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第4章 魔術学園奮闘編
第467話 すまん、ジロー。すっかり忘れておったわ。
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「10年前と何1つ変わらん」
呪タウンに足を踏み入れた老人は、目の前に伸びる通りを見渡しながらつぶやいた。
「変わったのはわしの方か」
あの頃はまだ魔術を自由に使えた。「疾風」の二つ名が示す通り、風魔術では人後に落ちなかった。
マランツはやれやれと首を振り、昔の思い出を頭から追い出した。
「今じゃ酔いどれの爺だ。この町にはいかにも不釣り合いだな」
魔術の街、呪タウン。この街は出世を求める魔術師たちが、夢を掲げて集まる場所であった。
「今のわしには、夢よりもまず寝床を探すのが先だ」
口の軽い薬屋にヨシズミとその弟子のうわさを聞いた。ジローと同じく、王立アカデミーで魔術を学んでいると言う。
魔力に目覚めてひと月もせずに、ジローを水魔術で圧倒したというステファノ。上級魔術師級の実力を隠したヨシズミ。その2人がこの街にいる。
◆◆◆
呪タウンを訪れる数日前、マランツはサポリの住まいで不安に駆られていた。
ダニエルの訪問を受けた後、マランツは一体何の話を聞きに来たのかと不審に思った。
他のことなら忘れてしまったかもしれない。しかし、薬屋を名乗る男はマランツにとっての最後の弟子、ジローに関わる質問をして来た。
ジローの身に何かあったのかもしれない。
ジローの消息が気になったマランツは、街道を流す行商人をつかまえて呪タウンの様子を聞いてみた。
「あん? アカデミー? ああ、あそこの出入り商人とはつき合いがあるぜ。博打が好きな奴でよ」
「変わったことがないかだと? んー……。ははは、そう言えば傑作な話を聞いたぜ。何でも入学初日に衛兵にしょっ引かれた奴がいたそうだ。どんな奴かって? 平民さ、田舎もんのな。お貴族様と喧嘩して捕まったらしいよ」
「ええ? 他にはないかって? おう。妙な格好でどこでも歩き回る餓鬼がいるってな。やっぱりアカデミーの新入生でさ。……あん? 黒い道着に皮手袋をして、頭には鉢巻を巻いてるらしいぜ。手には黒縄を括りつけた棒を持っているそうだ。いかれた野郎だぜ」
「爺さん、しつこいな。他にはっていうと……。ああ、消えた奴がいるって言ったなあ。違うよ、失踪したわけじゃねェ。年末のアレだ。研究何とかって集まりで、100人からいる見物の前で姿を消した生徒がいたってよ。そんで、5メートルも上の天井にぶら下がってたそうだぜ」
聞けば聞くほど、マランツは困惑した。
謹慎処分を受けたというジローから聞いた話と符合する。それはすべてステファノという変わり者のことだ。
(やはりヨシズミの弟子だから変な格好をしているのか? 何だ、その術は? 衆人環視の中で消えて見せただと? ……思い出した)
酒に濁った頭で聞き流していた。同じことをジローが語っていた。自分の同期にとんでもない生徒がいる。
受ける授業でことごとくチャレンジを成功させ、研究報告会でポイントを荒稼ぎしたと。
ジローは興奮気味にそう言ったではないか。
「すまん、ジロー。すっかり忘れておったわ」
それに引き換え自分は、と。ジローは嘆いていたではないか。
あれは師としての自分から、何か助言を欲していたのだ。そうに決まっている。
普段は自信満々のあの少年が、言葉の端々で、ちらりちらりと自分の顔色を見ていた。
健康を心配しているのかと思っていた。
そうではなかった。
「自分はどうしたら良いのか?」
そう聞きたかったのだ。師でありながら、マランツはそれを察してやることができなかった。
「自分のことしか考えていなかった」
何が師だ。師とは弟子を導く者であらねばならぬ。弟子から心配されるだけの師などあるものか。
行商人の話からジローの本心に気づいたマランツは、一晩を泣いて過ごした。
「許せ、ジロー。不甲斐ない師を許してくれ……」
日の出とともに庭に出たマランツは、霜柱を踏んで井戸に向かった。よろける足を踏みしめて井戸の釣瓶にたどりつくと、凍りついた水桶の中身を火魔術で溶かす。
まだ溶け切らぬ氷が浮いた桶を、震える両手に抱え上げて頭から全身にぶちまけた。
「ぁああ~あああ!」
1月の日の出時分である。心臓が口から飛び出そうな衝撃に、マランツの全身が打ち震えた。
ぼとり、と手桶を放り捨て、マランツは濡れそぼった体のまま歩き出した。
朝日を背に、西へ、西へと。道の先に続く呪タウンを目指して。
酒毒に衰えた体に氷水の冷たさが加わり、足元はふらつき、体は揺れた。
マランツは震える歯の根を噛みしめて、一歩ずつ前に進む。
「ふ、ぅうう~う」
あまりの寒さに、息をするたびに声が漏れる。体は氷の温度に冷え切った。
「ジロー、待っていろ。今行くぞ……」
進まぬ足が、地面の凹凸に引っ掛かって転びそうになった。マランツは体を抱きしめていた両手を振り回してたたらを踏む。
前のめりになった頭が地面に近づいた時、醜くねじ曲がった人影が目に入った。
(無様な爺だ……。生きていても何の意味もない。生きているのかさえもわかりはしない……)
絶望し、思わず足を止めようとした時、マランツの背中を誰かが抱いた。
「あ……ああ、温かい」
心から安堵の吐息を吐きながら、マランツは振り返った。そこには誰もいない。
黄金色の太陽が、山裾から昇っていた。地上の全てを、等しく抱き、温めていた。
「新しい世界が生まれる」
今日の世界は昨日の世界ではない。世界は日々滅び、日の出とともに再び生まれる。
この世の営みは、すべて太陽の恵みによる。
マランツは細胞の1つ1つで、その真実を実感した。
「日輪生成!」
心の命ずるままに魔力を練り、放出すると、それは火魔術でも風魔術でもなかった。体を温めてくれる太陽光のイメージ。それをそのままに、マランツの魔力は全身の細胞を賦活化する因果となって、染みわたった。
(おお、溶ける……)
凍りついた体が、機能を落とした臓腑が、活力を失った細胞が、太陽の恵みを受けて目覚めていった。
失われたものは失われた時と共に、二度と戻らない。マランツが往年の力を取り戻すことはない。
しかし、眠っているものを呼び覚ますことはできる。凍りついた土を溶かせば、眠っている種は新たな芽を吹かせるのだ。
体の震えは去った。
マランツは真っ直ぐ体を起こすと、再び道に向かって足を踏み出した。
「どん」と、今度の一歩は鼓動と同じ音を立てた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第468話 酒は要らん。もう一生分飲んじまったよ。」
サポリの街を着の身着のまま、無一文で離れ、マランツは街道を進んだ。
峠を越える時分には足取りもしっかりと定まった。
隣町では一軒の飯屋に立ち寄り、掃除洗濯の下働きをして一宿一飯の恵みを乞うた。
頭を下げることに恥などない。呪タウンにたどりつかねばならないという目的があった。
やせこけたマランツの体を見て、飯屋の主人は手伝いの仕事を与えてくれた。
マランツが魔術を操れると知ると、掃除洗濯は良いから火の番、水の番をしてくれと主人に言われた。
マランツにとっては容易いことであった。
……
◆お楽しみに。
呪タウンに足を踏み入れた老人は、目の前に伸びる通りを見渡しながらつぶやいた。
「変わったのはわしの方か」
あの頃はまだ魔術を自由に使えた。「疾風」の二つ名が示す通り、風魔術では人後に落ちなかった。
マランツはやれやれと首を振り、昔の思い出を頭から追い出した。
「今じゃ酔いどれの爺だ。この町にはいかにも不釣り合いだな」
魔術の街、呪タウン。この街は出世を求める魔術師たちが、夢を掲げて集まる場所であった。
「今のわしには、夢よりもまず寝床を探すのが先だ」
口の軽い薬屋にヨシズミとその弟子のうわさを聞いた。ジローと同じく、王立アカデミーで魔術を学んでいると言う。
魔力に目覚めてひと月もせずに、ジローを水魔術で圧倒したというステファノ。上級魔術師級の実力を隠したヨシズミ。その2人がこの街にいる。
◆◆◆
呪タウンを訪れる数日前、マランツはサポリの住まいで不安に駆られていた。
ダニエルの訪問を受けた後、マランツは一体何の話を聞きに来たのかと不審に思った。
他のことなら忘れてしまったかもしれない。しかし、薬屋を名乗る男はマランツにとっての最後の弟子、ジローに関わる質問をして来た。
ジローの身に何かあったのかもしれない。
ジローの消息が気になったマランツは、街道を流す行商人をつかまえて呪タウンの様子を聞いてみた。
「あん? アカデミー? ああ、あそこの出入り商人とはつき合いがあるぜ。博打が好きな奴でよ」
「変わったことがないかだと? んー……。ははは、そう言えば傑作な話を聞いたぜ。何でも入学初日に衛兵にしょっ引かれた奴がいたそうだ。どんな奴かって? 平民さ、田舎もんのな。お貴族様と喧嘩して捕まったらしいよ」
「ええ? 他にはないかって? おう。妙な格好でどこでも歩き回る餓鬼がいるってな。やっぱりアカデミーの新入生でさ。……あん? 黒い道着に皮手袋をして、頭には鉢巻を巻いてるらしいぜ。手には黒縄を括りつけた棒を持っているそうだ。いかれた野郎だぜ」
「爺さん、しつこいな。他にはっていうと……。ああ、消えた奴がいるって言ったなあ。違うよ、失踪したわけじゃねェ。年末のアレだ。研究何とかって集まりで、100人からいる見物の前で姿を消した生徒がいたってよ。そんで、5メートルも上の天井にぶら下がってたそうだぜ」
聞けば聞くほど、マランツは困惑した。
謹慎処分を受けたというジローから聞いた話と符合する。それはすべてステファノという変わり者のことだ。
(やはりヨシズミの弟子だから変な格好をしているのか? 何だ、その術は? 衆人環視の中で消えて見せただと? ……思い出した)
酒に濁った頭で聞き流していた。同じことをジローが語っていた。自分の同期にとんでもない生徒がいる。
受ける授業でことごとくチャレンジを成功させ、研究報告会でポイントを荒稼ぎしたと。
ジローは興奮気味にそう言ったではないか。
「すまん、ジロー。すっかり忘れておったわ」
それに引き換え自分は、と。ジローは嘆いていたではないか。
あれは師としての自分から、何か助言を欲していたのだ。そうに決まっている。
普段は自信満々のあの少年が、言葉の端々で、ちらりちらりと自分の顔色を見ていた。
健康を心配しているのかと思っていた。
そうではなかった。
「自分はどうしたら良いのか?」
そう聞きたかったのだ。師でありながら、マランツはそれを察してやることができなかった。
「自分のことしか考えていなかった」
何が師だ。師とは弟子を導く者であらねばならぬ。弟子から心配されるだけの師などあるものか。
行商人の話からジローの本心に気づいたマランツは、一晩を泣いて過ごした。
「許せ、ジロー。不甲斐ない師を許してくれ……」
日の出とともに庭に出たマランツは、霜柱を踏んで井戸に向かった。よろける足を踏みしめて井戸の釣瓶にたどりつくと、凍りついた水桶の中身を火魔術で溶かす。
まだ溶け切らぬ氷が浮いた桶を、震える両手に抱え上げて頭から全身にぶちまけた。
「ぁああ~あああ!」
1月の日の出時分である。心臓が口から飛び出そうな衝撃に、マランツの全身が打ち震えた。
ぼとり、と手桶を放り捨て、マランツは濡れそぼった体のまま歩き出した。
朝日を背に、西へ、西へと。道の先に続く呪タウンを目指して。
酒毒に衰えた体に氷水の冷たさが加わり、足元はふらつき、体は揺れた。
マランツは震える歯の根を噛みしめて、一歩ずつ前に進む。
「ふ、ぅうう~う」
あまりの寒さに、息をするたびに声が漏れる。体は氷の温度に冷え切った。
「ジロー、待っていろ。今行くぞ……」
進まぬ足が、地面の凹凸に引っ掛かって転びそうになった。マランツは体を抱きしめていた両手を振り回してたたらを踏む。
前のめりになった頭が地面に近づいた時、醜くねじ曲がった人影が目に入った。
(無様な爺だ……。生きていても何の意味もない。生きているのかさえもわかりはしない……)
絶望し、思わず足を止めようとした時、マランツの背中を誰かが抱いた。
「あ……ああ、温かい」
心から安堵の吐息を吐きながら、マランツは振り返った。そこには誰もいない。
黄金色の太陽が、山裾から昇っていた。地上の全てを、等しく抱き、温めていた。
「新しい世界が生まれる」
今日の世界は昨日の世界ではない。世界は日々滅び、日の出とともに再び生まれる。
この世の営みは、すべて太陽の恵みによる。
マランツは細胞の1つ1つで、その真実を実感した。
「日輪生成!」
心の命ずるままに魔力を練り、放出すると、それは火魔術でも風魔術でもなかった。体を温めてくれる太陽光のイメージ。それをそのままに、マランツの魔力は全身の細胞を賦活化する因果となって、染みわたった。
(おお、溶ける……)
凍りついた体が、機能を落とした臓腑が、活力を失った細胞が、太陽の恵みを受けて目覚めていった。
失われたものは失われた時と共に、二度と戻らない。マランツが往年の力を取り戻すことはない。
しかし、眠っているものを呼び覚ますことはできる。凍りついた土を溶かせば、眠っている種は新たな芽を吹かせるのだ。
体の震えは去った。
マランツは真っ直ぐ体を起こすと、再び道に向かって足を踏み出した。
「どん」と、今度の一歩は鼓動と同じ音を立てた。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第468話 酒は要らん。もう一生分飲んじまったよ。」
サポリの街を着の身着のまま、無一文で離れ、マランツは街道を進んだ。
峠を越える時分には足取りもしっかりと定まった。
隣町では一軒の飯屋に立ち寄り、掃除洗濯の下働きをして一宿一飯の恵みを乞うた。
頭を下げることに恥などない。呪タウンにたどりつかねばならないという目的があった。
やせこけたマランツの体を見て、飯屋の主人は手伝いの仕事を与えてくれた。
マランツが魔術を操れると知ると、掃除洗濯は良いから火の番、水の番をしてくれと主人に言われた。
マランツにとっては容易いことであった。
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