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第5章 ルネッサンス攻防編
第519話 その時、王子はめまいを感じた。
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大広間の壁両側にずらりと諸官が並んでいるため、どこから見ても身を隠せるよう、ステファノは炎の中にいた。
イドの鎧でガードしているため、短時間であれば高熱に包まれても危険はなかった。
ほとんどの見物人は炎が発した閃光をまともに見てしまい、視覚を一時的に奪われた。目を開けていても、真っ赤な幻が視界を覆っていた。
だが、一部の人間はそうではなかった。
ステファノが術を宣言した瞬間、目を固く閉じたり、腕で覆ったりして光を遮ったのだ。
その中には、ジュリアーノ王子も含まれていた。
もちろん情革研改め、情革恊の3人もすばやく両眼を守っている。
一瞬で位置を変えぬ限り、炎が消えればステファノの姿は丸見えとなる。ステファノは、一体どこへ逃げるか?
ジュリアーノ王子は研究報告会での実演の様子を聞き知っていた。ドイルの挑戦を受け、ステファノは講堂の天井に貼りついたと。
王宮大広間はアカデミー大講堂よりもさらに高い天井を有していた。10メートル近いその高さまで、ステファノは見事跳んで見せるのか?
遁術そのものの成功如何よりも、王子はそれ程の跳躍が見られることに期待していた。
ステファノを燃やし尽くさんばかりに燃え上がった炎が、名残もなく消えた。
「むっ?」
目を開いたジュリアーノ王子の視野に、ステファノの姿はない。
「どこだ? 上か?」
改めて天井に目を凝らしても、ステファノはいなかった。
「何だって? どこに行った?」
居並ぶ廷臣の列を素早く確認した。すべて知った顔だ。ステファノはいない。
紛れ込む隙もない。
情革恊の3人も、ただきょろきょろと目を泳がせるばかりで、ステファノの行方を見出すことができなかった。
かしゃり。
かすかな音が王子の背後で上がった。斜め後方の人影が、わずかに重心を落としたのだ。
腰に帯びた短剣が留め金を鳴らした。
「ご安心を。危険はございません」
その時、王子はめまいを感じた。
(うっ……)
大広間全体がゆらゆらと揺れている。
「地震か?」
そうではなかった。物鳴りもなく、足元に感じる震えもない。
ただ視界が揺れているのだ。
体が揺れていなくても、視界が揺れれば人は酔う。王子同様、居並ぶ諸官もめまいを感じ、ざわざわと声を上げ始めた。
「――殿下の御前である。控えよ」
静かにその言葉を発したのは、王子に寄り添う先程の人影だった。決して大きな声ではなかったが、大広間に響き渡り、諸官を鎮める重みがあった。
「はっ……!」
王子の口から思わず驚きの声が漏れた。
揺らめく空間に、十数人のステファノが姿を現したのだ。すべて同じ立ち姿で、ゆらゆらと揺れている。
「これが――陽炎?」
思わずジュリアーノ王子は立ち上がり、幻の1つに近づこうとして足を動かした。
「殿下――」
同じ人物が、またもや王子を制した。王子ははっと我に返り、元の椅子に戻った。
「ジョバンニ、あれを試してみよ」
「かしこまりました」
小さく腰をかがめた人影、音無しのジョバンニは、王子の座から横に2歩離れた。すいと靴を片方脱ぎ、無造作に放った。
力を籠めたとも見えないのに、靴は真っ直ぐに飛んで行く。その先は、姿を消す前にステファノが立っていた場所だった。
十数人のステファノが手を動かし、顔の前にかざした。
ぱしりと音を立てて、飛んで来た靴を受け止める。
「ご無礼をいたしました」
ゆらりと空気が歪むと、1人を残してステファノの幻が消えた。受け止めた靴を両手に捧げ持ち、大広間の床に跪く。ステファノは元々の場所から一歩も動いていなかった。
「お返しいたします」
頭を下げて、ステファノは靴を差し出した。
「――受け取って参れ」
ジョバンニは侍従に命じ、ステファノから靴を受け取らせた。手元に届いたその靴を、元の足に履き直す。
「ステファノ、立ちなさい」
気を取り直した王子が、楽し気に声をかけた。
「今のは炎隠れと陽炎か? 話に聞いたものと少し違ったが……」
「見物の眼に囲まれておりましたので、陽炎の術で虚像を作りました」
「ふうん。姿を消すばかりでなく、分身を見せることができるのか。器用なことだ」
陽炎の術は空気を温めて、光を屈折させる術である。今回、ステファノは自分の像を空中に設けた「スクリーン」に投影して見せた。
スクリーンは、イドで霧を固めたものである。
「それにしても、よく本体の位置がわかったな、ジョバンニ」
ジュリアーノ王子が、元の位置に戻った警護役のジョバンニに顔を向けた。
「当て推量でございます。ほんの小手試しの術で殿下の御前を騒がせるはずはあるまいと、元いた場所を狙ったまで」
嘘である。ジョバンニのギフト「レンタル・メンタル」が、ステファノに動く意思はないと告げていた。
「仮に動いたとしたら? そう、わたしを襲いに来たらどうしていた?」
「お戯れを。この身はお父君たる国王陛下の剣。ジュリアーノ殿下の守りとしてこの場に置かれた以上、何人たりとも害意ある者を寄せつけることはありません」
軽く目を伏せ、ジョバンニは返事をした。
「動けばわかる」――ジョバンニの声はそう言っていた。ステファノの背筋を寒気が走った。
あの靴は外れても良かったのだ。ステファノに当たらなくても、ステファノの心が動く。ジョバンニのギフトはそれを見逃さない。
イドを隠し、気配を消しても、「レンタル・メンタル」の感応力を逃れ切ることはできない。恐るべき能力であった。
「さすがだね、ジョバンニ。それはそうと、高跳びの術とやらも見せてくれないか、ステファノ?」
折角の機会だからと、王子は更なる術の披露をステファノに要求した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第520話 これからも研鑽に励めよ。」
「あの、本来は逃走や攻撃のために移動する術です。ただ高く跳んだところであまり意味はありませんが、こういうものだというご紹介までにご披露いたします」
「理解した。見せてくれ」
こくりと頷いたステファノは、声も発さずに床を蹴った。
まるで体重がなくなったかのように、ステファノの体が真上に跳び上がった。見えない紐で思い切り引っ張られているような勢いだ。
一瞬で10メートルの上空に達し、ステファノは大広間の天井に手袋をした両手をついた。
……
◆お楽しみに。
イドの鎧でガードしているため、短時間であれば高熱に包まれても危険はなかった。
ほとんどの見物人は炎が発した閃光をまともに見てしまい、視覚を一時的に奪われた。目を開けていても、真っ赤な幻が視界を覆っていた。
だが、一部の人間はそうではなかった。
ステファノが術を宣言した瞬間、目を固く閉じたり、腕で覆ったりして光を遮ったのだ。
その中には、ジュリアーノ王子も含まれていた。
もちろん情革研改め、情革恊の3人もすばやく両眼を守っている。
一瞬で位置を変えぬ限り、炎が消えればステファノの姿は丸見えとなる。ステファノは、一体どこへ逃げるか?
ジュリアーノ王子は研究報告会での実演の様子を聞き知っていた。ドイルの挑戦を受け、ステファノは講堂の天井に貼りついたと。
王宮大広間はアカデミー大講堂よりもさらに高い天井を有していた。10メートル近いその高さまで、ステファノは見事跳んで見せるのか?
遁術そのものの成功如何よりも、王子はそれ程の跳躍が見られることに期待していた。
ステファノを燃やし尽くさんばかりに燃え上がった炎が、名残もなく消えた。
「むっ?」
目を開いたジュリアーノ王子の視野に、ステファノの姿はない。
「どこだ? 上か?」
改めて天井に目を凝らしても、ステファノはいなかった。
「何だって? どこに行った?」
居並ぶ廷臣の列を素早く確認した。すべて知った顔だ。ステファノはいない。
紛れ込む隙もない。
情革恊の3人も、ただきょろきょろと目を泳がせるばかりで、ステファノの行方を見出すことができなかった。
かしゃり。
かすかな音が王子の背後で上がった。斜め後方の人影が、わずかに重心を落としたのだ。
腰に帯びた短剣が留め金を鳴らした。
「ご安心を。危険はございません」
その時、王子はめまいを感じた。
(うっ……)
大広間全体がゆらゆらと揺れている。
「地震か?」
そうではなかった。物鳴りもなく、足元に感じる震えもない。
ただ視界が揺れているのだ。
体が揺れていなくても、視界が揺れれば人は酔う。王子同様、居並ぶ諸官もめまいを感じ、ざわざわと声を上げ始めた。
「――殿下の御前である。控えよ」
静かにその言葉を発したのは、王子に寄り添う先程の人影だった。決して大きな声ではなかったが、大広間に響き渡り、諸官を鎮める重みがあった。
「はっ……!」
王子の口から思わず驚きの声が漏れた。
揺らめく空間に、十数人のステファノが姿を現したのだ。すべて同じ立ち姿で、ゆらゆらと揺れている。
「これが――陽炎?」
思わずジュリアーノ王子は立ち上がり、幻の1つに近づこうとして足を動かした。
「殿下――」
同じ人物が、またもや王子を制した。王子ははっと我に返り、元の椅子に戻った。
「ジョバンニ、あれを試してみよ」
「かしこまりました」
小さく腰をかがめた人影、音無しのジョバンニは、王子の座から横に2歩離れた。すいと靴を片方脱ぎ、無造作に放った。
力を籠めたとも見えないのに、靴は真っ直ぐに飛んで行く。その先は、姿を消す前にステファノが立っていた場所だった。
十数人のステファノが手を動かし、顔の前にかざした。
ぱしりと音を立てて、飛んで来た靴を受け止める。
「ご無礼をいたしました」
ゆらりと空気が歪むと、1人を残してステファノの幻が消えた。受け止めた靴を両手に捧げ持ち、大広間の床に跪く。ステファノは元々の場所から一歩も動いていなかった。
「お返しいたします」
頭を下げて、ステファノは靴を差し出した。
「――受け取って参れ」
ジョバンニは侍従に命じ、ステファノから靴を受け取らせた。手元に届いたその靴を、元の足に履き直す。
「ステファノ、立ちなさい」
気を取り直した王子が、楽し気に声をかけた。
「今のは炎隠れと陽炎か? 話に聞いたものと少し違ったが……」
「見物の眼に囲まれておりましたので、陽炎の術で虚像を作りました」
「ふうん。姿を消すばかりでなく、分身を見せることができるのか。器用なことだ」
陽炎の術は空気を温めて、光を屈折させる術である。今回、ステファノは自分の像を空中に設けた「スクリーン」に投影して見せた。
スクリーンは、イドで霧を固めたものである。
「それにしても、よく本体の位置がわかったな、ジョバンニ」
ジュリアーノ王子が、元の位置に戻った警護役のジョバンニに顔を向けた。
「当て推量でございます。ほんの小手試しの術で殿下の御前を騒がせるはずはあるまいと、元いた場所を狙ったまで」
嘘である。ジョバンニのギフト「レンタル・メンタル」が、ステファノに動く意思はないと告げていた。
「仮に動いたとしたら? そう、わたしを襲いに来たらどうしていた?」
「お戯れを。この身はお父君たる国王陛下の剣。ジュリアーノ殿下の守りとしてこの場に置かれた以上、何人たりとも害意ある者を寄せつけることはありません」
軽く目を伏せ、ジョバンニは返事をした。
「動けばわかる」――ジョバンニの声はそう言っていた。ステファノの背筋を寒気が走った。
あの靴は外れても良かったのだ。ステファノに当たらなくても、ステファノの心が動く。ジョバンニのギフトはそれを見逃さない。
イドを隠し、気配を消しても、「レンタル・メンタル」の感応力を逃れ切ることはできない。恐るべき能力であった。
「さすがだね、ジョバンニ。それはそうと、高跳びの術とやらも見せてくれないか、ステファノ?」
折角の機会だからと、王子は更なる術の披露をステファノに要求した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第520話 これからも研鑽に励めよ。」
「あの、本来は逃走や攻撃のために移動する術です。ただ高く跳んだところであまり意味はありませんが、こういうものだというご紹介までにご披露いたします」
「理解した。見せてくれ」
こくりと頷いたステファノは、声も発さずに床を蹴った。
まるで体重がなくなったかのように、ステファノの体が真上に跳び上がった。見えない紐で思い切り引っ張られているような勢いだ。
一瞬で10メートルの上空に達し、ステファノは大広間の天井に手袋をした両手をついた。
……
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