げる。
「あっ、あらあら、どうも」
五月ではなかったらしい。よそ行きの声になって、ドアの隙間から廊下に滑り出していった。
話し声が聞こえる。若い、男の声だ。やたら声が大きい。テレビの音にかぶさるようにして聞こえる声は、聞き覚えがあった。誰だっけ、と思い出そうとしていると、リビングのドアが開いた。
「お邪魔しまっす!」
がちがちに緊張した様子の男が勢いよく頭を下げて、顔を上げる。知っている男だった。でも、なんで。どうしてこいつがうちに。
「なんで……」
呆然と呟く俺に、男が気づく。目が合った。
「あ」
男が目を見開いて硬直する。そのすぐあとで、加賀さんの存在に気づき、もう一度大声で「か!」と叫んだ。
嬉しそうな笑顔になり、無意識、という感じで駆け寄ろうとして、はた、と動きを止める。
「何? 急にでかい声出して」
男の後ろで五月が言った。
俺は、頭を抱えた。
もしかしなくても、大月が五月の新しい彼氏だ。
〈加賀編へつづく〉
+++++++++++++++++++++
〈加賀編〉
突然現れた見知った顔に、驚いた。どうして倉知家に大月がいるのか、すぐに理解できなかった。
場が、一瞬静まり返る。
「お父さん、五月の彼だって。大月要君」
倉知の母が紹介すると、大月は慌てて何度も頭を下げた。
「すいません、大月です。は……、はじめ、まして」
怯えた表情で父から倉知に視線を移す。五月と倉知が姉弟だ、ということは、どうやらわかっていたらしい。知らなければ、こいつならもっと大騒ぎしているだろう。申し訳なさそうに黙って身を縮めている。
「どうも、五月の父です」
倉知の父が立ち上がり、明るい声で言った。
「まあまあ、座りなよ」
父がソファに勧めたが、大月は「いえ! 自分、ここで十分です!」と声を張り上げて床に正座する。
「わあ、すごい野性的だね」
母がとんちんかんな感想を述べた。
「いやー、五月が男連れてくるなんて珍しいな」
父も母も娘の彼氏にテンションが上がっていて、俺たちの異様な空気に気づいていない。
「暗くなったから送るって聞かなくて」
五月はまんざらでもない様子だが、大月を押しのけて「加賀さん、いらっしゃい!」と俺の隣にくっついて座った。
「こらこら、彼氏ほったらかしたら可哀想じゃない」
たしなめたが五月は平然としていて動かない。大月は何か言いたそうに俺と五月を見比べている。
「五月、ちゃんと紹介してよ」
六花が自分の鼻を指さしてアピールしている。
「はいはい。これ、妹の六花」
はじめまして、とお互い頭を下げ合う二人。
「で、このでかいのが……、そういやあんた七世の知り合いじゃなかった?」
五月が怪訝そうに訊いた。大月がうろたえてしどろもどろになる。
「えっ、あっ、えっと、それはですね」
「知り合いだよ」
倉知が落ち着き払って言った。
「加賀さんとも知り合い」
「え」
五月と六花と両親が驚いて声をはもらせた。別に、知らないふりをする必要もない。
「あー、二年前にちょっといろいろあって。大月君、久しぶり」
「お、お久しぶりです!」
勢いよく頭を下げ、床に頭突きをかます。相変わらず騒々しい。ひたいをこすって苦笑いする大月を、五月が険しい顔で睨んだ。
「いろいろって? 何、待って、あんたなんか隠してない?」
「か、隠してるというかですね」
「なんで今まで七世のこと話題に出さなかったのよ。加賀さんとも知り合いなんて、相当親密なんじゃない」
気色ばむ五月に、大月は青ざめて目を泳がせている。
大月が倉知や俺のことを言い出せなかった理由はわかる。知り合った経緯がややこしい。
「まあまあ、てかなんで五月はそんな怒ってんの? 大月君が怯えてんじゃん」
倉知の父が割って入ったが、五月は収まらない。ソファから立ち上がり、大月の前で仁王立ちになる。
「言いなさいよ」
「へっ」
「隠し事されるの、我慢できない。言いなさい」
ひるんだ大月が、倉知の両親と、六花、倉知、と視線を移して、最後に俺を見た。助けを求める目だ。
彼女とその家族の前で、過去に男に惚れたとカミングアウトさせられるのはさすがに可哀想だ。適当にごまかすこともできるが、倉知や大月が芝居を打てるとは思えない。
「言えないっての?」
五月が大月の胸倉をつかんだ。
「言います! 言いますけど、言っていいのかわかんなくて!」
「何よ、それは。意味わかんないんだけど」
五月の怒りが増幅していくのを見かねて、倉知の父が「待て待て」と高く手を上げた。
「なんかややこしそうだし、お前らだけで話つけろ」
そう言うと、母の肩を抱いて「お母さん、風呂入ってこよう」とリビングを出て行った。さすがの対応だ。大月の肩の荷も少し軽くなっただろう。
はい、と六花が挙手して「なんか面白そうだし、見てていい?」と馬鹿正直に申し出た。
「どうだっていいわよ。早く、なんなのよ」
大月の胸倉は五月に捕まえられたままだ。揺さぶられて、降参のポーズをしながら叫ぶように言った。
「俺、加賀さんに告白しました!」
五月の動きが止まる。
「高二のとき、コンビニで財布忘れて困ってるとこ助けられて、そっからすごい好きになっちゃって」
その後、倉知と出会った経緯を事細かに説明するのを、懐かしいな、と思いながら聞いていた。大月と最後に話したのは高校三年の三月で、卒業したら大学に行く、もう会うこともないだろうけどお元気で、と涙を流していた。
俺も、もう会うことはないと思っていた。それがこんな形で再会するなんて。これも何かの縁かもしれない。
隣の倉知を見ると、同情するような目で、身を固くして大月を見守っていた。
「五月さんが倉知君のお姉さんだって知って、加賀さんとのことちゃんと言わなきゃって思ったんだけど、もし二人が付き合ってること知らなかったら迷惑が……、あ、あの、言って大丈夫でした?」
大月が情けない顔で俺に確認する。
「うん、家族公認だから」
言っていいのかわからない、というのは俺たちを気遣ってのことだったらしい。男に惚れて告白した過去を現在の彼女に知られたくないのかと思ったが、違った。大月は俺が思っているよりいい奴なのかもしれない。
「あんた、男が好きなの?」
黙って聞いていた五月が開口一番に訊いた。
「ちが! 違うから! 女の子大好き! おっぱい大好き!」
一言余計だ。六花がグフッと謎の音を発した。両手で口を隠しているが、目だけ見てもわかる。ものすごく嬉しそうに笑っている。大月が語った内容は、六花の大好物だ。
「だって、めちゃくちゃ美しい人が颯爽と現れて、助けてくれたんだよ? 優しいし、カッコイイし、男とかそんなの考えられなくなって」
「わかる」
五月がようやく大月を解放し、立ち上がってもう一度言った。
「わかる」
途端に、大月が脱力して床に両手をついた。五月は大月を見下ろして、鼻で笑った。
「あんた今でも加賀さんのこと好きでしょ」
「え、いや、いやいやいや、そんなこと、ないっすよ? ないないない。だってもうとっくに振られて諦めついてて」
うろたえる大月が、涙目で倉知のほうを確認する。倉知は成り行きを静観している。怒っている様子もない。二人がどうなるのか、ただ純粋に、心配しているように見えた。
「同じだから。あたしも」
はあ、とため息をついて、五月が大月の目の前に、しゃがみこんだ。
「あたしも告白して、振られて、でもまだ好き」
おいおい、と苦笑いが漏れた。恐る恐る隣を見ると、倉知は真顔で姉の丸まった背中を見つめていた。
「会えたら嬉しいし、ラッキーって思っちゃう。だって……」
俺を振り返って、すぐに前を向く。
「カッコイイもん。優しいし、楽しいし、大好きだよ」
彼氏の前で他の男を褒めるということは、今から別れ話に発展するのか、と気が重くなった。倉知も表情が暗い。
「あんたもそうでしょ?」
同意を求められた大月は、迷いながら、「はい」と認めた。
「ね、同じなのよ。あたしとあんたは」
そう言って、右手を差し出した。大月がその手と五月の顔を、交互に見て、ポカンとする。
「え?」
「同志でしょ、握手」
「あ……、はい!」
泣き顔で手を取ると、二人が握手を交わす。どうしてだか、二人とも憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしている。
大きな問題が解決した、というのが二人の共通認識のようだが、そんなんでいいのか、と口を挟みたくて仕方がない。
「え? 結局どうなったの」
六花がとぼけた声で訊いた。握手し続ける二人が、揃って六花を見る。
「どうって何よ」
「だから、別れるの? あんたたち」
「は? 別れないわよ。なんでよ」
「なんでよになんでよって言いたいんだけど。だって、二人とも加賀さんが好きで、忘れられないってことでしょ」
「ちっがーう」
五月が胸を張る。
「あたしの加賀さんへの好きって気持ちは、恋愛感情からファン意識に切り替わってるの。いい? ファンなのよ。キャーってなるでしょ、好きな有名人に会えたら。あれと一緒。わかる?」
六花が「はあ」とわかったのかわからないのか、あいまいに返事をする。
「俺は、すごくわかります」
大月が正座をし直した。両手を膝の上にきちっと置いて、上気した頬で俺を見る。
「大ファンっすから、加賀さんの」
もじもじと落ち着かない大月が、「あの、一言いいすか」と五月にお伺いを立てる。
「何よ、言いなさい」
許可が出ると、大月が大きく息を吸い込んで、雄たけびを上げる。
「私服の加賀さんが、超カッコ可愛いんですけど!」
顔を覆って崩れ落ち、悶絶する大月に、五月がまたしても「わかる!」と共感した。
「あたしも初めて私服見たとき死ぬかと思った!」
「ヤバイすよね! いや! スーツもめっちゃカッコイイんだけどね!? 俺もう、見た瞬間叫びそうになっちゃってさあ! ていうかマジでまた会えるとか神は俺を見捨てなかった!」
きゃあきゃあと手を取り合って騒ぎ始めた二人を見て、六花が「何これ」と呆れている。
「よかった」
倉知が大きく息をついて、ソファの背もたれに倒れこむ。
「よかった?」
「五月のこういう変なところを受け入れてくれる男の人、他にいないと思う」
ごもっともだ。ある意味、究極のベストカップルかもしれない。倉知は大月に、俺に近づくなと牽制していたが、自分の感情より姉の幸せを願うことにしたようだ。
この余裕は成長のあかしだろうか。
倉知が二人を見ながら、突然おかしそうにクスクス笑いだした。
「加賀さん」
「うん」
「俺、大発見しました」
「何?」
「二人が結婚したら、大月五月ですよ」
笑いをかみ殺した声でそう言うと、吹き出して屈託なく笑う。結婚とはまた飛躍したな、と思ったが、この二人はなんだかテンションが同じで、似たもの同士かもしれない。俺のことで同調はしても、喧嘩はしなさそうだ。
とにかく、末永く仲良くしていってくれればそれでいい。
〈おわり〉
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