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第5章 ルネッサンス攻防編

第558話 鼻歌交じりに魔術を使うのか……。

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「ドリー女史の受け入れ名目は、そうだな――共同研究ということにしよう」

 ネルソンは速やかに方策を論じた。

「共同研究とは何の?」

 ここまで陰謀めいた話に圧倒されていたスールーが、自分の得意分野だとばかりに話に加わった。

「マルチェル、『誦文しょうもん法』を武術と組み合わせるというのはどうだ?」
「きわめて有効かつ実践的かと」

 それは1年前、ステファノが「戦争の犬」として消費されることを心配させた技術だった。軍事訓練に採用されれば、兵士の戦闘力を向上させるだろう。

「誦文法をマスターすればイドの制御、魔核マジコア錬成を意識せず行えるようになる。そうだな?」
「はい。メシヤ流の入門者にとっては極めて有用な技術です」
「だろうな。それは武術にも通じるのだな?」

 答えのわかった質問を、ネルソンはあえて言葉にした。情報をマランツやスールーと共有するためである。

「武術に応用すれば『内気功』の達人レベルまで能力を引き上げることができるでしょう」
「それ程の術か……?」

 誦文法のことを初めて聞いたマランツは、驚きに目を見開いた。

「ステファノが実例です。たった1年で大男を跳ね飛ばす気を操れるようになりました」

 マルチェルの言葉にはいささか誇張が含まれていた。
 ステファノは単なる内気功、すなわち体内イドの制御に加えてイドの高周波化オーバークロックを併用している。
 しかし、高周波化ができなくとも巨漢を跳ねのけるくらいのことは、誦文法の鍛錬によって習得できるだろう。

「イドの制御とはそこまで自在にできるものか。しかもたった1年で」
「そこに『意識』の不思議があるのさ」

 感嘆したマランツにドイルは、そうではないと言いたげだった。

「イドには『無意識の自我』という一面がある。ならば本来は自意識の一部と言える。物質である肉体よりもはるかに簡単に制御できて不思議はないさ」
「簡単と言うが……皆が皆自分の心を制御できるものでもない」

 ドイルは事もなげに言ってのけるが、マランツには素直に信じられない。心の弱さゆえに酒に溺れた過去がある。
 自我を思い通りにできるのか、疑問を覚えずにいられなかった。

「全てを制御しようというのではないからね。ほんの上っ面、一部だけさ。武術の達人になるにはそれだけで十分なはずだ」
「言い方が少々乱暴ですね。内気功を得ても、それだけで達人になれるわけではありません。達人に近づけると言った方が良いでしょう」

 内気功を操れば技の威力を増すことができるが、技そのものを覚えるには修練を積むしかない。
 イドの制御は、達人への道を一歩進ませるに過ぎないのだ。

 武術を軽々しく論じるドイルに、マルチェルは釘を刺した。

「結局のところ武術は肉体を動かす技です。正しい技を身につけていなければ気を操れても宝の持ち腐れとなるでしょう」

 マルチェルの言葉はステファノが常に意識している事実だった。彼の武技はまだイドの制御レベルと釣り合う領域には達していない。
 せめて自分の周囲、近しい人たちだけでも守れる技を身につけたいと、ステファノは修練を続けていた。

「魔法の修得にも効果があっペ。ステファノ、マランツさんサ説明してみ」
「はい。メシヤ流では因果のインデックス化に誦文法を利用しています」
「インデックスとはどのようなものだ?」
「簡単に言えば目印です。使用したい因果を探さなくていいように、印をつけておくのです」

 その目印に当たるのが誦文だった。伝統的な魔術においては呪文と魔術発動具がその役割を担う。

「呪文や成句にメロディーをつけたものと考えてもらえば結構です」
「節をつけることに意味があるのか?」

 従来の魔術発動方法しか知らないマランツには、歌うことの意味が腑に落ちない。呪文を暗記して唱えることと何が違うのか?

「基本は同じです。歌にした方がより自然に唱えられるというだけのことです」

 宗教において誦経ずきょうや祈祷に節がついているようなものだ。音程がつくことで、覚えやすく唱えやすくなる。
 情報量は増えているのに人間の脳は歌の方が扱いやすい。脳の働きの不思議であった。

「歌うことで脳を呪文詠唱から解放することができます。鼻歌を歌いながら作業をするようなものです」
「鼻歌交じりに魔術を使うのか……」

 しばらく前のマランツなら、「馬鹿にするな」と怒っただろう。だが今は、目の前の少年が成し遂げた数々の偉業を知っている。
 マランツのつぶやきはむしろ畏怖の籠ったものだった。

 その後、ステファノの旅について報告を聞き、その場はお開きとなった。

 ステファノが案内された部屋は、寮の一角で職員用のエリアだった。ベッドとライティングデスク、小さなテーブルに本棚があるだけの質素なものだ。
 ステファノにはそれで十分だった。背嚢などの荷物を置き、落ち着く間もなくステファノは中庭に出た。

 夕食までのひと時、ステファノはマルチェルとヨシズミに武術修行の成果を見せることになっていた。

 まずはマルチェルが受けに回り、「鉄壁の型」の組手を行う。申し合いとはいえ、技の切れ、体裁きのバランスなどを見ればどれだけ修業したかがわかる。
 音無しのジョバンニを真似て体裁きを修行したステファノは、技の精度を以前より増していた。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第559話 技とはすべてそうあるべきものです。」

 日々怠らぬ修練は体幹を始め、全身の筋肉を鍛え上げていた。スピード、パワーの両方が以前とは別物になっている。
 既にステファノは純粋な体術だけでも中級クラスに達していた。

「よく鍛えましたね。おそらく独り修行で到達できる限界まで来ているでしょう」
「これからは相手がいないと上達しないということですか?」
「武術は他人を相手に戦う技術です。自分の動きをコントロールできるようになったら、敵の動きをコントロールすることが課題となります」

 ……

◆お楽しみに。
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