となりの柴崎さん

月世

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第一話 柴崎琴音

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「これ、となりのクラスの柴崎しばざきさんから」
 帰りがけにそう言って、クラスメイトの沢村が紙切れを差し出した。
「え、柴崎さんから?」
 親指と人差し指に挟まれた紙片を見下ろして、期待に胸を高鳴らせ、聞き返す。
「お前に渡してって。なんかLINEしたいらしいよ、お前と」
「う、お、ま、マジで?」
 沢村は「ん」と言って俺の手に無理やり紙切れをねじ込んだ。
「渡したからな。ちゃんと登録しろよ」
 気だるげにあくびをしてから、教室を出ていく沢村の後姿を見送って、手の中の感触に意識を注ぐ。柴崎が、これを。
 心の中で雄たけびを上げたりガッツポーズをしたりトリプルアクセルを飛んだり、この上ないほど一人で舞い上がっていたが、教室にはまだ人がいて、だから俺は冷静なふりをして、手をポケットに突っ込んで、鼻歌を歌いながら家路を急いだ。
 となりのクラスの柴崎琴音は男子に人気がある。ふわふわの茶色の髪を高い位置で二つに結んで、高い声で甘ったるく喋る。まるでアイドルみたいに可愛くて、いつも笑顔で感じがいい。ついでに胸も大きい。女子には不人気だが、男子はみんな、彼女が好きだ。
 あの柴崎が。
 俺とLINEをしたいとのたまった。
 いいだろう。してやろうじゃないか。
 スキップで帰宅し、制服のままでベッドに寝転ぶと、ポケットから紙切れを取り出した。ノートの切れ端だ。四つに折りたたまれたそれを開くと、頼りない筆圧の震えた文字で「sivainu0120」と書かれていた。
「しば、いぬ? 柴犬好きなの? え、何、可愛くない?」
 顔がにやけた。IDだけですでに可愛い。
 LINEを起動してID検索をすると、柴犬のアイコンの「柴」というアカウントが出てきた。間違いない。柴崎だ。震える手で、追加の文字をタップする。向こうに、俺が追加した通知が届いているだろうか。
 トーク画面を開く。
 こういうときは、俺から声をかけるべきだろうか。そりゃそうだ。善は急げ。
──こんにちは
 送信すると、すぐに既読がついた。うわー、と声を上げ、ベッドの上で仰向けになり、脚をばたつかせた。柴崎が、俺のこんにちはを読んだ。それだけでハッピーな気持ちになる。
「え、どうしよ、あ、名乗らないと」
──さっき沢村からメモ預かって。三組の綾瀬です
 送信。
 既読はつく。それなのに、返事がない。
 本当にこれは柴崎だろうかという焦りが芽生えた。
──あのー、柴崎さんで合ってます?
 既読はすんなりつくのに、やはり反応がない。
 なんなんだ?
 どういう状況だとこうなるのだ。めちゃくちゃ打つのが遅いとか? いやいや、今時の女子が、それはない。
 向こうから俺とLINEがしたいと言っておきながら、既読スルーをする意味とは。
 もしかして、あれか。
 罰ゲームか何かで、俺にLINEのアカウントを教えたとか?
 最悪のケースとして考えられるのは、これは柴崎じゃなく、沢村がグルで、カースト頂点の暇を持て余した奴らが俺をターゲットにして遊んでいる。とか?
 俺が騙されるさまを、大勢で嘲笑っている。
 絶望の底に沈みかけたとき、フッと文字が現れた。
──こんにちは
「あああーっ、んだよ、焦った!」
 いや、安心するのはまだ早い。これが柴崎であるとは限らない。
──柴崎さんですか?
 訊いてみた。間を置かず、「はい」と短く返ってきた。そのあとは続かない。二分経過した。しびれを切らし、文字を打つ。
──可愛いですね、犬。犬好きなんですか?
 送信してから、馬鹿っぽいなと我ながら呆れたが、返事は早かった。
──好きです
 カアッと顔が熱くなるのがわかった。まるで自分が告白されているかのような、くすぐったさ。柴崎のあのビジュアルで「好きです」を再生していると、「ごめんなさい」と唐突の謝罪が現れた。
──緊張して、上手くいかない
「かわっ、可愛いかよっ」
──いやいや俺も。俺もめっちゃ緊張してるから。安心して
──優しい
「ひゃー」
 なんだこの楽しさは。柴崎が可愛い。愛しい。すごく好きだ。別に柴崎に恋心を抱いていたというわけではなく、可愛い女子、いいな、くらいの認識だったが、今はもう俄然、好きだ。
 もっと話したい。なるべく長く会話を続かせたい。
──柴崎さん、誕生日一月二十日なの?
 sivainu0120の0120は、誕生日と考えるのが妥当だ。くそ、まだまだ先だ。今すぐにでもプレゼントを渡したい。柴犬のぬいぐるみとか。ありがとう、と嬉しそうにぬいぐるみを抱きしめる柴崎を妄想して、にやけてしまった。
──いえ。誕生日は六月十五日
──え? でも0120って
──別に、これはただのフリーダイヤル
 噴き出した。
「はあ? 何それ、不思議ちゃん?」
 可愛い可愛いと絶賛してしまう。シーツの上で転げまわり、あっと声を上げる。
「てか、誕生日明日じゃん」
 慌てて文章を打ち込んだ。
──明日じゃん
──はい。です
──おめでとう! 明日、おめでとう!
──ありがとう(笑)
「おっしゃ、うけたぜ」
 何か欲しいものある? とか、一緒に何か買いに行こう、とかを送ろうとして、思いとどまった。
 それより先に、確認しておかなければならないことがある。
──柴崎さんは、どうして俺とLINEしたいと思ったの?
 半分はわかり切った質問だ。俺のことが、好きだから。それ以外に何がある?
 自惚れじゃない。だって、好きでもない奴とLINEをしたがる理由がない。
 返事が途切れた。既読のまま、時間が経っていく。離脱したのか、そこにいるのか。確認するために、もう一度送信した。
──俺が好き?
 送信。
 既読がつく。
 やおら、顔が熱くなってきた。これで違います、と返ってきたら完全な勘違い男じゃないか。しまった。取り消したい。でも、確信がある。
 柴崎琴音は、俺が好きだ。
──はい。好きです
「ほら! ねっ!?」
 ベッドの上に立ち上がり、ドヤ顔を作り、一人で「すげえ」を繰り返した。
 興奮しながら画面を叩くように次の科白を入力する。
──じゃあ、付き合っちゃう?
 軽薄な文字をすぐに後悔した。こういうのは面と向かって言うものじゃないのか? きっと柴崎もガッカリしている。既読のまま、また返事がない。
 見損なった?
 冷めてしまった?
 嫌われた?
 悶々としていると、音が鳴り、画面が明るくなった。
──よろしくお願いします
 誰もが振り返るアイドル級の美少女が、彼女になったのだ。
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