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第5章 ルネッサンス攻防編

第511話 色は陽、散るは陰。

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 ステファノは「いろは歌」を詠唱しながら、足を運ぶ。その意識は足元でも前方の景色でもなく、内なるイドに向けられていた。

「色は匂えど、散りぬるを――」

 どうしたらイドの振動数を変えられる? 魔力操作の基本はイメージだが、ステファノには「振動数」を変化させるイメージが掴めなかった。

(答えが見つからない時は、本質に立ち返れ。イドとは何だったか? 無意識の自我、俺はそう定義したはずだ)

 自分を自分たらしめるもの。世界と自己を分ける認識。

(魔力錬成の元となる要素。俺はイドを練り上げて「魔核マジコア」を得た)

 生きているだけで存在するイドと魔核はどう違う? イドを持っているはずの非魔力保持者ノーマルが魔術を使えないのはなぜか?

 イドは魔核の元であっても、魔術発動には何かが不足している?

(錬成とは何だ? 魔核を練る時、俺は何をしている?)

 ステファノが作り出すのは「太極玉たいきょくぎょく」だ。陽気と陰気の勾玉まがたまを手の中に作り出し、練り上げる。
 練り上げた太極玉が魔核となるのだ。

(陽気と陰気。陽と陰。2つの極を1つに練り上げる――)

 陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる。

 陰陽2つの勾玉は互いを追い掛けて、ぐるぐると回る。回り、回って大きく成長する。

(陰と陽。2つの極が互いに入れ替わる。陰から陽へ、陽から陰へ――)

「色は匂えど、散りぬるを――」

 色は陽、散るは陰。

「我が世誰ぞ、つねならむ」

 陽と陰は常に入れ替わり、移り変わる。それが宇宙のあり様である。

「有為の奥山、今日越えて」

 陰陽が転換を繰り返すことによって、現実界からイデア界への移転がなる。

 この歌はそういう秘密を伝えているのではないのか?

(山を越える……山を越えれば谷だ。山と谷……。そうか!)

 山と谷とは「波」を表しているのではないか? 陰陽転換は波なのだ。

(つまりID波だ! 陰陽の切り替わりを速くしてやれば、ID波の振動も速くなる)

 掴みどころのなかった課題が、ステファノの頭の中で形になりつつあった。

(やってみよう!)

 ステファノは道をそれて開けた野原に座った。胡坐をかき、丹田の前で両手を重ね、手のひらと親指で輪を作る。

 結んだのは「禅定印ぜんじょういん」である。手のひらの上に意識を集め、陽気と陰気が互いを追いかける太極玉を結ぶ。

 いつもよりゆっくりと入念に太極玉の錬成を行いながら、ステファノはその反応を詳細に観察していた。

 陽気は陰気を追い、陰気は陽気を追いかける。勾玉まがたまの形をした2つの気が、くるりくるりと回転しながら手のひらの中で互いを追って回転していた。

 ステファノの眼には、ある瞬間は陽と映り、次の瞬間は陰に姿を変える。

(陰陽は対極にして一体)

 陽が山であるとすれば、陰は谷だった。ステファノの中で太極玉は「波」を体現していた。

(ならば、回る速さが振動数を変えることになる。もっと速く、更に速く回したら――)

 ステファノの手中で太極玉が回転の速度を増した。やがて眼で捉えられぬ速さで回る太極玉は、陰も陽も定かでない「魔核」に成長した。

(俺の魔視まじ脳が感覚共鳴に侵されたのは、振動数が小さかったからだ。もっと速く、イド全体を振動させてやれば精神攻撃を跳ね返せる!)

 ステファノは高速で回転する魔核を体全体に広げるイメージを構築した。血液が全身を巡るように、魔核が全身に行き渡る。

「浅き夢見じ、飢干ゑひもせず」

 いろは歌の結びの句。それはイデア界を象徴するとともに、何物にも侵されない精神の自由を宣言していた。

「魔核を制するものは、精神の自由を得る。そういうことだったのか」

 ステファノは確信とともに、その真理を得た。もう精神攻撃がステファノを脅かすことはない。

 ステファノは禅定印を解き、地面から立ち上がった。

(後は、どうやって魔核を常時高速振動させるかだ)

 道着の尻をはたきながら、ステファノは考える。

(焦ることはない。時間はたっぷりある。歩きながら考えよう)

 旅路をたどりながらステファノは「いろは歌」の暗唱を続けた。同時に魔核を高速で練り続ける。
 成句と魔核の高速回転を結びつけようとしていたのだ。

 成句を暗唱すれば、意識せずに魔核の高周波化ができるように習慣づけする。それができたら今度は成句さえ意識せずに、普段からそれを維持できるように体に染み込ませようとしていた。

(やっぱり旅は面白い。普段できないことに没入できる)

 歩みを進めながらステファノは鍛錬を楽しんだ。新しいことができるようになるのは純粋に心ときめく経験である。

 ほんのり赤く陽気を漂わせていたステファノのイドは、透明な光となって薄く体を覆うようになっていった。量ではなく「密度」が鎧としての機能を支えている。それでいてしなやかだった。

(そうか。きめが細かくなって、まとまりやすいんだな)

 ステファノは試みに左手を水平に振ってみた。手の先に杖が伸びているイメージ。

 茫洋とした塊ではなく、きっちりと杖の形になったイドが目の前の空気をないだ。

(これは……。ここまで形になるのか)

 左に振った腕を正面に振り戻した。

 ひょう

 イドは鞭になって空気を斬った。

(固めるだけではなく、鞭にもできる。素手の戦いに使えそうだ)

 ステファノの工夫は飽きることなく、その日の目的地に到着するまで続いた。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第512話 こんな村なんか見たって仕方ねぇだろうに。」

 ステファノが立ち寄ったのは町でもなく、店など2軒しかない村だった。店名も書かれていない店は、食料品屋と金物屋であるらしい。
 他には鍛冶屋が1軒あるだけだった。

 ステファノは食料品屋で少しばかり青物を買った後、鍛冶屋に向かった。鍛冶屋は老女が1人でやっていた。

「亭主がやってたんだけどよ。10年も前にくたばっちまった。村に鍛冶屋がねぇのも困るってんでさ、見よう見まねであたしが跡を継いでんの」

 ……

◆お楽しみに。
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