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第5章 ルネッサンス攻防編
第562話 ありません。ドリーさんが初めてです。
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「待たせたな、ステファノ」
1時間後、アカデミーの正門にドリーの姿があった。「正門で待て」とステファノに伝えてから、しばらく時がたっている。
地面に腰を下ろして休んでいたステファノが、尻をはたいて立ち上がった。
「退職手続きは済ませた。それじゃあ行こうか」
「行こうかって、サポリにですか?」
「それ以外にどこへ行く? まずは馬車を捕まえるか」
とんとんと話を進めるドリーに、ステファノは押され気味だった。ウニベルシタス合流に反対はしないだろうと思っていたが、ドリーがこれほど前のめりになるとは予想していなかった。
ウニベルシタスでヨシズミから魔法を学ぶことは、半年以上前からドリーの中では方針として決まっていたのだ。
たまたまそれが今日になった。ならば何を迷うことがある、というのがドリーの考え方だった。
「馬車は必要ありません。とりあえず街を出ましょう」
ステファノはそう言いながら、ドリーの背中に目をやった。
そこにはまとめた荷物を突っ込んだ背嚢と、それに縛りつけた剣と盾が見える。
それが引っ越し荷物のすべてなのだろう。物にこだわらないドリーらしい潔さだった。
「その恰好なら大丈夫でしょう」
ステファノは一人で頷き、先に立って歩き始めた。
「その魔耳話器はスールーのデザインで作らせた最新型なんですよ」
「随分小さいな」
耳全体を覆うタイプやカチューシャ型などの試作品を作ったが、どれもスールーの好みに合わなかった。「鉄粉に魔法付与できるなら、豆粒サイズでも良いじゃないか」と言い張り、耳の縁にはめる銀細工に落ち着いた。
「これなら耳飾りと言ってもおかしくないな」
「そうなんですよ。そうじゃないと、いちいち人に会う度に説明するのが面倒くさいと言われて」
「まるで隣にいるように会話ができた。話には聞いていたが、実際に使ってみるとすごいものだな」
「便利ですよ。そうそう、街を出たらスールーに遠話を入れておきます」
そうこうしているうちに2人は呪タウンの境界に差し掛かり、立ち止まることもなく街を出た。
「あいさつ回りしなくて良かったんですか?」
「義理を通さなければいけないような知り合いはない」
「ガル老師は?」
「わたしのことなどに興味はないさ。一介の中級魔術師だからな」
街の見納めに振り返りさえしないドリーだった。
「この辺で街道を外れましょう」
人の目がないことを確認し、ステファノは木立にドリーを導いた。
「ここでよしと。サポリまで飛んでいきますんで、後ろから俺につかまってください」
そう言うと、ステファノは背嚢を体の前にして担ぎ直し、懐から紐を取り出した。
「この紐を腰に回して、俺と離れないように縛りつけて。そうだ。スールーを呼び出そう。」
ステファノがドリーをおんぶするような位置関係だが、ドリーの方が長身だ。妙な形であった。
「縛れというなら縛るが――こんなことで2人一緒に飛べるのか?」
ステファノの滑空術については知っている。ジュリアーノ殿下の前で実際に披露したと聞いた。
本人ではないが、従魔の雷丸が飛ぶところは散々見せられた。
しかし、それは1人での話だ。あるいは1匹か。
大人2人を紐でつないで、空を飛べるものだろうか?
「ああ、スールー? 今からドリーさんとサポリに向かうよ。うん、わかった。じゃあまた、夕方に」
買い物に行くような気軽さで、ステファノはスールーと遠話を終えた。
「一応聞いておくが、お前誰かと一緒に飛んだことがあるのか?」
「ありません。ドリーさんが初めてです。ああ、重さのことが心配ですか?」
「うん。それはまあ、そうだが……」
「土魔法で重さを消すので、ドリーさんの分が増えても問題ありませんよ」
そのために体同士をつないで、「ひとかたまり」として取り扱う。
質量が増えるので慣性が増え、空気抵抗も大きくなってしまうが、そこは調整できるはずだ。
「真っ直ぐ飛ぶだけなら難しくないはずです」
「『はずです』って、お前。練習もなしにいきなり……」
「それじゃ行きます! 火遁、陽炎の術! 火生土! 土遁、天狗高跳びの術!」
「うわわっ……!」
ドリーに聞かせるため、ステファノはわざとはっきり術の宣言を為した。
2人は間欠泉のように、勢いよく空へと飛び出した。
「ああ~っ! お前っ、もう少しゆっくり……」
「ゆっくり上がるのは難しいんですよ。速度や方向が定まらずに、酔いますよ?」
「ああ、高いっ! ステファノ―……っ!」
「ドリーさん、力が強いですって! 腕の力を抜いてください! く、苦しい……」
ドリーはステファノの背中から腹に腕を回している。急上昇の恐怖のため、思わずその両腕に力が籠っていた。
ただの「女の子」ではない。ドリーはひとかどの剣士であった。鍛え抜いた二の腕がステファノの腹を絞めつける。
「ううっ! 木剋土、ムササビの術!」
ステファノは苦しみながらも滑空術を行使した。イドで見えない翼を生み出しながら、引力と風を操る。
普段なら風を受ける翼を生み出すだけで良いところを、ステファノは腹の周りにもイドを厚くまとってドリーの怪力から体を守った。
「ふうーっ。びっくりした。ドリーさん、もう大丈夫ですよ。滑空を始めましたから」
「な、何だと? うわ、高いっ! 落ちるっ!」
「落ちついてください。落ちませんから。地面と平行に飛んでいるだけですよ」
ポンポンと固く握りしめた手を叩かれて、ようやくドリーは地上を見下ろす余裕ができた。
眼下には街道がまっすぐ伸びていた。前を走っているはずの馬車があっという間に近づき、後ろへと去っていく。
「馬車がまるで止まっているようだ――」
「夕方にはサポリにつきますよ」
「サポリと呪タウンとの往復を日帰りだと……?」
ようやく眼下に広がるパノラマを脳が受け入れると、その壮大さにドリーは圧倒された。
「これが滑空術か」
「魔核錬成を磨けば、ドリーさんにもできますよ」
(これは――世界の王たる術ではないか)
ドリーは腕の中の小柄な少年が、見知らぬ存在になったかのような気がした。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第563話 俺は――見たかもしれません。」
速いといってもさすがに3時間の道のりは長い。後ろから抱きついた姿勢で黙っていることに気まずくなり、ドリーは世間話で誤魔化そうとした。
「見た目はそれ程でもないが、随分筋肉をつけたな」
「旅の間、体幹を鍛えました」
音無しのジョバンニにあやかって体裁きの精度を向上したこと。滑空術での空中機動を磨き、軽業のような身ごなしを習得したことなどを、ステファノは嬉々としてしゃべった。
……
◆お楽しみに。
1時間後、アカデミーの正門にドリーの姿があった。「正門で待て」とステファノに伝えてから、しばらく時がたっている。
地面に腰を下ろして休んでいたステファノが、尻をはたいて立ち上がった。
「退職手続きは済ませた。それじゃあ行こうか」
「行こうかって、サポリにですか?」
「それ以外にどこへ行く? まずは馬車を捕まえるか」
とんとんと話を進めるドリーに、ステファノは押され気味だった。ウニベルシタス合流に反対はしないだろうと思っていたが、ドリーがこれほど前のめりになるとは予想していなかった。
ウニベルシタスでヨシズミから魔法を学ぶことは、半年以上前からドリーの中では方針として決まっていたのだ。
たまたまそれが今日になった。ならば何を迷うことがある、というのがドリーの考え方だった。
「馬車は必要ありません。とりあえず街を出ましょう」
ステファノはそう言いながら、ドリーの背中に目をやった。
そこにはまとめた荷物を突っ込んだ背嚢と、それに縛りつけた剣と盾が見える。
それが引っ越し荷物のすべてなのだろう。物にこだわらないドリーらしい潔さだった。
「その恰好なら大丈夫でしょう」
ステファノは一人で頷き、先に立って歩き始めた。
「その魔耳話器はスールーのデザインで作らせた最新型なんですよ」
「随分小さいな」
耳全体を覆うタイプやカチューシャ型などの試作品を作ったが、どれもスールーの好みに合わなかった。「鉄粉に魔法付与できるなら、豆粒サイズでも良いじゃないか」と言い張り、耳の縁にはめる銀細工に落ち着いた。
「これなら耳飾りと言ってもおかしくないな」
「そうなんですよ。そうじゃないと、いちいち人に会う度に説明するのが面倒くさいと言われて」
「まるで隣にいるように会話ができた。話には聞いていたが、実際に使ってみるとすごいものだな」
「便利ですよ。そうそう、街を出たらスールーに遠話を入れておきます」
そうこうしているうちに2人は呪タウンの境界に差し掛かり、立ち止まることもなく街を出た。
「あいさつ回りしなくて良かったんですか?」
「義理を通さなければいけないような知り合いはない」
「ガル老師は?」
「わたしのことなどに興味はないさ。一介の中級魔術師だからな」
街の見納めに振り返りさえしないドリーだった。
「この辺で街道を外れましょう」
人の目がないことを確認し、ステファノは木立にドリーを導いた。
「ここでよしと。サポリまで飛んでいきますんで、後ろから俺につかまってください」
そう言うと、ステファノは背嚢を体の前にして担ぎ直し、懐から紐を取り出した。
「この紐を腰に回して、俺と離れないように縛りつけて。そうだ。スールーを呼び出そう。」
ステファノがドリーをおんぶするような位置関係だが、ドリーの方が長身だ。妙な形であった。
「縛れというなら縛るが――こんなことで2人一緒に飛べるのか?」
ステファノの滑空術については知っている。ジュリアーノ殿下の前で実際に披露したと聞いた。
本人ではないが、従魔の雷丸が飛ぶところは散々見せられた。
しかし、それは1人での話だ。あるいは1匹か。
大人2人を紐でつないで、空を飛べるものだろうか?
「ああ、スールー? 今からドリーさんとサポリに向かうよ。うん、わかった。じゃあまた、夕方に」
買い物に行くような気軽さで、ステファノはスールーと遠話を終えた。
「一応聞いておくが、お前誰かと一緒に飛んだことがあるのか?」
「ありません。ドリーさんが初めてです。ああ、重さのことが心配ですか?」
「うん。それはまあ、そうだが……」
「土魔法で重さを消すので、ドリーさんの分が増えても問題ありませんよ」
そのために体同士をつないで、「ひとかたまり」として取り扱う。
質量が増えるので慣性が増え、空気抵抗も大きくなってしまうが、そこは調整できるはずだ。
「真っ直ぐ飛ぶだけなら難しくないはずです」
「『はずです』って、お前。練習もなしにいきなり……」
「それじゃ行きます! 火遁、陽炎の術! 火生土! 土遁、天狗高跳びの術!」
「うわわっ……!」
ドリーに聞かせるため、ステファノはわざとはっきり術の宣言を為した。
2人は間欠泉のように、勢いよく空へと飛び出した。
「ああ~っ! お前っ、もう少しゆっくり……」
「ゆっくり上がるのは難しいんですよ。速度や方向が定まらずに、酔いますよ?」
「ああ、高いっ! ステファノ―……っ!」
「ドリーさん、力が強いですって! 腕の力を抜いてください! く、苦しい……」
ドリーはステファノの背中から腹に腕を回している。急上昇の恐怖のため、思わずその両腕に力が籠っていた。
ただの「女の子」ではない。ドリーはひとかどの剣士であった。鍛え抜いた二の腕がステファノの腹を絞めつける。
「ううっ! 木剋土、ムササビの術!」
ステファノは苦しみながらも滑空術を行使した。イドで見えない翼を生み出しながら、引力と風を操る。
普段なら風を受ける翼を生み出すだけで良いところを、ステファノは腹の周りにもイドを厚くまとってドリーの怪力から体を守った。
「ふうーっ。びっくりした。ドリーさん、もう大丈夫ですよ。滑空を始めましたから」
「な、何だと? うわ、高いっ! 落ちるっ!」
「落ちついてください。落ちませんから。地面と平行に飛んでいるだけですよ」
ポンポンと固く握りしめた手を叩かれて、ようやくドリーは地上を見下ろす余裕ができた。
眼下には街道がまっすぐ伸びていた。前を走っているはずの馬車があっという間に近づき、後ろへと去っていく。
「馬車がまるで止まっているようだ――」
「夕方にはサポリにつきますよ」
「サポリと呪タウンとの往復を日帰りだと……?」
ようやく眼下に広がるパノラマを脳が受け入れると、その壮大さにドリーは圧倒された。
「これが滑空術か」
「魔核錬成を磨けば、ドリーさんにもできますよ」
(これは――世界の王たる術ではないか)
ドリーは腕の中の小柄な少年が、見知らぬ存在になったかのような気がした。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第563話 俺は――見たかもしれません。」
速いといってもさすがに3時間の道のりは長い。後ろから抱きついた姿勢で黙っていることに気まずくなり、ドリーは世間話で誤魔化そうとした。
「見た目はそれ程でもないが、随分筋肉をつけたな」
「旅の間、体幹を鍛えました」
音無しのジョバンニにあやかって体裁きの精度を向上したこと。滑空術での空中機動を磨き、軽業のような身ごなしを習得したことなどを、ステファノは嬉々としてしゃべった。
……
◆お楽しみに。
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