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第六話 昼休み
しおりを挟むしっしっと手を払われて、前を向く。
スマホを上着のポケットに突っ込んで、今朝の出来事を反芻する。
実は、狂犬じゃなかった。まったく、鬼なんて要素はない。
犬を助ける強さと優しさ。やったことはやったと認める潔さ。俺と一緒に進級したいから嫌いな勉強を頑張るなんて、素直だし、健気だ。
他の誰も、柴崎の本性を知らない。本当はいい奴なんだ、何も怖くなんかないと、触れ回りたい気持ちはある。
でも、本当の姿を独り占めしたい歪んだ欲求もある。
「どうしたらいいと思う?」
昼休み、沢村に全部ぶちまけた。柴崎の真実と、俺の葛藤を。そのうえで意見を求めたのだが、サンドイッチを持った状態で固まっている。
「みんなに教えたほうがいい? よな?」
ひそひそと訊ねると、沢村は机に肘をついて眉間を揉んだ。
「うん、いや、うん、待って、ちょっと情報量多い」
「アドバイスください、お願いします!」
箸を持ったまま拝むと、沢村がサンドイッチを黙々と食べ始めた。
拝んだ状態で、辛抱強く、待つ。
沢村は紙パックのカフェオレにストローをセットしながら俺を見て、ようやく口を開いた。
「あの人が本当はどんな人かはよくわかった。みんなに誤解されて、怖がられて、避けられて、損だなとは思うよ」
うんうん、とうなずいて同意する。沢村はストローを咥えてカフェオレを一口飲むと、おでこを掻いて「でも」と俺の目を見て続けた。
「別に友達が欲しいとか、仲間外れが嫌だとか、誤解されてつらいとか、そういうタイプでもないだろ。お前さえ味方なら、いいんじゃねえの」
「沢村さん……」
「さんて」
沢村は大人びている。いつも冷静で、ちょっとカッコイイ。
「ま、俺も味方だけど」
もう一つのハムと卵とレタスのサンドイッチをつかんで、顔色を変えずにぱくついた。
「沢村さん、一生ついていきます」
「うん、あ、やべ、呼びにきた」
沢村が教室のドアに目をやって、もごもごしながら手を上げた。別のクラスの生徒が数人、「沢村ー、行くぞー」と開いたドアから手招きしている。食べかけのサンドイッチを口に押し込んで立ち上がると、俺の肩をポンポンと叩いて、飛ぶように教室から出ていった。
沢村はいつも昼休みにバスケをしている。食べたすぐによく動けるなと感心する。
箸を持ち直し、手をつけていない弁当を見下ろした。そうだ、と名案を思いつく。
四組に行こう。
弁当の蓋を閉め、腰を上げた。どこ行くんだ、こっち来いよとクラスメイトに呼び止められたが、「四組で食べる」と断って、廊下に出た。
四組の教室を覗き込む。教卓の前の席に、柴崎の背中があった。一人きりなのに寂しそうじゃなくて、なんというか、「孤高」という言葉が似合う大きな背中だ。
「柴崎さん、一緒に食べよ」
背後から声をかけると、振り返った柴崎が大きく目を見開き、胸を押さえる仕草をした。
「びっくりした……」
「あれ、もう食べたの?」
「おにぎりを」
「え、ああ、おにぎり食べたんだ」
おにぎりはおにぎりで正解なのだが、柴崎が言うとなんだか可愛い。ニヤニヤしながら机に弁当箱を置いて、四組の教室を見回した。すごく静かだ。みんなこっちを見ていた。戦慄している。
「この椅子、借りていい?」
空いている椅子を指差して、誰にともなく訊いた。数人が、真剣な顔で首を縦に振った。
「何してたの? ゲーム?」
ランチクロスを解いて、柴崎が握り締めているスマホに視線を向けて訊くと、消え去りそうな声で答えた。
「LINEのトーク履歴を見てた」
「あ、俺の?」
「いつもは食べたらすぐ寝る。でも、今日は何回も、最初から見て……、飽きない」
柴崎の声は低い。教室は静かだから、小さな声でもよく響く。
誰にも聞かせたくない。
いや、聞かせてやりたい。
両極端の思いに揺れる。
「弁当、美味そう」
柴崎が俺の弁当をじっと見ていた。
「卵焼き食べる? はい」
冗談のつもりで言ったのに、ぱかっと口を開け、俺の箸から卵焼きを食べた。
「美味い」
用意していた「なんてね」という言葉を引っ込めて、「よかったー」と棒読みの返事をする。
視線がすごい。柴崎からは死角になっていて、気づいていない。みんながこっちを見ているが、困惑した空気が漂っている。
これだ、と思った。
俺が普通に接していれば、きっと柴崎は怖くないとわかってもらえる。
注目する生徒たちに親指を立て、力強くうなずいてみせた。
ほら、怖くない。
何人かはうなずいていたが、女子のグループが顔を寄せ合い、悲鳴交じりに何かを話し合っている。喧嘩で停学になるほどの男だ。女の子にとっては揺るぎのない、近寄りがたい存在なのだろう。
「あ、今日予定通り、うち来る?」
「行く」
返事は早かった。
「クッキー焼いたから、食べてほしい」
耳を疑う科白が柴崎の口から飛び出して、もう俺は、わけがわからなかったし、四組の教室は、さらなる混沌に包まれた。
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