電車の男 番外編

月世

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 四月から高校生になった。どうしてもこの高校に入りたい、という強い意志を持って受けた学校じゃなかった。選んだ理由は単純だ。仲のいい友人がここを選んだから。
 私には、何もない。
 勉強もそれなりで、特に運動ができるわけでもない。音楽も苦手で、絵も下手。何をやらせても平均以下。ついでに容姿も平凡だった。
 友人の瑞樹《みずき》は、私とは反対に、頭が良くて脚も速くて、何をやらせても平均以上。ついでに美少女だ。
 彼女といると、いかに自分が駄目かを思い知るのだが、だからと言って嫌いにはなれない。瑞樹はいい子だった。私たちは小学校の頃からの親友だ。
「瑞樹、部活何にする? 陸上、続けるの?」
 隣に座っている瑞樹に訊いた。私たちは今、体育館の冷たい床に座らされている。
 今日は新入生歓迎会で、今から部活紹介が始まる。
「えー、決めてない。これ見て決めようかな。一緒なのにしようよ」
 瑞樹はキラキラと瞳を輝かせて、楽しそうだ。新しい学校生活が、楽しみで仕方がないのだろう。特にやりたいことがない私は、なんでもよかったので、素直にうなずいた。
 やがて各部の紹介が始まった。吹奏楽部が演奏すれば「これにしよっかな」と言い、水泳部が海パン姿で壇上に現れれば「肉体美は目の保養になる!」と頬を染めた。
「あ、むっちゃん、次バスケ部だよ」
 私はバスケが好きだった。と言っても、プレイするほうじゃない。観るほうだ。運動が苦手な私は、ドリブルすらまともにできない。
 ボールを持ったジャージの男子数人による、コートの半分を使ってのレイアップシュートが目の前で展開されている。正直、バスケはダンクがないと盛り上がらない、と思っている。だから私は日本のバスケではなく、NBAが好きだった。
 流れるようにレイアップをしている生徒たちの後ろで、一人だけ頭一個分背の高い男子がボールを持ってリングを見つめていた。あれくらい背が高ければ、ダンクができるかも、と淡い期待を抱いた瞬間、ドリブルを始め、リングに向かって、飛んだ。
 体育館が、ワッと沸いた。
 ワンハンドで、叩きつけるようなダンクをした長身の男子が、リングから手を放し、着地した。
「カッコイイ! むっちゃん見た?」
 私の腕を掴んで、体を揺すってくる。
「見た、すごい、すごいね」
 素直に感動した。日本人でもこんなに迫力のあるダンクをできる人がいるのか。
 周囲がざわつく中、マイクを握った別の男子が「このように!」と突然大声を張り上げた。
「バスケ部に入れば誰でもダンクができるようになる! というわけでは決してありません。普通、できません」
 体育館が笑いに包まれる。
「運動部はきつい、と思われがちですが、ご安心ください。うちの男子バスケ部は弱小なので、厳しい練習など一切ございません」
 自虐的なアピールに、クスクス笑いが起きた。
「大会で優勝することよりも、バスケを楽しむことが僕たちの目標なのです。つらい練習、ダメ、絶対!」
 こんなに緩い運動部が存在するなんて。胸を張って、頑張らないことを宣言している。
 本気でバスケをしたい人はさぞかしがっかりだろう。
「なんか面白いね、あの人」
 瑞樹が興味津々だ。でも男子バスケ部だから、私たちには関係ない。
「楽しく仲良くをスローガンに、日々練習しています。そんな僕たちを支えてくれる、可愛い彼女……じゃなくて、マネージャーも募集中です」
「マネージャーだって!」
 瑞樹が声を上げて、私の肩に手を置いた。瑞樹の中で決定してしまった。多分、マネージャーになる、と言い出すぞ、と身構える。
 部活紹介が終わり、教室に戻ると、思った通り、瑞樹が言った。
「むっちゃん、一緒にマネージャーしよう」
「……本気で?」
「なんか面白そうじゃない?」
 ダメだ、もう瑞樹は完全にやる気だ。
「でも瑞樹、バスケのルールもろくに知らないじゃない」
「大丈夫だよ」
 何故か自信満々に胸を叩く。
「むっちゃんがルール知ってるから大丈夫」
「何それ」
 はあ、とため息が出た。瑞樹と二人でマネージャーに名乗り出れば、どんな反応をされるか。
 瑞樹は可愛いから、きっとちやほやされる。私はいつでも引き立て役だ。
 気が重かったが、結局瑞樹の言う通りにマネージャーをすることに決めた。
 仮入部の日、体育館に見学に行くと、思わぬ歓迎を受けた。
「可愛い女子が二人も!」
 私たちを見て、先輩たちが大喜びした。部活紹介でマイクを握っていた人が、バスケ部の部長だそうで、丸井です、と自己紹介をした。
「女子マネージャーがいたら華やぐよ、嬉しいなあ!」
 どうやら今まで女子のマネージャーがいなかったらしい。散り散りにコートを駆け回っている部員を集め、マネージャー希望だって、と私たちを紹介した。
「えーと、一応志望動機訊いていい?」
 瑞樹が口元に手を持っていって、もじもじしている。私が代わりに口を開いた。
「バスケが好きなので」
「おお、やってたの? 女バスのほういかないの?」
 丸井部長が不思議そうに訊いた。
「私は運動が苦手なんで、観る専門です。NBAのリーグパスに入ってて、お気に入りの選手が出る試合は全部チェックしてます」
 おお、すげえ、と周囲が和やかな雰囲気になった。
「好きな選手は誰?」
 部長に訊かれ、真っ先に「アイバーソンです」と答えると、「ああ」と残念そうな声が上がる。彼はもうNBA選手ではない。でも日本人には人気の選手で、バスケ経験者で彼を知らない人は少ないと思う。
「現役選手ならケビン・デュラントとレブロンが好きです。あと、ステファン・カリーも」
「いいね、いいね。君、いいねー」
 部長が嬉しそうに拍手をする。他の部員も同調して、拍手が巻き起こる。
 あの日、ダンクを決めていた一番背の高い先輩も、ニコニコ笑って手を叩いている。すごく、優しそうな人だ、と思った。
 ちら、と隣の瑞樹を見る。もしかして、瑞樹の目当てはこの先輩じゃないのか、と思った。瑞樹は中学で付き合っていた彼氏と、卒業と同時に別れた。それ以来、彼氏欲しいが口癖になっている。カッコイイ、と言っていたし、多分気に入ったのだろう。
「で、こっちの君は? 志望動機」
 部長にうながされ、瑞樹が照れたように「あの」と制服の裾を握りしめる。
「あたし、この前の部活紹介で、一目惚れしちゃって」
 一瞬の間を置いて、「えーっ」とどよめきが起きた。何を馬鹿正直に、と慌てたが、手遅れだ。
「え、何、誰?」
「俺?」
「俺かな」
「俺だろ?」
 みんな、自分のことだと思ってそわそわし始めている。
「ていうかこいつでしょ? 普通に考えて。ダンクかっこよかったです、でしょ?」
 部長が隣を振り仰ぐ。背の高い、例の先輩。
「こいつはダメよ、婚約者いるから」
 冗談か本気か、そんなことを言った。周りの部員もフゥーと気持ち悪い声を上げてからかっている。恥ずかしそうに照れる様子を見て、ああ彼女がいるのかな、と理解した。
 瑞樹は残念がるだろう。マネージャーになるのは辞める、と言い出すかもしれない。隣を見ると、意外にも落ち込んだ様子がない。
「違います」
 瑞樹が裾を握りしめたまま、きっぱりと言った。
「あたし、部長さんのことが、いいなって」
 えっ、と声が出てしまった。すぐに私のあとに続いて、全員が大騒ぎを始めた。
「嘘だ!」
「悪趣味だ!」
「可愛いのにどうかしてる!」
「この人のどこがいいの? こんなだよ?」
 呆然とする丸井部長を、部員が一斉にこづき回した。それに一人だけ参加せずに、背の高い先輩はじっと瑞樹を観察している。
「部紹介のとき、面白くて、いいなあって思って。あの、今、付き合ってる人いますか?」
 瑞樹が上目遣いで訊いた。丸井部長は咳払いをしてから、瑞樹の前に歩み寄り、手を取った。そしてひざまずき、真面目な顔で、言った。
「結婚しよう」
 一呼吸置いてから、またしても部員による攻撃が始まった。
「調子こいてんじゃねーよ」
「そんなだからお前はダメなんだよ」
 頭を殴られ、太ももを蹴られても、部長はだらしない顔で笑っていた。
 私は輪の中から外れたところで、ぼんやりとその光景を眺めていた。
 そういえば、瑞樹は別に、面食いというわけじゃない。前の彼氏も、イケメンとかではなく、ムードメーカーでひたすら明るい人だった。
「こんな感じで、あんまり真面目に部活しない人たちなんだけど」
 いつの間にか隣にいた背の高い先輩が、一度ボールを床についてから、私を見下ろして言った。
「俺ら三年も夏前には引退だし、マネージャーになってくれたらありがたいです」
 必要とされている。何もない私なのに。
「お友達と二人で、入部してくれるかな。よろしくお願いします」
 先輩はまるでプロポーズでもするかのように、切実な表情で、バスケットボールを差し出してくる。
 この人は、なんて真っ直ぐなんだろう。
「あの、先輩は……」
 ボールを見つめながら、訊いた。
「うん?」
「本当に婚約してるんですか?」
「えっ」
 やおら赤面して私から目を逸らし、「してるような、してないような」と曖昧な答えを返した。
 誰か、特別な人がいることは確かだ。
 少し、残念な気もした。こういう人に恋をしたら、きっと毎日が楽しくて、幸せだと思う。
 でも私にはそういう少女漫画のような青春は似合わない。
 差し出されたボールをしっかりと受け取って頭を下げる。
「マネージャー、頑張ります。こちらこそ、よろしくお願いします」
 顔を上げると、先輩が嬉しそうに笑っていた。その無邪気さに、こっちまでつられて笑顔になった。
 こうして私は緩いバスケ部のマネージャーになった。
 なんの希望も抱いていなかった、高校生活。
 やりがいができたことが、誇らしかった。

〈おわり〉
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