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第5章 ルネッサンス攻防編
第538話 次の世代に宝を引き継げるとは、幸せなことだな。
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ネオン師の指示で流木を集め、ステファノは簡単ないかだを作った。その上に2人がかりで牡鹿の死体を載せ、森で調達したツタで縛りつける。
いかだを水に浮かべ、川の両側からロープを引けば、流れに任せて牡鹿を運ぶことができる。
森で生きる者の知恵だった。
土魔法を使えば重さをなくして牡鹿を運ぶことができたが、ステファノはあえてそうしなかった。
ネオン師の言葉ではないが、それでは楽をし過ぎると思ったのだ。
魔法を自由に使えば、礫に頼らなくとも狩りはできた。水に浮かぶ鳥も狩り取れるし、上空を飛ぶ鳥でさえ狙い撃てる。
しかし、山に入った目的は獲物ではない。礫術の修業が狩りを兼ねているだけだ。
周囲を警戒しながら沢を下る。それも貴重な修練だ。
生きるために、糧にするために生き物を狩る。楽しみのためではない。「必要な仕事」だった。
ステファノは料理人の端くれだ。今でも自分のことをそう思っていた。
魚をさばき、肉を切ってきた。生き物を食材にするには、彼らを狩る人間が必要だ。その事実から目を背けることはできない。
それが食べることであり、生きるということだとステファノは思っている。
そうであれば、せめて生き物の命を無駄にすまい。それがステファノの信念だった。
食材を大切にするだけでなく、狩りの経験すらも貴重なものとして吸収するべきだ。経験から学び、その知恵をおのれの血肉に変えようとステファノは思った。
学びの場所はアカデミーだけではない。森の中にも学びがあるのだった。
「ピ、ピピピ」
先行していた雷丸がステファノの肩に止まって鳴いた。
「うん? どうかしたか? 獲物はもう十分だが……」
「先生、この先で流れが急になるようです。いかだを岸に上げて、見に行って来ます」
ステファノは縄を引いていかだを岸に引き上げた。その縄を一抱えもある岩に結びつける。
「やれやれ。あれが従魔というものか。猟師であれば誰でも欲しがるであろうな」
ネオン師は河原の岩に腰を下ろし、手拭いで汗を拭いた。その目は河原を跳ぶように下っていくステファノの背中を追っていた。
雷丸は獲物を探し、道の危険を知らせる。それどころか、獲物に止めを刺すことさえやってのけるのだ。
「アレがいれば、そもそも狩りなど任せてしまえるだろう。猟師は獲物を運ぶだけで良い」
修行のために山へ入っているネオンはその限りではない。それでありながら、癖になりそうな便利加減だった。
「ふ。魔法が使えるというのに礫術を習おうというおかしな奴だからな。楽をすることなど考えていまい」
ステファノの姿が岩陰に入り、見えなくなった。小さく首を振ったネオンの頬に、えくぼが浮かんだ。
「無尽流の技が、極意が、あいつの中に引き継がれる。次の世代に宝を引き継げるとは、幸せなことだな」
風に乗って、「ピー」と雷丸の声がネオンの耳に聞こえて来た。
◆◆◆
狩りの成果は近隣の住人にも分け与えられ、大いに喜ばれた。キジの羽根、牡鹿の革や角は素材として価値があるので猟師に買い取ってもらったが、肉の一部はただで配った。
お返しに野菜を山ほどもらい、ネオンの食卓も大いに豊かになった。里の生活は経済共同体の側面がある。
誰かが豊かになれば里全体が潤うのだ。そうでなければ里で生きてはいけない。
「へぇ、そうなんか。この鹿はあんちゃんが取ったのかい?」
「はぁ、まあそうなんですが……」
「おとなしげな顔してやるもんだね!」
「ずっと村にいてくれりゃいいのにな!」
村の女たちはステファノの背中をたたいて豪快に笑った。
魔術以外に冷蔵技術が存在しないこの世界では、新鮮な肉を食べられる機会は多くない。猟師は毎日獲物を持ち帰れるわけではないのだ。
産地に近い村であっても、普段は干し肉を食べている。燻製なんて手間がかかり過ぎて作る余裕がない。
その晩は農家の庭で焚火を起こし、集まった人々が鹿肉を焼いてほおばった。
「ステファノ、何やらうまそうな匂いをさせているな」
フライパンと調味料を持ち出して肉を焼き出したステファノに、ネオンが肩越しに話しかけた。
「折角新鮮な肉があるのでステーキにしてみました。ありあわせの調味料でソースはいま一つですが……」
「飯屋で働いていたというのは本当らしいな。ここらでは嗅いだことのない香りがする」
ステファノは宴が始まるまでの時間を使い、その辺に自生しているハーブを見繕ってきた。ワインなどという上等な酒はないので、木の実から造った醸造酒を分けてもらい、ソースの材料にしている。
「先生、良かったら食べてみてください。教えて頂いた礫術の成果ですから」
「良いのか? すまん。いつもは塩を振って焼くばかりで、いささか肉には飽きていた」
胡椒を使いたいところだったがこの国ではすこぶる高価で、庶民の食卓には乗らない。代わりに森に自生する山椒の実を、ステファノはいつも持ち歩いていた。それを包丁の腹でたたきつぶし、刻んでステーキに振りかけた。
「どうぞ。召し上がれ」
「むっ? また香りが加わったな。嗅いだことのない……。森の木の実か?」
恐る恐る一切れ口に運んだネオン師は、口中に広がる味と香りに目をみはった。
「これは! ほおー、爽やかな香りだな。獣臭さが消えて肉のうまみが前に出てくるな。焼き加減もいい。肉にソースが絡まったところが複雑な味わいになっている」
「ありあわせの材料なんで店に出せる料理じゃありませんが、取れ立て焼き立てが取り柄ですね」
ステファノは次のステーキに取り掛かりながらネオン師の称賛に応えた。
「むうん。これでか? これはお前を本気で村に引き留めるべきかもしれんな」
冗談はやめてくださいとステファノは笑ったが、久しぶりに料理を振舞う機会を得て楽しい時を過ごしていた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第539話 捕縄術には3つの要素がある。『討伐』、『確保』、『捕縛』だ。」
「捕縄術と称しているけど、実態は捕縛術が主なんだよ」
鎧を拭く手を動かしながら、ジェラートは言った。
礫術に続くステファノの入門先は「ジャン派捕縄術」という流派だった。ジェラートはその当代継承者である。
25歳の若さだが、幼少より家伝の捕縄術を父から学んでいた。ジャン派も道場を持たない流派だ。
……
◆お楽しみに。
いかだを水に浮かべ、川の両側からロープを引けば、流れに任せて牡鹿を運ぶことができる。
森で生きる者の知恵だった。
土魔法を使えば重さをなくして牡鹿を運ぶことができたが、ステファノはあえてそうしなかった。
ネオン師の言葉ではないが、それでは楽をし過ぎると思ったのだ。
魔法を自由に使えば、礫に頼らなくとも狩りはできた。水に浮かぶ鳥も狩り取れるし、上空を飛ぶ鳥でさえ狙い撃てる。
しかし、山に入った目的は獲物ではない。礫術の修業が狩りを兼ねているだけだ。
周囲を警戒しながら沢を下る。それも貴重な修練だ。
生きるために、糧にするために生き物を狩る。楽しみのためではない。「必要な仕事」だった。
ステファノは料理人の端くれだ。今でも自分のことをそう思っていた。
魚をさばき、肉を切ってきた。生き物を食材にするには、彼らを狩る人間が必要だ。その事実から目を背けることはできない。
それが食べることであり、生きるということだとステファノは思っている。
そうであれば、せめて生き物の命を無駄にすまい。それがステファノの信念だった。
食材を大切にするだけでなく、狩りの経験すらも貴重なものとして吸収するべきだ。経験から学び、その知恵をおのれの血肉に変えようとステファノは思った。
学びの場所はアカデミーだけではない。森の中にも学びがあるのだった。
「ピ、ピピピ」
先行していた雷丸がステファノの肩に止まって鳴いた。
「うん? どうかしたか? 獲物はもう十分だが……」
「先生、この先で流れが急になるようです。いかだを岸に上げて、見に行って来ます」
ステファノは縄を引いていかだを岸に引き上げた。その縄を一抱えもある岩に結びつける。
「やれやれ。あれが従魔というものか。猟師であれば誰でも欲しがるであろうな」
ネオン師は河原の岩に腰を下ろし、手拭いで汗を拭いた。その目は河原を跳ぶように下っていくステファノの背中を追っていた。
雷丸は獲物を探し、道の危険を知らせる。それどころか、獲物に止めを刺すことさえやってのけるのだ。
「アレがいれば、そもそも狩りなど任せてしまえるだろう。猟師は獲物を運ぶだけで良い」
修行のために山へ入っているネオンはその限りではない。それでありながら、癖になりそうな便利加減だった。
「ふ。魔法が使えるというのに礫術を習おうというおかしな奴だからな。楽をすることなど考えていまい」
ステファノの姿が岩陰に入り、見えなくなった。小さく首を振ったネオンの頬に、えくぼが浮かんだ。
「無尽流の技が、極意が、あいつの中に引き継がれる。次の世代に宝を引き継げるとは、幸せなことだな」
風に乗って、「ピー」と雷丸の声がネオンの耳に聞こえて来た。
◆◆◆
狩りの成果は近隣の住人にも分け与えられ、大いに喜ばれた。キジの羽根、牡鹿の革や角は素材として価値があるので猟師に買い取ってもらったが、肉の一部はただで配った。
お返しに野菜を山ほどもらい、ネオンの食卓も大いに豊かになった。里の生活は経済共同体の側面がある。
誰かが豊かになれば里全体が潤うのだ。そうでなければ里で生きてはいけない。
「へぇ、そうなんか。この鹿はあんちゃんが取ったのかい?」
「はぁ、まあそうなんですが……」
「おとなしげな顔してやるもんだね!」
「ずっと村にいてくれりゃいいのにな!」
村の女たちはステファノの背中をたたいて豪快に笑った。
魔術以外に冷蔵技術が存在しないこの世界では、新鮮な肉を食べられる機会は多くない。猟師は毎日獲物を持ち帰れるわけではないのだ。
産地に近い村であっても、普段は干し肉を食べている。燻製なんて手間がかかり過ぎて作る余裕がない。
その晩は農家の庭で焚火を起こし、集まった人々が鹿肉を焼いてほおばった。
「ステファノ、何やらうまそうな匂いをさせているな」
フライパンと調味料を持ち出して肉を焼き出したステファノに、ネオンが肩越しに話しかけた。
「折角新鮮な肉があるのでステーキにしてみました。ありあわせの調味料でソースはいま一つですが……」
「飯屋で働いていたというのは本当らしいな。ここらでは嗅いだことのない香りがする」
ステファノは宴が始まるまでの時間を使い、その辺に自生しているハーブを見繕ってきた。ワインなどという上等な酒はないので、木の実から造った醸造酒を分けてもらい、ソースの材料にしている。
「先生、良かったら食べてみてください。教えて頂いた礫術の成果ですから」
「良いのか? すまん。いつもは塩を振って焼くばかりで、いささか肉には飽きていた」
胡椒を使いたいところだったがこの国ではすこぶる高価で、庶民の食卓には乗らない。代わりに森に自生する山椒の実を、ステファノはいつも持ち歩いていた。それを包丁の腹でたたきつぶし、刻んでステーキに振りかけた。
「どうぞ。召し上がれ」
「むっ? また香りが加わったな。嗅いだことのない……。森の木の実か?」
恐る恐る一切れ口に運んだネオン師は、口中に広がる味と香りに目をみはった。
「これは! ほおー、爽やかな香りだな。獣臭さが消えて肉のうまみが前に出てくるな。焼き加減もいい。肉にソースが絡まったところが複雑な味わいになっている」
「ありあわせの材料なんで店に出せる料理じゃありませんが、取れ立て焼き立てが取り柄ですね」
ステファノは次のステーキに取り掛かりながらネオン師の称賛に応えた。
「むうん。これでか? これはお前を本気で村に引き留めるべきかもしれんな」
冗談はやめてくださいとステファノは笑ったが、久しぶりに料理を振舞う機会を得て楽しい時を過ごしていた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第539話 捕縄術には3つの要素がある。『討伐』、『確保』、『捕縛』だ。」
「捕縄術と称しているけど、実態は捕縛術が主なんだよ」
鎧を拭く手を動かしながら、ジェラートは言った。
礫術に続くステファノの入門先は「ジャン派捕縄術」という流派だった。ジェラートはその当代継承者である。
25歳の若さだが、幼少より家伝の捕縄術を父から学んでいた。ジャン派も道場を持たない流派だ。
……
◆お楽しみに。
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