519 / 670
第5章 ルネッサンス攻防編
第519話 その時、王子はめまいを感じた。
しおりを挟む
大広間の壁両側にずらりと諸官が並んでいるため、どこから見ても身を隠せるよう、ステファノは炎の中にいた。
イドの鎧でガードしているため、短時間であれば高熱に包まれても危険はなかった。
ほとんどの見物人は炎が発した閃光をまともに見てしまい、視覚を一時的に奪われた。目を開けていても、真っ赤な幻が視界を覆っていた。
だが、一部の人間はそうではなかった。
ステファノが術を宣言した瞬間、目を固く閉じたり、腕で覆ったりして光を遮ったのだ。
その中には、ジュリアーノ王子も含まれていた。
もちろん情革研改め、情革恊の3人もすばやく両眼を守っている。
一瞬で位置を変えぬ限り、炎が消えればステファノの姿は丸見えとなる。ステファノは、一体どこへ逃げるか?
ジュリアーノ王子は研究報告会での実演の様子を聞き知っていた。ドイルの挑戦を受け、ステファノは講堂の天井に貼りついたと。
王宮大広間はアカデミー大講堂よりもさらに高い天井を有していた。10メートル近いその高さまで、ステファノは見事跳んで見せるのか?
遁術そのものの成功如何よりも、王子はそれ程の跳躍が見られることに期待していた。
ステファノを燃やし尽くさんばかりに燃え上がった炎が、名残もなく消えた。
「むっ?」
目を開いたジュリアーノ王子の視野に、ステファノの姿はない。
「どこだ? 上か?」
改めて天井に目を凝らしても、ステファノはいなかった。
「何だって? どこに行った?」
居並ぶ廷臣の列を素早く確認した。すべて知った顔だ。ステファノはいない。
紛れ込む隙もない。
情革恊の3人も、ただきょろきょろと目を泳がせるばかりで、ステファノの行方を見出すことができなかった。
かしゃり。
かすかな音が王子の背後で上がった。斜め後方の人影が、わずかに重心を落としたのだ。
腰に帯びた短剣が留め金を鳴らした。
「ご安心を。危険はございません」
その時、王子はめまいを感じた。
(うっ……)
大広間全体がゆらゆらと揺れている。
「地震か?」
そうではなかった。物鳴りもなく、足元に感じる震えもない。
ただ視界が揺れているのだ。
体が揺れていなくても、視界が揺れれば人は酔う。王子同様、居並ぶ諸官もめまいを感じ、ざわざわと声を上げ始めた。
「――殿下の御前である。控えよ」
静かにその言葉を発したのは、王子に寄り添う先程の人影だった。決して大きな声ではなかったが、大広間に響き渡り、諸官を鎮める重みがあった。
「はっ……!」
王子の口から思わず驚きの声が漏れた。
揺らめく空間に、十数人のステファノが姿を現したのだ。すべて同じ立ち姿で、ゆらゆらと揺れている。
「これが――陽炎?」
思わずジュリアーノ王子は立ち上がり、幻の1つに近づこうとして足を動かした。
「殿下――」
同じ人物が、またもや王子を制した。王子ははっと我に返り、元の椅子に戻った。
「ジョバンニ、あれを試してみよ」
「かしこまりました」
小さく腰をかがめた人影、音無しのジョバンニは、王子の座から横に2歩離れた。すいと靴を片方脱ぎ、無造作に放った。
力を籠めたとも見えないのに、靴は真っ直ぐに飛んで行く。その先は、姿を消す前にステファノが立っていた場所だった。
十数人のステファノが手を動かし、顔の前にかざした。
ぱしりと音を立てて、飛んで来た靴を受け止める。
「ご無礼をいたしました」
ゆらりと空気が歪むと、1人を残してステファノの幻が消えた。受け止めた靴を両手に捧げ持ち、大広間の床に跪く。ステファノは元々の場所から一歩も動いていなかった。
「お返しいたします」
頭を下げて、ステファノは靴を差し出した。
「――受け取って参れ」
ジョバンニは侍従に命じ、ステファノから靴を受け取らせた。手元に届いたその靴を、元の足に履き直す。
「ステファノ、立ちなさい」
気を取り直した王子が、楽し気に声をかけた。
「今のは炎隠れと陽炎か? 話に聞いたものと少し違ったが……」
「見物の眼に囲まれておりましたので、陽炎の術で虚像を作りました」
「ふうん。姿を消すばかりでなく、分身を見せることができるのか。器用なことだ」
陽炎の術は空気を温めて、光を屈折させる術である。今回、ステファノは自分の像を空中に設けた「スクリーン」に投影して見せた。
スクリーンは、イドで霧を固めたものである。
「それにしても、よく本体の位置がわかったな、ジョバンニ」
ジュリアーノ王子が、元の位置に戻った警護役のジョバンニに顔を向けた。
「当て推量でございます。ほんの小手試しの術で殿下の御前を騒がせるはずはあるまいと、元いた場所を狙ったまで」
嘘である。ジョバンニのギフト「レンタル・メンタル」が、ステファノに動く意思はないと告げていた。
「仮に動いたとしたら? そう、わたしを襲いに来たらどうしていた?」
「お戯れを。この身はお父君たる国王陛下の剣。ジュリアーノ殿下の守りとしてこの場に置かれた以上、何人たりとも害意ある者を寄せつけることはありません」
軽く目を伏せ、ジョバンニは返事をした。
「動けばわかる」――ジョバンニの声はそう言っていた。ステファノの背筋を寒気が走った。
あの靴は外れても良かったのだ。ステファノに当たらなくても、ステファノの心が動く。ジョバンニのギフトはそれを見逃さない。
イドを隠し、気配を消しても、「レンタル・メンタル」の感応力を逃れ切ることはできない。恐るべき能力であった。
「さすがだね、ジョバンニ。それはそうと、高跳びの術とやらも見せてくれないか、ステファノ?」
折角の機会だからと、王子は更なる術の披露をステファノに要求した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第520話 これからも研鑽に励めよ。」
「あの、本来は逃走や攻撃のために移動する術です。ただ高く跳んだところであまり意味はありませんが、こういうものだというご紹介までにご披露いたします」
「理解した。見せてくれ」
こくりと頷いたステファノは、声も発さずに床を蹴った。
まるで体重がなくなったかのように、ステファノの体が真上に跳び上がった。見えない紐で思い切り引っ張られているような勢いだ。
一瞬で10メートルの上空に達し、ステファノは大広間の天井に手袋をした両手をついた。
……
◆お楽しみに。
イドの鎧でガードしているため、短時間であれば高熱に包まれても危険はなかった。
ほとんどの見物人は炎が発した閃光をまともに見てしまい、視覚を一時的に奪われた。目を開けていても、真っ赤な幻が視界を覆っていた。
だが、一部の人間はそうではなかった。
ステファノが術を宣言した瞬間、目を固く閉じたり、腕で覆ったりして光を遮ったのだ。
その中には、ジュリアーノ王子も含まれていた。
もちろん情革研改め、情革恊の3人もすばやく両眼を守っている。
一瞬で位置を変えぬ限り、炎が消えればステファノの姿は丸見えとなる。ステファノは、一体どこへ逃げるか?
ジュリアーノ王子は研究報告会での実演の様子を聞き知っていた。ドイルの挑戦を受け、ステファノは講堂の天井に貼りついたと。
王宮大広間はアカデミー大講堂よりもさらに高い天井を有していた。10メートル近いその高さまで、ステファノは見事跳んで見せるのか?
遁術そのものの成功如何よりも、王子はそれ程の跳躍が見られることに期待していた。
ステファノを燃やし尽くさんばかりに燃え上がった炎が、名残もなく消えた。
「むっ?」
目を開いたジュリアーノ王子の視野に、ステファノの姿はない。
「どこだ? 上か?」
改めて天井に目を凝らしても、ステファノはいなかった。
「何だって? どこに行った?」
居並ぶ廷臣の列を素早く確認した。すべて知った顔だ。ステファノはいない。
紛れ込む隙もない。
情革恊の3人も、ただきょろきょろと目を泳がせるばかりで、ステファノの行方を見出すことができなかった。
かしゃり。
かすかな音が王子の背後で上がった。斜め後方の人影が、わずかに重心を落としたのだ。
腰に帯びた短剣が留め金を鳴らした。
「ご安心を。危険はございません」
その時、王子はめまいを感じた。
(うっ……)
大広間全体がゆらゆらと揺れている。
「地震か?」
そうではなかった。物鳴りもなく、足元に感じる震えもない。
ただ視界が揺れているのだ。
体が揺れていなくても、視界が揺れれば人は酔う。王子同様、居並ぶ諸官もめまいを感じ、ざわざわと声を上げ始めた。
「――殿下の御前である。控えよ」
静かにその言葉を発したのは、王子に寄り添う先程の人影だった。決して大きな声ではなかったが、大広間に響き渡り、諸官を鎮める重みがあった。
「はっ……!」
王子の口から思わず驚きの声が漏れた。
揺らめく空間に、十数人のステファノが姿を現したのだ。すべて同じ立ち姿で、ゆらゆらと揺れている。
「これが――陽炎?」
思わずジュリアーノ王子は立ち上がり、幻の1つに近づこうとして足を動かした。
「殿下――」
同じ人物が、またもや王子を制した。王子ははっと我に返り、元の椅子に戻った。
「ジョバンニ、あれを試してみよ」
「かしこまりました」
小さく腰をかがめた人影、音無しのジョバンニは、王子の座から横に2歩離れた。すいと靴を片方脱ぎ、無造作に放った。
力を籠めたとも見えないのに、靴は真っ直ぐに飛んで行く。その先は、姿を消す前にステファノが立っていた場所だった。
十数人のステファノが手を動かし、顔の前にかざした。
ぱしりと音を立てて、飛んで来た靴を受け止める。
「ご無礼をいたしました」
ゆらりと空気が歪むと、1人を残してステファノの幻が消えた。受け止めた靴を両手に捧げ持ち、大広間の床に跪く。ステファノは元々の場所から一歩も動いていなかった。
「お返しいたします」
頭を下げて、ステファノは靴を差し出した。
「――受け取って参れ」
ジョバンニは侍従に命じ、ステファノから靴を受け取らせた。手元に届いたその靴を、元の足に履き直す。
「ステファノ、立ちなさい」
気を取り直した王子が、楽し気に声をかけた。
「今のは炎隠れと陽炎か? 話に聞いたものと少し違ったが……」
「見物の眼に囲まれておりましたので、陽炎の術で虚像を作りました」
「ふうん。姿を消すばかりでなく、分身を見せることができるのか。器用なことだ」
陽炎の術は空気を温めて、光を屈折させる術である。今回、ステファノは自分の像を空中に設けた「スクリーン」に投影して見せた。
スクリーンは、イドで霧を固めたものである。
「それにしても、よく本体の位置がわかったな、ジョバンニ」
ジュリアーノ王子が、元の位置に戻った警護役のジョバンニに顔を向けた。
「当て推量でございます。ほんの小手試しの術で殿下の御前を騒がせるはずはあるまいと、元いた場所を狙ったまで」
嘘である。ジョバンニのギフト「レンタル・メンタル」が、ステファノに動く意思はないと告げていた。
「仮に動いたとしたら? そう、わたしを襲いに来たらどうしていた?」
「お戯れを。この身はお父君たる国王陛下の剣。ジュリアーノ殿下の守りとしてこの場に置かれた以上、何人たりとも害意ある者を寄せつけることはありません」
軽く目を伏せ、ジョバンニは返事をした。
「動けばわかる」――ジョバンニの声はそう言っていた。ステファノの背筋を寒気が走った。
あの靴は外れても良かったのだ。ステファノに当たらなくても、ステファノの心が動く。ジョバンニのギフトはそれを見逃さない。
イドを隠し、気配を消しても、「レンタル・メンタル」の感応力を逃れ切ることはできない。恐るべき能力であった。
「さすがだね、ジョバンニ。それはそうと、高跳びの術とやらも見せてくれないか、ステファノ?」
折角の機会だからと、王子は更なる術の披露をステファノに要求した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第520話 これからも研鑽に励めよ。」
「あの、本来は逃走や攻撃のために移動する術です。ただ高く跳んだところであまり意味はありませんが、こういうものだというご紹介までにご披露いたします」
「理解した。見せてくれ」
こくりと頷いたステファノは、声も発さずに床を蹴った。
まるで体重がなくなったかのように、ステファノの体が真上に跳び上がった。見えない紐で思い切り引っ張られているような勢いだ。
一瞬で10メートルの上空に達し、ステファノは大広間の天井に手袋をした両手をついた。
……
◆お楽しみに。
1
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説

裏切られ追放という名の処刑宣告を受けた俺が、人族を助けるために勇者になるはずないだろ
井藤 美樹
ファンタジー
初代勇者が建国したエルヴァン聖王国で双子の王子が生まれた。
一人には勇者の証が。
もう片方には証がなかった。
人々は勇者の誕生を心から喜ぶ。人と魔族との争いが漸く終結すると――。
しかし、勇者の証を持つ王子は魔力がなかった。それに比べ、持たない王子は莫大な魔力を有していた。
それが判明したのは五歳の誕生日。
証を奪って生まれてきた大罪人として、王子は右手を斬り落とされ魔獣が棲む森へと捨てられた。
これは、俺と仲間の復讐の物語だ――


公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!
秋田ノ介
ファンタジー
主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。
『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。
ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!!
小説家になろうにも掲載しています。
魔境へ追放された公爵令息のチート領地開拓 〜動く屋敷でもふもふ達とスローライフ!〜
西園寺わかば🌱
ファンタジー
公爵家に生まれたエリクは転生者である。
4歳の頃、前世の記憶が戻って以降、知識無双していた彼は気づいたら不自由極まりない生活を送るようになっていた。
そんな彼はある日、追放される。
「よっし。やっと追放だ。」
自由を手に入れたぶっ飛んび少年エリクが、ドラゴンやフェンリルたちと気ままに旅先を決めるという物語。
- この話はフィクションです。
- カクヨム様でも連載しています。

今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

悪役貴族の四男に転生した俺は、怠惰で自由な生活がしたいので、自由気ままな冒険者生活(スローライフ)を始めたかった。
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
俺は何もしてないのに兄達のせいで悪役貴族扱いされているんだが……
アーノルドは名門貴族クローリー家の四男に転生した。家の掲げる独立独行の家訓のため、剣技に魔術果ては鍛冶師の技術を身に着けた。
そして15歳となった現在。アーノルドは、魔剣士を育成する教育機関に入学するのだが、親戚や上の兄達のせいで悪役扱いをされ、付いた渾名は【悪役公子】。
実家ではやりたくもない【付与魔術】をやらされ、学園に通っていても心の無い言葉を投げかけられる日々に嫌気がさした俺は、自由を求めて冒険者になる事にした。
剣術ではなく刀を打ち刀を使う彼は、憧れの自由と、美味いメシとスローライフを求めて、時に戦い。時にメシを食らい、時に剣を打つ。
アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。

あなたがそう望んだから
まる
ファンタジー
「ちょっとアンタ!アンタよ!!アデライス・オールテア!」
思わず不快さに顔が歪みそうになり、慌てて扇で顔を隠す。
確か彼女は…最近編入してきたという男爵家の庶子の娘だったかしら。
喚き散らす娘が望んだのでその通りにしてあげましたわ。
○○○○○○○○○○
誤字脱字ご容赦下さい。もし電波な転生者に貴族の令嬢が絡まれたら。攻略対象と思われてる男性もガッチリ貴族思考だったらと考えて書いてみました。ゆっくりペースになりそうですがよろしければ是非。
閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*)
何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる