561 / 624
第5章 ルネッサンス攻防編
第561話 あー、お前、何も変わっていないな。
しおりを挟む
「む? 何の気配だ? ねずみでも入ったか?」
試射場のデスクに向かっていたドリーが、書類から顔を上げた。
かすかに空気が動き、「蛇の目」に小さなイドの反応があった。
「ピ」
ドアの隙間から走り出てきたのはステファノの従魔雷丸だった。
「お前か? ステファノはどうした?」
言葉を話せない雷丸はドリーのデスクに駆けあがった。
「うん? 服を着せられているな。お前、お使いを頼まれたのか?」
ステファノが傍らにいないこと、普段は着ていないベストを身につけていることから、ドリーは雷丸が何らかのメッセージを託されたのだろうと察した。
差し出した手のひらに乗ってきた雷丸のポケットを調べると、案の定1枚のメモ書きが出てきた。
「『この耳飾りをつけてください』だと?」
見れば、ポケットの奥に小さな銀製の耳飾りが入っていた。耳の縁に被せるように装着する物だった。
「何だこれは? 護身具なら既にもらっているぞ……」
休暇期間中で利用者がいないのを良いことに、ドリーはぶつぶつ独り言を言いながら耳飾りをつけた。
「特に何の変わりもないが……」
「ピー!」
ドリーが耳飾りをするのを待ち構えていたように、雷丸が一声鳴いて宙返りを打った。
「今度は何の真似だ?」
わけがわからずドリーは眉根を寄せた。
『あー、あー。ドリーさん、聞こえますか?』
「うおっ! この声はステファノか?」
いきなりのことに慌てたが、声はどうやら耳飾りから聞こえてきていた。相手がステファノとなれば、これは「魔耳話器」というものだろうと、ドリーは考えを巡らせた。
『驚かせてすみません。今、呪タウンにいます。ドリーさんに急いで連絡を取りたくて』
ステファノの声は、耳元で話しているようにはっきり聞こえてきた。
ならばこちらの声も伝わるのだろうと、ドリーは雷丸に語りかけるように話した。
「ステファノ、聞こえるか? 急ぎの用とはどんなことだ?」
『こんにちは、ドリーさん。お久しぶりです。そちらの声は良く聞こえますよ。用事というのはウニベルシタスのことです』
サポリの高台にウニベルシタスの建物が完成したという知らせは、ドリーの耳にも聞こえてきていた。
「街を見下ろす崖の上に建物が完成したそうだな」
『はい。今は消耗品や備品など、開校に必要な資材を運び込んでいるところです』
「そうか。それは忙しそうだな。お前はこんなところにいて良いのか?」
ステファノもウニベルシタスのスタッフとして準備作業に追われているはずだった。
『それはそうなんですが、ドリーさんを誘うために飛んできました』
「わたしをウニベルシタスにか? ありがたい話だが、手紙1つで事足りたろうに」
本人が旅をしてこようと手紙を送ろうと、所要期間はほとんど変わらないはずだ。そう思いかけたドリーは、あっと口を開けた。
「お前……、本当に飛んできたのか?」
相手がステファノだということを忘れていた。ステファノは、「急ぎの用」で「飛んできた」と言った。
こいつの場合、比喩などという穏やかな話のはずがない。
『あ、陽炎の術も重ねて使ったんで人に見られてはいませんよ?』
「あー、お前、何も変わっていないな。いや、いい。話を進めてくれ」
文字通りサポリの町から飛んできたとは。ドリーはステファノの「急ぎの用」を甘く見ていた。
しばらく会っていなかったので、常識的な考えに冒されていたようだ。
事情を聞いてみれば、ネルソンの発案でドリーを共同研究者として受け入れたいという話だった。
「なるほど。生徒として入学するにはいささか薹が立っているからな」
ドリーは自嘲混じりに言った。
大学という制度がない社会では、20代で入学するという概念が存在しなかった。
「その『誦文法』とやらを共同開発するという名目で出向けばよいということだな?」
『ドリーさんは魔術と武術の両方を修めているので、共同研究者にうってつけなんです』
「名目とは言うが、わたし自身の修業にも役立ちそうだな」
ドリーが身につけたのは魔法ではなく、「魔術」だ。ステファノが修める「魔法」の存在を知り、自分も魔法師になりたいと志を立てた。
それにはイドの制御、魔核錬成の修業を積む必要があった。
誦文法は魔法師としての修業を助けてくれるものとなるに違いない。
「よし! 決めた! 即刻アカデミーを辞める」
『えっ? 今すぐですか?』
「そうだ。話が決まれば一日も無駄にしたくない。今からマリアンヌ学科長に辞職を申し出る」
心を決めたら迷わない。それがドリーの生きざまだった。
「ちょうど夏季休暇中だからな。今日辞めたところで誰にも迷惑はかからん」
『新学期が始まったらどうするんですか?』
「問題ない。試射場の係官など、中級魔術師なら誰でも務まる。ちょうど戦も収まっているからな。仕事にあぶれた魔術師がいくらでも見つかるさ」
ドリーの言葉は嘘ではない。ドリー自身は伯父のコネと本人の実力を最大限に生かして今の仕事を得た。
今はいわゆる買い手市場なのだ。
「善は急げだ。話がついたらこちらから連絡する。魔耳話器でお前を呼び出すにはどうしたらいい?」
指先でトントンと2度たたいて相手の名前を呼べばよいと教わり、ドリーは遠話を切った。通話中に2度たたけば会話を切り上げられる。
「お前もご苦労だったな。主人のところへ帰っていいぞ?」
「ピー!」
お安い御用だとでもいうように一声上げ、雷丸はドアの下をくぐって去っていった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第562話 ありません。ドリーさんが初めてです。」
「待たせたな、ステファノ」
1時間後、アカデミーの正門にドリーの姿があった。「正門で待て」とステファノに伝えてから、しばらく時がたっている。
地面に腰を下ろして休んでいたステファノが、尻をはたいて立ち上がった。
「退職手続きは済ませた。それじゃあ行こうか」
「行こうかって、サポリにですか?」
「それ以外にどこへ行く? まずは馬車を捕まえるか」
……
◆お楽しみに。
試射場のデスクに向かっていたドリーが、書類から顔を上げた。
かすかに空気が動き、「蛇の目」に小さなイドの反応があった。
「ピ」
ドアの隙間から走り出てきたのはステファノの従魔雷丸だった。
「お前か? ステファノはどうした?」
言葉を話せない雷丸はドリーのデスクに駆けあがった。
「うん? 服を着せられているな。お前、お使いを頼まれたのか?」
ステファノが傍らにいないこと、普段は着ていないベストを身につけていることから、ドリーは雷丸が何らかのメッセージを託されたのだろうと察した。
差し出した手のひらに乗ってきた雷丸のポケットを調べると、案の定1枚のメモ書きが出てきた。
「『この耳飾りをつけてください』だと?」
見れば、ポケットの奥に小さな銀製の耳飾りが入っていた。耳の縁に被せるように装着する物だった。
「何だこれは? 護身具なら既にもらっているぞ……」
休暇期間中で利用者がいないのを良いことに、ドリーはぶつぶつ独り言を言いながら耳飾りをつけた。
「特に何の変わりもないが……」
「ピー!」
ドリーが耳飾りをするのを待ち構えていたように、雷丸が一声鳴いて宙返りを打った。
「今度は何の真似だ?」
わけがわからずドリーは眉根を寄せた。
『あー、あー。ドリーさん、聞こえますか?』
「うおっ! この声はステファノか?」
いきなりのことに慌てたが、声はどうやら耳飾りから聞こえてきていた。相手がステファノとなれば、これは「魔耳話器」というものだろうと、ドリーは考えを巡らせた。
『驚かせてすみません。今、呪タウンにいます。ドリーさんに急いで連絡を取りたくて』
ステファノの声は、耳元で話しているようにはっきり聞こえてきた。
ならばこちらの声も伝わるのだろうと、ドリーは雷丸に語りかけるように話した。
「ステファノ、聞こえるか? 急ぎの用とはどんなことだ?」
『こんにちは、ドリーさん。お久しぶりです。そちらの声は良く聞こえますよ。用事というのはウニベルシタスのことです』
サポリの高台にウニベルシタスの建物が完成したという知らせは、ドリーの耳にも聞こえてきていた。
「街を見下ろす崖の上に建物が完成したそうだな」
『はい。今は消耗品や備品など、開校に必要な資材を運び込んでいるところです』
「そうか。それは忙しそうだな。お前はこんなところにいて良いのか?」
ステファノもウニベルシタスのスタッフとして準備作業に追われているはずだった。
『それはそうなんですが、ドリーさんを誘うために飛んできました』
「わたしをウニベルシタスにか? ありがたい話だが、手紙1つで事足りたろうに」
本人が旅をしてこようと手紙を送ろうと、所要期間はほとんど変わらないはずだ。そう思いかけたドリーは、あっと口を開けた。
「お前……、本当に飛んできたのか?」
相手がステファノだということを忘れていた。ステファノは、「急ぎの用」で「飛んできた」と言った。
こいつの場合、比喩などという穏やかな話のはずがない。
『あ、陽炎の術も重ねて使ったんで人に見られてはいませんよ?』
「あー、お前、何も変わっていないな。いや、いい。話を進めてくれ」
文字通りサポリの町から飛んできたとは。ドリーはステファノの「急ぎの用」を甘く見ていた。
しばらく会っていなかったので、常識的な考えに冒されていたようだ。
事情を聞いてみれば、ネルソンの発案でドリーを共同研究者として受け入れたいという話だった。
「なるほど。生徒として入学するにはいささか薹が立っているからな」
ドリーは自嘲混じりに言った。
大学という制度がない社会では、20代で入学するという概念が存在しなかった。
「その『誦文法』とやらを共同開発するという名目で出向けばよいということだな?」
『ドリーさんは魔術と武術の両方を修めているので、共同研究者にうってつけなんです』
「名目とは言うが、わたし自身の修業にも役立ちそうだな」
ドリーが身につけたのは魔法ではなく、「魔術」だ。ステファノが修める「魔法」の存在を知り、自分も魔法師になりたいと志を立てた。
それにはイドの制御、魔核錬成の修業を積む必要があった。
誦文法は魔法師としての修業を助けてくれるものとなるに違いない。
「よし! 決めた! 即刻アカデミーを辞める」
『えっ? 今すぐですか?』
「そうだ。話が決まれば一日も無駄にしたくない。今からマリアンヌ学科長に辞職を申し出る」
心を決めたら迷わない。それがドリーの生きざまだった。
「ちょうど夏季休暇中だからな。今日辞めたところで誰にも迷惑はかからん」
『新学期が始まったらどうするんですか?』
「問題ない。試射場の係官など、中級魔術師なら誰でも務まる。ちょうど戦も収まっているからな。仕事にあぶれた魔術師がいくらでも見つかるさ」
ドリーの言葉は嘘ではない。ドリー自身は伯父のコネと本人の実力を最大限に生かして今の仕事を得た。
今はいわゆる買い手市場なのだ。
「善は急げだ。話がついたらこちらから連絡する。魔耳話器でお前を呼び出すにはどうしたらいい?」
指先でトントンと2度たたいて相手の名前を呼べばよいと教わり、ドリーは遠話を切った。通話中に2度たたけば会話を切り上げられる。
「お前もご苦労だったな。主人のところへ帰っていいぞ?」
「ピー!」
お安い御用だとでもいうように一声上げ、雷丸はドアの下をくぐって去っていった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第562話 ありません。ドリーさんが初めてです。」
「待たせたな、ステファノ」
1時間後、アカデミーの正門にドリーの姿があった。「正門で待て」とステファノに伝えてから、しばらく時がたっている。
地面に腰を下ろして休んでいたステファノが、尻をはたいて立ち上がった。
「退職手続きは済ませた。それじゃあ行こうか」
「行こうかって、サポリにですか?」
「それ以外にどこへ行く? まずは馬車を捕まえるか」
……
◆お楽しみに。
10
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる