飯屋のせがれ、魔術師になる。

藍染 迅

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第5章 ルネッサンス攻防編

第662話 ステファノめ、わたしを閉じ込めたつもりか!

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「具合はどう?」

 ドリーは脈を取ろうと、プリシラの手首に手を近づけた。薄めに開いた目でそれを見つつ、ジェーンはその手が体に触れた瞬間ドリーにイドのマーカーを打ち込もうと待ち受けていた。

(あと2センチ)

 ジェーンがそう思ってイド同調マーキングを仕掛けようとした瞬間に、それ・・が起きた。

(まぶしいっ!)

 思わずジェーンは声を上げそうになった。
 まぶしかったのは肉眼ではない。ジェーンが宿るプリシラの魔視まじ脳が感じた光だった。

 ステファノの陽気が部屋中を照らし、心眼にだけ見える光で周囲を満たしていた。

(ぬっ! これは陽気か!)

 陽気を発する元はヨシズミの胸にあった。

(あのアミュレット! ステファノめ、わたしを閉じ込めたつもりか!)

 次にドリーがプリシラを取り押さえようとするのだろう。二重三重に準備されたステファノの罠に舌打ちしつつ、ジェーンは平静を取り戻した。
 捕まえに来るドリーを逆に利用する。乗り移ってしまえば後はどうとでもなると素早く計算を立てたのだ。

(もらうぞ、ドリー)

「ピー!」

 ジェーンが手を持ち上げた瞬間、プリシラの額で小鳥のような声が聞こえた。

「な、何!」

 とっさに払いのけようと手を動かすよりも早く、額にちくりと小さな痛みが走った。

『撃ち込め、いかずち丸!』

 魔耳話器まじわきからその声が聞こえるのと、雷丸の爪先から大量の陰気が放出されるのとどちらが先だったか。
 それは手紙の魔道具とは違い、プリシラのイドの内部、魔視脳に直接送り込まれた。

「ぎゃぁあああっ!」

 心臓に電極を刺し込まれたような猛烈なショックがジェーンを襲う。たまらずジェーンはプリシラの魔視脳から追い出された。

『守れ、雷!』
「ピー!」

 プリシラの額に手足を踏ん張り、雷丸はプリシラの全身を陰気で覆った。
 ステファノはジェーンを挟み込むように、外に陽気、ウチに陰気をめぐらせたことになる。

『しまった!』

 肉体を失ったジェーンは漂う精神体でしかない。魔視脳を持たざるがゆえに魔術を練ることもできない。
 憑依し直そうにも部屋にいるものは全員陰気をまとって防御を固めていた。

 手のひらより小さな雷丸でさえ、ジェーンにとっては難攻不落の城砦に等しかった。
 必死に憑りつこうとしたジェーンは、ドリーの陰気に弾かれ、体の一部を焼かれた。

『ぐっ! こうなったら根競べだ。お前たち、この部屋に一生閉じこもるわけにはいかんのだからな!』

 ジェーンは精神体である。飲み食いをする必要はない。これに対してドリーたちは3日も飲まず食わずでいれば動けなくなる。その前に睡眠不足で倒れるだろう。
 助けを求めてドアを開ければ、その瞬間にジェーンはステファノの結界をすり抜ける。

『お前は逃がさない』

 魔耳話器まじわきが発するステファノの声には何の高ぶりもなかった。嵐や地震を憎むことに何の意味があるだろうか?
 それはそういう現象であるにすぎない。

 だが、ステファノにとってあってほしくない、あってはならない現象であった。

『陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず。太極開合!』

 外なる陽と内なる陰がうねり、巡り、互いを追って渦巻いた。それはそのまま太極図の様相であり、陰陽のはざまにジェーンを巻き込み翻弄した。

『グワァアああ!』

 ステファノは体内で錬成すべき魔核マジコアを、ネルソン商会の一室に生み出していた。はるかサポリの彼方から。
 陰気と陽気はますます回転を速め、渦巻きながら中心に向かって凝縮していった。

 回るにつれて小さく、更に小さく。気の大きさを変えぬまま、ぐいぐいと自らを圧縮していく。
 命を終える恒星が内部に崩壊していくかのように。

「ステファノ! このままでは――!」
『わかっています。大丈夫です』

 恒星の死がブラックホールであるならば、極限まで圧縮した魔核はミニブラックホールを生み出すかもしれない。ヨシズミはそう懸念したが、ステファノはあくまでも冷静だった。

『雷丸! 錬成、土の因果!』

 ステファノは雷丸に土の魔力を錬成させた。できうる限りの力強さで。
 それを摘まめるほどに圧縮された高圧魔核に発動させる。

 物質界においてイドは疑似物質化する。雷丸を媒介にして発動したID波は疑似物質となった高圧魔核に重力として作用した。
 本来質量を持たない魔核が「重さ」を持って落ちていく。

 床に落ちた。止まらない。
 床板にめり込み、穴を開けた。
 床下の地面に達した。止まらない。
 固められた地面を割って、さらにその下へ。

 ただひたすら真っ直ぐに、下へ下へと落ちていった。

 やがて高圧魔核は地球の中心に達し、地核の一部となるだろう。
 地球の重力はほんのわずかに増えることになる。

 ジェーンもまた地球の一部となった。

「ピー!」

 息を飲み固まっていたドリーの肩に雷丸が飛び乗った。

「う! 何だ? おっ、プリシラが目覚めたか」

 プリシラが生気を取り戻し、介抱する2人が喜色を見せる中、遠話を切ったステファノはサポリで一人目を閉じた。
 戻ってはこない人たちの命を想い、顔も覆わず、ただ涙を流した。

 ネルソンとマルチェルの魔動車マジモービルがネルソン商会に到着したのは、それから1時間後のことであった。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第663話 ……真名って何?」

「ふむ。体には何の異常もない。心持ちはどうだ?」

 熱を測り、脈を取り、自律神経の働きを観察したネルソンは正気を取り戻したプリシラに尋ねた。

「何だか少し頭がぼうっとしています」
「頭が痛んだりはせぬか?」
「それは……ありません」

 ……

◆お楽しみに。
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