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第5章 ルネッサンス攻防編

第638話 ずいぶんと無駄な時間を過ごしたもんだ。

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 まじタウンからサポリに戻ったステファノたちを、残ったウニベルシタス・メンバーが待ち構えていた。すぐに学長室に集まり、報告会が行われた。

「ほほう。魔術師協会で科学の萌芽を目撃しただと? それはまた珍しい組み合わせだね」

 ステファノの挑戦を受けた魔術師たちは、伝統派魔術にいくつかの工夫を持ち込んでいた。そこには自然法則を利用しようとする科学的思想が確かに存在した。
 少なくともステファノの目にはそう映ったのだった。

「ジローの研究が協会員たちを触発したようです。魔術界は変わろうとしています」
「ようやく気づいたというところだね。ずいぶんと無駄な時間を過ごしたもんだ」

 ステファノの言葉を聞いて、ドイルは鼻を鳴らした。
 しかし、その語気にかつてほどの苦々しさや毒気はない。ステファノという「非常識」に蹂躙される魔術界に同情してやるだけの余裕が、ドイルには生まれていた。

「お前が貴族制度と魔術界に異を唱えてから20数年か? 魔術界の世代が変わってもいい頃だな」

 若き日のドイルとその不遇を知っているネルソンが、なだめるように声をかけた。

「20数年? いやいや、600年の間違いだろう? 魔術界の過ちはこの国の起源にまでさかのぼるぞ」
「わかった、わかった。お前の言う通りだ。魔術師協会には特に怪しげな動きはなかったのだな?」

 ネルソンは話をそらし、ドリーに偵察の結果を尋ねた。

「特段の反ウニベルシタス派は見つからなかった。王立騎士団の状況とはまったく違ったな」
「そうか。伝統派魔術師たちこそ魔法を敵対視するかと思っていたのだがな」
「敵対視していることは事実じゃろう。だが、それは魔法の価値を認めることでもある」

 5年前まで非魔術師ノーマルであったネルソンに、マランツは魔術師特有の態度を解説した。

「そもそも魔術界は諸派に分裂し、一枚岩ではない。競い合い、反目することが普通なのじゃ。いまさら『メシヤ流魔法』という一派ができたところで、目新しいことではない」

 新しい流儀が生まれては消える。魔術界はそういう浮沈の繰り返しを眺めつづけてきた。
 新流派に見るべきところ、強みがあればそれを我が物として自流派に取り入れる。それが流派存続の要諦であった。

「魔術界も600年をかけて変わってきているんじゃ。ドイル君の目にはほとんど変わらぬように見えるのだろうがの」
「毛虫の足が一本増えたところで何が変わるものでもないでしょう? 色でも変えてくれれば気づきますがね」

 ドイルが憎んだのは魔術ではない。現象のみを追い求め、その根幹にある法則に目を向けない魔術師の無知であった。

「さしずめステファノは毛虫から羽化した蝶というわけですか。ふふふ」
「目が曇った奴らでも、蝶と毛虫の違いくらいはわかったのだろうな」

 マルチェルの軽口に乗ったドイルだが、一言余計なことをつけ加えずにはいられなかった。

「もっとも、毛虫から羽化するのは蝶ではなくて蛾なんだがね、マルチェル」
「ドイル先生、それじゃあ俺が蛾みたいじゃありませんか。いやですよ」

 話のタネにされたステファノが口をとがらせて抗議した。

「ステファノ、そもそも蝶と蛾の区別というのはだね……」
「ドイル、その話は別の機会にしてもらおう。今は魔術師協会訪問の成果についておさらいしたい」

 ネルソンの仕切りで話の流れを本論に戻した。
 ウニベルシタスが今回の交流で得た成果は、魔術師協会の現在情報に加えて伝統派魔術での科学的改良があった。

「まず、鋼線を魔術発動具として遠い標的に届かせる工夫があった。次に、鉄の筒を道具として犬笛の振動を収束・強化して発射する工夫。最後に加工したルビーを媒介にして収束させた光魔術を発射する工夫があった」

 ドリーが試射会で目撃した魔術師の新工夫を列挙した。

「発動体が1件に、補助用具2件ということか」

 鉄筒はともかく、ルビーの指輪を「補助用具」と呼ぶことにステファノは抵抗を覚えたが、違和感を何とか抑え込んだ。居心地の悪い思いをしているのはどうやら自分だけらしい。

(一体いくらかかったんだろう?)

 ついそのことを考えてしまう。いつまでたっても貧乏性が抜けないと、ステファノは自省した。

「鋼線を伸ばす魔術発動具は興味深いな」

 最初に関心を示したのはネルソンだった。

「うん? 君が暗殺者を目指しているとは思わなかったが」
「そんなわけはあるまい。医療魔法に使えそうだと思ってな」
「君の魔法に発動体が必要かね? 手を触れれば足りるのではないか?」

 ネルソンが使うのは攻撃魔法ではない。医療行為であれば患者の側に立ち、患部に手で触れればいいはずだった。

「外傷や皮下の患部ならそれでいいのだがね。深いところにある患部には魔法が届かんのだ」

 人間は誰でもイドを身にまとっている。イドが邪魔をするために、人体内には魔法が極端に通りにくいのだった。
 大量のイドを放出して患者のイドを押し流せば、人体内部も術の対象とすることができる。しかし、患者の健康を害する副作用の恐れがある上、イドを押しのけられるのは短時間に限られた。慎重を要する精密治療には向いていない方法だった。

「細密鋼線を体内に刺し込めば、人体内に魔法の効果を及ぼすことができるはずだ」
「なるほど。体の内側から治療するということですな」

 ネルソンの発想にマルチェルが呼応した。
 東洋医学には体内の気を活性化させて、治癒力を高めるという発想がある。気功の活用に長けたマルチェルにはイメージしやすい応用法であった。

「同じやり方で人体内部を破壊するということも可能だがね」

 ドイルが裏表にある応用方法を示した。他人と違う視点を提供することは、議論や研究において極めて貴重な行動である。ドイルの場合偽悪的発想に偏る場合が多かったが。

「わざわざ鋼線を用意しなくても、細くしたイドを刺し込めば同じことができそうですね」

 素材は鉄だが、髪の毛より細い鋼を鍛えるには途方もない費用が掛かるに違いない。イドの制御で同じことができるのではないかと、ステファノは発想した。

「はあ~。ステファノ、そんなことができるのはオマエだけだッペ」

 他ならぬ「千変万化」のヨシズミにあきれられ、ステファノはいささか傷ついた。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第639話 魔法と科学は両立できる。」

 現実にステファノは医療魔法を施したことがある。
 あれは、まだアカデミーに入学するよりも前のことだった。

 旅先で強盗に遭いかけたステファノは、犯人の娘チェルシーを救った。毒蛇に噛まれた後遺症で尿毒症に苦しむ少女に寄り添い、数時間をかけて彼女の体内から毒素を取り除いたのだ。

 あの時には精密なイド制御の技術を持たず、人体に関する知識もまったくなかった。すべてはヨシズミに導かれるまま、手探りで魔法での治療を試みた結果だった。

 ……

◆お楽しみに。
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