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その後の日常ーデートー ※
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〈倉知編〉
付き合ってから一ヶ月ほど経った頃、金曜の夜八時頃に、珍しく電話が掛かってきた。
『起きてた?』
「え、八時ですよ。さすがに起きてます」
『何してた?』
「五月とゲームしてました。マリオです」
『仲良しだな』
「加賀さんはまだ仕事ですか」
うん、と答えて「あー」と何か言いにくそうにしている。
「加賀さんなの? あたしも話す!」
五月が俺のスマホを奪おうとしてきた。顔面を押さえて阻止して、立ち上がる。五月がそばで聞いていると思うと、喋りにくいのだろう。
リビングを出ると、後ろで五月が「勝ち逃げずるい!」と叫んだ。階段を上りながら、
「今部屋移動します。何かありました?」
と訊いた。
『いや、大したことじゃないんだけど。明日、部活終わってからでいいから、デートしない?』
階段を踏み外すところだった。慌てて上りきり、自室に飛び込んだ。
「……デート?」
『デート』
かあ、と頬が熱くなった。もっとすごいことだってしているのに、デートというこそばゆい単語が、妙に気恥ずかしい。
『この前の旅行は置いといて、そういうのしたことないだろ。どっかで待ち合わせして、恋人っぽいことしてみない?』
「ど、どうしたんですか、いきなり」
らしくない。心配になった。
『会社の奴らがデートするって張り切ってて、初々しいなあと思ったんだけど、あとでめぐみさんに、つっこまれた。ちゃんとしたデートしたことあるのかって』
部屋でひたすらDVDを観たり、加賀さんが読書をしている横で筋トレをしたり、一緒にゲームをしたり、勉強を見てもらったり、俺たちの休日は大体そんな感じで、外に出てもDVDを借りて返して、食材を買って帰る、という具合だ。
『なんか行きたいとことかない?』
「ちょっとパッと浮かびませんけど、でも、あの」
笑いそうになる顔をつねりながら、言った。
「嬉しいです」
『そっか。ならよかった。じゃあデートすんぞ』
「はい、します、デート」
『あ、ごめん、ちょっと仕事戻るわ。行きたいとこ決めといて』
電話が切れると、スマホを両手で持って、天井にかざした。
「すごい」
デートだ。ベッドに寝転がってドタバタしていると、ドアが開いて風呂上がりの六花が現れた。
「なんかうるさいんだけど、何してんの?」
「えへへ、俺、明日デートする」
「デート? 何、したことなかったの?」
「ない、うわあ、照れる」
「……七世、順番が違うしそこ照れるとこじゃない」
「デートって言ったらどこ行く?」
「映画館とか? 暗闇でこっそり手ぇ繋いだり、ポップコーン食べようとする手が触れ合ったり。てのが定番だね」
想像してみる。ドキドキした。
「よし、映画にしよう」
「あんた隣に加賀さんいるのに二時間くらいずっと、何もしないで我慢できるの? ある種の拷問じゃない?」
「……我慢できる!」
「そう願うよ。一つアドバイス」
「何?」
「席は一番後ろを指定しなさいよ」
六花が意味ありげな笑みを浮かべて、部屋を出て行った。
とりあえず観たい映画がないか調べた。ゾンビ物があればよかったが、ない。
恋愛物は男二人で見に行くと、きっと針のむしろだし、あまり観たいとも思えない。ホラーは勘弁だし、邦画は寝てしまいそうだし、やはりここはアクションものか。
父に訊けば多分面白い映画がわかる。
でも冷やかされそうで嫌だからやめた。
上映時間を調べると、良さそうな時間は二時過ぎに一回ある。先に昼ご飯を食べよう。
何を食べよう。デートだから何か特別なもの?
「六花! 昼ご飯、どこにしよう」
六花の部屋に転がりこむ。
「何、別に好きなもの食べたらいいじゃない」
パソコンに向かって、キーボードを目にも止まらぬ速さで打ちながら言った。
「でも、デートだよ?」
「映画館の近くで適当に食べたら?」
「そっか、そうしよう」
「七世」
部屋から出て行こうとする俺を、六花が呼び止めた。
「楽しんでおいで」
「うん」
六花が眩しそうに目を細める。
自室に戻ると、待ち合わせの時間と場所を決めて、映画館に行きましょう、とメールを打った。
『了解。また明日』
と、しばらくあとで返事が来た。
もう、楽しみすぎて眠れないかもしれない。ベッドの上をごろごろ転がっていると、いつの間にか眠っていた。
部活に行ってもルンルン気分は消えない。スキップをしながら跳躍し、ダンクを叩き込んだ。リングにしばらくぶら下がって、懸垂をしていると、コーチが「こら!」と喚いた。
「倉知は、土曜日いつもそんな感じだけど、なんなの?」
部員の一人が不思議そうに訊いてきた。丸井がニヤニヤしながらこっちを見ている。
「もしかして、彼女できた?」
「んー、んふふ」
答えずに鼻歌を歌う。
「マジで? あの倉知が?」
「えー、違うって、彼女とかじゃないって」
頭を掻きながら否定する。丸井が俺の背中にぶつかってきた。
「あんま浮かれてんなよ。ぽろっと言っちゃうんじゃないかと思ってヒヤヒヤすんだよ」
「丸井、なあ、聞いて」
「お前俺の話聞いてる?」
「俺、今日デートするんだ」
丸井が俺の首にぶら下がってコートの隅に移動した。
「声でかい、馬鹿」
丸井がキョロキョロと辺りを確認している。
「ていうか、デートって、なんで今更そんなことで嬉しそうにしてんの? この前二泊の旅行も行ってて、普通にお泊まりする仲だろ」
「デートしたことないんだもん」
「へー……」
丸井が冷めた目で見て、急に頭を叩いてきた。
「痛い。なんで?」
「なんかむかついた」
そう言い残すと丸井はドリブルをしながらコートに戻っていった。
少し浮かれすぎた。ばし、と顔を両手で叩いて、コートに戻る。
そこからは真面目に、時計を気にしながら部活をこなし、一旦家に戻ってシャワーをして、待ち合わせ場所に向かった。
あの人を一人で待たせるのが嫌だったから、待ち合わせ時間の三十分前に到着した。さすがにまだ来ていない。よかった。
一人で待たせたら、絶対にナンパされる。それだけは避けたい。女の人がまとわりつく光景なんて見たくなかった。
映画館の近くだからか、人が多い。周囲を見ると、似たように人を待っている様子の女子が数人いた。全員スマホを見ている。隣の女の子がスマホをいじりながら、ちら、とこっちを見てすぐに目を逸らす。
みんなデートなのか? デートってそんなにみんな、するものなのだろうか。
妙に感動した。
そして待ち時間にはスマホをいじるというルールでもあるに違いない。
よし、真似しよう。
まったくもって使いこなしていないスマホをぼーっと眺めていると、「ごめん、待った?」と加賀さんの声がした。
顔を上げると、いつもと違う、というか、いつも以上にカッコイイ加賀さんが立っていた。服装がスマートで、髪型も妙に色っぽいし、嫌味なくらい男前だ。ファッション雑誌からそのまま出てきたみたいだ。スマホが手からこぼれ落ちる。
「あっぶね。何やってんだよ」
地面に落ちそうになるのを受け止めてくれた。
「す、すいません。ていうか、加賀さん、今日なんか一段と輝いて……」
ハッとして隣を見た。スマホを持ったまま口を開けて呆然とする女の子。素早く見回して、こっちを見ている女子の多さに血の気が引く。
「移動しましょう」
腕を取って引きずった。
「あのぉ、すいません」
後ろから声を掛けられ、振り向くとさっき隣にいた女の子が頬を染めて加賀さんを見ていた。
「これから二人で遊ぶんですかぁ? あたし、暇してて。混ざってもいいですか?」
なんだそれ、と声が出そうになった。
デートの待ち合わせをしているのだと思ったが、違うようだ。
「いやいや、駄目です。ごめんね」
爽やかに謝って、かわそうとする俺たちの前に、女の子が回り込んだ。
「待ち合わせしてた子がぁ、急に来れなくなったって言うんですよぉ。可哀想なあたしと遊んでください!」
媚びるような目で見上げる女の子に、加賀さんはフッと大人びた笑みを見せた。
「デートだから。ごめん、邪魔しないでね」
え、と声が出た。
ポカンとする女の子をその場に残して歩き出す。
「加賀さん、いいんですか、あんなこと言って」
「いいんじゃない? だってもう会うことないだろ。腹減ったな、なんか食うか」
格好が違っても、いつもの加賀さんだ、とホッとした。
「なんか、そういう服、初めて見ました」
「ん、そうだろな。上から下まで高いし、滅多に着ない。靴もいいやつだし、腕時計も高いよ」
それはいつものことだ。この人の身につけるもので高くないものがあるのか、と疑問だ。
「デートだからね」
小声で言ってちら、と俺を見る。
「俺いつも通りですけど」
自分の格好を見て頭を掻く。
「可愛いからいいんじゃない」
「か、可愛いですか?」
どこがだろう。
「時間ないし、マックでも行くか」
「えっ、デートなのに?」
はは、と笑ってバシ、と背中を叩く。
「別にそんな、固くならなくていいよ。いつも通りにしてないと疲れるぞ」
いつも以上に完璧な人がそれを言っても説得力がない。
「マックと牛丼、どっちにする?」
少し考えて「牛丼」と答えた。女の人がいないほうがいい、と思ったからだ。
でも店に入って、二人、若い女の客が並んで座っていたからがっかりした。そして漏れなくこっちを見て、一人が「ねえ」ともう一人に肘で合図をする。
さいわいにもテーブル席が空いていた。そこに向かい合って座ると、注文を取りに来た店員が水を置いた。オーダーを告げて、去っていく店員の後ろ姿を見てから、顔を覆ってため息を吐く。
「加賀さん、どうして今日そんなにカッコイイんですか」
「え」
「いや、すいません、いつもカッコイイんですけど、今日やばいです」
女性のヒソヒソ声がぬるりと耳に入ってくる。
もっかいよく見たい。
芸能人かなんか?
モデルじゃない?
「なんて罪深い人なんだ。カッコよすぎてつらい。カッコイイよう」
うう、と顔を覆ったまま唸った。
「じゃあもっとよく見たら?」
両手の手首を掴まれてぎくっとした。手を引きはがされる。目の前に、優しく笑う大好きな人。
「お前のためにおめかししたんだから」
周囲に気を遣ってか、身を乗り出して、小さく囁いた。
おめかしって、と悶絶していると店員が「お待たせしましたー」と言って無造作に牛丼を置いていった。
「食おう」
「はい」
「うめえ」
「はい。加賀さん」
「ん?」
「今日の加賀さんに牛丼似合いません」
「はは」
大口を開けて、男らしく牛丼を食べる、美しい人。なんだこのギャップは。
「何が似合う? フレンチ? イタリアン?」
「そんな感じです」
「でも俺、夜は焼き肉食いたい」
「え、今牛丼食べてますよね」
「ほんとだ」
顔を見合わせて笑う。
食べ終えて店を出ると、さっきカウンターに並んで座っていた女性が二人、待ち構えていた。
特に話しかけてくる様子はなく、俺たちが去るのを黙って見送った。ナンパをして一緒に遊びたいとかではなく、見るだけで満足、という人たちもいる。
「見せたくないなあ」
「え、何?」
「なんでもないです」
店にいた女性たちが、食べ終わるまで外で待っていた、という事実にこの人は気づいていない。さすがだ。
「で、映画って何観るの?」
「うんと、なんか車のやつ」
「なんか車のやつ」
復唱して軽く笑い声を上げた。
映画館に着くと、チケット売り場の前で加賀さんに向き直り、「ここで待っててください」と言った。
「何、奢り?」
「たまには奢らせてください」
「わかったよ」
チケットを二枚買って戻ると、上映中の大きいポスターが並んでいるところに佇んで、じっと見ていた。立ち姿がカッコよすぎる。目眩がした。
通り過ぎる人が振り返って見ている。こっちに歩いてくるカップルも、男女ともに二度見している。
駄目だ、隠さなければ。
早足で駆け寄ると、俺に気づいて振り返る。
「なんか車のやつの正体がわかった。これ?」
指で差したポスターはまさにそれだ。
「そうです」
「なんでこれ俳優変えてきたんだ? もったいねえ」
「え、シリーズものですか?」
「お父さん映画好きなのにお前は全然なのな」
たまに一緒に観ることもあるが、父はコアな映画ファンすぎて正直ついていけない。
「若手使ってるってことは過去話か? まあいいや。一応リュック・ベッソンみたいだし」
「リュック?」
聞き返すと鼻をつままれた。
「ポップコーン食べる?」
「たべまふ」
鼻声で答える。
父と映画館に来ると、ポップコーンも飲み物も禁止なので食べられることが素直に嬉しい。食べ物があると気が散るし、飲み物も途中でトイレに行きたくなったらどうするんだ、と言って許してくれない。
映画を純粋に愛しているからか、映画館でのルールには厳しい。
「飲み物は?」
「俺が、買います」
手をそっとどかして言った。
「デートだから?」
「そうです」
「サンキュ。じゃあ俺コーラのMね」
売店でコーラとポップコーンを買って、三番スクリーンに向かう。
中は薄暗い。席の番号を見ながら移動して、並んで座る。
「ガラガラなのになんで一番後ろ?」
「え、駄目ですか?」
「いいけど、普通真ん中ら辺にしない?」
「六花が最後列にしろって」
加賀さんがポップコーンを口に放り込みながら、俺を見る。
「なるほど」
何かわからないが、わかったらしい。
映画が始まるまで時間がある。一番後ろには誰も座らず、前のほうか、真ん中に座る人ばかりだ。
六花が何故一番後ろにしろ、と言ったのか、わかった。振り向かない限り、誰も俺たちを見ない。映画を観ていて振り向くなんて、する人はいないと思う。
「加賀さん」
「ん」
ひたすらポップコーンを食べている。なんか可愛い。
「横顔見てていいですか」
「何それ」
「だって、もったいない。カッコイイし」
小声で会話をする。
「そんなん言ったら可愛いしもったいないから俺もお前見るぞ」
もぐもぐしながらこっちを見る。顔が熱くなる。
「み、見ないでください。カッコよすぎて恥ずかしい」
視線を逸らす俺の口に、何かが押し込まれた。
ポップコーンだ。
「美味い」
「うん」
「始まる前になくなりません?」
「それ面白いな。ちょっとやってみようぜ」
なんの遊びだ。
二人で黙々とポップコーンを食べた。
六花が、手が触れ合ってどうこう、と言っていた。確かに手は触れ合っているが、ポップコーンをなくす作業に没頭して別にドキドキも何もない。
全部なくなる前に、上映時間になり、パッと劇場が暗くなる。
「半分残った」
加賀さんが残念そうに呟いて、コーラを飲んでいる。
暗くなったことで、俺の中の何かが、目を覚ます。
肘掛けにのっている加賀さんの手に、そっと触れた。
これから二時間近く、ずっとこのまま。
我慢大会の始まりだった。
〈加賀編へつづく〉
+++++++++++++++++++++++++++++++++
〈加賀編〉
映画館は久しぶりだ。本編が始まる前の、他の映画の予告編がすでに面白い。
やっぱり映画はいいな、と実感する。
大画面と、腹に響く音響も心地いい。
倉知を横目で見ると、何故か緊張した顔をしていた。
左手をずっと握られている。
客が少なく、最後列だからこそできることだった。
倉知は何も知らずにこの映画を選んだようだが、三本のシリーズものがすでにあり、主演は別の俳優だ。だから俺には違和感がある。
俳優のファンだったら、同名の役柄を他人が演じるのはきっと許せないだろうな、と思った。だからか、土曜日なのに客が少ない。
多少思うところはあるが、どんな駄作にも何かいいところはある。何か一つでもいいところがあればそれでいい。と思って観ないと時間が無駄になる。
本編が始まり、左手の自由が奪われたままなので、右手で左側に置いてあるポップコーンを食べる。
倉知はじっと前を見て、映画に入り込んでいるようだった。
興味のあるなしに関わらず、こいつはなんにでもこんなふうに一生懸命になれる。
少し羨ましい。
人の手を握ったまま、よく集中できるな、と感心した。
俺は握られているせいで集中できない。
どこか一歩引いたところで、冷静に映画を分析してしまっている。
この映画は、もしかしたら倉知には危険な要素が出てくるかもしれない。
女が三人、出てきたところで懸念した。下着姿の女がやたら出てきたが、姉のを見慣れているからか、激しくうろたえることはなかった。
肌の露出の多さから見ても、こういう映画にはお約束の絡みのシーンが出てくる。賭けてもいい、この女は主役と寝る。そのシーンを乗り切れるのか?
そのときの反応が少し楽しみだ。
そして、そのときが。
隣で倉知が身を固くする。手のひらに汗が滲んだ。
大画面に映し出される濃厚なキスシーン。
急に現実に戻されたのか、俺の手を握っていることを思い出し、慌てて引っ込めた。
目が合った。
スクリーンの明かりで、倉知の顔がよく見える。あからさまに照れている。
俺から目を逸らし、耐えながらベッドシーンを見つめる倉知。
羞恥プレイみたいだな、と若干そそった。
スクリーンの中で、盛り上がる男女。絡み合う半裸の外国人より、よほど隣の純朴少年のほうがエロい。
唇を噛んで、頬を染め、何かに抗っている。動揺が手に取るようにわかる。
観なきゃいいのに、意地になっているのだろうか。
おかしくなってきた。耐えきれずに笑う俺に気づき、倉知がこっちを向いた。泣きそうだ。
「ごめん」
謝りながら、コーラのストローを咥えた。倉知が、俺の口元をじっと見る。
やばい、と目を見てぎくっとした。
完全に、欲情している。
何を映画に煽られてんだよ、と軽く頬を叩いた。
倉知はもう、映画を観ていない。ぎらついた目で、俺を見ている。
手が伸びて、俺の膝に触れた。そして、耳元に顔を寄せて囁いた。
「トイレいってきます」
「え」
言い置いて立ち上がり、通路に出ると、目立たないように身を屈めて素早く階段を下りて、姿を消した。
素直に用を足しにいった、と考えるのが普通なのだが、多分、違う。
十八禁の映画を観ていたわけでもないのに、どうしてそうなる、と笑いが込み上げる。
スクリーンに目をやった。アクションにキレも華もなく、ストーリーも単純で、結末は見えている。ただアウディがカッコイイだけの映画だ。
コーラをホルダーに戻し、頭を掻いて、席を立つ。
倉知の後を追い、トイレに向かう。やたら広いトイレに、一人の男が立っていた。個室に鍵がかかっている。ここか、と見当をつけた。
男が手を洗って出て行くと、誰も来ないか確認して、ノックした。
「おーい、大丈夫?」
「えっ、わっ、加賀さん!?」
「手伝おうか?」
返事がない。
「うんこ?」
「違います」
「じゃあ、開けてよ」
鍵が開いた。ドアを開けて中に入り、鍵を掛ける。意外と広い個室で助かった。男二人が入っても余裕がある。
倉知の股間に目をやった。ベルトを外しただけの状態。ドア一枚を隔てた向こう側に人がいると、なかなかできないかもしれない。
「あ、あの」
声を張り上げる倉知の唇に親指を当てた。
「しっ」
「ちょ、加賀さん、触らないで」
う、と言って、前屈みになる。
「AVでもないのに、なんでそこまで興奮できるんだ?」
「ああいうシーン苦手なんですけど、さすがに普段こんなにはなりません。隣に加賀さんがいるから、よからぬこと考えちゃって。あと加賀さん、ストローの咥え方エロいです。そのせいでムラムラして」
正直にベラベラと打ち明けてくれた。
「座れよ。抜いてやる」
「え、で、でも」
軽くみぞおちを押すと、あっさりと後ろに倒れ、尻餅をつくようにして便座に座った。
ボタンを外してファスナーを下ろす。トランクスに手を突っ込んで、中から引きずり出した。もう硬い。さすがだ。
「声出すなよ」
常に人が出入りする場所だ。気を張り詰めていないと気づかれる。
倉知の前に屈んで根元から先のほうに舌を這わせた。
倉知が口を押さえて声を押し殺している。必死で堪えている姿が可愛い。
わざと時間をかけよう、と思った。舌先でくすぐるようにして、焦らしてやる。体をびくつかせて反応する倉知が、くぐもった声で俺を呼ぶ。
「加賀さん……っ」
「どうして欲しい?」
「加賀さんに挿れたい」
「馬鹿」
太ももを叩く。
「それはうち帰ってからな」
倉知を見上げて、笑いながらペニスを咥える。油断していた倉知の口から艶を含んだ声が漏れた。慌てて口を塞ぎ、眉間に深い皺を刻んで、俺を見下ろす。
目に涙がにじんでいる。我慢せずにすぐに出せばいいのに、いつもより頑張っている。ガチガチに硬くなったペニスはいつ達してもおかしくない。
根気よく口の中を出し入れしていると、人の話し声と足音が聞こえた。
映画の感想を言い合っている、若い感じの声が二人分。
一旦動きを止めて、咥えたまま倉知を見上げる。口を手で押さえて、首を横に振った。
動くな、という意味だろう。俺は笑って、咥えているものを強めに吸った。
「んっ……」
声を漏らして体を震わせる倉知が、泣きそうな顔でテレパシーを送ってくる。
やめてください、と脳内で声が聞こえた気がした。
ドアの向こうにいる二人組は、自分たちの会話に夢中で個室の物音には気づいていない。
舌を絡めて、わざと唾液の音を立てながら、顔を上下に振った。
口を覆う手から、短い悲鳴が漏れた。弾き出される精液が、口の中に広がる。
荒い息をしながら、俺を見下ろす目が涙ぐんでいる。
二人組は何も気づかないまま、笑い声を上げて去って行った。
「……加賀さん、ひどい」
倉知の股間から顔を放し、精液を飲み込んで口を拭う。
「スリルあっただろ」
「ありすぎです」
「興奮した?」
「しました。だって加賀さんが綺麗すぎる」
立ち上がった俺の腰を引き寄せて、向かい合う形で膝に座らせると、顔を鷲づかみにして唇を塞がれた。
倉知の手が、俺の股間をまさぐる。
「やわっこい。なんで?」
「お前と違って理性があるから。あとおっさんだし?」
「おっさんじゃない」
怒ったように言って、再びキスをしてくる。舌を絡めながら、俺の股間を撫でさする。
こんなところで俺をその気にさせてどうしようというのだ。
「なあ、挿れたい?」
キスの合間に直球を投げると、倉知がむせた。
「い、いれ、……たいですけど、今日の締めくくりに取っておきます」
「うん、いい子だな」
頭を撫でて、一度ぎゅ、と抱きしめた。倉知が嬉しそうに頬をすり寄せて抱きしめ返してくる。しばらく無言で抱き合った。重くないのか、と思ったが、動じていないから大丈夫だろう。
その間に数人トイレを出入りしたが、誰も個室には関心を示さない。
かと言って、いつまでもこうしているわけにもいかない。個室は一つだし、本当に入りたい人が来たら可哀想だ。
「そろそろ出るぞ」
「加賀さん、俺、また」
倉知が身じろぎをする。体を離し、剥き出しの下半身を見下ろして苦笑する。起き上がろうとする健気な分身。
「よしよし、どうどう」
撫でてやると、逆効果だったようで、ひょこ、と頭を持ち上げた。
「ちょっと加賀さん」
「さて、もう戻るか」
「え、こんな状態で?」
「じゃあ治まるまで抱き合ってる?」
倉知の首に抱きついて、顔を覗き込む。涙目で、上気した頬。俺から目を逸らし、ため息をついた。
「抱き合ってたからこうなったんですけど」
「見ててやるからもう一発抜けよ」
倉知の顔が紅潮する。
「恥ずかしいです」
「そうだろうね、はい」
やれよ、と促した。
「いつも自分でしてるようにしてみて」
倉知の手を取って、自身の股間を無理矢理握らせる。
「なんで、こんなこと」
困った顔で俺を見る。
「そそるから」
にこ、と笑うと倉知がブルッと身震いをした。
「今イッた?」
「すいません」
別に謝ることはない。というか本当に早い。何もしてないのにイクなんて、どういう仕組みだ。
膝から下りて、トイレットペーパーを引いた。手と股間を、丁寧に拭いてやる。倉知が俺の手元を見ながら、ぼそりと呟いた。
「加賀さん、キスしたい」
「え、なんで」
「近くにいるから」
「お前はまた勃起する気か」
エンドレスだ。
「ズボン元に戻せ」
少しドアを開け、外に誰もいないか確認してから個室を出た。
手を洗っていると、鏡越しに倉知が出てきたのが見えた。すっきりした顔をしている。
「お前、わりと真剣に観てたのに、もったいないことしたな」
「あ、映画ですか? 忘れてました」
「マジか」
「今から観ればクライマックスに間に合いますよね」
俺の手首を取って、腕時計で時間を確認する。
本当に、父親の映画好きは継承されていないようだ。そんな映画の見方でいいとは、恐れ入る。
三番スクリーンに戻り、階段を静かに駆け上がり、席に着く。
まさに佳境という雰囲気だ。席に戻って二十分かそこらであっさり終わってしまった。
途中で抜けたことを考慮しても、及第点には届かない。
エンドロールが流れ、意味のわからない日本人の楽曲が流れた時点で頭を抱えたくなった。
倉知はぼんやりと、エンドロールを眺めている。他の客はさっさと出て行って、残っているのは俺たちだけになった。
エンドロールのあとにおまけがある場合があり、最後まで残る人間が多いのだが、それを観る価値もないと判断されたか、歌が苦痛なのか、とにかく全員いなくなった。
「出るか」
「え? あ、そうですね」
我に返り、ホルダーのコーラを手に取った。
「俺、これ一口も飲んでませんでした」
「氷溶けてんじゃね?」
「わりと溶けてます」
立ち上がり、ストローを咥えると、階段を下りていく。途中で立ち止まり、振り返った。
「何、忘れ物?」
一段上に戻ってきて、素早くキスされた。そして、何事もなかったかのように颯爽と下りていく。
たまにこういう行動に出るから油断ならない。振り返り、映写室に誰もいないかを確認してから階段を下りた。
「急に痴漢行為すんなよ」
「暗闇に乗じてっていうのをやってみたくて」
コーラの容器をゴミ箱に捨てながら言った。
「で、次はどうする? どっか行きたい?」
映画館の出口に向かいながら訊いた。倉知は「うーん」と首をひねって、ちら、と俺を見た。
「二人きりになりたい」
「却下」
「え、なんでですか」
「今日は健全なデートをするって決めたんだよ」
「健全……ですか」
さっきのトイレでの出来事がフラッシュバックする。
「あれ? 手遅れ?」
「ですね」
二人の乾いた笑いがハモる。
「いっそラブホでも行くか」
「行く」
返答が早すぎる。被せるようにして慌てて返事をされると冗談だと言いづらくなった。
「よし、ゲーセン、ボーリング、カラオケ。どれか選べ」
「ラブホが選択肢から消えた……」
映画館を出ると、倉知が「カラオケ」と言った。
「二人きりになれる」
「あー、あのな、大体防犯カメラついてて見られる可能性あるから、何もしないならいいよ」
「その約束はできかねます」
「じゃあ駄目」
無目的に街をさまよって、時間がどんどん過ぎていくことになる。
倉知が突然俺の手首を掴んで、早足になった。
「何、ちょっと倉知君」
「とにかく今日の加賀さんは、いつも以上にカッコイイから隠したいんです」
「隠したいって」
「六時の方向に敵がいます」
引きずられながら振り返る。キャー、と声が上がった。見知らぬ女が二人、俺にスマホを向けてくる。
「誰あれ」
「知りません。走って」
倉知が俺から手を放す。人を掻き分け、走る。後ろから、待ってー! と女の嬌声が聞こえた。
誰かと勘違いしているのかもしれない。
とにかく逃げた。途中から逃げるのが楽しくなっていた。隣を見ると、倉知もどこか楽しげに見えた。
気づくと人気のない路地にいた。振り返り、誰も追ってこないのを確かめて足を止めた。
「あー、久々に全力で走った。あちぃ」
倉知は汗一つかいていない。さすが現役高校生。
「で、ここどこ?」
「わかりません。迷子です」
「マジでか」
くっ、と笑いが漏れた。デートで迷子って。
「いざとなったらスマホあるんで大丈夫です」
「うん、でもなんか面白いからちょっと探検しようぜ」
スナックやバー、赤提灯の飲み屋が並んでいる。夜の街のようだ。
当然まだどこも開いていないし、歩いているのは野良猫と老人だけだ。
「加賀さん、こっち」
倉知が勝手に脇道に逸れて、俺を手招いた。
「何、なんかあった?」
「宿屋を見つけました」
指さすほうを見て呆れた。
「……ラブホじゃねえか。何ちょっとドラクエ風に言い直してんだよ」
「さっき走ったとき、足をくじいたかもしれません。ちょっと休憩していきましょう」
「いや、スタスタ歩いてるよね」
「いたた、もう歩けません、後生ですから宿屋に……」
「下手な小芝居すんなって」
「加賀さん」
腕を掴まれた。
「そんなに嫌?」
泣き落とし作戦か。切なそうな顔で見てくる。
俺は小さく息を吐いて、頭を掻いた。
「お前、ラブホってだけでいつもの倍は張り切るから」
以前の旅行で一泊目にラブホに泊まったが、部屋に入った瞬間にフル勃起で押し倒された。
「それに、今日はデートだろ? 俺はいいけどお前はそれでいいの? これがお前の初デートの記憶になるんだぞ」
真面目な顔で正論を突きつけてみた。倉知は俺をじっと見て、硬い表情になった。
こいつは乙女なところがあり、記念的なことにやけにこだわるというか、弱い。
「そうですよね」
真顔で頷いて、俺の肩に手を置いた。
「わかりました。ちょっとだけ休憩していきましょう」
「うん、そうだろ。って、え? ちょ、なんで? そうなの?」
ラブホに引きずり込まれる。うわー、助けてーと悲鳴を上げて抵抗してみせたが、倉知のやる気の炎は消えない。
ロビーの客室パネルを真剣に吟味する倉知をよそに、俺は壁に寄りかかって座り込み、顔を覆って泣き真似をした。
「なんでこうなる……」
「加賀さん、大変だ。電車風って部屋がある。ここにしよう」
「あああ、マジでか」
なんでそんなマニアックな部屋があるんだよ、誰得だよ、と震え上がる。
「ちょっと、なあ、本気? せめてまともな部屋にしようよ」
「もう押しました」
倉知が恍惚とした顔で振り返る。
「ちょっと一旦話し合おう」
わけのわからない抵抗をする俺をお姫様抱っこで抱き上げて、部屋に向かう。
高校生の有り余る性欲を、再認識する。
結局二時間経過した。満足そうに俺を抱きしめながら、倉知が言った。
「今度はスーツと学ランで来ましょう」
腹の底から、アホか! と絶叫したとかしないとか。
〈おわり〉
付き合ってから一ヶ月ほど経った頃、金曜の夜八時頃に、珍しく電話が掛かってきた。
『起きてた?』
「え、八時ですよ。さすがに起きてます」
『何してた?』
「五月とゲームしてました。マリオです」
『仲良しだな』
「加賀さんはまだ仕事ですか」
うん、と答えて「あー」と何か言いにくそうにしている。
「加賀さんなの? あたしも話す!」
五月が俺のスマホを奪おうとしてきた。顔面を押さえて阻止して、立ち上がる。五月がそばで聞いていると思うと、喋りにくいのだろう。
リビングを出ると、後ろで五月が「勝ち逃げずるい!」と叫んだ。階段を上りながら、
「今部屋移動します。何かありました?」
と訊いた。
『いや、大したことじゃないんだけど。明日、部活終わってからでいいから、デートしない?』
階段を踏み外すところだった。慌てて上りきり、自室に飛び込んだ。
「……デート?」
『デート』
かあ、と頬が熱くなった。もっとすごいことだってしているのに、デートというこそばゆい単語が、妙に気恥ずかしい。
『この前の旅行は置いといて、そういうのしたことないだろ。どっかで待ち合わせして、恋人っぽいことしてみない?』
「ど、どうしたんですか、いきなり」
らしくない。心配になった。
『会社の奴らがデートするって張り切ってて、初々しいなあと思ったんだけど、あとでめぐみさんに、つっこまれた。ちゃんとしたデートしたことあるのかって』
部屋でひたすらDVDを観たり、加賀さんが読書をしている横で筋トレをしたり、一緒にゲームをしたり、勉強を見てもらったり、俺たちの休日は大体そんな感じで、外に出てもDVDを借りて返して、食材を買って帰る、という具合だ。
『なんか行きたいとことかない?』
「ちょっとパッと浮かびませんけど、でも、あの」
笑いそうになる顔をつねりながら、言った。
「嬉しいです」
『そっか。ならよかった。じゃあデートすんぞ』
「はい、します、デート」
『あ、ごめん、ちょっと仕事戻るわ。行きたいとこ決めといて』
電話が切れると、スマホを両手で持って、天井にかざした。
「すごい」
デートだ。ベッドに寝転がってドタバタしていると、ドアが開いて風呂上がりの六花が現れた。
「なんかうるさいんだけど、何してんの?」
「えへへ、俺、明日デートする」
「デート? 何、したことなかったの?」
「ない、うわあ、照れる」
「……七世、順番が違うしそこ照れるとこじゃない」
「デートって言ったらどこ行く?」
「映画館とか? 暗闇でこっそり手ぇ繋いだり、ポップコーン食べようとする手が触れ合ったり。てのが定番だね」
想像してみる。ドキドキした。
「よし、映画にしよう」
「あんた隣に加賀さんいるのに二時間くらいずっと、何もしないで我慢できるの? ある種の拷問じゃない?」
「……我慢できる!」
「そう願うよ。一つアドバイス」
「何?」
「席は一番後ろを指定しなさいよ」
六花が意味ありげな笑みを浮かべて、部屋を出て行った。
とりあえず観たい映画がないか調べた。ゾンビ物があればよかったが、ない。
恋愛物は男二人で見に行くと、きっと針のむしろだし、あまり観たいとも思えない。ホラーは勘弁だし、邦画は寝てしまいそうだし、やはりここはアクションものか。
父に訊けば多分面白い映画がわかる。
でも冷やかされそうで嫌だからやめた。
上映時間を調べると、良さそうな時間は二時過ぎに一回ある。先に昼ご飯を食べよう。
何を食べよう。デートだから何か特別なもの?
「六花! 昼ご飯、どこにしよう」
六花の部屋に転がりこむ。
「何、別に好きなもの食べたらいいじゃない」
パソコンに向かって、キーボードを目にも止まらぬ速さで打ちながら言った。
「でも、デートだよ?」
「映画館の近くで適当に食べたら?」
「そっか、そうしよう」
「七世」
部屋から出て行こうとする俺を、六花が呼び止めた。
「楽しんでおいで」
「うん」
六花が眩しそうに目を細める。
自室に戻ると、待ち合わせの時間と場所を決めて、映画館に行きましょう、とメールを打った。
『了解。また明日』
と、しばらくあとで返事が来た。
もう、楽しみすぎて眠れないかもしれない。ベッドの上をごろごろ転がっていると、いつの間にか眠っていた。
部活に行ってもルンルン気分は消えない。スキップをしながら跳躍し、ダンクを叩き込んだ。リングにしばらくぶら下がって、懸垂をしていると、コーチが「こら!」と喚いた。
「倉知は、土曜日いつもそんな感じだけど、なんなの?」
部員の一人が不思議そうに訊いてきた。丸井がニヤニヤしながらこっちを見ている。
「もしかして、彼女できた?」
「んー、んふふ」
答えずに鼻歌を歌う。
「マジで? あの倉知が?」
「えー、違うって、彼女とかじゃないって」
頭を掻きながら否定する。丸井が俺の背中にぶつかってきた。
「あんま浮かれてんなよ。ぽろっと言っちゃうんじゃないかと思ってヒヤヒヤすんだよ」
「丸井、なあ、聞いて」
「お前俺の話聞いてる?」
「俺、今日デートするんだ」
丸井が俺の首にぶら下がってコートの隅に移動した。
「声でかい、馬鹿」
丸井がキョロキョロと辺りを確認している。
「ていうか、デートって、なんで今更そんなことで嬉しそうにしてんの? この前二泊の旅行も行ってて、普通にお泊まりする仲だろ」
「デートしたことないんだもん」
「へー……」
丸井が冷めた目で見て、急に頭を叩いてきた。
「痛い。なんで?」
「なんかむかついた」
そう言い残すと丸井はドリブルをしながらコートに戻っていった。
少し浮かれすぎた。ばし、と顔を両手で叩いて、コートに戻る。
そこからは真面目に、時計を気にしながら部活をこなし、一旦家に戻ってシャワーをして、待ち合わせ場所に向かった。
あの人を一人で待たせるのが嫌だったから、待ち合わせ時間の三十分前に到着した。さすがにまだ来ていない。よかった。
一人で待たせたら、絶対にナンパされる。それだけは避けたい。女の人がまとわりつく光景なんて見たくなかった。
映画館の近くだからか、人が多い。周囲を見ると、似たように人を待っている様子の女子が数人いた。全員スマホを見ている。隣の女の子がスマホをいじりながら、ちら、とこっちを見てすぐに目を逸らす。
みんなデートなのか? デートってそんなにみんな、するものなのだろうか。
妙に感動した。
そして待ち時間にはスマホをいじるというルールでもあるに違いない。
よし、真似しよう。
まったくもって使いこなしていないスマホをぼーっと眺めていると、「ごめん、待った?」と加賀さんの声がした。
顔を上げると、いつもと違う、というか、いつも以上にカッコイイ加賀さんが立っていた。服装がスマートで、髪型も妙に色っぽいし、嫌味なくらい男前だ。ファッション雑誌からそのまま出てきたみたいだ。スマホが手からこぼれ落ちる。
「あっぶね。何やってんだよ」
地面に落ちそうになるのを受け止めてくれた。
「す、すいません。ていうか、加賀さん、今日なんか一段と輝いて……」
ハッとして隣を見た。スマホを持ったまま口を開けて呆然とする女の子。素早く見回して、こっちを見ている女子の多さに血の気が引く。
「移動しましょう」
腕を取って引きずった。
「あのぉ、すいません」
後ろから声を掛けられ、振り向くとさっき隣にいた女の子が頬を染めて加賀さんを見ていた。
「これから二人で遊ぶんですかぁ? あたし、暇してて。混ざってもいいですか?」
なんだそれ、と声が出そうになった。
デートの待ち合わせをしているのだと思ったが、違うようだ。
「いやいや、駄目です。ごめんね」
爽やかに謝って、かわそうとする俺たちの前に、女の子が回り込んだ。
「待ち合わせしてた子がぁ、急に来れなくなったって言うんですよぉ。可哀想なあたしと遊んでください!」
媚びるような目で見上げる女の子に、加賀さんはフッと大人びた笑みを見せた。
「デートだから。ごめん、邪魔しないでね」
え、と声が出た。
ポカンとする女の子をその場に残して歩き出す。
「加賀さん、いいんですか、あんなこと言って」
「いいんじゃない? だってもう会うことないだろ。腹減ったな、なんか食うか」
格好が違っても、いつもの加賀さんだ、とホッとした。
「なんか、そういう服、初めて見ました」
「ん、そうだろな。上から下まで高いし、滅多に着ない。靴もいいやつだし、腕時計も高いよ」
それはいつものことだ。この人の身につけるもので高くないものがあるのか、と疑問だ。
「デートだからね」
小声で言ってちら、と俺を見る。
「俺いつも通りですけど」
自分の格好を見て頭を掻く。
「可愛いからいいんじゃない」
「か、可愛いですか?」
どこがだろう。
「時間ないし、マックでも行くか」
「えっ、デートなのに?」
はは、と笑ってバシ、と背中を叩く。
「別にそんな、固くならなくていいよ。いつも通りにしてないと疲れるぞ」
いつも以上に完璧な人がそれを言っても説得力がない。
「マックと牛丼、どっちにする?」
少し考えて「牛丼」と答えた。女の人がいないほうがいい、と思ったからだ。
でも店に入って、二人、若い女の客が並んで座っていたからがっかりした。そして漏れなくこっちを見て、一人が「ねえ」ともう一人に肘で合図をする。
さいわいにもテーブル席が空いていた。そこに向かい合って座ると、注文を取りに来た店員が水を置いた。オーダーを告げて、去っていく店員の後ろ姿を見てから、顔を覆ってため息を吐く。
「加賀さん、どうして今日そんなにカッコイイんですか」
「え」
「いや、すいません、いつもカッコイイんですけど、今日やばいです」
女性のヒソヒソ声がぬるりと耳に入ってくる。
もっかいよく見たい。
芸能人かなんか?
モデルじゃない?
「なんて罪深い人なんだ。カッコよすぎてつらい。カッコイイよう」
うう、と顔を覆ったまま唸った。
「じゃあもっとよく見たら?」
両手の手首を掴まれてぎくっとした。手を引きはがされる。目の前に、優しく笑う大好きな人。
「お前のためにおめかししたんだから」
周囲に気を遣ってか、身を乗り出して、小さく囁いた。
おめかしって、と悶絶していると店員が「お待たせしましたー」と言って無造作に牛丼を置いていった。
「食おう」
「はい」
「うめえ」
「はい。加賀さん」
「ん?」
「今日の加賀さんに牛丼似合いません」
「はは」
大口を開けて、男らしく牛丼を食べる、美しい人。なんだこのギャップは。
「何が似合う? フレンチ? イタリアン?」
「そんな感じです」
「でも俺、夜は焼き肉食いたい」
「え、今牛丼食べてますよね」
「ほんとだ」
顔を見合わせて笑う。
食べ終えて店を出ると、さっきカウンターに並んで座っていた女性が二人、待ち構えていた。
特に話しかけてくる様子はなく、俺たちが去るのを黙って見送った。ナンパをして一緒に遊びたいとかではなく、見るだけで満足、という人たちもいる。
「見せたくないなあ」
「え、何?」
「なんでもないです」
店にいた女性たちが、食べ終わるまで外で待っていた、という事実にこの人は気づいていない。さすがだ。
「で、映画って何観るの?」
「うんと、なんか車のやつ」
「なんか車のやつ」
復唱して軽く笑い声を上げた。
映画館に着くと、チケット売り場の前で加賀さんに向き直り、「ここで待っててください」と言った。
「何、奢り?」
「たまには奢らせてください」
「わかったよ」
チケットを二枚買って戻ると、上映中の大きいポスターが並んでいるところに佇んで、じっと見ていた。立ち姿がカッコよすぎる。目眩がした。
通り過ぎる人が振り返って見ている。こっちに歩いてくるカップルも、男女ともに二度見している。
駄目だ、隠さなければ。
早足で駆け寄ると、俺に気づいて振り返る。
「なんか車のやつの正体がわかった。これ?」
指で差したポスターはまさにそれだ。
「そうです」
「なんでこれ俳優変えてきたんだ? もったいねえ」
「え、シリーズものですか?」
「お父さん映画好きなのにお前は全然なのな」
たまに一緒に観ることもあるが、父はコアな映画ファンすぎて正直ついていけない。
「若手使ってるってことは過去話か? まあいいや。一応リュック・ベッソンみたいだし」
「リュック?」
聞き返すと鼻をつままれた。
「ポップコーン食べる?」
「たべまふ」
鼻声で答える。
父と映画館に来ると、ポップコーンも飲み物も禁止なので食べられることが素直に嬉しい。食べ物があると気が散るし、飲み物も途中でトイレに行きたくなったらどうするんだ、と言って許してくれない。
映画を純粋に愛しているからか、映画館でのルールには厳しい。
「飲み物は?」
「俺が、買います」
手をそっとどかして言った。
「デートだから?」
「そうです」
「サンキュ。じゃあ俺コーラのMね」
売店でコーラとポップコーンを買って、三番スクリーンに向かう。
中は薄暗い。席の番号を見ながら移動して、並んで座る。
「ガラガラなのになんで一番後ろ?」
「え、駄目ですか?」
「いいけど、普通真ん中ら辺にしない?」
「六花が最後列にしろって」
加賀さんがポップコーンを口に放り込みながら、俺を見る。
「なるほど」
何かわからないが、わかったらしい。
映画が始まるまで時間がある。一番後ろには誰も座らず、前のほうか、真ん中に座る人ばかりだ。
六花が何故一番後ろにしろ、と言ったのか、わかった。振り向かない限り、誰も俺たちを見ない。映画を観ていて振り向くなんて、する人はいないと思う。
「加賀さん」
「ん」
ひたすらポップコーンを食べている。なんか可愛い。
「横顔見てていいですか」
「何それ」
「だって、もったいない。カッコイイし」
小声で会話をする。
「そんなん言ったら可愛いしもったいないから俺もお前見るぞ」
もぐもぐしながらこっちを見る。顔が熱くなる。
「み、見ないでください。カッコよすぎて恥ずかしい」
視線を逸らす俺の口に、何かが押し込まれた。
ポップコーンだ。
「美味い」
「うん」
「始まる前になくなりません?」
「それ面白いな。ちょっとやってみようぜ」
なんの遊びだ。
二人で黙々とポップコーンを食べた。
六花が、手が触れ合ってどうこう、と言っていた。確かに手は触れ合っているが、ポップコーンをなくす作業に没頭して別にドキドキも何もない。
全部なくなる前に、上映時間になり、パッと劇場が暗くなる。
「半分残った」
加賀さんが残念そうに呟いて、コーラを飲んでいる。
暗くなったことで、俺の中の何かが、目を覚ます。
肘掛けにのっている加賀さんの手に、そっと触れた。
これから二時間近く、ずっとこのまま。
我慢大会の始まりだった。
〈加賀編へつづく〉
+++++++++++++++++++++++++++++++++
〈加賀編〉
映画館は久しぶりだ。本編が始まる前の、他の映画の予告編がすでに面白い。
やっぱり映画はいいな、と実感する。
大画面と、腹に響く音響も心地いい。
倉知を横目で見ると、何故か緊張した顔をしていた。
左手をずっと握られている。
客が少なく、最後列だからこそできることだった。
倉知は何も知らずにこの映画を選んだようだが、三本のシリーズものがすでにあり、主演は別の俳優だ。だから俺には違和感がある。
俳優のファンだったら、同名の役柄を他人が演じるのはきっと許せないだろうな、と思った。だからか、土曜日なのに客が少ない。
多少思うところはあるが、どんな駄作にも何かいいところはある。何か一つでもいいところがあればそれでいい。と思って観ないと時間が無駄になる。
本編が始まり、左手の自由が奪われたままなので、右手で左側に置いてあるポップコーンを食べる。
倉知はじっと前を見て、映画に入り込んでいるようだった。
興味のあるなしに関わらず、こいつはなんにでもこんなふうに一生懸命になれる。
少し羨ましい。
人の手を握ったまま、よく集中できるな、と感心した。
俺は握られているせいで集中できない。
どこか一歩引いたところで、冷静に映画を分析してしまっている。
この映画は、もしかしたら倉知には危険な要素が出てくるかもしれない。
女が三人、出てきたところで懸念した。下着姿の女がやたら出てきたが、姉のを見慣れているからか、激しくうろたえることはなかった。
肌の露出の多さから見ても、こういう映画にはお約束の絡みのシーンが出てくる。賭けてもいい、この女は主役と寝る。そのシーンを乗り切れるのか?
そのときの反応が少し楽しみだ。
そして、そのときが。
隣で倉知が身を固くする。手のひらに汗が滲んだ。
大画面に映し出される濃厚なキスシーン。
急に現実に戻されたのか、俺の手を握っていることを思い出し、慌てて引っ込めた。
目が合った。
スクリーンの明かりで、倉知の顔がよく見える。あからさまに照れている。
俺から目を逸らし、耐えながらベッドシーンを見つめる倉知。
羞恥プレイみたいだな、と若干そそった。
スクリーンの中で、盛り上がる男女。絡み合う半裸の外国人より、よほど隣の純朴少年のほうがエロい。
唇を噛んで、頬を染め、何かに抗っている。動揺が手に取るようにわかる。
観なきゃいいのに、意地になっているのだろうか。
おかしくなってきた。耐えきれずに笑う俺に気づき、倉知がこっちを向いた。泣きそうだ。
「ごめん」
謝りながら、コーラのストローを咥えた。倉知が、俺の口元をじっと見る。
やばい、と目を見てぎくっとした。
完全に、欲情している。
何を映画に煽られてんだよ、と軽く頬を叩いた。
倉知はもう、映画を観ていない。ぎらついた目で、俺を見ている。
手が伸びて、俺の膝に触れた。そして、耳元に顔を寄せて囁いた。
「トイレいってきます」
「え」
言い置いて立ち上がり、通路に出ると、目立たないように身を屈めて素早く階段を下りて、姿を消した。
素直に用を足しにいった、と考えるのが普通なのだが、多分、違う。
十八禁の映画を観ていたわけでもないのに、どうしてそうなる、と笑いが込み上げる。
スクリーンに目をやった。アクションにキレも華もなく、ストーリーも単純で、結末は見えている。ただアウディがカッコイイだけの映画だ。
コーラをホルダーに戻し、頭を掻いて、席を立つ。
倉知の後を追い、トイレに向かう。やたら広いトイレに、一人の男が立っていた。個室に鍵がかかっている。ここか、と見当をつけた。
男が手を洗って出て行くと、誰も来ないか確認して、ノックした。
「おーい、大丈夫?」
「えっ、わっ、加賀さん!?」
「手伝おうか?」
返事がない。
「うんこ?」
「違います」
「じゃあ、開けてよ」
鍵が開いた。ドアを開けて中に入り、鍵を掛ける。意外と広い個室で助かった。男二人が入っても余裕がある。
倉知の股間に目をやった。ベルトを外しただけの状態。ドア一枚を隔てた向こう側に人がいると、なかなかできないかもしれない。
「あ、あの」
声を張り上げる倉知の唇に親指を当てた。
「しっ」
「ちょ、加賀さん、触らないで」
う、と言って、前屈みになる。
「AVでもないのに、なんでそこまで興奮できるんだ?」
「ああいうシーン苦手なんですけど、さすがに普段こんなにはなりません。隣に加賀さんがいるから、よからぬこと考えちゃって。あと加賀さん、ストローの咥え方エロいです。そのせいでムラムラして」
正直にベラベラと打ち明けてくれた。
「座れよ。抜いてやる」
「え、で、でも」
軽くみぞおちを押すと、あっさりと後ろに倒れ、尻餅をつくようにして便座に座った。
ボタンを外してファスナーを下ろす。トランクスに手を突っ込んで、中から引きずり出した。もう硬い。さすがだ。
「声出すなよ」
常に人が出入りする場所だ。気を張り詰めていないと気づかれる。
倉知の前に屈んで根元から先のほうに舌を這わせた。
倉知が口を押さえて声を押し殺している。必死で堪えている姿が可愛い。
わざと時間をかけよう、と思った。舌先でくすぐるようにして、焦らしてやる。体をびくつかせて反応する倉知が、くぐもった声で俺を呼ぶ。
「加賀さん……っ」
「どうして欲しい?」
「加賀さんに挿れたい」
「馬鹿」
太ももを叩く。
「それはうち帰ってからな」
倉知を見上げて、笑いながらペニスを咥える。油断していた倉知の口から艶を含んだ声が漏れた。慌てて口を塞ぎ、眉間に深い皺を刻んで、俺を見下ろす。
目に涙がにじんでいる。我慢せずにすぐに出せばいいのに、いつもより頑張っている。ガチガチに硬くなったペニスはいつ達してもおかしくない。
根気よく口の中を出し入れしていると、人の話し声と足音が聞こえた。
映画の感想を言い合っている、若い感じの声が二人分。
一旦動きを止めて、咥えたまま倉知を見上げる。口を手で押さえて、首を横に振った。
動くな、という意味だろう。俺は笑って、咥えているものを強めに吸った。
「んっ……」
声を漏らして体を震わせる倉知が、泣きそうな顔でテレパシーを送ってくる。
やめてください、と脳内で声が聞こえた気がした。
ドアの向こうにいる二人組は、自分たちの会話に夢中で個室の物音には気づいていない。
舌を絡めて、わざと唾液の音を立てながら、顔を上下に振った。
口を覆う手から、短い悲鳴が漏れた。弾き出される精液が、口の中に広がる。
荒い息をしながら、俺を見下ろす目が涙ぐんでいる。
二人組は何も気づかないまま、笑い声を上げて去って行った。
「……加賀さん、ひどい」
倉知の股間から顔を放し、精液を飲み込んで口を拭う。
「スリルあっただろ」
「ありすぎです」
「興奮した?」
「しました。だって加賀さんが綺麗すぎる」
立ち上がった俺の腰を引き寄せて、向かい合う形で膝に座らせると、顔を鷲づかみにして唇を塞がれた。
倉知の手が、俺の股間をまさぐる。
「やわっこい。なんで?」
「お前と違って理性があるから。あとおっさんだし?」
「おっさんじゃない」
怒ったように言って、再びキスをしてくる。舌を絡めながら、俺の股間を撫でさする。
こんなところで俺をその気にさせてどうしようというのだ。
「なあ、挿れたい?」
キスの合間に直球を投げると、倉知がむせた。
「い、いれ、……たいですけど、今日の締めくくりに取っておきます」
「うん、いい子だな」
頭を撫でて、一度ぎゅ、と抱きしめた。倉知が嬉しそうに頬をすり寄せて抱きしめ返してくる。しばらく無言で抱き合った。重くないのか、と思ったが、動じていないから大丈夫だろう。
その間に数人トイレを出入りしたが、誰も個室には関心を示さない。
かと言って、いつまでもこうしているわけにもいかない。個室は一つだし、本当に入りたい人が来たら可哀想だ。
「そろそろ出るぞ」
「加賀さん、俺、また」
倉知が身じろぎをする。体を離し、剥き出しの下半身を見下ろして苦笑する。起き上がろうとする健気な分身。
「よしよし、どうどう」
撫でてやると、逆効果だったようで、ひょこ、と頭を持ち上げた。
「ちょっと加賀さん」
「さて、もう戻るか」
「え、こんな状態で?」
「じゃあ治まるまで抱き合ってる?」
倉知の首に抱きついて、顔を覗き込む。涙目で、上気した頬。俺から目を逸らし、ため息をついた。
「抱き合ってたからこうなったんですけど」
「見ててやるからもう一発抜けよ」
倉知の顔が紅潮する。
「恥ずかしいです」
「そうだろうね、はい」
やれよ、と促した。
「いつも自分でしてるようにしてみて」
倉知の手を取って、自身の股間を無理矢理握らせる。
「なんで、こんなこと」
困った顔で俺を見る。
「そそるから」
にこ、と笑うと倉知がブルッと身震いをした。
「今イッた?」
「すいません」
別に謝ることはない。というか本当に早い。何もしてないのにイクなんて、どういう仕組みだ。
膝から下りて、トイレットペーパーを引いた。手と股間を、丁寧に拭いてやる。倉知が俺の手元を見ながら、ぼそりと呟いた。
「加賀さん、キスしたい」
「え、なんで」
「近くにいるから」
「お前はまた勃起する気か」
エンドレスだ。
「ズボン元に戻せ」
少しドアを開け、外に誰もいないか確認してから個室を出た。
手を洗っていると、鏡越しに倉知が出てきたのが見えた。すっきりした顔をしている。
「お前、わりと真剣に観てたのに、もったいないことしたな」
「あ、映画ですか? 忘れてました」
「マジか」
「今から観ればクライマックスに間に合いますよね」
俺の手首を取って、腕時計で時間を確認する。
本当に、父親の映画好きは継承されていないようだ。そんな映画の見方でいいとは、恐れ入る。
三番スクリーンに戻り、階段を静かに駆け上がり、席に着く。
まさに佳境という雰囲気だ。席に戻って二十分かそこらであっさり終わってしまった。
途中で抜けたことを考慮しても、及第点には届かない。
エンドロールが流れ、意味のわからない日本人の楽曲が流れた時点で頭を抱えたくなった。
倉知はぼんやりと、エンドロールを眺めている。他の客はさっさと出て行って、残っているのは俺たちだけになった。
エンドロールのあとにおまけがある場合があり、最後まで残る人間が多いのだが、それを観る価値もないと判断されたか、歌が苦痛なのか、とにかく全員いなくなった。
「出るか」
「え? あ、そうですね」
我に返り、ホルダーのコーラを手に取った。
「俺、これ一口も飲んでませんでした」
「氷溶けてんじゃね?」
「わりと溶けてます」
立ち上がり、ストローを咥えると、階段を下りていく。途中で立ち止まり、振り返った。
「何、忘れ物?」
一段上に戻ってきて、素早くキスされた。そして、何事もなかったかのように颯爽と下りていく。
たまにこういう行動に出るから油断ならない。振り返り、映写室に誰もいないかを確認してから階段を下りた。
「急に痴漢行為すんなよ」
「暗闇に乗じてっていうのをやってみたくて」
コーラの容器をゴミ箱に捨てながら言った。
「で、次はどうする? どっか行きたい?」
映画館の出口に向かいながら訊いた。倉知は「うーん」と首をひねって、ちら、と俺を見た。
「二人きりになりたい」
「却下」
「え、なんでですか」
「今日は健全なデートをするって決めたんだよ」
「健全……ですか」
さっきのトイレでの出来事がフラッシュバックする。
「あれ? 手遅れ?」
「ですね」
二人の乾いた笑いがハモる。
「いっそラブホでも行くか」
「行く」
返答が早すぎる。被せるようにして慌てて返事をされると冗談だと言いづらくなった。
「よし、ゲーセン、ボーリング、カラオケ。どれか選べ」
「ラブホが選択肢から消えた……」
映画館を出ると、倉知が「カラオケ」と言った。
「二人きりになれる」
「あー、あのな、大体防犯カメラついてて見られる可能性あるから、何もしないならいいよ」
「その約束はできかねます」
「じゃあ駄目」
無目的に街をさまよって、時間がどんどん過ぎていくことになる。
倉知が突然俺の手首を掴んで、早足になった。
「何、ちょっと倉知君」
「とにかく今日の加賀さんは、いつも以上にカッコイイから隠したいんです」
「隠したいって」
「六時の方向に敵がいます」
引きずられながら振り返る。キャー、と声が上がった。見知らぬ女が二人、俺にスマホを向けてくる。
「誰あれ」
「知りません。走って」
倉知が俺から手を放す。人を掻き分け、走る。後ろから、待ってー! と女の嬌声が聞こえた。
誰かと勘違いしているのかもしれない。
とにかく逃げた。途中から逃げるのが楽しくなっていた。隣を見ると、倉知もどこか楽しげに見えた。
気づくと人気のない路地にいた。振り返り、誰も追ってこないのを確かめて足を止めた。
「あー、久々に全力で走った。あちぃ」
倉知は汗一つかいていない。さすが現役高校生。
「で、ここどこ?」
「わかりません。迷子です」
「マジでか」
くっ、と笑いが漏れた。デートで迷子って。
「いざとなったらスマホあるんで大丈夫です」
「うん、でもなんか面白いからちょっと探検しようぜ」
スナックやバー、赤提灯の飲み屋が並んでいる。夜の街のようだ。
当然まだどこも開いていないし、歩いているのは野良猫と老人だけだ。
「加賀さん、こっち」
倉知が勝手に脇道に逸れて、俺を手招いた。
「何、なんかあった?」
「宿屋を見つけました」
指さすほうを見て呆れた。
「……ラブホじゃねえか。何ちょっとドラクエ風に言い直してんだよ」
「さっき走ったとき、足をくじいたかもしれません。ちょっと休憩していきましょう」
「いや、スタスタ歩いてるよね」
「いたた、もう歩けません、後生ですから宿屋に……」
「下手な小芝居すんなって」
「加賀さん」
腕を掴まれた。
「そんなに嫌?」
泣き落とし作戦か。切なそうな顔で見てくる。
俺は小さく息を吐いて、頭を掻いた。
「お前、ラブホってだけでいつもの倍は張り切るから」
以前の旅行で一泊目にラブホに泊まったが、部屋に入った瞬間にフル勃起で押し倒された。
「それに、今日はデートだろ? 俺はいいけどお前はそれでいいの? これがお前の初デートの記憶になるんだぞ」
真面目な顔で正論を突きつけてみた。倉知は俺をじっと見て、硬い表情になった。
こいつは乙女なところがあり、記念的なことにやけにこだわるというか、弱い。
「そうですよね」
真顔で頷いて、俺の肩に手を置いた。
「わかりました。ちょっとだけ休憩していきましょう」
「うん、そうだろ。って、え? ちょ、なんで? そうなの?」
ラブホに引きずり込まれる。うわー、助けてーと悲鳴を上げて抵抗してみせたが、倉知のやる気の炎は消えない。
ロビーの客室パネルを真剣に吟味する倉知をよそに、俺は壁に寄りかかって座り込み、顔を覆って泣き真似をした。
「なんでこうなる……」
「加賀さん、大変だ。電車風って部屋がある。ここにしよう」
「あああ、マジでか」
なんでそんなマニアックな部屋があるんだよ、誰得だよ、と震え上がる。
「ちょっと、なあ、本気? せめてまともな部屋にしようよ」
「もう押しました」
倉知が恍惚とした顔で振り返る。
「ちょっと一旦話し合おう」
わけのわからない抵抗をする俺をお姫様抱っこで抱き上げて、部屋に向かう。
高校生の有り余る性欲を、再認識する。
結局二時間経過した。満足そうに俺を抱きしめながら、倉知が言った。
「今度はスーツと学ランで来ましょう」
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〈おわり〉
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