DROP DEAD!MOTHERFUCKER

月世

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 翼は俺を見ると、ベッドの上で正座をして、布団に頭を埋めながら、「ごめんなさい」と喚いた。
「ごめんなさい、本当に、僕」
「もういい」
 カーテンを引いて周囲の視線を遮断すると、翼の鞄をベッドに放り投げた。
「もういい」
 もう一度同じ科白を口にすると、翼が恐る恐る顔を上げた。
「許してくれるんですか?」
「何を?」
「あの……、あんなこと、しちゃって」
「その、あんなことってのはなんだよ? 俺に迫ったことか、飛び降りたことか、どっちだ?」
 翼が何に対して謝っているのかわからない。翼はいつもこうだ。抽象的なのだ。だから純粋に、何に対する謝罪かを訊いているだけなのだが、時生が俺の腕を肘で突いてきた。
「カズ、怖いって。怪我人いじめてどうすんの」
「別にいじめてない」
「いいんです、僕が悪いんです」
 翼が正座をしたままで、目を潤ませて言った。
「僕、好き過ぎて、先輩が好き過ぎて、止められなくて、暴走しちゃって……、気持ち悪い思いさせて、ごめんなさい」
 ゆっくりと言葉を繋げる翼を、俺は黙って見守った。
「瀬野先輩なら、もしかして僕を受け入れてくれるかもって、思ったんです」
 どうしてそう思ったのか、謎だ。翼に優しくした瞬間なんて一度もない。
「わかるわかる。カズって人を馬鹿にしたり、毛嫌いしないもんな」
 時生の評価に首を傾げると、翼が鼻をすすって小刻みに頭を縦に振った。
「いや、結構するぞ」
 人の好き嫌いははっきりしているつもりだった。反論する俺の肩をぐいぐいと揉みながら時生が言った。
「要するに、思ってても言わないってことだよ。攻撃しない、差別を態度に出さないって、大事だろ」
「意味わかんねー」
「まあまあ」
 時生に肩を揉まれ続けながら、息を吐いた。
「とにかく、もうお互い忘れよう」
「……忘れる」
 翼がつぶやいた。
「忘れろ、全部。なかったことにすればいい」
「でも、僕、瀬野先輩への気持ちまでは、なくしたくない、なかったことにできません」
 もじもじと上目遣いで口を開く。
「好きでいてもいいですか?」
「勝手にしろ。つーかなんで俺なんだよ」
 めんどくさいという気持ちが声に透けて出てしまったが、翼は頬を赤らめて両手を胸に持っていき、夢見る表情で俺を見た。
「だって、瀬野先輩は僕の理想そのものなんです。クールだけどさりげなく優しいし、背も高くて、喧嘩が強くて、カッコイイです」
「はあ……」
 全身が痒い。服の上からぼりぼり体を掻いていると、時生が俺の肩に腕を回した。
「うんうん、わかる」
「お前そればっかだな」
「あの……」
 翼が口を開いて、閉じて、また開いて、やっとのことでこう言った。
「お二人は、実は付き合ってたり、しないですよね?」
「えっ、俺とカズ?」
 時生が素っ頓狂な声を上げた。
「ずっと思ってたんです。仲がよすぎるなって。今だってそんなにくっついて……、もしかして」
「ないない、付き合ってないよ」
 時生がはっきりと否定した。ホッとするのと同時に、なぜか胸がちく、と小さく痛む。
「でも俺は、カズが大好き」
「お前、ややこしいこと言うな」
 時生の言う「好き」は、恋愛感情とは違う。わかっている。軽く後ろ頭を叩いて、翼に視線を向けた。探るような目つきで俺と時生を見ている。
「時生は昔からこうなんだよ。深い意味なんてない。ありえねーだろ、めちゃくちゃ女好きなのに」
 内心の焦りが、俺を早口にさせた。疚しい気持ちがあった。昨日俺は時生とキスをして、触られて、擦り合って、まぎれもない性行為をした。
「女の子は大好きだし、男は無理だけどカズは別」
「もうお前は黙ってろ」
 時生の口に手のひらを押しつけたまま、翼を呼ぶ。
「翼」
「は、はい」
「もう二度と、死のうとするな」
 翼が泣きそうな顔で、ぐ、と息を呑み、唇を噛んで深くうなずいた。もう、こいつはきっと大丈夫だ。安堵のため息を吐き出して、言った。
「死ななくてよかった」
 今は素直にそう思えた。
 顔を覆って静かに泣き始めた翼の頭を軽く撫でてから、病室を出た。
「カズ、優しい」
「気のせいだ」
「俺、ホントにカズは別だよ」
 廊下を歩きながら、となりを見る。時生も俺を見ていて、思わず足が止まった。時生も立ち止まり、俺の目をまっすぐ見て、ふわっと微笑んだ。
「カズは特別」
「やめろ」
「あ、気持ち悪い?」
「そうじゃない」
 早足でエレベーターに向かい、下ボタンを連打する。
「カズは? 俺のことどう思ってる?」
 ボタンを押すカチカチという音に、時生の声が重なる。後ろにいる時生が、服の裾を引っ張る気配。
「お前は、ダチだろ」
「うん、そうだけど、ほら、昨日の」
 時生が喋っている途中で、エレベーターの扉が開いた。瞬間、体がビクッと跳ねた。白衣を着た医者が中にいた。知らない男だ。そいつはエレベーターを降りると、俺の横を素通りしていった。
「カズ? 乗らないの?」
「……乗る」
 無意識に止めていた呼吸を、吐く。
 この病院は織田の勤務先とは別で、だから、いるはずがない。
 あんな奴、別に、怖くもなんともない。
 そう思っていたのに、動揺している。
「お父さんに見えてびっくりした?」
 エレベーターの下降が始まると、時生が言った。答えずに階数の表示パネルを見上げた。
「医者なんだろ?」
 舌打ちをして、エレベーターの壁に背中を預けた。時生は質問攻めをやめなかった。
「お母さんにバラすって脅されて、関係持たされてるんだよな?」
 確かに最初はそうだった。
 でもバレてしまった以上、脅しは効力を持たない。
 織田が、花瓶を置いた真意が読めない。どうして自ら存在をアピールしたのか。バラすことに何かメリットがあるのか。
 あいつの思考が読めなくて、気味が悪い。
「カズ」
 エレベーターが一階に着いていた。開いた扉を押さえて、時生が俺の手を引いた。
「俺、カズを助けたいよ。俺にできることない? なんでもする」
「じゃあ、あいつを殺して死体処分するの、手伝ってくれ」
「え」
「冗談だよ」
 時生の手を振りほどき、病院のフロアを歩く。後ろからついてくる時生が、病院を出たところで声を上げた。
「手伝うよ」
 はあ、とため息を吐いて、振り返る。
「だから、冗談だって」
「もしそんな状況になったとしても、俺は手伝うよ」
「わかった。この話はやめよう」
「やめないよ。だって、カズ、これからずっと、弄ばれ続けるの? 永遠に? 俺、やだよ、カズがそんな目に遭うの、黙って見てられない」
 時生の目から、俺はどう見えているのだろうか。
 父親に弱みを握られ、やむを得ず言いなりになり、嫌悪を堪えてレイプされる、可哀想な性被害者。そんなところだろう。半分当たっていて、半分間違っている。
 踵を返し、バス停に向かう。
「時生」
「うん」
「俺は、ヤられるのがそうイヤでもないんだ」
 時生の足音がやんだ。構わずにバス停に向かい、ベンチに腰を下ろす。さいわい、誰もいない。
「それって、お父さんが好きってこと?」
 追いついた時生が、隣に腰を下ろして訊いた。
「違う。あいつのことは殺したいくらい、大嫌いだ」
 不思議そうに顔を斜めに傾ける時生から目を逸らし、空を見上げた。
「最初は嫌だった。屈辱だったし、女扱いされてむかついた。でも途中から気持ち良くて、恥だとかどうでもよくなった。木島にヤられたときも、逃げようと思えばできた。多分、知らねーけど。クスリのせいなんて、もうわかんねーよ。ヤリたかったから、自分からあいつにまたがった」
 こんなこと、誰にも言えないと思っていた。時生には一番、知られたくなかったのに。
「な、俺は汚いだろ」
 バスが到着し、ドアが開く。
 俺は腰を上げたが、時生は放心状態でベンチに座ったままだった。
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