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第5章 ルネッサンス攻防編
第608話 実に愚かな考え方だ。
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「イデア界とは純粋概念の存在する世界だ。思念体といえども生物とか知性体がいるような場所ではないよ」
無知な小児に言い聞かせるようにドイルは語った。
「イデア界には距離と時間が存在しない。世界の始まりから終わりまですべての事象が同時に重なって存在する」
原因と結果が同時に存在する世界。そんなところに生命や知性が活動・存在する余地はない。
「論理でわかることだろう? 生命や知性とは基本的に『変化』を前提とするものだ。変化することのないイデア界とは両立しない」
講堂を埋め尽くす聴衆に語りかけるがごとく、ドイルは両手を振るって熱弁した。
「そういうことですか。では、改めて聞きましょう。虹の王とは何者ですか?」
ドイルが芝居がかった言動を取るのは、伝えたい「答え」を持っている時だ。それをよく知るマルチェルはストレートにドイルの考えを尋ねた。
「『ミディアム』だ」
「何ですと? どういう意味か説明してもらえますか?」
短すぎるドイルの言葉を聞き、マルチェルは更なる説明を求めた。
もちろんドイルは説明する気まんまんだった。ふんと鼻の穴を広げて息を吸い込む。
「ミディアムとは『中間に存在するもの』という意味だ。物質界とイデア界の中間に存在するものを、この場合は指している」
ドイルはノートを取り出し、空白のページに「丸」を2つ並べて描いた。
「片方がイデア界、もう一方が物質界だ。本来イデア界に大きさはないが、ここでは『世界』であることを示すために大きさのある『丸』で表している。いいね?」
ドイルは物質界に「①」と書き込んだ。その下に「②」と書き、①から②へ矢印を描いた。
「これは①という現実が②という現実に変化したと理解してくれ。『糸くずが燃えた』でも『リンゴが落ちた』でも構わん」
マルチェルとドリーが頷くと、ドイルは「イデア界」に「点」を描き込んだ。その点から①と②へ直線を引く。
「一方イデア界に変化はない。①も②も最初から1点にある」
ドイルはイデア界の横につたないろうそくの絵を描いた。ろうそくには炎が灯っている。
「いいかい、これはあくまでも比喩だよ? 物質界で起きている現象はイデア界の情報の『影』だと言うことができる」
イデア界では1つの点であったものが、ろうそくの光を受けると物質界に「①→②」という影を落とすのだとドイルは説明した。
「物質界には『時』が存在する。『時』と『変化』は光と影だ。このろうそくの光が『時』だと思えばいい」
ドイルの例えに必死についていこうとしていたドリーは、「時」という言葉に反応した。
「では、すべての出来事は最初から決まっているということか?」
イデア界に存在する事象の影が順番に現れるだけだとしたら、物質界の未来は初めから決定されていることになる。ドリーはそう考えた。
「どうしてそうなる? 実に愚かな考え方だ。『時』の性質を全く理解していない」
ひどい言い草だったが、ドリーも5年間のつき合いでドイルの物言いに慣れた。これでまったく悪気はない。
ドイルが愚かだと言っているのは「考え方」であって、「ドリーが愚かだ」とは言っていない。
「イデア界に『時』はない。物質界の始まりと終わりはイデア界では一点なのだ。すべてが同時であって、『先』も『後』もない」
物質界だけで考えてみれば、そこには数限りない「偶然」が存在し、無限の可能性の中から1つの結果が発生する。
「起きる前から決まっている出来事などあるはずがない。イデア界を物質界から見ようとすると、『すべての知を集めた予言の書』のように見えたり、『この世の終わりまでの出来事を書き記した歴史書』であるかに見えるというだけの話さ。どちらも視野の狭い錯覚にすぎない」
物質界の考え方をイデア界に当てはめてはいけないということか。ドリーは自分なりに納得した。
「ここまではいいかね? それでは、皆が好きな『自由意志』の登場だ。君は『③』を『④』にしたいと願望を抱くことができる。そしてそれを行動に移す」
ドイルは物質界に「③→④」と書き入れた。そして、イデア界の「点」から③と④に直線を引く。
「物質界から見ると、『君の意志がイデア界の事象を決定した』と見ることができる。イデア界から見れば、イデア界側の事象が『君の意志を決定した』ように見える」
もちろんどちらも間違いだとドイルは手で埃を払うようなそぶりをした。
「自由意志はあくまでも物質界で発動され、それは結果を支配するという点で有効な要因だ。それは間違いないが、それをイデア界に当てはめてはいけない」
イデア界に「時」や「変化」はないのだから。
「2つの世界は結びついているだけだ。どちらが先でも後でもない」
「それではイデア界のことを考えても意味がないのではありませんか?」
考え込んでいたマルチェルが尋ねた。
「その通り! 普通は意味がない。何も影響がないからね」
「意味を持つ場面があると言うんですね? ――それが魔法ですか?」
マルチェルが正解にたどりついたのが面白くないのか、ドイルは急に白けた顔で顎をかいた。
「まあ、そうだね。魔法の何たるかって話は過去に散々してきたね――」
ドイルは「③」から「④」に伸びる矢印を「二重矢印」に書き換えた。
「魔法師はID波でイデア界に干渉することによって、イデア界の事象と物質界の事象を同時に変更する。これが因果の改変だ」
「そういう理屈でしたね。で、ミディアムというのはどこに出てくるのですか?」
じろりとマルチェルに目をやってから、わざとらしく一呼吸を置いてドイルは答えた。
「何もない所に波は伝わらないよ。波を伝えるもの、それを『媒質』という」
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第609話 一般有意性理論を覚えているかね?」
波といえば、まず水面を走る波紋を思い浮かべる。この時の媒質はもちろん「水」だ。
よく見るとわかるが、水は上下に動いているだけで波紋と共に水平に広がっているわけではない。
それでいて「波」は水の動きによって水平方向に移動するのだ。
「ID波についてもこれと同じだ。物質界とイデア界に共通した媒質が存在する」
「それがアバターだということですか?」
結論を急ぐマルチェルを睨みつけて、ドイルは唇を曲げた。
……
◆お楽しみに。
無知な小児に言い聞かせるようにドイルは語った。
「イデア界には距離と時間が存在しない。世界の始まりから終わりまですべての事象が同時に重なって存在する」
原因と結果が同時に存在する世界。そんなところに生命や知性が活動・存在する余地はない。
「論理でわかることだろう? 生命や知性とは基本的に『変化』を前提とするものだ。変化することのないイデア界とは両立しない」
講堂を埋め尽くす聴衆に語りかけるがごとく、ドイルは両手を振るって熱弁した。
「そういうことですか。では、改めて聞きましょう。虹の王とは何者ですか?」
ドイルが芝居がかった言動を取るのは、伝えたい「答え」を持っている時だ。それをよく知るマルチェルはストレートにドイルの考えを尋ねた。
「『ミディアム』だ」
「何ですと? どういう意味か説明してもらえますか?」
短すぎるドイルの言葉を聞き、マルチェルは更なる説明を求めた。
もちろんドイルは説明する気まんまんだった。ふんと鼻の穴を広げて息を吸い込む。
「ミディアムとは『中間に存在するもの』という意味だ。物質界とイデア界の中間に存在するものを、この場合は指している」
ドイルはノートを取り出し、空白のページに「丸」を2つ並べて描いた。
「片方がイデア界、もう一方が物質界だ。本来イデア界に大きさはないが、ここでは『世界』であることを示すために大きさのある『丸』で表している。いいね?」
ドイルは物質界に「①」と書き込んだ。その下に「②」と書き、①から②へ矢印を描いた。
「これは①という現実が②という現実に変化したと理解してくれ。『糸くずが燃えた』でも『リンゴが落ちた』でも構わん」
マルチェルとドリーが頷くと、ドイルは「イデア界」に「点」を描き込んだ。その点から①と②へ直線を引く。
「一方イデア界に変化はない。①も②も最初から1点にある」
ドイルはイデア界の横につたないろうそくの絵を描いた。ろうそくには炎が灯っている。
「いいかい、これはあくまでも比喩だよ? 物質界で起きている現象はイデア界の情報の『影』だと言うことができる」
イデア界では1つの点であったものが、ろうそくの光を受けると物質界に「①→②」という影を落とすのだとドイルは説明した。
「物質界には『時』が存在する。『時』と『変化』は光と影だ。このろうそくの光が『時』だと思えばいい」
ドイルの例えに必死についていこうとしていたドリーは、「時」という言葉に反応した。
「では、すべての出来事は最初から決まっているということか?」
イデア界に存在する事象の影が順番に現れるだけだとしたら、物質界の未来は初めから決定されていることになる。ドリーはそう考えた。
「どうしてそうなる? 実に愚かな考え方だ。『時』の性質を全く理解していない」
ひどい言い草だったが、ドリーも5年間のつき合いでドイルの物言いに慣れた。これでまったく悪気はない。
ドイルが愚かだと言っているのは「考え方」であって、「ドリーが愚かだ」とは言っていない。
「イデア界に『時』はない。物質界の始まりと終わりはイデア界では一点なのだ。すべてが同時であって、『先』も『後』もない」
物質界だけで考えてみれば、そこには数限りない「偶然」が存在し、無限の可能性の中から1つの結果が発生する。
「起きる前から決まっている出来事などあるはずがない。イデア界を物質界から見ようとすると、『すべての知を集めた予言の書』のように見えたり、『この世の終わりまでの出来事を書き記した歴史書』であるかに見えるというだけの話さ。どちらも視野の狭い錯覚にすぎない」
物質界の考え方をイデア界に当てはめてはいけないということか。ドリーは自分なりに納得した。
「ここまではいいかね? それでは、皆が好きな『自由意志』の登場だ。君は『③』を『④』にしたいと願望を抱くことができる。そしてそれを行動に移す」
ドイルは物質界に「③→④」と書き入れた。そして、イデア界の「点」から③と④に直線を引く。
「物質界から見ると、『君の意志がイデア界の事象を決定した』と見ることができる。イデア界から見れば、イデア界側の事象が『君の意志を決定した』ように見える」
もちろんどちらも間違いだとドイルは手で埃を払うようなそぶりをした。
「自由意志はあくまでも物質界で発動され、それは結果を支配するという点で有効な要因だ。それは間違いないが、それをイデア界に当てはめてはいけない」
イデア界に「時」や「変化」はないのだから。
「2つの世界は結びついているだけだ。どちらが先でも後でもない」
「それではイデア界のことを考えても意味がないのではありませんか?」
考え込んでいたマルチェルが尋ねた。
「その通り! 普通は意味がない。何も影響がないからね」
「意味を持つ場面があると言うんですね? ――それが魔法ですか?」
マルチェルが正解にたどりついたのが面白くないのか、ドイルは急に白けた顔で顎をかいた。
「まあ、そうだね。魔法の何たるかって話は過去に散々してきたね――」
ドイルは「③」から「④」に伸びる矢印を「二重矢印」に書き換えた。
「魔法師はID波でイデア界に干渉することによって、イデア界の事象と物質界の事象を同時に変更する。これが因果の改変だ」
「そういう理屈でしたね。で、ミディアムというのはどこに出てくるのですか?」
じろりとマルチェルに目をやってから、わざとらしく一呼吸を置いてドイルは答えた。
「何もない所に波は伝わらないよ。波を伝えるもの、それを『媒質』という」
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第609話 一般有意性理論を覚えているかね?」
波といえば、まず水面を走る波紋を思い浮かべる。この時の媒質はもちろん「水」だ。
よく見るとわかるが、水は上下に動いているだけで波紋と共に水平に広がっているわけではない。
それでいて「波」は水の動きによって水平方向に移動するのだ。
「ID波についてもこれと同じだ。物質界とイデア界に共通した媒質が存在する」
「それがアバターだということですか?」
結論を急ぐマルチェルを睨みつけて、ドイルは唇を曲げた。
……
◆お楽しみに。
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