43 / 45
憧れ以上恋未満
しおりを挟む
〈風香編〉
昨日、私は部活を引退した。
高校生活最後の引退試合は、残念ながら負けてしまった。勝って終わっていれば、流した涙の意味も、違っていただろう。
小中高と、ずっとバスケを続けてきた。でももう部活に出ることもない。
周りの友人がオシャレに気を遣い、彼氏を作り、いろんな場所に遊びに出かけている間も、私はコートを駆け回り、汗を流していた。
喪失感に襲われていた。私には部活だけだったのかもしれない。
今日は日曜日で、天気がいい。だから特に目的もなく外に出たのだが、急に思い立ち、自転車に飛び乗った。
向かう先は市の体育館。今日は、男子バスケ部三年生の引退試合。女子は負けたから、せめて男子は勝って欲しい。
体育館に入ると、まだ試合は始まっていなかった。コートを半分に分けて、シュート練習をしている。
普段遊び半分であまり真剣に取り組まない男バスも、今日だけは別の顔をしていた。笑みがなく、張り詰めた空気が漂っている。
倉知君の姿を見つけた。ゴールを見上げながら、何か考え事をしているようだった。表情が硬い。
丸井君ですら口元を引き締めて、険しい顔でシュートを放っている。声をかけてもいい雰囲気ではなさそうだった。
観覧席に上がり、手すりに体を預けてコートを見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「風香ちゃん?」
振り向くと、見知った男性が立っていた。「あっ」と声が出た。倉知君の恋人の、加賀さんだ。
「こんにちは」
慌てて頭を下げた。去年の学園祭で、一度顔を合わせただけなのに、私だと気づいてくれたのは奇跡に近い。名前を覚えてくれていたことも、素直に嬉しかった。舞い上がりそうになるのを必死で堪えて、「倉知君の応援ですか?」と当たり前な質問をした。
「うん、最後らしいから。倉知君の家族も来てるよ」
後ろを振り返って加賀さんが言った。つられてそっちを見ると、上のほうの席にご両親とお姉さんの姿があった。倉知君には二人お姉さんがいるはずだが、二番目のお姉さんしか来ていないようだ。私に気づいて手を振ってくる。頭を下げてそれに応えた。
倉知君と加賀さんはお互いの家族に、付き合っていることを認められているらしい。
男同士だから反対されてもおかしくない。反対されることのほうが多いと思う。お互いの相手を認めて、応援までしてくれる家族の理解力の高さに驚いてしまった。
加賀さんは私の隣に並んで立った。さっきまで全力で自転車を漕いでいたから、汗を掻いている。汗臭くないかな、とそれが心配で、気が気じゃない。この人が来ていると知っていれば、もっとちゃんとした服を着てきたのに。
友達の彼氏なのに、そんなことを気にしても仕方がない。でもやっぱりこの人は、かっこよすぎてまともに見ることすら恥ずかしい。私なんかが隣にいて、いいのだろうか、と気後れしてしまう。
観客は少なくて、席はガラガラだけど、だからこそ視線が集まってくる。
相手校の生徒らしき女子たちが、席を移動してこっちに近づいてくるのが見えた。スマホを向けてきているのに気づいてギョッとした。
さり気なく背伸びをして、なんとか隠そうと試みていると、加賀さんがぽつりと呟いた。
「あの子、マネージャーかな」
「え?」
視線の先を追った。倉知君が一年の女の子と話している。今年は一年女子のマネージャーが二人も入部して、片方の子は奇妙なことに、丸井君の彼女になった。
倉知君が話しているのは、もう一人の女の子だ。丸井君目当てでマネージャーになった友人とは違い、バスケに詳しく、テキパキとよく動いてくれる子だ、と倉知君が言っていた。
「はい、一年生のマネージャーです」
「仲良さそう」
バスケが好きな真面目な子だから、倉知君とは気が合うようで、部活でも話しているところをよく見る。他の部員より、仲がいいのは確かだ。
「あの子NBAファンらしくて、特に倉知君とはよく話してるみたいです」
馬鹿正直に答えてから、しまった、とすぐに後悔した。加賀さんが「ふうん」と言って、組んだ両腕を手すりにのせて黙り込んだ。
拗ねた、というか、これはヤキモチを妬いているのだろうか。ただのマネージャーですよ、とフォローするのも変だし、これ以上下手なことを言わないでおこう、と口をつぐんだ。
「倉知君って」
しばらく後で、口を開いた加賀さんが頭を掻きながら言った。
「学校でモテるよね?」
「えっと……」
本当のことを言うべきなのだろうか。私が喋ったことによって、二人の仲がこじれたり、喧嘩の原因になったりするのは嫌だ。
「真面目だし、優しいし、可愛いし、モテなかったら変だよな」
可愛い、というのは多分加賀さん独自の意見だと思う。同級生や下級生が倉知君をカッコイイと評しても、可愛いなんて意見は聞いたことがない。なんせ身長が百八十センチを超えている。私も彼を可愛いとは思えない。
「あの、やっぱり、モテたら嫌ですか? 不安になりますか?」
遠慮がちに訊くと、加賀さんがこっちを向いた。綺麗な目に見つめられて、思わずたじろいだ。加賀さんの周りに、チカチカと小さな星が光って飛んでいる、という妙な錯覚を覚えた。
「いや? モテなきゃおかしいって思うだけ。見る目なさすぎだろって」
これはのろけだろうか。自然と顔が熱くなる。
「なんであいつ、わざわざ俺と付き合ってんだろ」
「えっ」
驚いて声が出た。
「だって女の子に不自由しないのに、普通十歳上のくたびれたサラリーマン選ばないって」
突然の自虐的な発言に、戸惑った。何か思い詰めているというよりも、ただの疑問だったようで、特に落ち込んでいる様子じゃない。
どうしてこんな人が、自分を「くたびれたサラリーマン」と位置づけるのかがわからない。電車で初めて見たとき、息が詰まるほど驚いた。こんなに綺麗な人は、見たことがない、と思った。
「モテないならわかるけど、倉知君は絶対モテる」
自信満々に断言した加賀さんが、なんだか可愛らしく感じて、笑い声が漏れてしまった。目が合うと、慌てて謝って、弁解する。
「あの、倉知君はモテるけど、真面目だから今まで誰とも付き合わなかったんです」
中学も同じだったから、彼のことは大体理解しているつもりだった。
「告白されたからって、好きでもない子と付き合えない、好きじゃないのに付き合うなんて、失礼だろって言ってました」
私が言うと、加賀さんは優しくて柔らかい笑顔になっていった。
「はは、それ倉知君らしいな」
目を細めて嬉しそうに笑う加賀さんを見ていると、胸が苦しくなった。
羨ましい、と思った。
この人に、こんな顔をさせている倉知君が羨ましい。
「好きなんです」
綺麗な人を、じっと見て、はっきりと告げた。
「加賀さんが好きなんです」
「え」
きょとんとした加賀さんが、「ん?」と首を傾げる。
ハッとした。私は今、何を言った?
「ちっ、違います!」
あたふたと顔の前で両手を振った。
「倉知君が! 加賀さんのこと、好きなんです、大好きなんです!」
「お、おう、びっくりした。告白されたかと思った」
加賀さんが、あはは、と笑った声と、ホイッスルの音が重なった。コートの中で動きがある。そろそろ試合開始だ。
「座って観ようか」
わたわたと一人で汗だくになり、赤面する私の頭を、加賀さんが優しくポン、と叩いた。たったそれだけのことが嬉しくて、心が弾む。
加賀さんが数段上の、倉知家一行の元に戻っていく。観ようか、と誘われたことになるのだろうか、と迷いつつも、あとを追いかけた。
加賀さんの隣に座って、試合を観る。フリをする。隣が気になって、試合が目に入らない。
こっそりため息をついた。別に、違う。私は、この人に恋をしているというわけじゃない。でもなぜか、火照った体の熱が、一向に冷めない。緊張で、息苦しい。
ワッ、と体育館が沸いて、我に返る。コートに目をやると、リングにぶら下がる人影が。倉知君だ。高校の試合でダンクは珍しい。できる選手が限られているし、できたとしてもよほど余裕がないと無理だ。
「お父さん、七世がすごいよ!」
倉知君のお母さんが興奮してペットボトルを振り回している。
「あいつ今日、トリプルダブルでもする気か?」
倉知君のお父さんが言った。個人スタッツを記録しているらしく、ノートに目を落としていた。
確かに今日は気迫が違う。気がする。加賀さんが観に来ているから? でも倉知君は、会場内を見回すことも、誰かを探す素振りも見せない。集中したいから観ないようにしているのか、加賀さんが内緒で見に来ているのか、どっちだろう。
ちら、と隣をうかがうと、加賀さんが両手で顔を覆ってうなだれていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、うん、なんでもない」
うなだれたままうめいて、口元を隠した。
「やべえ、すげえカッコイイ」
小さな声で、囁くように言った科白が、確かに聞こえた。加賀さんの向こう側にいるお姉さんが、スケッチブックを片手にニヤニヤと口元を歪めている。
しばらくうめいていた加賀さんが、やがて体を起こして姿勢を正す。真っ直ぐな視線を、コートを走るただ一人に向ける美しい人は、完全に心を奪われている。
倉知君がどれだけこの人を好きか、知っている。ちょっとしたことで取り乱して、落ち込んで、うろたえる倉知君を見ていると、もしかしたら相手にされてなくて、一方的に想いを寄せているだけなのだろうか、と思ったこともあった。
なんのことはない、立派な両思いじゃないか。
面白いくらい、体の熱が引いていく。
冷静さを取り戻した私は、コートに目をやり、それからは純粋に、応援に徹した。友人の、高校最後の試合。見届けたい、と思った。普段ろくに勝てないチームだから、誰もがうちの高校の負けを確信していたと思う。私も、勝てるとは思っていなかった。
試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、相手チームは呆然とコートに立ち尽くし、勝った本人たちもスコアを見上げてポカンとしている。一点差で、うちの高校の勝ちだ。
勝った? 勝った? と確認し合っている姿を見て、笑ってしまった。椅子から立ち上がり、前に飛び出した。手すりから身を乗り出すようにして、「勝ったよ、おめでとう!」と拍手をした。
こっちを見上げた選手たちが、夢から覚めたように一斉に歓喜の声を上げ、腕を突き上げて、抱き合って喜んでいる。
「さすが、有言実行だわ」
いつの間にか私の隣で同じように手を叩いていた加賀さんが、感慨深げに言った。
「絶対勝つから、観に来てくださいって言われてさ」
なるほど、と激しく納得した。引退試合だから、というだけであれほどの闘志はみなぎらない。
会場に、じわじわと、お祝いムードが広がっていく。気づくと、観覧席の人たちも、みんな席を立ち、手を叩いて祝福し始めていた。倉知君の家族も三人が抱き合って、大騒ぎしている。
「なんかちょっと感動した」
「ちょっとですか?」
ツッコミを入れる私を見る加賀さんの目は潤んでいた。
「いや、だいぶ」
目尻を拭って、照れ臭そうに笑う顔が、可愛い、と思った。
顔を見合わせて笑っていると、下から「加賀さん!」と叫び声が聞こえた。腰に号泣する丸井君をぶら下げた倉知君が、こっちを見上げていた。
「そっち行きます、待ってて」
倉知君は、私が目に入っていない。というか、加賀さん以外、見えていない。多分もうほとんど体力は残っていないと思う。荒い息を吐いて、肩で息をして、疲れ切っている。立っているのもやっとのはずだ。でもその疲労を上回る感情が、彼の中で沸き起こっているようだった。
「いやいい、来なくていい」
身の危険を感じたのか、加賀さんが早口で止めた。
「でも、俺、今すごい抱きし」
「わかった! わかったから落ち着け、な?」
抱きしめたい、という叫びを、加賀さんが大声で掻き消した。唇に人差し指を当てて、「しー」とやっている。
「加賀さん……」
切なそうに見上げている倉知君の足下が、ふらついている。
「ちょっと待ってろ、今下りる」
加賀さんが言って、身を翻す。倉知君は腰にぶら下がって泣き続ける丸井君を引っぺがして、体を引きずるようにして体育館を出て行った。
会場は予想外の勝利の余韻に包まれていた。
自分の学校が勝って、嬉しい。ものすごく、嬉しい。今すぐここから飛び降りて、やったね、よかったね、と労ってあげたい。
でもそれ以上に、私の中でもやもやしている感情がある。
「いいなあ……」
知らずに口に出していた。
もう少し、話していたかった。だってもう、二度と会えないかもしれない。
あの人の作り出す空気はとても居心地がよくて、優しくて、穏やかだった。
私のこれは、なんだろう。一体、なんなのだろう。
恋、というには弱々しく、憧れ、というには苦しすぎる。
正体がわからないまま、始まっているかどうかもわからないまま、終わる。
わかりたくない。わからないままでいい。
大きく深呼吸をして、さようなら、と呟いた。
正体不明の感情とは、今日でお別れだ。
〈おわり〉
昨日、私は部活を引退した。
高校生活最後の引退試合は、残念ながら負けてしまった。勝って終わっていれば、流した涙の意味も、違っていただろう。
小中高と、ずっとバスケを続けてきた。でももう部活に出ることもない。
周りの友人がオシャレに気を遣い、彼氏を作り、いろんな場所に遊びに出かけている間も、私はコートを駆け回り、汗を流していた。
喪失感に襲われていた。私には部活だけだったのかもしれない。
今日は日曜日で、天気がいい。だから特に目的もなく外に出たのだが、急に思い立ち、自転車に飛び乗った。
向かう先は市の体育館。今日は、男子バスケ部三年生の引退試合。女子は負けたから、せめて男子は勝って欲しい。
体育館に入ると、まだ試合は始まっていなかった。コートを半分に分けて、シュート練習をしている。
普段遊び半分であまり真剣に取り組まない男バスも、今日だけは別の顔をしていた。笑みがなく、張り詰めた空気が漂っている。
倉知君の姿を見つけた。ゴールを見上げながら、何か考え事をしているようだった。表情が硬い。
丸井君ですら口元を引き締めて、険しい顔でシュートを放っている。声をかけてもいい雰囲気ではなさそうだった。
観覧席に上がり、手すりに体を預けてコートを見下ろしていると、後ろから声をかけられた。
「風香ちゃん?」
振り向くと、見知った男性が立っていた。「あっ」と声が出た。倉知君の恋人の、加賀さんだ。
「こんにちは」
慌てて頭を下げた。去年の学園祭で、一度顔を合わせただけなのに、私だと気づいてくれたのは奇跡に近い。名前を覚えてくれていたことも、素直に嬉しかった。舞い上がりそうになるのを必死で堪えて、「倉知君の応援ですか?」と当たり前な質問をした。
「うん、最後らしいから。倉知君の家族も来てるよ」
後ろを振り返って加賀さんが言った。つられてそっちを見ると、上のほうの席にご両親とお姉さんの姿があった。倉知君には二人お姉さんがいるはずだが、二番目のお姉さんしか来ていないようだ。私に気づいて手を振ってくる。頭を下げてそれに応えた。
倉知君と加賀さんはお互いの家族に、付き合っていることを認められているらしい。
男同士だから反対されてもおかしくない。反対されることのほうが多いと思う。お互いの相手を認めて、応援までしてくれる家族の理解力の高さに驚いてしまった。
加賀さんは私の隣に並んで立った。さっきまで全力で自転車を漕いでいたから、汗を掻いている。汗臭くないかな、とそれが心配で、気が気じゃない。この人が来ていると知っていれば、もっとちゃんとした服を着てきたのに。
友達の彼氏なのに、そんなことを気にしても仕方がない。でもやっぱりこの人は、かっこよすぎてまともに見ることすら恥ずかしい。私なんかが隣にいて、いいのだろうか、と気後れしてしまう。
観客は少なくて、席はガラガラだけど、だからこそ視線が集まってくる。
相手校の生徒らしき女子たちが、席を移動してこっちに近づいてくるのが見えた。スマホを向けてきているのに気づいてギョッとした。
さり気なく背伸びをして、なんとか隠そうと試みていると、加賀さんがぽつりと呟いた。
「あの子、マネージャーかな」
「え?」
視線の先を追った。倉知君が一年の女の子と話している。今年は一年女子のマネージャーが二人も入部して、片方の子は奇妙なことに、丸井君の彼女になった。
倉知君が話しているのは、もう一人の女の子だ。丸井君目当てでマネージャーになった友人とは違い、バスケに詳しく、テキパキとよく動いてくれる子だ、と倉知君が言っていた。
「はい、一年生のマネージャーです」
「仲良さそう」
バスケが好きな真面目な子だから、倉知君とは気が合うようで、部活でも話しているところをよく見る。他の部員より、仲がいいのは確かだ。
「あの子NBAファンらしくて、特に倉知君とはよく話してるみたいです」
馬鹿正直に答えてから、しまった、とすぐに後悔した。加賀さんが「ふうん」と言って、組んだ両腕を手すりにのせて黙り込んだ。
拗ねた、というか、これはヤキモチを妬いているのだろうか。ただのマネージャーですよ、とフォローするのも変だし、これ以上下手なことを言わないでおこう、と口をつぐんだ。
「倉知君って」
しばらく後で、口を開いた加賀さんが頭を掻きながら言った。
「学校でモテるよね?」
「えっと……」
本当のことを言うべきなのだろうか。私が喋ったことによって、二人の仲がこじれたり、喧嘩の原因になったりするのは嫌だ。
「真面目だし、優しいし、可愛いし、モテなかったら変だよな」
可愛い、というのは多分加賀さん独自の意見だと思う。同級生や下級生が倉知君をカッコイイと評しても、可愛いなんて意見は聞いたことがない。なんせ身長が百八十センチを超えている。私も彼を可愛いとは思えない。
「あの、やっぱり、モテたら嫌ですか? 不安になりますか?」
遠慮がちに訊くと、加賀さんがこっちを向いた。綺麗な目に見つめられて、思わずたじろいだ。加賀さんの周りに、チカチカと小さな星が光って飛んでいる、という妙な錯覚を覚えた。
「いや? モテなきゃおかしいって思うだけ。見る目なさすぎだろって」
これはのろけだろうか。自然と顔が熱くなる。
「なんであいつ、わざわざ俺と付き合ってんだろ」
「えっ」
驚いて声が出た。
「だって女の子に不自由しないのに、普通十歳上のくたびれたサラリーマン選ばないって」
突然の自虐的な発言に、戸惑った。何か思い詰めているというよりも、ただの疑問だったようで、特に落ち込んでいる様子じゃない。
どうしてこんな人が、自分を「くたびれたサラリーマン」と位置づけるのかがわからない。電車で初めて見たとき、息が詰まるほど驚いた。こんなに綺麗な人は、見たことがない、と思った。
「モテないならわかるけど、倉知君は絶対モテる」
自信満々に断言した加賀さんが、なんだか可愛らしく感じて、笑い声が漏れてしまった。目が合うと、慌てて謝って、弁解する。
「あの、倉知君はモテるけど、真面目だから今まで誰とも付き合わなかったんです」
中学も同じだったから、彼のことは大体理解しているつもりだった。
「告白されたからって、好きでもない子と付き合えない、好きじゃないのに付き合うなんて、失礼だろって言ってました」
私が言うと、加賀さんは優しくて柔らかい笑顔になっていった。
「はは、それ倉知君らしいな」
目を細めて嬉しそうに笑う加賀さんを見ていると、胸が苦しくなった。
羨ましい、と思った。
この人に、こんな顔をさせている倉知君が羨ましい。
「好きなんです」
綺麗な人を、じっと見て、はっきりと告げた。
「加賀さんが好きなんです」
「え」
きょとんとした加賀さんが、「ん?」と首を傾げる。
ハッとした。私は今、何を言った?
「ちっ、違います!」
あたふたと顔の前で両手を振った。
「倉知君が! 加賀さんのこと、好きなんです、大好きなんです!」
「お、おう、びっくりした。告白されたかと思った」
加賀さんが、あはは、と笑った声と、ホイッスルの音が重なった。コートの中で動きがある。そろそろ試合開始だ。
「座って観ようか」
わたわたと一人で汗だくになり、赤面する私の頭を、加賀さんが優しくポン、と叩いた。たったそれだけのことが嬉しくて、心が弾む。
加賀さんが数段上の、倉知家一行の元に戻っていく。観ようか、と誘われたことになるのだろうか、と迷いつつも、あとを追いかけた。
加賀さんの隣に座って、試合を観る。フリをする。隣が気になって、試合が目に入らない。
こっそりため息をついた。別に、違う。私は、この人に恋をしているというわけじゃない。でもなぜか、火照った体の熱が、一向に冷めない。緊張で、息苦しい。
ワッ、と体育館が沸いて、我に返る。コートに目をやると、リングにぶら下がる人影が。倉知君だ。高校の試合でダンクは珍しい。できる選手が限られているし、できたとしてもよほど余裕がないと無理だ。
「お父さん、七世がすごいよ!」
倉知君のお母さんが興奮してペットボトルを振り回している。
「あいつ今日、トリプルダブルでもする気か?」
倉知君のお父さんが言った。個人スタッツを記録しているらしく、ノートに目を落としていた。
確かに今日は気迫が違う。気がする。加賀さんが観に来ているから? でも倉知君は、会場内を見回すことも、誰かを探す素振りも見せない。集中したいから観ないようにしているのか、加賀さんが内緒で見に来ているのか、どっちだろう。
ちら、と隣をうかがうと、加賀さんが両手で顔を覆ってうなだれていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー、うん、なんでもない」
うなだれたままうめいて、口元を隠した。
「やべえ、すげえカッコイイ」
小さな声で、囁くように言った科白が、確かに聞こえた。加賀さんの向こう側にいるお姉さんが、スケッチブックを片手にニヤニヤと口元を歪めている。
しばらくうめいていた加賀さんが、やがて体を起こして姿勢を正す。真っ直ぐな視線を、コートを走るただ一人に向ける美しい人は、完全に心を奪われている。
倉知君がどれだけこの人を好きか、知っている。ちょっとしたことで取り乱して、落ち込んで、うろたえる倉知君を見ていると、もしかしたら相手にされてなくて、一方的に想いを寄せているだけなのだろうか、と思ったこともあった。
なんのことはない、立派な両思いじゃないか。
面白いくらい、体の熱が引いていく。
冷静さを取り戻した私は、コートに目をやり、それからは純粋に、応援に徹した。友人の、高校最後の試合。見届けたい、と思った。普段ろくに勝てないチームだから、誰もがうちの高校の負けを確信していたと思う。私も、勝てるとは思っていなかった。
試合終了のブザーが鳴り響いた瞬間、相手チームは呆然とコートに立ち尽くし、勝った本人たちもスコアを見上げてポカンとしている。一点差で、うちの高校の勝ちだ。
勝った? 勝った? と確認し合っている姿を見て、笑ってしまった。椅子から立ち上がり、前に飛び出した。手すりから身を乗り出すようにして、「勝ったよ、おめでとう!」と拍手をした。
こっちを見上げた選手たちが、夢から覚めたように一斉に歓喜の声を上げ、腕を突き上げて、抱き合って喜んでいる。
「さすが、有言実行だわ」
いつの間にか私の隣で同じように手を叩いていた加賀さんが、感慨深げに言った。
「絶対勝つから、観に来てくださいって言われてさ」
なるほど、と激しく納得した。引退試合だから、というだけであれほどの闘志はみなぎらない。
会場に、じわじわと、お祝いムードが広がっていく。気づくと、観覧席の人たちも、みんな席を立ち、手を叩いて祝福し始めていた。倉知君の家族も三人が抱き合って、大騒ぎしている。
「なんかちょっと感動した」
「ちょっとですか?」
ツッコミを入れる私を見る加賀さんの目は潤んでいた。
「いや、だいぶ」
目尻を拭って、照れ臭そうに笑う顔が、可愛い、と思った。
顔を見合わせて笑っていると、下から「加賀さん!」と叫び声が聞こえた。腰に号泣する丸井君をぶら下げた倉知君が、こっちを見上げていた。
「そっち行きます、待ってて」
倉知君は、私が目に入っていない。というか、加賀さん以外、見えていない。多分もうほとんど体力は残っていないと思う。荒い息を吐いて、肩で息をして、疲れ切っている。立っているのもやっとのはずだ。でもその疲労を上回る感情が、彼の中で沸き起こっているようだった。
「いやいい、来なくていい」
身の危険を感じたのか、加賀さんが早口で止めた。
「でも、俺、今すごい抱きし」
「わかった! わかったから落ち着け、な?」
抱きしめたい、という叫びを、加賀さんが大声で掻き消した。唇に人差し指を当てて、「しー」とやっている。
「加賀さん……」
切なそうに見上げている倉知君の足下が、ふらついている。
「ちょっと待ってろ、今下りる」
加賀さんが言って、身を翻す。倉知君は腰にぶら下がって泣き続ける丸井君を引っぺがして、体を引きずるようにして体育館を出て行った。
会場は予想外の勝利の余韻に包まれていた。
自分の学校が勝って、嬉しい。ものすごく、嬉しい。今すぐここから飛び降りて、やったね、よかったね、と労ってあげたい。
でもそれ以上に、私の中でもやもやしている感情がある。
「いいなあ……」
知らずに口に出していた。
もう少し、話していたかった。だってもう、二度と会えないかもしれない。
あの人の作り出す空気はとても居心地がよくて、優しくて、穏やかだった。
私のこれは、なんだろう。一体、なんなのだろう。
恋、というには弱々しく、憧れ、というには苦しすぎる。
正体がわからないまま、始まっているかどうかもわからないまま、終わる。
わかりたくない。わからないままでいい。
大きく深呼吸をして、さようなら、と呟いた。
正体不明の感情とは、今日でお別れだ。
〈おわり〉
11
お気に入りに追加
353
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
昭和から平成の性的イジメ
ポコたん
BL
バブル期に出てきたチーマーを舞台にしたイジメをテーマにした創作小説です。
内容は実際にあったとされる内容を小説にする為に色付けしています。私自身がチーマーだったり被害者だったわけではないので目撃者などに聞いた事を取り上げています。
実際に被害に遭われた方や目撃者の方がいましたら感想をお願いします。
全2話
チーマーとは
茶髪にしたりピアスをしたりしてゲームセンターやコンビニにグループ(チーム)でたむろしている不良少年。 [補説] 昭和末期から平成初期にかけて目立ち、通行人に因縁をつけて金銭を脅し取ることなどもあった。 東京渋谷センター街が発祥の地という。
性的イジメ
ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。
作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。
全二話 毎週日曜日正午にUPされます。
変態村♂〜俺、やられます!〜
ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。
そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。
暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。
必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。
その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。
果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】【番外編】ナストくんの淫らな非日常【R18BL】
ちゃっぷす
BL
『清らかになるために司祭様に犯されています』の番外編です。
※きれいに終わらせたい方は本編までで留めておくことを強くオススメいたします※
エロのみで構成されているためストーリー性はありません。
ゆっくり更新となります。
【注意点】
こちらは本編のパラレルワールド短編集となる予定です。
本編と矛盾が生じる場合があります。
※この世界では「ヴァルア以外とセックスしない」という約束が存在していません※
※ナストがヴァルア以外の人と儀式をすることがあります※
番外編は本編がベースになっていますが、本編と番外編は繋がっておりません。
※だからナストが別の人と儀式をしても許してあげてください※
※既出の登場キャラのイメージが壊れる可能性があります※
★ナストが作者のおもちゃにされています★
★きれいに終わらせたい方は本編までで留めておくことを強くオススメいたします★
※基本的に全キャラ倫理観が欠如してます※
※頭おかしいキャラが複数います※
※主人公貞操観念皆無※
【ナストと非日常を過ごすキャラ】(随時更新します)
・リング
・医者
・フラスト、触手系魔物、モブおじ2人(うち一人は比較的若め)
・ヴァルア
【以下登場性癖】(随時更新します)
・【ナストとリング】ショタおに、覗き見オナニー
・【ナストとお医者さん】診察と嘯かれ医者に犯されるナスト
・【ナストとフラスト】触手責め、モブおじと3P、恋人の兄とセックス
・【ナストとフラストとヴァルア】浮気、兄弟×主人公(3P)
・【ナストとヴァルア】公開オナニー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる