電車の男 番外編

月世

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二人のクリスマス

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〈加賀編〉

 この時期、クリスマスソングを聴かない日がない。
 街を歩けばサンタを見かけ、テレビをつければクリスマスケーキのCMが流れる。
 毎年クリスマスは明確に、この日だ、と意識しない。いつの間にか終わっている。
 でも今年は違う。
 倉知が、はりきっている。
 クリスマスを来週に控えた日曜日、ベッドの中でまどろみながら、一緒に過ごしましょう、と今からニコニコと嬉しそうだ。
「俺がケーキ用意するから、お前なんか晩飯作れる?」
「作ります、任せてください」
 随分頼もしくなった。
「何が食べたいですか?」
「カレー」
「えっ、先週作りましたけど」
「お前のカレーなら三食続けてでもいける」
 倉知が嬉しそうに笑って「わかりました」と俺の頬にキスをする。
「で、クリスマスって結局何日だっけ?」
 俺が訊くと、倉知は驚いた顔で「二十五日ですよ」と答えた。
「二十五……、金曜か」
「でもケーキ食べたりパーティするのは二十四日です」
「ん? でも二十五がクリスマスなんだろ?」
「ケーキ食べたりするのはイブですよね」
「意味わかんねえシステムだな」
「いつもクリスマスやらないんですか?」
「やらないね」
 もしかしたら離婚前は家族でしていたかもしれないが、記憶にない。親父と二人になってからは、確実にやっていない。どっちもクリスマスには興味がない。
「前の彼女とは……」
 倉知がそこまで言って、言葉を濁す。
「もう忘れた」
「そう、ですか」
 いわゆる元カノの陰がよぎると、倉知は少し暗くなる。独占欲が強いから過去まで嫉妬の対象にしてしまうのだ。
「前も言っただろ。嫉妬するだけ無駄」
「はい、そうでした」
 倉知が体をこっちに向けて、俺を見る。
 浮かれている倉知を見ていると、恋人同士にとって、クリスマスを一緒に過ごすことが何故か重要だということがわかる。
 今俺が、クリスマスというものに向き合おうとしているのは、倉知が好きで、大事だからだ。倉知と同じ目線で、いろんなものを共有して、心から楽しもうとしている。
 そういうことは、今までなかった。
 彼女よりも優先する物が他にあったからだ。今は、倉知より優先度が高いものはない。
 倉知は物わかりのいい顔で俺の頭を撫でた。倉知のふところに潜り込んで、胸に頬をすり寄せる。
「クリスマス、してくれるのって俺が好きだからですか?」
 俺の髪を指で梳かしながら倉知が訊く。
「そうだよ。でも、してやろうって上から目線じゃないよ。ちゃんと、俺も楽しみだし」
「はい、わかってます」
 一緒にいられる口実になるなら、なんでもいい、という部分もなきにしもあらずだが、それを言うとデリカシーもロマンもなくなるから黙っていることにした。
「プレゼント交換しましょうね」
「ん、おう。何にすっかな。お前もう決めた?」
「まだです。迷ってます」
「よし、じゃあ千円以内な」
「えっ」
 倉知が素っ頓狂な声を上げる。
「なんか無理して高い物買いそうだし。俺も千円、お前も千円」
「千円で買える物ってなんですか?」
「さあ? でもそういうののほうが面白くない?」
 倉知が難しい顔で「千円」と呟いた。
「せめて三千円にしません?」
「それだと結構なんでも買えるからつまんねえだろ」
「俺、全財産はたいて、ブランドものの財布とか買いたかったのに」
 がっかりする倉知のひたいを叩く。
「そんなことされても、喜ばないよ? わかるだろ」
「う、そうですけど、誕生日だって何もあげてないのに」
「何言ってんの。これ以上ないもの貰ったよ」
 料理を作って貰って、バックバージンをいただいた。金で買えるものじゃない。
 倉知は腑に落ちない顔だ。
「俺は物より思い出派なんだよ。金かけないで、思い出作るぞ」
 俺の科白に、倉知がようやく前向きになった。
 クリスマスのたびに、高価なプレゼントをやり取りするのも馬鹿らしいと思ったのだが、さて千円で何を買おう、と発案者ながら頭を悩ませることになる。

〈倉知編へつづく〉

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〈倉知編〉

 千円で、一体何が買えるのか。
 物より思い出。確かに大事なことだ。
「千円……」
 休み時間に、悶々と考え込んでいると、丸井が俺の机に尻をのせた。
「当ててやろう、加賀さんのことで悩んでるな?」
 自信満々の顔で丸井が言った。
「加賀さんのことっていうか、クリスマスのプレゼントをさ」
「クリスマス!」
 丸井が自分の体を抱きしめて小さく叫んだ。
「うっわ、そっか、恋人同士のメリークリスマスだもんな」
「何それ?」
「あー、いいなあ、俺もラブラブしてえ」
 最近丸井はよく羨んでくる。俺に付き合っている人がいることではなく、加賀さんと付き合っていること自体を羨ましく思っている気もする。
 前に、学校をサボってファミレスに行ったとき、偶然加賀さんに会ったそうで、頭を撫でて貰ったと嬉しそうに報告された。
 正直、何やってんだよ、と怒りが湧いた。でも丸井と加賀さんがどうにかなるなんて、間違っても起こりえない。寛大な心で許すことにした。
「で、プレゼント何にすんの?」
「それなんだよ。加賀さんが、お互い千円以内って決めちゃって」
「千円? なんで千円?」
「俺が高い物買うの、止めたかったんだと思うけど」
「ブランドもんとか買いそうだもんな、馬鹿だから」
 丸井に馬鹿と言われるとは思わなかった。というか、ブランドものを買おうとしていた俺は本当に馬鹿なのだろうか。
「千円って何も買えないよな?」
「うーん、うまい棒百本」
「食べたらなくなるじゃん」
「こういうとき頼りになるのが、風香様じゃない?」
 丸井が風香の席を、首を伸ばして見た。振り返ると、友人と喋っていた風香がこっちを見る。目が合うと、腰を上げてこっちに飛んできた。
「加賀さんの悩みね?」
 丸井と同じことを言った。思わず丸井を見上げる。
「お前が悩むのってそれくらいじゃん」
 丸井が肩をすくめた。
「何、何かあったの?」
「いや、千円のプレゼント送るとしたら、何があるかなって」
「クリスマスのプレゼント? 予算千円しかないの?」
 風香が哀れみの目で見てくる。
「そうじゃなくて、加賀さんが千円って決めちゃったんだ」
「へえ……、やっぱり大人だね、そういうとこ」
 何故か感心している。
「高校生にお金使わせないように言ったんだよ。優しいよね」
 うっとりする風香に、丸井もうっとりした顔でうんうんと同意している。
 この二人は加賀さん信者だ。いつの間に、なんでこうなったのだろう。
「千円って、結構なんでもあるよ。雑貨屋さんとか行ってみたら?」
「雑貨屋さん」
 未知の世界だ。
「それはどこにありますか?」
 俺が訊くと、風香が声を上げて笑って、
「一緒について行こうか?」
 と言った。
「あ、はいはい、俺も行く」
 放課後、三人で部活を休んで雑貨屋に向かった。
 丸井がウケ狙いで変なものばかり勧める中、風香が真剣にああでもないこうでもないとアドバイスをくれた。
 そしてあるものに目をつけた。
 千円以内で、でもチープな感じがせず、加賀さんの部屋に置いてあっても違和感がなさそうな落ち着いたデザイン。
「これだ」
「うん、いいと思う」
「これってあれだろ、飾ってくださいってことだろ」
「ちょっとやらしいかな?」
「そんなことないよ。喜ぶよ、きっと」
 風香に後押しされて、決めた。
 綺麗にラッピングされたプレゼントを、クリスマスまで自宅で温めておくのは妙にむずむずする。
 むずむずしながら二十四日まで耐えた。
 学校が明日で終わりということもあり、部活もなく、早く帰れた。
 自宅のキッチンのほうが広くて使いやすいので、作って持って行くパターンにした。
 カレーを用意し、制服に着替え直し、プレゼントを持って準備していると、母が「これも持って行って」とタッパに入った何かを押しつけてくる。結構ずしっと重い。
「えっと、これは?」
「七面鳥!」
「えー……」
「サプラーイズ!」
 確かに七面鳥の丸焼きがテーブルにあったら、驚くとは思う。
「あの、ありがとう」
「加賀さんによろしくね。メリークリスマス!」
 母はクリスマスが好きで、いつもごちそうを作ってくれる。
「お母さん」
「うん?」
「泊まってくるけど、いい?」
「うん、制服だもんね。そうだと思った」
「俺がいなくて寂しい?」
 母が一瞬笑顔を消した。すぐに笑って、「ちょっとだけ」と答えた。
「寂しいけど、七世が好きな人と一緒にクリスマスを過ごせるって、お母さん嬉しいから、大丈夫」
「ごめんね」
「大丈夫! だってお父さんも、五月も六花もいるもん。今年は五月、彼氏いないから、うちで食べるんだって」
 五月は大体彼氏がいて、クリスマスに不在の年が続いていた。今年は代わりに俺がいないことになる。
「来年、加賀さん連れてくるよ」
「えっ、いいの? 二人で過ごしたほうがよくない? クリスマスだよ?」
 二人のほうがいいのはその通りなのだが、俺は家族も大事だし、加賀さんならきっと理解してくれる。
「うん、約束」
 母と小指をからませる。嬉しそうに上下に振って指切りをすると、母が俺に抱きついてきた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 母の背中を撫でてから、家を出た。クリスマスに俺がいないなんてことは今までなかった。きっと、本当に寂しがっている。
 もう高校生なんだから、家族とべったりを卒業する時期かもしれない。
 そんなことを考えていると、こっちまで寂しくなってきた。
 でも、家族と加賀さん、今どっちと一緒にいたいか、と言われたら、どうしたって加賀さんを取ってしまう。
 俺は少し、大人になったのだ。
 そう思うことにした。

〈加賀編へつづく〉

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〈加賀編〉

 帰宅すると、テーブルにターキーの丸焼きがのっていた。
「何これ、嘘だろ。本物?」
 倉知が真面目な顔で「本物です」と答えた。相乗効果で笑いが止まらなくなった。
「母が持ってけって」
「お母さんすごすぎる」
「二人で食べきれないと思うんで、余ったら持って帰ります」
「うん、いいけど、ちょっと写真撮らせて。あー、うける」
 携帯で写真を撮る俺を、倉知が微笑ましそうに見ている。
「加賀さん」
「うん」
「メリークリスマス」
 後ろから抱きついてきた。
「ん、おう」
 体の向きを変えて、キスをしてやると、目を細めて溶けそうな顔になった。
「お前の体から、カレーのいい匂いがする」
 抱きついて匂いを嗅ぐ。
「美味そう」
「加賀さん、着替えてきて。食べましょう」
「うん、あ、これケーキ」
 倉知にクリスマスケーキの箱を渡した。二人で食べるのにちょうどよさそうな三号の小さなケーキだ。
「ありがとうございます」
 倉知が嬉しそうに頭上に掲げる。二人ともそれほど甘い物が好きじゃない。それなのにケーキを買うのは、雰囲気がなんとなく楽しいからだ。
 着替えてリビングに戻ると、倉知がカレーをテーブルに置いた。
「やべえ、美味そう。今日昼抜いたから腹減ってんだよ」
「え、お昼食べてないんですか?」
 昼は食べ損ねることがよくある。空腹のピークを過ぎればまったく問題はなく、食べないほうが頭も動く。
「大変だ、早く食べましょう」
 倉知が慌てて手を合わせる。声を揃えていただきます、と言ってカレーを口に放り込む。
「美味い」
 力強く誉めて、一旦スプーンを置いて手を叩いた。倉知が笑って「よかったです」と照れた。
「安定の美味さだわ。おかわりしていい?」
「たくさんあるんでどうぞ」
 それから二人でカレーを貪り、爆笑しながらターキーに入刀し、ケーキを食べ終え、片付けをし、プレゼント交換が始まった。
「ごめん、あんまり面白くないわ」
「え、面白さ追求すべきでした?」
 倉知がしまった、という顔で言った。
「いや、なんでもいいよ。はいこれ、メリークリスマス」
「ありがとうございます、俺からもどうぞ」
 お互いにプレゼントを交換して、よーいどん、と合図してから包装紙を破る。
「写真立て?」
 二面式の写真立てだ。千円にしてはしっかりした作りで、デザインも悪くない。
 やおら、顔がにやけてきた。二人の発想が見事にシンクロした瞬間だ。
「加賀さん」
「おう」
「アルバムですね」
 俺からのプレゼントは、二百枚収納できるアルバムだ。
「写真繋がりですね」
 この前旅行に行ったとき、結構写真を撮っていたから、プリントアウトしてアルバムにしておけばいつでも見られる、と思ったのだが、考えることが似ている。
「なんかすげえな」
「すごいです」
 二人で顔を見合わせて笑った。
「それで俺、この前の旅行の写真、全部印刷してきたんです」
「え、マジでか」
「この中から写真立てに入れる写真、選んで貰おうと思ったんですけど、余ったのアルバムに入れられますね」
 まさに痒いところに手が届くプレゼントになった。L版の写真を俺に渡して、「百枚近くあります」と倉知が言う。いつの間にそんなに撮っていたのだろう。
「どうせなら二人映ってるのがいいな」
 写真をめくりながら言った。倉知がスマホで撮ったやつだから、当然というか、俺単独で映っているのが多い。あとは景色や食べ物だ。
「誕生日のツーショットもありますよ」
「お、じゃあそれにしよう」
「もう一枚どうします?」
「決まってるだろ」
 自分の携帯の画面を、倉知に見せる。
「ターキーだ」
「えー」
 倉知が不満そうな声を出す。
「どこに飾ろう。やべえ、多分見るたびに笑うわ。早くプリントアウトしよ」
「加賀さん」
「ん?」
 プリンターの電源を入れる俺の腰を倉知が抱き寄せた。
「今日、楽しかったですね」
「うん」
「来年も、クリスマスしましょうね」
 すり寄ってくる倉知の尻を撫でて、「うん」と答える。
「来年はお前んちでするか」
「え」
「お前んとこ仲良しだから、一人欠けても」
「加賀さん」
 喋っている途中で、倉知が口を挟んだ。
「加賀さん、好きです、すごい好き」
 何かわからないが、いたく感動している。涙声で囁いて俺を抱きしめて離さない。
 今まで、クリスマスになんの思い入れもなく、一体何が楽しいのか理解できなかった。
 でも、倉知といると、全部、意味があることになるから不思議だ。
 来年も一緒にいることを前提に、約束をする。
 それも以前の俺にはなかったこと。
 徐々に変わっていく自分に、満足している。

〈おわり〉
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