電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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トマトな二人 ※

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〈加賀編〉

 食卓が、赤い。二日連続、赤い。
 昨日はナスとトマトのパスタに、カプレーゼ。
 今日はトマトベースのロールキャベツ、トマトのグラタン、トマトとタコのカルパッチョ。
「なんか、赤いよな」
 指摘すると、倉知がギクッとした顔をした。
「赤い、ですね」
「うん、赤い」
「トマト、嫌いじゃなかったですよね」
「嫌いじゃないし、全部美味しいんだけど、赤いなと思って」
 倉知が気まずそうに目を泳がせて、せっせと箸を口に運ぶ。
「なんかあれ? 願掛け的な?」
「え? いえ、そういうんじゃないです」
「わかった。美肌効果狙ってんのか」
「加賀さんすでに美肌です」
「占いでラッキーアイテムがトマトとか」
「いえ、違います」
「呪い?」
「えっと、それはどういうことですか?」
 考えつくことは全部言った。一体どうしてこうトマトづくしなのか。気になって仕方がない。
「率直に訊くけど、なんで昨日からトマトばっかなの?」
「すいません」
 箸を置いて、倉知が頭を下げた。
「そこの商店街、あるじゃないですか」
「ああ、アーケードの」
 近所にアーケード付きの商店街がある。よくは知らないが、それなりに歴史があるらしい。八百屋や魚屋が独立していて個別に買うのが面倒だから、俺はスーパーで済ませている。
「昨日行ってみたんですけど、そしたら八百屋のおばちゃんが安くしてくれて」
「あー、なるほど。気に入られた?」
「そうなのかな」
「倉知君みたいな子が野菜買いに来たらテンション上がるだろうね」
「二箱で一箱の値段にしてくれて」
「ちょ、待て。もしかしてまだまだある?」
「あります、ね。すいません」
 別にトマトは嫌いじゃない。でもこう続くと嫌いになりそうで怖い。
「完熟だったんで、早く使ってしまいたくて」
「よし、わかった」
 指を鳴らして提案する。
「おすそわけをしよう」
「おすそわけ」
「隣、女の人だっけ」
 マンションの住人と顔を合わせることはほとんどない。隣の住人とも、引っ越したときに挨拶したきりだ。
「女の人、二人です。姉妹で住んでるって言ってましたね」
「へえ、仲良しだね」
「今日もう遅いんで、明日にしましょうか」
 明日は土曜だから、在宅の可能性が高そうだ。そうすることにした。
 そして次の日。トマトを持って、二人で隣を訪ねた。
 隣の住人は俺たちの訪問に当然、驚いた。
「突然すいません。トマトは好きですか?」
 倉知が訊いた。なんだそりゃ、と思ったが他に切り出しようがない。
「えっ、トマト?」
 隣人が倉知と俺と、倉知の手の中のトマトを順番に見て「トマト……」とつぶやいた。
「買いすぎてしまって、もしお嫌いじゃなければもらっていただけませんか?」
「あ、あの、好きです。いただけるなら嬉しいです」
 今の反応からすると、苦手なのだろうと思ったが、彼女の顔は嬉しそうに見えた。
「よかった」
 倉知が胸を撫で下ろす。
「六個あるんですけど、お好きなだけどうぞ」
「えっと、じゃあ三個いただこうかな」
「お姉ちゃん、誰?」
 部屋の奥から声がした。姉妹の妹のほうだろう。
「お隣の方だよ」
 姉が返事をすると、奥で「えーっ」と声が上がる。そしてバタバタと小走りで現れた。姉は俺と同年代くらいだろうが、妹は若そうだ。高校生くらいに見えた。
「やばい、こんにちは!」
 第一声のやばい、の意味がよくわからない。オーバーアクションでお辞儀をする妹に、二人でこんにちは、と返した。
「トマト、いただいたの」
 姉が胸に抱えたトマトを妹に見せた。妹が怪訝そうに首を傾げる。
「トマト? お姉ちゃん食べられないじゃん」
「え、さっき好きって」
 倉知が言うと、姉がうろたえて「違うんです」と顔を赤らめた。
「妹が好きで」
「別に好きじゃないよ?」
「ちょっと、合わせてよ……!」
 なかなか面白い姉妹だな、と思わず笑ってしまった。
「あの、お嫌いなら無理に」
 倉知が申し訳なさそうに切り出すと、姉が赤い顔のまま声を張り上げた。
「せっかくなのでいただきます」
 慌てて頭を下げる姉に、倉知は少し困った顔で「なんかごめんなさい」と謝った。
「いえ、あの、ありがとうございます」
 何度も頭を下げる姉と、悪巧みの顔でニヤニヤした妹に見送られ、自室に戻った。
「嫌いだからいりませんって言いづらいですよね」
「うーん、いやあれは」
 多分、姉のほうは倉知に気がある。そして本人は何も気づいていない。よく俺を鈍感と責めるが、倉知も似たようなものだと思う。
「お前、一人で隣行ったりするなよ」
「え?」
「なんか理由つけて誘われても、一人で行くな」
「なんでですか?」
「わかんない?」
 倉知の手から、トマトの箱を取り上げて、キッチンに向かう。
「逆に俺が一人でお隣さんちに行ったらどう思う?」
「いやです」
 即答して後ろから腰に抱きついてきた。
「わかりました。絶対行きません」
 倉知はモテている自覚がない上に回避能力が低い。強引に迫られても上手く突き放せるかわからない。隣の住人は常識人のようだったが、用心するに越したことはない。
「トマト、余ったのどうしましょうか」
「ピザでも作るか」
「生地からですか?」
「うん、生地から」
 今日は土曜だから俺が料理をする当番だが、結局一緒に作るパターンが多い。当番制の意味がないが、料理が好きで苦にならないなら小さなことはどうでもいい。
「作ったことないけどどうすんの?」
「俺もないです。あ、そうだ、こういうときはこれです」
 ポケットからスマホを取り出して、誇らしげに掲げて見せた。
「検索?」
「え? いえ、母に訊こうかと」
 答えてから、急に恥ずかしくなったのか、苦笑して体をすくめた。
「そっか、検索すればいいんだ」
「なんか可愛いなお前」
「う」
「今更だけど可愛いな」
「なんで二回も言うんですか」
「大事なことだから二回言いました」
「検索します」
 照れが半分、拗ねが半分、という複雑な表情も可愛くて、下から覗き込んで観察していると、倉知の手が俺の目を隠した。
「なんも見えない」
「大人しく待っててください」
「見せろ、可愛い顔を」
「可愛くないので。ちょっと、暴れないで」
 倉知の手をどかして、首にしがみつく。
「あーもー、可愛いなあ」
 たまらなくなって耳たぶに噛みついた。倉知が身をよじって抵抗する。
「や、やめてください、なかなか検索できない。あ、これビザだ。ビザの作り方になってる」
「いつまで経ってもスマホに慣れないな」
 耳元で吹き出すと、倉知がびくっと体を震わせた。
「違います、使いこなしてます。加賀さんが邪魔するから……、耳はダメですって」
「もういいから、お母さんに電話しろよ」
「俺だって検索くらいできます」
「うん、でもお前の声聞いたらお母さん喜ぶんじゃない?」
 頻繁に連絡を取り合っているようだが、あまり帰っていない。遠くに住んでいるわけでもないし、普通の家庭より家族仲がいいのだから、もう少し頼ればいい。
「電話してみて」
「メールじゃダメですか?」
「うん」
 渋る理由がよくわからない。ためらいながらスマホを操作し、耳に当てた。
「もしもし、うん、元気。今電話大丈夫? うち? そっか」
 倉知の背中に抱きついて、匂いを嗅ぐ。
「ピザの生地ってどうやって作るの? うん、いや、トマト買いすぎたんだ。ずっとトマト料理続いてて、どうしようかって……、うん、ピザ」
 通話をしている間中、匂いを嗅ぐ俺を、倉知は落ち着かない様子で気にしていた。そのうち匂いだけじゃ我慢できなくなって、服を捲った。
「強力粉と、ドライイースト? ってなんだっけ? パン作るやつ? それ普通に売ってる?」
 埒が明かないな、と思いながら、剥き出しにした背中に噛みついた。
「わっ、びっ、くりした。……ううん、なんでもない、大丈夫」
「倉知君、お母さんおうちにいるなら二人で習いに行こうか」
「え?」
 耳にスマホを当てたまま、俺を振り返る。
「必要な材料教えてもらって、調達してからおうち行こう」
「いいんですか?」
「お母さんさえよければ」
「え、聞こえた? うん、いい? うん、わかった」
 倉知の母の「おいで!」という明るい声が漏れ聞こえた。うん、うん、と相槌を打つ倉知の胸に両手を突っ込んだ。乳首を撫でながら背筋をひたすら甘噛みしていると、そのうち前屈みになっていき、ガク、と膝が折れた。
「何してるんですか」
「手持無沙汰だったから」
「チーズと上に乗せる具だけ買ってきてって。生地は材料あるそうです」
「よし、じゃあ買い物してその足で倉知家行くか」
「えっ」
「えって。何、行くだろ?」
「行きます、けど、今から? 今すぐですか?」
「今から行けば昼に間に合うんじゃない?」
「そうですね……」
 そわそわする倉知の股間に手を伸ばす。硬くなっている。
「治まる?」
「頑張れば、できますけど」
「抜いてく?」
 ズボン越しに撫でると、身を固くしてシンクのへりにしがみつく。
「手で、してくれるんですか?」
「口でもいいよ。どっちがいい?」
「下の口がいいです」
「お、おう、そうか」
「引かないでください」
 ファスナーを自分で下げて、倉知が俺に向き直る。
「上の口でいいです」
「一分以内にイケる?」
 倉知の前で身を屈めて、硬くなったペニスを引っ張り出した。
「一分、ですか」
 高校生の頃、倉知は早漏で、一分なんて余裕だった。でも今はコントロールが効くようになった。
「ちょっとタイマー合わせます」
 キッチンタイマーを操作する倉知がおかしくて、笑いながら口に含む。一分と言ったのは、時間をかけると俺のほうがやばくなるからだ。
 どんだけ真面目なんだよ、と愛しさが込み上げる。咥えて、倉知を見上げる。目が合うと、途端にオスの顔になる。髪に指を絡ませて頭を引き寄せられた。奥まで突っ込まれ、ぐ、と喉が鳴る。むせそうになるのを堪えて、吸いついた。舌を絡ませて、頭を振る。唾液の音が、響く。倉知はずっと、俺を見ている。俺もずっと、上目遣いで見つめ続けた。
「気持ちいい」
 倉知がつぶやいた。俺の頭を押さえて、腰を振る。硬くなった脈打つペニスが、口の中で限界まで張りつめている。
「加賀さん、エロい。綺麗」
「ん」
 口の端から、唾液が溢れ、零れ落ちた。
「う、もう、出ます」
 宣言すると、声を漏らして俺の口の中に精を放つ。直後に、タイマーが鳴った。時間通りなのがツボにはまった。笑って飲み干すと、口を離し「早い」と褒めた。
「じゃあ行くか」
「余韻も何もあったもんじゃないですね」
 口を濯ぐ俺に密着すると、尻を撫でて、首の裏に吸いついてくる。
「したくなりませんでした?」
「夜にとっとく」
 口を拭って振り返ると、倉知が赤い顔でうつむいた。
「なんで照れてるの?」
「ちょっと想像しちゃって」
 可愛い奴め。
「夜が楽しみだな。ほら、トマト持って」
 残りのトマトは三個だ。別にこれくらいなら無理に調理せずに冷やしトマトで十分消費できるのだが、実家に顔を出させるきっかけにはなる。
「倉知家行くならお隣さんにあげなくてもよかったな」
「そういえばそうですね。変に気を遣わせちゃったみたいだし」
 隣の住人にとってはラッキーな出来事だっただろう、と想像できる。トマトなんかどうでもよくて、倉知が訪ねてきたことを素直に喜んでいたように見える。
 困ったことに、倉知は日に日に男前度が上がっている。元々高校生にしては落ち着いていて、思考パターンも大人びていたが、全体的に男の色気が出てきた。
 しっかりしているし、コミュニケーション能力も高い。長身で、可愛さとカッコよさが混合したこの外見だ。頼りになりそうで魅力的に映るのだろう。
 女から好意を持たれることは避けられない。それを嘆いたり不安になったりはしない。いくらモテたって、関係ない。倉知が俺以外になびくはずがない。
 今のところは自信がある。揺らぎようのない自信だ。
 今のところは、揺らぎようがない。
「倉知君」
「はい」
 買い出しを済ませ、倉知家に向かう車内。女々しいな、とは思ったが、訊かずにはいられなくなった。
「俺のこと好き?」
「え、……なんですか、それ」
 改まってこんな質問をしたことがあっただろうか。訊かなくてもわかるというより、嫌というほど好き好き言われている。
 倉知は驚いている。すぐに好きだと返事が出ない程度に、困惑している。
「毎日好きって言ってるのに」
「はは、そうだよね。でも今聞きたくなった」
「好きです」
 熱視線が、横顔に刺さる。目だけを動かして助手席を見ると、倉知は真顔だった。
「好きです。愛してます」
「うん、俺も」
 信号が赤だ。停車すると、シフトレバーを握る俺の手を、倉知の大きな手が包み込んだ。
「信号赤なんで、キスしていいですか?」
「いや、駄目だろ。昼間だよ。外から見えるから」
「そうですよね」
 しょんぼりする倉知がそっと手をどけて、そのまま苦しそうに胸を押さえた。
「どした? 痛い?」
「苦しくて」
「え、大丈夫? 病院行く?」
「行っても治りません。恋の病なんで」
 ギャグかと思って声を上げて笑ったが、倉知は切なげで、真剣な顔をしている。
「好きすぎて苦しい」
 胸を押さえたまま、シートにもたれて目を閉じる横顔。眉間のシワが濃く、本気で苦しそうに見えた。付き合って二年経ってもまだこんなにも好きでいてくれる。幸せな話だ。
「倉知君」
 腕を引いて名前を呼ぶと、倉知が目を開けてこっちを見た。素早く顔を寄せて、唇を重ねる。至近距離で、驚いたように見開く目が、あっという間に潤んで溶けそうな笑顔になった。
「治りました」
「それはよかった」
 誰かに見られていたかもしれない。周囲を確認するのが怖い。前の車のテールランプだけを見つめて発進するのをひたすら待つ。信号が青になり、ブレーキランプが消えると、軽く自己嫌悪に陥った。外での軽々しい行為は慎まなければ。
「見られてたみたいですね」
「はっ?」
「歩道歩いてた人が、男の人ですけど、びっくりした顔してました」
「マジでか」
 ごめん、と謝って頭を掻く。
「うわー、どうしよ。もうしません、ごめんなさい」
「いいじゃないですか。見られても。またしてください」
 倉知は上機嫌だ。どうしてだか人にキスシーンを披露するのが好きだ。
 喜んでいるからまあいいか、と気持ちを切り替える。
 倉知家に着くと、倉知の母が玄関で待ち構えていて、帰ってきた息子を抱きしめた。
「おかえり」
「ただいま」
「また大きくなった?」
「ならないよ。先月会ったばっかなのに」
「そうだっけ? 加賀さんもいらっしゃい」
「お邪魔します」
 リビングには倉知の父がいて、テレビを見ていた。
「おー、おかえり」
 二人揃って「ただいま」と答えた。
「ピザ作るんだって?」
「うん、トマトメインだけどシーフード系かな。あれ、二人は?」
 五月と六花の姿がない。
「五月はデート、六花は仕事」
 父が答えた。倉知が「デート?」と反応する。
「彼氏できたの?」
「さあ、詳しく知らないけど、多分」
 放任主義の父親らしい返事だ。
「加賀さん来てるって知ったら帰ってくるかもな」
「そうだろうね」
 二人して暢気に笑うが、笑いごとじゃないと思う。デートより俺を優先されても困る。
「二人ともおいで、作るよー」
 倉知の母がエプロン姿で手招いた。キッチンに三人もいると狭くて効率が悪い、と思ったが、倉知の母は三人で作りたいらしい。並べた材料を一つずつ説明しながら、すごく楽しそうに教えてくれた。倉知は真剣にメモを取っている。
「で、この生地を、力いっぱい打ちつけまーす。こう!」
 丸めた生地をまな板に叩きつけるときも、やっぱり笑顔だ。
「ストレス解消にいいよ。はい、やってみて」
 言われたとおりに叩きつけると、「いいね」と褒められた。
「二人は喧嘩しない?」
 突然の質問に、倉知と顔を見合わせた。
「しませんね」
「そっかあ。じゃあコノヤローとか思うときないかあ。そういうときにパンとか作るとストレス解消になるんだけど。こういうふうに」
 母が生地を叩きつけるのを、倉知は一歩引いて見守っている。倉知の両親でも喧嘩をするときがあるのか、と驚いた。
「喧嘩しないってすごいことだけど、遠慮しないで言いたいこと言い合ったほうがいいよ? ねえ、お父さん」
 倉知の母が、夫に同意を求めた。「うん」と弱々しい声が返ってくる。
 熟練夫婦からのアドバイスはありがたいが、遠慮はしていないし、言いたいことも全部言っていて、それでも喧嘩にならない。
「不満は溜め込んだら爆発するからね」
「いえ、不満はないです。いい子だし、本当に、俺にはもったいないくらい完璧です」
 フゥーウ、と倉知の父が奇妙な声を発した。
「お前ら付き合って二年くらい経つよな? 初々しいなあ、不満ないって嘘だろ?」
「加賀さん優しいから、なんでも許してくれるんだよ」
 許すも何も、そもそも悪いことをしない。浮気でもすれば話は別だが、本当に、完璧なのだ。一緒に暮らしていればむかつく瞬間があってもよさそうなものだが、何をしても可愛い。
「今回だって、トマトたくさん買って、トマトだらけでも文句言わないで食べてくれたし」
「優しいね。お父さんだったらちゃぶ台ひっくり返してるよ」
 倉知の母の科白に、父が慌てて首を横に振る。
「ないないない。なんだよ、俺そんなことしないよ。しないからね、加賀さん」
「大丈夫です、わかります」
 そこは弁明しなくてもわかる。父がそういう荒々しい人格だったら、今の倉知はない。
「お母さんは何を言い出すんだよ。誤解されるじゃん」
「そっか、ちゃぶ台ないもんね」
「そこじゃないから」
 夫婦漫才をする両親に焦れた倉知が、ボールペンで母の脇腹をつつく。
「で、次は?」
「次は、えっと分割して、丸めます。で、ラップして置いておきまーす」
「発酵させなくていいの?」
 倉知が質問する。
「パンじゃないからいいの。この叩きつけるやつも別にしなくていいんだよ。パンみたいにふかふかにする必要ないから」
「えっ、じゃあなんでやらせたの」
「加賀さんにストレス解消してもらおうと思って」
「お気遣いありがとうございます」
 あいにくストレスは溜まっていないが気持ちはありがたい。
「オーブンを予熱で温めてる間に、具材とソースの準備をするよ。あとは生地を伸ばしてトッピングのせて焼くだけ」
「意外に簡単だけど、生地作りは研究の余地がありそうかな」
 倉知がブツブツとメモをしている。生地にこだわらなければ、たとえば市販の春巻きの皮とか餃子の皮で代用できるのだが、倉知はあまり手抜きをしない。時短メニューが多い俺とは真逆で、とにかく丁寧に、時間をかける。
 本人が楽しんでいるようだから口は挟まないし、俺も自分のスタンスは変えない。それで上手くいっている。
 ピザが完成し、四人で完食すると、倉知の父が時計を見て「そろそろ出るか」と言った。
「どっか行くの?」
「映画。お前らも行く?」
「えー……、何観るの?」
 倉知が迷いを見せると、父がニヤリと笑って息子の広い背中を叩いた。
「お母さんが観たがってる邦画だから、オススメはできない」
「なあに、それ。失礼な」
 映画の好みが違ってもどちらかに合わせて一緒に観に行くなんて、仲がいい。
「引きこもってイチャイチャするのもいいけど、外出てデートするのもいいぞ」
 耳が痛い。倉知は照れ臭そうにうなずいた。
「そんじゃあどっかついでに遊びに行くか」
 両親を見送ったあと、車に乗り込みシートベルトを締めながら訊いた。
「どこ行きたい?」
「帰ります」
「え、この流れでまさかの帰ります?」
「今は二人きりになりたいんです」
 気持ちはわかる。誰にも見られない場所で、ゆっくりとイチャつきたい。
「帰るか」
「帰りましょう」
 夜まで待てない。
 二年経っても初々しい、という言葉はまさにその通りだ。 

〈おわり〉
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