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加賀君と七世君
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〈後藤編〉
加賀君が入社したとき、女子社員のほとんどが浮き足立ち、ちょっとした騒動になった。
美形が来た、イケメン来た、と独身者も既婚者も、キャアキャアと騒ぎ立てた。
彼は私のいる営業部に配属になった。
入社後しばらくは、用もないのに営業部のフロアに見に来る女性が多く、周りが迷惑がり、嫉妬からかきつくあたる社員もいた。
でも加賀君が、綺麗で大人しそうな見た目とは違い、男臭くて明るくて、人当たりが良かったせいで、すぐに周囲を懐柔した。上司も先輩も同僚も、彼を好きになった。
結婚して子どもがいた私でさえも、漏れなく彼を好きになった。勿論、恋愛の意味ではない。
人たらし。だと思う。二十二歳という年齢で、世渡りが異様に上手かったのだ。
それでも、アイドル扱いする女子社員には手を焼いていた。
当時彼は付き合っている子がいて、それを何度説明しても、懲りずに言い寄る女が絶えなかった。
見かねた上司が注意したが、効果はなく、加賀君は参っていた。営業部全体で彼を守ろうとする動きはあったが、それ以上に女は厄介だった。
このままでは仕事に支障が出る、と思った私は、ロッカールームで追っかけの子たちとバトルを繰り広げ、一対多数のハンデを負いながらも、勝利した。
というか、話を聞かない女たちに、最後の手段で土下座したのだ。
思いもしなかったであろう私の行動に、彼女たちは大いに引いた。引いた隙に、いかに彼が迷惑しているか、仕事への差し障りがあるか、営業部、延いては企業全体にダメージを与えかねないかを客観的に説明し、論破した。
次の日から、加賀君に対する猛攻は勢いを弱め、徐々に静かになっていった。
遠巻きに、静かに盛り上がる女子社員を怪訝そうに見ていた加賀君が、私の土下座を知ったのは数日後だった。
本当にすいませんでした、と彼は私に土下座した。
「そんなに簡単に土下座なんてするもんじゃないよ」
と私が言うと、彼は可笑しそうに、
「そっくりそのままお返しします」
と、笑った。
以来、私たちは親友というか、家族というか、不思議な絆で結ばれたようだった。
私が子育てで悩んだとき、彼は愚痴を聞いてくれ、彼が恋愛で悩んだとき、私が愚痴を聞いた。
入社から二年で悩みの種だった彼女と別れたとき、私は妙に安心した。
話に聞いていた彼女が、彼と合わないと思っていたからだ。彼女を好きかどうかもわからなくなっているようだった。不幸にしかならないと感じた。
それからずっと独り身を貫き、恋愛には関心を示さず、仕事に没頭した彼が選んだ相手。
待ち合わせの時間十分前に、加賀君がその子を連れてきた。
「こっちこっち」
席を立って手を振った。加賀君の後ろに長身の男の子がいる。背が高いのに、顔は幼いというか、確かに可愛い感じだと思った。
「ごめん、待った?」
加賀君が謝りながら椅子を引く。
「全然。七世君?」
呼ばれた男の子は、私を見てふわっと笑い、とても丁寧なお辞儀をした。
「こんにちは。初めまして、倉知七世です」
可愛い、と抱きつきたくなった。高校生なのに、卒のない挨拶ができる男の子、というのがツボにはまった。
「えー、わー、ほんとおっきいんだねえ。座って座って」
失礼します、と断りを入れてから椅子に座る。
「どうしよう、可愛いね!」
自分の体を抱きしめながら、私はつい叫んでしまった。全身からいい子オーラを発していて、キラキラと、眩しく映る。自分が穢れた大人だと思い知らされる。
加賀君が「はは」と笑い声を漏らす。
「めぐみさん、息子とだぶってない?」
「え、うちの子こんな可愛くないよ」
平然と答える私を、加賀君は優しい顔で見て、メニューを手に取った。
並んで座った二人が、一緒にメニューを見ている。
自分の立ち位置が、姉なのか母なのか、よくわからないが、とにかく目の前の二人が妙に可愛く思えて、体がブルッと震えた。
「ごめんね、勝手にイタリアンにしたけど大丈夫だった?」
七世君が顔を上げて「はい、好きです」とはきはきと答えた。私は胸を押さえて「キャア」とのけぞる。
「好きって言われちゃった」
「ちょっと今日キャラ違わない?」
「そう? いつも通りの私よ」
「なんか女みたい」
女なんですけど。じと、と加賀君を見ると、苦笑しながら「めぐみさん注文決まった?」と訊く。
「うん、もうオーダーした。七世君、おばさんの奢りだからなんでも食べてね」
「ちょ、おばさんって言ってる」
加賀君が吹き出した。慌てて訂正する。
「違った、お姉さん。ああもう駄目だ、高校生の男の子を可愛いって言い出したらおばさんの証拠だよ」
でも可愛いんだから仕方がない。七世君がメニューから顔を上げて私を見ていた。おばさんかどうか確かめたのかもしれない。
「めぐみさんは、本当にお子さんがいるんですか?」
生真面目な顔で七世君が訊く。
「そう、小学校二年生だよ」
「え、そんなに大きい子が?」
彼の目から、私はいくつに見えているのだろう。
「七世君、私、いくつだと思う?」
わくわくして訊いた。加賀君が眉間を掻きながら、「思った年齢の五歳はマイナスにしとけよ」と余計なアドバイスをした。
七世君が律儀に頷いて、「じゃあ二十歳です」と答えた。
じゃあ、って。私はテーブルに突っ伏した。なんだこの素直な男の子は。
「五月ちゃんより下なわけないだろ」
「二十五から五を引いたんです」
「二十五だって」
加賀君が口笛を吹いてから、「お前決まった?」と七世君に確認する。七世君がメニューを指さすのを確認して、手を上げて店員を呼んだ。
「やだ、嬉しい。二十五歳かあ」
「でも、二十五歳だと、小学校二年生の子どもは……」
指を折りながら虚空を眺める七世君が、ちら、と加賀君を見た。
加賀君には年の離れた弟がいて、七世君と同じ高校二年生だがもうすぐ子どもが生まれる。だから二十五歳で小学校二年生の子どもがいても、ありえない話ではない。ということに気づいたのだろう。
加賀君は自分の家庭にコンプレックスを抱いていて、社内でも家族構成を知るのは私だけだ。以前の彼女にも結局話せず仕舞いだったらしい。
七世君には話せたのか、と思うと胸が温かくなった。
「この人俺の二個上だから」
あっさりとばらすと、注文を取りに来た店員にメニューを指さした。店員は若い女の子で、加賀君の顔を二度見してから、声のトーンを高くして、注文を繰り返した。
加賀君と食事に来ると、大体がこんなふうだ。あわよくば食後のデザートをサービスしてくれたりするからラッキーではある。
店員が去っていくと、七世君がじっと背中を見ていた。そして私を振り返り、「めぐみさん」と呼んだ。
「加賀さんって、会社でもモテますか?」
と訊いた。今の店員の視線に気づいたらしい。当の本人は超がつく鈍感なので、気づいていない。
「そりゃもう、モッテモテ」
両手を広げて答えると、七世君がしょんぼりとうつむいた。
「やっぱりですか」
「この前の温泉もひどかったもんね」
「うわ、やめて。思い出したくない」
加賀君が耳を塞ぐ。うちの会社は社内行事が多く、慰安旅行は毎年のことだが、加賀君が参加するのはものすごく珍しいことで、そのことを知った女子社員がここぞとばかりに出席し、ハーレムになって大変だった。
会社の外ならどれだけつきまとっても仕事に影響がないだろう、とでも言いたいようだった。
「加賀君はさ、顔もまあこの通りなんだけど、なんでも器用にこなしちゃうから、モテないわけがないんだよ」
「料理も上手ですしね」
七世君が加賀君を見ながら言った。
「あ、そうなの? あれえ? 私まだ手料理ごちそうになってないよ? 付き合い長いのに、おかしいなあ」
「今度振る舞います」
加賀君が気まずそうにコップの水を飲んだ。
七世君より付き合いが長いのは確かだが、私は加賀君のアパートに行かないし、逆もまたありえない。そういう関係とは違う。
「うちの会社、運動会あるんだけどさ。加賀君、毎年活躍するんだよ。だから女子の人気が衰えないってのもあると思うんだよね」
切り出すと、加賀君が水を吹きそうになった。
「その話する?」
「する。聞きたいよね?」
私が訊くと、七世君が加賀君を見てから「はい」と面白そうに目を輝かせた。
「今年の運動会、すごい奇跡が起きたんだけど、借り物競走があってね」
加賀君が「あー」と言ってうなだれる。
「走者が五人いて、そのうち出たのが『イケメン』『好きな人』『美しいもの』、あとなんだっけ」
「黒い服」
加賀君が言った。
「そうだ、黒い服。うける。加賀君、黒いジャージ着てたんだよね。で、五人中四人が一斉に加賀君のとこに走ってきたわけ」
あのときの光景が蘇る。自分の出番じゃないから関係ない、という顔で、他の社員と雑談していた加賀君を四人が引っ張っていこうとした。
「なんていうか、さすがですね」
七世君が感心したように、ほう、と息を吐いて、「それでどうなったんですか?」と身を乗り出した。
「黒い服は他にもいるから諦めて、あとはイケメンと好きな人と美しいもので奪い合い。で、結局じゃんけんになったんだよね」
「あれなんだったんだろうな。借り物競走でじゃんけんて」
じゃんけんの結果、『好きな人』を引いた女子社員が勝利し、公開告白のような空気になり、ヒューヒューと古くさい冷やかしをする社員もいた。
でも、加賀君は告白されることに慣れすぎていたので、まったくもって泰然自若としていた。
「リレーもアンカーだし、目立つなっていうほうが無理だよ」
「加賀さん、足速いんですか? 元陸上部ですもんね」
「別に、普通だよ。周りがおっさんばっかりだから。あ、俺もおっさんだけど」
七世君が何か言いたそうにしている。おっさんじゃない、とツッコミたかったのかもしれない。
「うちの会社の運動会、男女別の全員リレーなの。だからもう何周も差がついたりして、毎年盛り上がるんだけど、加賀君最後三人抜きで勝っちゃって」
七世君が尊敬のまなざしで加賀君を見る。
「社長と、生産部の部長と、製造部の課長だよ? 偉い人ばっか。普通遠慮しそうなのに、容赦なく抜いてく加賀君は勇者だったよ」
接待麻雀でも全力で勝ちにいくタイプだ。出世はできないかもしれない。
「それ、すごい見たかったです」
「よし、来年見においでよ」
私が手招きをして見せると、加賀君が「えっ」と声を上げる。
「見に行っていいんですか?」
「いいよ、見学自由だし、うちの子も今年応援に来たよ」
「来年、行きます」
七世君が嬉しそうに宣言した。
「でも俺、来年は足折って棄権する予定だから」
「何それ。そんなの許さないよ。営業部のエースなのに」
渋い顔で水を飲む加賀君をニヤニヤして眺めた。
「そういうことで、この子は社内でもとってもモテちゃうんです」
「わかります、加賀さんって顔が綺麗なだけじゃないんですよね。優しいし、楽しいし、カッコイイし、モテないわけない」
七世君が伏し目がちに言った。きっとモテることが心配なのだろう。
「大丈夫だよ。スルー能力高いから。それにもう、モテても関係ない。よね」
加賀君に同意を求める意味で視線を送ると、首を撫でながら「まあね」と答えた。
「違うんです」
七世君が神妙な面持ちで言った。
「モテるから誰かに盗られるんじゃないかっていう心配よりも、俺、独占欲強いみたいで、加賀さんを誰にも見せたくないっていうか」
加賀君が無言で顔を両手で覆った。七世君の無自覚なのろけが加賀君に与えるダメージは大きそうだ。
「さっきの店の人だって、すごい見てきてたし、なんか、隠したくなるんです。俺のだから、そんな目で見ないで欲しいって思っちゃって」
奇声を発しそうなところで、店員が料理を運んできた。加賀君は顔を覆ったまま動かない。
店員がちらちらと加賀君を気にしていたが、残念そうに去っていったところで、私は腹の底から絞り出すような声を出した。
「めっちゃ可愛い」
どん、とテーブルを拳で叩く。コップの水がゆらゆら揺れた。
「七世君、可愛い。そして照れる加賀君も可愛い」
「こうなるの目に見えてたんだよ」
顔をこすりながら加賀君が「うあー」と照れ隠しに謎の声を上げた。
「もう、ごちそうさま!」
食べる前からおなかがいっぱいになりそうだ。ごちそうさま、という私の科白を七世君は不思議そうにしている。
三人の料理が揃ったところで、加賀君と七世君が同時に手を合わせた。
「はい、せーの、いただきます」
いただきます、の部分を一緒に言って料理に手をつける。私は遅れて手を合わせ、小声でいただきます、と呟いた。
「何、今の可愛いのは」
「ん? 何が?」
加賀君が私を見ながらパスタを口に運ぶ。
七世君の習慣が、うつったとしか思えない。加賀君はこういうことをする人じゃなかった。
「やばい、私本当におなかいっぱい」
「なんか食べてきたの?」
「ううん、朝から食べてない」
「どういうこと」
加賀君が首を傾げる。
「加賀さん、このマルゲリータすごい美味しいです。あーん」
七世君がピザを加賀君に向けて、口を開けるように要求した。
ひえええええ、と脳内で悲鳴を上げ、右往左往した。
「こういうこと素でやっちゃうんだよこいつ。あったかぽかぽかな家庭で育ったからだろうけど、普通は男同士であーんはしません。ねえ、めぐみさん」
加賀君は動じずに、冷静だった。
「え、何、食べてあげないの? 大丈夫、誰も見てないよ」
隣の席の女性二人組が横目でこっちを気にしていたが、言わなければ気づかない。
七世君は諦めずにピザをずっとスタンバイしている。チーズが垂れてきた。
あ、と声が出そうになった。
寸前で、加賀君がピザに噛みついた。
「うん、美味い」
一口食べたことで、七世君の気が済んだらしい。満足そうに笑って残りを口に放り込んだ。
「君たち、本当に可愛いな」
力が入らなくなってきた。フォークを持つ手が震える。
隣の二人組が「見た? 見た?」と興奮しながらヒソヒソやっている。「見た!」と一緒にヒソヒソしたい気分だ。
「この前の旅行でもずっとこんな感じだし、美味い物を共有したくなるらしい」
三連休を使って二人で旅行に行ってきたらしい。私と息子にそれぞれお土産を買ってきてくれた。
「旅行、楽しかった?」
七世君に訊くと、思い出したのか、にっこりと笑って「はい」とうなずいた。
「ゾンビがすごかったです」
ハロウィンのイベントがやっているらしく、私も一度行ってみたいと思っていた。
いかに楽しかったか、七世君が語ってくれている間、加賀君は微笑ましそうに黙って聞いていた。
ああ、よかった、と思った。
こんなにリラックスした加賀君を見られるなんて。
男同士でも関係ない。お互いに、すごく好きなのが伝わってくる。
二人を見ていると、幸せな気持ちになれた。
もう少し突っ込んだ話をして、七世君を赤面させてみたい、と思ったが、我慢した。
具体的にどこまでいったか聞いていたわけじゃない。でも、二人を見ていたらわかる。
これは完全に出来てるな、と下世話だが、確信した。
それにしても、どっちがどっちなのかは謎だ。どっちでもありか?
モヤモヤというか、ムラムラきそうだった。ただの欲求不満かもしれない。
「ねえ、ところでさ」
料理を食べ終わり、加賀君はコーヒーを、七世君はストローで可愛くオレンジジュースを飲んでいる。
二人のほうに顔を寄せて、こっそり囁いた。
「いつキスしてみせてくれるの?」
二人同時に吹き出した。
「やだ、二人して何してんの」
テーブルを紙ナプキンで拭く。
「めぐみさん」
口を拭って加賀君がため息をつく。人前で二度もキスをした逸話を聞かされ、今日見られるんじゃないかと期待していた。
「さすがに公衆の面前でできないよ、なあ」
加賀君が七世君のほうを向く。七世君が、ごく自然に、顔を寄せてキスをした。
瞬きをしていたら見逃すほどの、一瞬触れただけのキスだったが、私はもう、悶絶するしかなかった。
七世君はケロッとしてオレンジジュースを飲んでいる。
ちゃんと周りを確認しての行動だったらしく、隣の席の女性も、他の客も、店員も、今の出来事に気づいていない。
「……倉知君は、どうしてそういうことをするのかな」
「すいません、キスって聞いたらどうしてもしたくなって」
「え、じゃあずっとキスキス呟いてようかな」
私が言うと、加賀君が真顔で見つめてくる。無表情な加賀君は人形のように綺麗だ。怖いくらい整っている。
「あの、失礼します」
さっきの店員がトレイを持って現れると、テーブルにケーキを三つ置いた。
「こちらサービスさせていただきますので、召し上がってください」
周囲に聞こえないほどの小さな声で、加賀君だけに向かってそう言った。あからさまな色目を使っているが、加賀君は営業スマイルで「どうも」と軽くあしらった。
トレイを胸に抱えて嬉しそうに奥に下がった店員が、厨房で仲間とハイタッチしているのが見える。
「加賀君と来るとデザート注文しなくていいから助かる」
「え、あの、こういうことよくあるんですか?」
七世君は困惑していた。
「何回かあったね。まだ人数分持ってきたから許すけど。見て、この特別でもなんでもないって顔」
フォークの先を加賀君の顔に向けた。
「俺、そんなに甘い物好きじゃないんだけどな」
文句を言ってケーキを口に放り込んでいる。
「贅沢者!」
叱りつけると、加賀君がケーキの皿を私のほうに押した。
「めぐみさん、俺のも食べる?」
「食べる」
今日は晩ご飯を抜こう。
「加賀さんは、どうやったらモテないんだろう」
七世君が真剣な顔でケーキをもぐもぐしている。
「眼鏡は?」
バッグからケースを出すと、加賀君に眼鏡を手渡した。度が入っていない眼鏡だ。ブルーライトをカットするとかで、効果は定かじゃないが、仕事中に私が掛けている物だった。
加賀君が前髪を掻き上げてから眼鏡を掛ける。
「どう? ださい?」
「駄目だ、男前は何しても男前なんだよ」
インテリ風に変身しただけだ。
加賀君が掛けると、自分の眼鏡だと思えないほど高級そうに見える。
「加賀さん、こっち見て」
七世君が興奮した様子で加賀君の肩を掴む。
「ん、似合う?」
「似合う。カッコイイ」
またイチャつきだした。これがナチュラルらしいが、私の心臓はそろそろ持たない。
「七世君、加賀君はどう頑張ってもモテるから、もうそれは諦めなさい」
私が言うと、悲しそうな顔で「はい」と答えた。素直だ。
加賀君が眼鏡を外し、私に返すと「トイレ」と言って席を立った。
二人きりになると、ケーキを食べながらじっと七世君を見た。
あどけなさが残る少年。なんだか、本当に清らかな感じだ。
「七世君」
「はい」
フォークを咥えて私を見る。
「加賀君って仕事大好き人間なんだけど、ずっとそれだけじゃ駄目だと思ってたんだ」
本人がストレスフリーで毎日楽しいならいいか、と思っていた。だから、誰かいい人見つけたら? などとお節介を焼くことはなかったが、心のどこかで、彼を支えてくれる人がいたらいいのにと思っていた。
「今日、七世君に会って、ホントにいい子だから安心したよ。加賀君のこと、よろしくね」
七世君はフォークを置いて、背筋を伸ばすと、にこ、と笑った。
「はい、任せてください」
「ふふ、頼もしい」
嬉しくなって、ケーキをがつがつ貪っていると、加賀君が戻ってきた。
「相変わらず美味そうに食うな」
「美味しいよ。色男に乾杯」
ふ、と笑って椅子に座る。
「ねえ、このあとどうするの? デート?」
「食材仕入れて、DVD借りて、帰る」
加賀君が腕時計で時間を確認しながら言った。
「あ、もしかしてお泊まりなの?」
今日は土曜日だ。七世君が恥ずかしそうに赤くなった。初々しい反応に、こっちまで恥ずかしくなる。
「いいなあ、ラブラブ」
「めぐみさんもだろ」
「まあね」
フォークを置いて、ごちそうさまでした、と手を合わせる。七世君が私を見て、同じように手を合わせた。
「じゃあ、そろそろ出ようか」
伝票を持ってレジに行くと、店員が出入り口のほうに手のひらを向けて、
「お連れの方がお支払い済まされてますよ」
と、言った。加賀君が背中でドアを開けて、こっちを見ていた。
「……また、あいつは」
さっきトイレに立ったと見せかけて、精算していたに違いない。加賀君は、とにかく奢りたがりなのだ。助かると言えば助かるのだが、たまには奢らせて欲しい。
「お連れ様、すんごい素敵ですね」
「え、ああ、うん」
ケーキを持ってきた例の店員だ、と気づいた。
「是非、またご一緒にお越しくださいませ」
私に頭を下げてから、キャーと言って加賀君に両手を振る。七世君がそれに気づいて、加賀君の腕を取ると、隠すようにして店を出て行った。あれじゃ好きなのがバレバレだ。
「加賀君、またやったね?」
店から出ると、加賀君の脇腹を軽く殴った。
「うん、まあいいじゃん。今度は奢ってよ」
そんなことを言って奢らせてくれないのはどこの誰だ。
「あれ、加賀さんの奢りですか? ごちそうさまでした」
七世君がお礼を言ってから私を見て、頭を下げた。
「めぐみさんも、今日はありがとうございました。また遊んでください」
「うん、こっちこそ、楽しかったよ。またね。加賀君も、ありがとう。月曜日ね」
「おやすみ」
まだ昼だ。気が早い挨拶をして、二人が一緒に手を振る。
去っていく二人の背中を、見えなくなるまで見送った。
「ああもう、なんて可愛い二人。くそー、羨ましい」
とりあえず、家に帰ろう。
そして、思いっきり旦那に甘えてやろう、と思った。
〈おわり〉
加賀君が入社したとき、女子社員のほとんどが浮き足立ち、ちょっとした騒動になった。
美形が来た、イケメン来た、と独身者も既婚者も、キャアキャアと騒ぎ立てた。
彼は私のいる営業部に配属になった。
入社後しばらくは、用もないのに営業部のフロアに見に来る女性が多く、周りが迷惑がり、嫉妬からかきつくあたる社員もいた。
でも加賀君が、綺麗で大人しそうな見た目とは違い、男臭くて明るくて、人当たりが良かったせいで、すぐに周囲を懐柔した。上司も先輩も同僚も、彼を好きになった。
結婚して子どもがいた私でさえも、漏れなく彼を好きになった。勿論、恋愛の意味ではない。
人たらし。だと思う。二十二歳という年齢で、世渡りが異様に上手かったのだ。
それでも、アイドル扱いする女子社員には手を焼いていた。
当時彼は付き合っている子がいて、それを何度説明しても、懲りずに言い寄る女が絶えなかった。
見かねた上司が注意したが、効果はなく、加賀君は参っていた。営業部全体で彼を守ろうとする動きはあったが、それ以上に女は厄介だった。
このままでは仕事に支障が出る、と思った私は、ロッカールームで追っかけの子たちとバトルを繰り広げ、一対多数のハンデを負いながらも、勝利した。
というか、話を聞かない女たちに、最後の手段で土下座したのだ。
思いもしなかったであろう私の行動に、彼女たちは大いに引いた。引いた隙に、いかに彼が迷惑しているか、仕事への差し障りがあるか、営業部、延いては企業全体にダメージを与えかねないかを客観的に説明し、論破した。
次の日から、加賀君に対する猛攻は勢いを弱め、徐々に静かになっていった。
遠巻きに、静かに盛り上がる女子社員を怪訝そうに見ていた加賀君が、私の土下座を知ったのは数日後だった。
本当にすいませんでした、と彼は私に土下座した。
「そんなに簡単に土下座なんてするもんじゃないよ」
と私が言うと、彼は可笑しそうに、
「そっくりそのままお返しします」
と、笑った。
以来、私たちは親友というか、家族というか、不思議な絆で結ばれたようだった。
私が子育てで悩んだとき、彼は愚痴を聞いてくれ、彼が恋愛で悩んだとき、私が愚痴を聞いた。
入社から二年で悩みの種だった彼女と別れたとき、私は妙に安心した。
話に聞いていた彼女が、彼と合わないと思っていたからだ。彼女を好きかどうかもわからなくなっているようだった。不幸にしかならないと感じた。
それからずっと独り身を貫き、恋愛には関心を示さず、仕事に没頭した彼が選んだ相手。
待ち合わせの時間十分前に、加賀君がその子を連れてきた。
「こっちこっち」
席を立って手を振った。加賀君の後ろに長身の男の子がいる。背が高いのに、顔は幼いというか、確かに可愛い感じだと思った。
「ごめん、待った?」
加賀君が謝りながら椅子を引く。
「全然。七世君?」
呼ばれた男の子は、私を見てふわっと笑い、とても丁寧なお辞儀をした。
「こんにちは。初めまして、倉知七世です」
可愛い、と抱きつきたくなった。高校生なのに、卒のない挨拶ができる男の子、というのがツボにはまった。
「えー、わー、ほんとおっきいんだねえ。座って座って」
失礼します、と断りを入れてから椅子に座る。
「どうしよう、可愛いね!」
自分の体を抱きしめながら、私はつい叫んでしまった。全身からいい子オーラを発していて、キラキラと、眩しく映る。自分が穢れた大人だと思い知らされる。
加賀君が「はは」と笑い声を漏らす。
「めぐみさん、息子とだぶってない?」
「え、うちの子こんな可愛くないよ」
平然と答える私を、加賀君は優しい顔で見て、メニューを手に取った。
並んで座った二人が、一緒にメニューを見ている。
自分の立ち位置が、姉なのか母なのか、よくわからないが、とにかく目の前の二人が妙に可愛く思えて、体がブルッと震えた。
「ごめんね、勝手にイタリアンにしたけど大丈夫だった?」
七世君が顔を上げて「はい、好きです」とはきはきと答えた。私は胸を押さえて「キャア」とのけぞる。
「好きって言われちゃった」
「ちょっと今日キャラ違わない?」
「そう? いつも通りの私よ」
「なんか女みたい」
女なんですけど。じと、と加賀君を見ると、苦笑しながら「めぐみさん注文決まった?」と訊く。
「うん、もうオーダーした。七世君、おばさんの奢りだからなんでも食べてね」
「ちょ、おばさんって言ってる」
加賀君が吹き出した。慌てて訂正する。
「違った、お姉さん。ああもう駄目だ、高校生の男の子を可愛いって言い出したらおばさんの証拠だよ」
でも可愛いんだから仕方がない。七世君がメニューから顔を上げて私を見ていた。おばさんかどうか確かめたのかもしれない。
「めぐみさんは、本当にお子さんがいるんですか?」
生真面目な顔で七世君が訊く。
「そう、小学校二年生だよ」
「え、そんなに大きい子が?」
彼の目から、私はいくつに見えているのだろう。
「七世君、私、いくつだと思う?」
わくわくして訊いた。加賀君が眉間を掻きながら、「思った年齢の五歳はマイナスにしとけよ」と余計なアドバイスをした。
七世君が律儀に頷いて、「じゃあ二十歳です」と答えた。
じゃあ、って。私はテーブルに突っ伏した。なんだこの素直な男の子は。
「五月ちゃんより下なわけないだろ」
「二十五から五を引いたんです」
「二十五だって」
加賀君が口笛を吹いてから、「お前決まった?」と七世君に確認する。七世君がメニューを指さすのを確認して、手を上げて店員を呼んだ。
「やだ、嬉しい。二十五歳かあ」
「でも、二十五歳だと、小学校二年生の子どもは……」
指を折りながら虚空を眺める七世君が、ちら、と加賀君を見た。
加賀君には年の離れた弟がいて、七世君と同じ高校二年生だがもうすぐ子どもが生まれる。だから二十五歳で小学校二年生の子どもがいても、ありえない話ではない。ということに気づいたのだろう。
加賀君は自分の家庭にコンプレックスを抱いていて、社内でも家族構成を知るのは私だけだ。以前の彼女にも結局話せず仕舞いだったらしい。
七世君には話せたのか、と思うと胸が温かくなった。
「この人俺の二個上だから」
あっさりとばらすと、注文を取りに来た店員にメニューを指さした。店員は若い女の子で、加賀君の顔を二度見してから、声のトーンを高くして、注文を繰り返した。
加賀君と食事に来ると、大体がこんなふうだ。あわよくば食後のデザートをサービスしてくれたりするからラッキーではある。
店員が去っていくと、七世君がじっと背中を見ていた。そして私を振り返り、「めぐみさん」と呼んだ。
「加賀さんって、会社でもモテますか?」
と訊いた。今の店員の視線に気づいたらしい。当の本人は超がつく鈍感なので、気づいていない。
「そりゃもう、モッテモテ」
両手を広げて答えると、七世君がしょんぼりとうつむいた。
「やっぱりですか」
「この前の温泉もひどかったもんね」
「うわ、やめて。思い出したくない」
加賀君が耳を塞ぐ。うちの会社は社内行事が多く、慰安旅行は毎年のことだが、加賀君が参加するのはものすごく珍しいことで、そのことを知った女子社員がここぞとばかりに出席し、ハーレムになって大変だった。
会社の外ならどれだけつきまとっても仕事に影響がないだろう、とでも言いたいようだった。
「加賀君はさ、顔もまあこの通りなんだけど、なんでも器用にこなしちゃうから、モテないわけがないんだよ」
「料理も上手ですしね」
七世君が加賀君を見ながら言った。
「あ、そうなの? あれえ? 私まだ手料理ごちそうになってないよ? 付き合い長いのに、おかしいなあ」
「今度振る舞います」
加賀君が気まずそうにコップの水を飲んだ。
七世君より付き合いが長いのは確かだが、私は加賀君のアパートに行かないし、逆もまたありえない。そういう関係とは違う。
「うちの会社、運動会あるんだけどさ。加賀君、毎年活躍するんだよ。だから女子の人気が衰えないってのもあると思うんだよね」
切り出すと、加賀君が水を吹きそうになった。
「その話する?」
「する。聞きたいよね?」
私が訊くと、七世君が加賀君を見てから「はい」と面白そうに目を輝かせた。
「今年の運動会、すごい奇跡が起きたんだけど、借り物競走があってね」
加賀君が「あー」と言ってうなだれる。
「走者が五人いて、そのうち出たのが『イケメン』『好きな人』『美しいもの』、あとなんだっけ」
「黒い服」
加賀君が言った。
「そうだ、黒い服。うける。加賀君、黒いジャージ着てたんだよね。で、五人中四人が一斉に加賀君のとこに走ってきたわけ」
あのときの光景が蘇る。自分の出番じゃないから関係ない、という顔で、他の社員と雑談していた加賀君を四人が引っ張っていこうとした。
「なんていうか、さすがですね」
七世君が感心したように、ほう、と息を吐いて、「それでどうなったんですか?」と身を乗り出した。
「黒い服は他にもいるから諦めて、あとはイケメンと好きな人と美しいもので奪い合い。で、結局じゃんけんになったんだよね」
「あれなんだったんだろうな。借り物競走でじゃんけんて」
じゃんけんの結果、『好きな人』を引いた女子社員が勝利し、公開告白のような空気になり、ヒューヒューと古くさい冷やかしをする社員もいた。
でも、加賀君は告白されることに慣れすぎていたので、まったくもって泰然自若としていた。
「リレーもアンカーだし、目立つなっていうほうが無理だよ」
「加賀さん、足速いんですか? 元陸上部ですもんね」
「別に、普通だよ。周りがおっさんばっかりだから。あ、俺もおっさんだけど」
七世君が何か言いたそうにしている。おっさんじゃない、とツッコミたかったのかもしれない。
「うちの会社の運動会、男女別の全員リレーなの。だからもう何周も差がついたりして、毎年盛り上がるんだけど、加賀君最後三人抜きで勝っちゃって」
七世君が尊敬のまなざしで加賀君を見る。
「社長と、生産部の部長と、製造部の課長だよ? 偉い人ばっか。普通遠慮しそうなのに、容赦なく抜いてく加賀君は勇者だったよ」
接待麻雀でも全力で勝ちにいくタイプだ。出世はできないかもしれない。
「それ、すごい見たかったです」
「よし、来年見においでよ」
私が手招きをして見せると、加賀君が「えっ」と声を上げる。
「見に行っていいんですか?」
「いいよ、見学自由だし、うちの子も今年応援に来たよ」
「来年、行きます」
七世君が嬉しそうに宣言した。
「でも俺、来年は足折って棄権する予定だから」
「何それ。そんなの許さないよ。営業部のエースなのに」
渋い顔で水を飲む加賀君をニヤニヤして眺めた。
「そういうことで、この子は社内でもとってもモテちゃうんです」
「わかります、加賀さんって顔が綺麗なだけじゃないんですよね。優しいし、楽しいし、カッコイイし、モテないわけない」
七世君が伏し目がちに言った。きっとモテることが心配なのだろう。
「大丈夫だよ。スルー能力高いから。それにもう、モテても関係ない。よね」
加賀君に同意を求める意味で視線を送ると、首を撫でながら「まあね」と答えた。
「違うんです」
七世君が神妙な面持ちで言った。
「モテるから誰かに盗られるんじゃないかっていう心配よりも、俺、独占欲強いみたいで、加賀さんを誰にも見せたくないっていうか」
加賀君が無言で顔を両手で覆った。七世君の無自覚なのろけが加賀君に与えるダメージは大きそうだ。
「さっきの店の人だって、すごい見てきてたし、なんか、隠したくなるんです。俺のだから、そんな目で見ないで欲しいって思っちゃって」
奇声を発しそうなところで、店員が料理を運んできた。加賀君は顔を覆ったまま動かない。
店員がちらちらと加賀君を気にしていたが、残念そうに去っていったところで、私は腹の底から絞り出すような声を出した。
「めっちゃ可愛い」
どん、とテーブルを拳で叩く。コップの水がゆらゆら揺れた。
「七世君、可愛い。そして照れる加賀君も可愛い」
「こうなるの目に見えてたんだよ」
顔をこすりながら加賀君が「うあー」と照れ隠しに謎の声を上げた。
「もう、ごちそうさま!」
食べる前からおなかがいっぱいになりそうだ。ごちそうさま、という私の科白を七世君は不思議そうにしている。
三人の料理が揃ったところで、加賀君と七世君が同時に手を合わせた。
「はい、せーの、いただきます」
いただきます、の部分を一緒に言って料理に手をつける。私は遅れて手を合わせ、小声でいただきます、と呟いた。
「何、今の可愛いのは」
「ん? 何が?」
加賀君が私を見ながらパスタを口に運ぶ。
七世君の習慣が、うつったとしか思えない。加賀君はこういうことをする人じゃなかった。
「やばい、私本当におなかいっぱい」
「なんか食べてきたの?」
「ううん、朝から食べてない」
「どういうこと」
加賀君が首を傾げる。
「加賀さん、このマルゲリータすごい美味しいです。あーん」
七世君がピザを加賀君に向けて、口を開けるように要求した。
ひえええええ、と脳内で悲鳴を上げ、右往左往した。
「こういうこと素でやっちゃうんだよこいつ。あったかぽかぽかな家庭で育ったからだろうけど、普通は男同士であーんはしません。ねえ、めぐみさん」
加賀君は動じずに、冷静だった。
「え、何、食べてあげないの? 大丈夫、誰も見てないよ」
隣の席の女性二人組が横目でこっちを気にしていたが、言わなければ気づかない。
七世君は諦めずにピザをずっとスタンバイしている。チーズが垂れてきた。
あ、と声が出そうになった。
寸前で、加賀君がピザに噛みついた。
「うん、美味い」
一口食べたことで、七世君の気が済んだらしい。満足そうに笑って残りを口に放り込んだ。
「君たち、本当に可愛いな」
力が入らなくなってきた。フォークを持つ手が震える。
隣の二人組が「見た? 見た?」と興奮しながらヒソヒソやっている。「見た!」と一緒にヒソヒソしたい気分だ。
「この前の旅行でもずっとこんな感じだし、美味い物を共有したくなるらしい」
三連休を使って二人で旅行に行ってきたらしい。私と息子にそれぞれお土産を買ってきてくれた。
「旅行、楽しかった?」
七世君に訊くと、思い出したのか、にっこりと笑って「はい」とうなずいた。
「ゾンビがすごかったです」
ハロウィンのイベントがやっているらしく、私も一度行ってみたいと思っていた。
いかに楽しかったか、七世君が語ってくれている間、加賀君は微笑ましそうに黙って聞いていた。
ああ、よかった、と思った。
こんなにリラックスした加賀君を見られるなんて。
男同士でも関係ない。お互いに、すごく好きなのが伝わってくる。
二人を見ていると、幸せな気持ちになれた。
もう少し突っ込んだ話をして、七世君を赤面させてみたい、と思ったが、我慢した。
具体的にどこまでいったか聞いていたわけじゃない。でも、二人を見ていたらわかる。
これは完全に出来てるな、と下世話だが、確信した。
それにしても、どっちがどっちなのかは謎だ。どっちでもありか?
モヤモヤというか、ムラムラきそうだった。ただの欲求不満かもしれない。
「ねえ、ところでさ」
料理を食べ終わり、加賀君はコーヒーを、七世君はストローで可愛くオレンジジュースを飲んでいる。
二人のほうに顔を寄せて、こっそり囁いた。
「いつキスしてみせてくれるの?」
二人同時に吹き出した。
「やだ、二人して何してんの」
テーブルを紙ナプキンで拭く。
「めぐみさん」
口を拭って加賀君がため息をつく。人前で二度もキスをした逸話を聞かされ、今日見られるんじゃないかと期待していた。
「さすがに公衆の面前でできないよ、なあ」
加賀君が七世君のほうを向く。七世君が、ごく自然に、顔を寄せてキスをした。
瞬きをしていたら見逃すほどの、一瞬触れただけのキスだったが、私はもう、悶絶するしかなかった。
七世君はケロッとしてオレンジジュースを飲んでいる。
ちゃんと周りを確認しての行動だったらしく、隣の席の女性も、他の客も、店員も、今の出来事に気づいていない。
「……倉知君は、どうしてそういうことをするのかな」
「すいません、キスって聞いたらどうしてもしたくなって」
「え、じゃあずっとキスキス呟いてようかな」
私が言うと、加賀君が真顔で見つめてくる。無表情な加賀君は人形のように綺麗だ。怖いくらい整っている。
「あの、失礼します」
さっきの店員がトレイを持って現れると、テーブルにケーキを三つ置いた。
「こちらサービスさせていただきますので、召し上がってください」
周囲に聞こえないほどの小さな声で、加賀君だけに向かってそう言った。あからさまな色目を使っているが、加賀君は営業スマイルで「どうも」と軽くあしらった。
トレイを胸に抱えて嬉しそうに奥に下がった店員が、厨房で仲間とハイタッチしているのが見える。
「加賀君と来るとデザート注文しなくていいから助かる」
「え、あの、こういうことよくあるんですか?」
七世君は困惑していた。
「何回かあったね。まだ人数分持ってきたから許すけど。見て、この特別でもなんでもないって顔」
フォークの先を加賀君の顔に向けた。
「俺、そんなに甘い物好きじゃないんだけどな」
文句を言ってケーキを口に放り込んでいる。
「贅沢者!」
叱りつけると、加賀君がケーキの皿を私のほうに押した。
「めぐみさん、俺のも食べる?」
「食べる」
今日は晩ご飯を抜こう。
「加賀さんは、どうやったらモテないんだろう」
七世君が真剣な顔でケーキをもぐもぐしている。
「眼鏡は?」
バッグからケースを出すと、加賀君に眼鏡を手渡した。度が入っていない眼鏡だ。ブルーライトをカットするとかで、効果は定かじゃないが、仕事中に私が掛けている物だった。
加賀君が前髪を掻き上げてから眼鏡を掛ける。
「どう? ださい?」
「駄目だ、男前は何しても男前なんだよ」
インテリ風に変身しただけだ。
加賀君が掛けると、自分の眼鏡だと思えないほど高級そうに見える。
「加賀さん、こっち見て」
七世君が興奮した様子で加賀君の肩を掴む。
「ん、似合う?」
「似合う。カッコイイ」
またイチャつきだした。これがナチュラルらしいが、私の心臓はそろそろ持たない。
「七世君、加賀君はどう頑張ってもモテるから、もうそれは諦めなさい」
私が言うと、悲しそうな顔で「はい」と答えた。素直だ。
加賀君が眼鏡を外し、私に返すと「トイレ」と言って席を立った。
二人きりになると、ケーキを食べながらじっと七世君を見た。
あどけなさが残る少年。なんだか、本当に清らかな感じだ。
「七世君」
「はい」
フォークを咥えて私を見る。
「加賀君って仕事大好き人間なんだけど、ずっとそれだけじゃ駄目だと思ってたんだ」
本人がストレスフリーで毎日楽しいならいいか、と思っていた。だから、誰かいい人見つけたら? などとお節介を焼くことはなかったが、心のどこかで、彼を支えてくれる人がいたらいいのにと思っていた。
「今日、七世君に会って、ホントにいい子だから安心したよ。加賀君のこと、よろしくね」
七世君はフォークを置いて、背筋を伸ばすと、にこ、と笑った。
「はい、任せてください」
「ふふ、頼もしい」
嬉しくなって、ケーキをがつがつ貪っていると、加賀君が戻ってきた。
「相変わらず美味そうに食うな」
「美味しいよ。色男に乾杯」
ふ、と笑って椅子に座る。
「ねえ、このあとどうするの? デート?」
「食材仕入れて、DVD借りて、帰る」
加賀君が腕時計で時間を確認しながら言った。
「あ、もしかしてお泊まりなの?」
今日は土曜日だ。七世君が恥ずかしそうに赤くなった。初々しい反応に、こっちまで恥ずかしくなる。
「いいなあ、ラブラブ」
「めぐみさんもだろ」
「まあね」
フォークを置いて、ごちそうさまでした、と手を合わせる。七世君が私を見て、同じように手を合わせた。
「じゃあ、そろそろ出ようか」
伝票を持ってレジに行くと、店員が出入り口のほうに手のひらを向けて、
「お連れの方がお支払い済まされてますよ」
と、言った。加賀君が背中でドアを開けて、こっちを見ていた。
「……また、あいつは」
さっきトイレに立ったと見せかけて、精算していたに違いない。加賀君は、とにかく奢りたがりなのだ。助かると言えば助かるのだが、たまには奢らせて欲しい。
「お連れ様、すんごい素敵ですね」
「え、ああ、うん」
ケーキを持ってきた例の店員だ、と気づいた。
「是非、またご一緒にお越しくださいませ」
私に頭を下げてから、キャーと言って加賀君に両手を振る。七世君がそれに気づいて、加賀君の腕を取ると、隠すようにして店を出て行った。あれじゃ好きなのがバレバレだ。
「加賀君、またやったね?」
店から出ると、加賀君の脇腹を軽く殴った。
「うん、まあいいじゃん。今度は奢ってよ」
そんなことを言って奢らせてくれないのはどこの誰だ。
「あれ、加賀さんの奢りですか? ごちそうさまでした」
七世君がお礼を言ってから私を見て、頭を下げた。
「めぐみさんも、今日はありがとうございました。また遊んでください」
「うん、こっちこそ、楽しかったよ。またね。加賀君も、ありがとう。月曜日ね」
「おやすみ」
まだ昼だ。気が早い挨拶をして、二人が一緒に手を振る。
去っていく二人の背中を、見えなくなるまで見送った。
「ああもう、なんて可愛い二人。くそー、羨ましい」
とりあえず、家に帰ろう。
そして、思いっきり旦那に甘えてやろう、と思った。
〈おわり〉
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