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第5章 ルネッサンス攻防編
第652話 すまねェ、ステファノ――。
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「ステファノ、そこに座りなさい」
「はい……」
ネルソンの声にただならぬものを感じたステファノは、緊張を感じながらソファに腰を下ろした。
「呪タウンの商会から知らせが届いた。気をしっかり持って聞きなさい」
ネルソンの声は穏やかであったが、その顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
届いた「知らせ」が自分にとって良いこととは思えなかった。
「今日から10日前、お前の父親バンスが亡くなった」
その言葉はステファノの全身を雷のように走り抜けた。それからはすべての音が遠くに聞こえる。
まるで自分は深い、深い水の底に沈んでいくようだった。
「バンスだけでなく、兄嫁のエリカと姪のテラも亡くなったそうだ」
ネルソンの口の動きをステファノは目で追っていた。何か大切なことを伝えようとしているのだが、間にある水が邪魔をして言葉として聞こえない。
大切なことのようだが、水の中では言葉は泡になって消えてしまう。
「お前の兄ルドは一命を取りとめた。わかるか、ステファノ?」
(うん? ルド? 兄さんがどうしたって? 兄さんは料理人の修業に出ているから、留守は俺が守らなくっちゃ)
自分には料理の才能はないが、店の手伝いくらいならできる。親父を支えて兄さんが帰ってくるまで店を守らなくちゃ。
ステファノの心はルドが店を離れた13年前まで遡っていた。ステファノはまだ10歳。店の手伝いをはじめて1年たつ頃だった。
ステファノの体は小さく、水桶は一度に1つしか運べなかった。水の量も半分に抑えておかないと、歩く度に桶の縁からこぼれてしまう――。
「ステファノ、しっかりしなさい。大きく息をするんだ」
(やだなあ。水の中で息なんかしたら溺れちゃうよ? ああ、またスープをこぼして手を汚しちゃった)
ステファノの目は焦点を失い、何も見ていない。その手は無意識に手袋を外して手首の傷あとを擦る。
指の爪が存在しない縛めをかきむしり、手首の皮膚を引きめくった。たちまち血がにじみ出すと、ステファノはそれをまたかきむしる。
「落ちつきなさい、ステファノ! 息をしなさい」
「すまねェ、ステファノ――」
いつの間に立ち上がっていたヨシズミが、ステファノの背後から首の周りに腕を回した。きゅっと腕に力を入れると頸動脈が圧迫されて脳への血流が阻害された。一瞬目を剥いたステファノだが、わずか数秒で意識を失った。
「ヨシズミ――」
「学長、乱暴な真似して申し訳ねェ。ステファノを大人しくさせんのに、こうすンのが早かったもンで」
「ああ、それはわかるが、ステファノは大丈夫なんだな?」
医学者のネルソンから見て、ステファノは眠っている状態と変わらなかった。胸は規則正しく上下している。
「絞めて落としただけなんで、すぐに目は覚めッペ」
そう言いながらヨシズミはステファノのみぞおちに手を当て、乱れていたイドの流れを整えていた。
呼吸が乱れれば気の流れも乱れる。逆もまたしかり。
ステファノの呼吸が徐々に整い、頬に赤みが差してきた。
「うん。これならもう大丈夫だッペ」
ヨシズミがステファノを介抱する間、ネルソンは薬箱を取り寄せ、包帯を取り出してステファノの傷ついた手首に巻きつけていた。
傷口の上に手を当て、外傷治癒の術式を練る。ネルソンの医療魔法は「治癒力を刺激する」効果しかない。一瞬で傷を塞ぐことはできないが、感染症を防ぎ患者を確実に治癒へと向かわせることができる。
この時代最高の医療と同等の効果があった。
「目覚めても同じことにならないだろうか?」
意識のないステファノを見つめ、つらい事実を告げねばならないネルソンは一瞬躊躇を覚えた。
「同じことにはならないでしょう」
同じようにステファノを見やりながら、ヨシズミは言った。
「言葉の意味が伝わってっからこそ、ステファノは取り乱したんだッペ。体は眠っても心は眠んねェ。心が落ち着けばもう取り乱すことはあんめェ」
やがて意識を取り戻したステファノが最初に発した言葉は、「ご心配をおかけしました」という一言だった。
◆◆◆
「水瓶に毒が入っていたんですか?」
平静を取り戻したステファノだったが、家族の死因について語る表情は苦しげだった。
「料理人のバンスまで欺いた毒だ。無味無臭に近い特殊なものだろう」
「ジュリアーノ王子殿下を害そうとしたような――ですか?」
「そうかもしれん。犯人は殺しを生業とする人間ではないかと思う」
ネルソンは自分の推理をステファノに伝えた。家族の死という衝撃を受けたばかりではあるが、むしろ考えることがあった方が気がまぎれるかもしれないとの思いもあった。
「細かい理由は不明だが、犯人の本当の狙いはステファノ、お前だろう。身辺に十分気をつけなさい」
「やはりそうでしょうね。もちろん注意します。直接狙ってくれればむしろありがたいですが」
「くれぐれも無理はするなよ。いいな?」
復讐心に我を忘れれば敵に足をすくわれる。怒りとは胸の奥底で静かに燃やすべきものだ。
「ステファノはすぐにサン・クラーレに向かいなさい。用心を兼ねてヨシズミを連れてな」
「2人なら滑空術で飛んでいけッペ」
「わかっているだろうが、無理をして急いでも意味はないぞ。事件からは既に10日たっていることを忘れるな」
犯人は既に現場を遠く離れているだろう。死んだ人間が生き返ることもない。
「兄の回復具合がわからぬが、必要なら手厚く看護するつもりで行きなさい」
「はい」
「俺とおめェがいれば、回復の手助けくらいできッペ」
ステファノの肩に手を置き、ヨシズミが励ました。
手早く身支度をしたステファノとヨシズミは、1時間後にサポリの空へと飛び立った。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第653話 これがバンスさんの墓だ。」
サポリからサン・クラーレまでは馬車なら10日の距離がある。
ヨシズミとステファノが飛行して時間を短縮しようとしても、1日中飛び続けることはできない。
2人は日のある間に飛行し、夜は地上で休憩するというサイクルで一路サン・クラーレを目指すことにした。
もちろん食事や用便は地上にいる間に済ませる。それ以外に、杖術の稽古時間も1日の内に設けていた。武術の鍛錬は続けてこそ意味がある。1日休めばその分後退するとヨシズミは考えていた。
……
◆お楽しみに。
「はい……」
ネルソンの声にただならぬものを感じたステファノは、緊張を感じながらソファに腰を下ろした。
「呪タウンの商会から知らせが届いた。気をしっかり持って聞きなさい」
ネルソンの声は穏やかであったが、その顔には一切の表情が浮かんでいなかった。
届いた「知らせ」が自分にとって良いこととは思えなかった。
「今日から10日前、お前の父親バンスが亡くなった」
その言葉はステファノの全身を雷のように走り抜けた。それからはすべての音が遠くに聞こえる。
まるで自分は深い、深い水の底に沈んでいくようだった。
「バンスだけでなく、兄嫁のエリカと姪のテラも亡くなったそうだ」
ネルソンの口の動きをステファノは目で追っていた。何か大切なことを伝えようとしているのだが、間にある水が邪魔をして言葉として聞こえない。
大切なことのようだが、水の中では言葉は泡になって消えてしまう。
「お前の兄ルドは一命を取りとめた。わかるか、ステファノ?」
(うん? ルド? 兄さんがどうしたって? 兄さんは料理人の修業に出ているから、留守は俺が守らなくっちゃ)
自分には料理の才能はないが、店の手伝いくらいならできる。親父を支えて兄さんが帰ってくるまで店を守らなくちゃ。
ステファノの心はルドが店を離れた13年前まで遡っていた。ステファノはまだ10歳。店の手伝いをはじめて1年たつ頃だった。
ステファノの体は小さく、水桶は一度に1つしか運べなかった。水の量も半分に抑えておかないと、歩く度に桶の縁からこぼれてしまう――。
「ステファノ、しっかりしなさい。大きく息をするんだ」
(やだなあ。水の中で息なんかしたら溺れちゃうよ? ああ、またスープをこぼして手を汚しちゃった)
ステファノの目は焦点を失い、何も見ていない。その手は無意識に手袋を外して手首の傷あとを擦る。
指の爪が存在しない縛めをかきむしり、手首の皮膚を引きめくった。たちまち血がにじみ出すと、ステファノはそれをまたかきむしる。
「落ちつきなさい、ステファノ! 息をしなさい」
「すまねェ、ステファノ――」
いつの間に立ち上がっていたヨシズミが、ステファノの背後から首の周りに腕を回した。きゅっと腕に力を入れると頸動脈が圧迫されて脳への血流が阻害された。一瞬目を剥いたステファノだが、わずか数秒で意識を失った。
「ヨシズミ――」
「学長、乱暴な真似して申し訳ねェ。ステファノを大人しくさせんのに、こうすンのが早かったもンで」
「ああ、それはわかるが、ステファノは大丈夫なんだな?」
医学者のネルソンから見て、ステファノは眠っている状態と変わらなかった。胸は規則正しく上下している。
「絞めて落としただけなんで、すぐに目は覚めッペ」
そう言いながらヨシズミはステファノのみぞおちに手を当て、乱れていたイドの流れを整えていた。
呼吸が乱れれば気の流れも乱れる。逆もまたしかり。
ステファノの呼吸が徐々に整い、頬に赤みが差してきた。
「うん。これならもう大丈夫だッペ」
ヨシズミがステファノを介抱する間、ネルソンは薬箱を取り寄せ、包帯を取り出してステファノの傷ついた手首に巻きつけていた。
傷口の上に手を当て、外傷治癒の術式を練る。ネルソンの医療魔法は「治癒力を刺激する」効果しかない。一瞬で傷を塞ぐことはできないが、感染症を防ぎ患者を確実に治癒へと向かわせることができる。
この時代最高の医療と同等の効果があった。
「目覚めても同じことにならないだろうか?」
意識のないステファノを見つめ、つらい事実を告げねばならないネルソンは一瞬躊躇を覚えた。
「同じことにはならないでしょう」
同じようにステファノを見やりながら、ヨシズミは言った。
「言葉の意味が伝わってっからこそ、ステファノは取り乱したんだッペ。体は眠っても心は眠んねェ。心が落ち着けばもう取り乱すことはあんめェ」
やがて意識を取り戻したステファノが最初に発した言葉は、「ご心配をおかけしました」という一言だった。
◆◆◆
「水瓶に毒が入っていたんですか?」
平静を取り戻したステファノだったが、家族の死因について語る表情は苦しげだった。
「料理人のバンスまで欺いた毒だ。無味無臭に近い特殊なものだろう」
「ジュリアーノ王子殿下を害そうとしたような――ですか?」
「そうかもしれん。犯人は殺しを生業とする人間ではないかと思う」
ネルソンは自分の推理をステファノに伝えた。家族の死という衝撃を受けたばかりではあるが、むしろ考えることがあった方が気がまぎれるかもしれないとの思いもあった。
「細かい理由は不明だが、犯人の本当の狙いはステファノ、お前だろう。身辺に十分気をつけなさい」
「やはりそうでしょうね。もちろん注意します。直接狙ってくれればむしろありがたいですが」
「くれぐれも無理はするなよ。いいな?」
復讐心に我を忘れれば敵に足をすくわれる。怒りとは胸の奥底で静かに燃やすべきものだ。
「ステファノはすぐにサン・クラーレに向かいなさい。用心を兼ねてヨシズミを連れてな」
「2人なら滑空術で飛んでいけッペ」
「わかっているだろうが、無理をして急いでも意味はないぞ。事件からは既に10日たっていることを忘れるな」
犯人は既に現場を遠く離れているだろう。死んだ人間が生き返ることもない。
「兄の回復具合がわからぬが、必要なら手厚く看護するつもりで行きなさい」
「はい」
「俺とおめェがいれば、回復の手助けくらいできッペ」
ステファノの肩に手を置き、ヨシズミが励ました。
手早く身支度をしたステファノとヨシズミは、1時間後にサポリの空へと飛び立った。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第653話 これがバンスさんの墓だ。」
サポリからサン・クラーレまでは馬車なら10日の距離がある。
ヨシズミとステファノが飛行して時間を短縮しようとしても、1日中飛び続けることはできない。
2人は日のある間に飛行し、夜は地上で休憩するというサイクルで一路サン・クラーレを目指すことにした。
もちろん食事や用便は地上にいる間に済ませる。それ以外に、杖術の稽古時間も1日の内に設けていた。武術の鍛錬は続けてこそ意味がある。1日休めばその分後退するとヨシズミは考えていた。
……
◆お楽しみに。
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