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第4章 魔術学園奮闘編
第408話 どれもこれも、ネルソンの生きて来た道そのものだった。
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ネルソンは眠りの中にいた。
眠りながらも意識の一部はふわふわとどこかに浮かんでいたように思う。
風なのか、波なのか。何かに押され、何かに乗って流れていた。
匂いだろうか、味だろうか? 慣れ親しんだ薬種の成分をふと感じた。
(これは「サルノモチグサ」だな。乾かした粉末を軟膏にすれば、血止めに効く)
そう思ったところ、目の前に薬効が傷口に働くビジョンが現れた。何人もの傷を癒して来たネルソンが持つ明確なビジョン。
意識はさらに漂い、今度は甘い香りが嗅覚を刺激する。
(「アゼルの実」か。煎じて飲ませれば、咳止めによく効く)
のどの腫れがひいて行く鮮明なビジョンが目の前に観える。
次々と薬種が眼前に現れ、その効能をビジョンに示した。回る風車の羽のように目まぐるしく入れ替わるビジョン。
そのすべてをネルソンは自分の一部として受け入れた。
(ああ、この草の採取は大変だった。この実を見つけた時は嬉しかったな。この組み合わせを見出すまでの苦労は忘れもしない)
どれもこれも、ネルソンの生きて来た道そのものだった。
(薬は人を救うが万能ではない。薬効には個人差があり、癒せない病変もある。それでも私は薬を求める)
そのままでは命を落とす人、手足を失う人を、「この一服」が救えるかもしれない。
救命の可能性を広げるために日夜研究に精魂を傾けた。
その成果がビジョンとなって押し寄せていた。
(これが「私」だ。これ以上でも以下でもない。私はこれを以て我が存在を世界に問う)
「コギト・エルゴ・スム」
眠りの中でネルソンの口が成句を紡いだ。
薬種効能のビジョンはネルソンの眼前で溶け合い、渦を巻き、光り輝く杯の形を取った。
その杯を取ろうと手を伸ばすと、ネルソンの袖口から一匹の蛇が這い出た。
蛇は輝く杯に絡みつき、杯と一つになった。
ネルソンは改めて手を伸ばし、盃を手に取った。
(ヒュギエイアの杯……)
教えられずともその名が心に浮かんだ。医神アスクレピオスの娘、ヒュギエイアが持つ薬学の象徴。
(私の旅はこの杯を得るためのものであったか)
深く得心して、ネルソンはヒュギエイアの杯を大切に胸に抱いた。
◆◆◆
「不思議なもンだッペ」
ドイル、ネルソン、それぞれの話を聞いてヨシズミはそう漏らした。
「向こうの世界じゃ魔力の発現に夢見なんぞが現れるとは、聞いたことネかったッペ」
図らずも2人が夢の中で魔力の覚醒を得たとなると、それがこの世界でのあり方なのかもしれない。
「先生が得たのは『灯の術』ですね?」
「うん。目覚めて試してみたら、この通り」
ステファノの問いを受けてドイルはいつものように人差し指を立てた。
「震えろ、アポロンの竪琴」
ドイルが立てた指先に、爪の先ほどの光球が浮かんだ。
「なるほど。一端の魔術師振りだな」
「そう言われても褒められた気がしないね」
ドイルは、ネルソンの評価を素直に受け取れなかった。
「それよりも君の得た『ヒュギエイアの杯』とは何なんだ?」
「我々薬学者の理想を表わすものだ。万能薬の象徴と言ってしまうと、安っぽくなるがな」
父であるアスクレピオスは医学の神であり、その象徴は1匹の蛇が絡みついた杖である。
娘のヒュギエイアは薬学の神。その象徴は同じく蛇が絡みついた杯なのであった。
「やはり、蛇なのかい」
「ここでの蛇は生命力の象徴とされている」
ステファノ愛用の杖には「ヘルメスの杖」と名前が与えられている。神話では2匹の蛇が絡みつく意匠とされているものであった。
ヘルメスの杖は医術を表わすと共に、商業や錬金術の象徴でもある。
「ヘルメスの杖は繁栄と富を象徴していると言うのがふさわしかろう」
「商売人としての君にはヘルメスの杖の方が似合っていそうだがね」
「私の商売はもう終いだ。ステファノの手にあれば魔法具師としての活躍を助けるものとなるだろう」
ネルソンにこれ以上の富は必要ない。その代わりにヒュギエイアの杯を得た。
「どんな能力を得たのですか、旦那様?」
ステファノが問うと、ネルソンは両掌を広げて見せた。
「この手は施薬の効能を再現できる」
「何と! 治癒魔法を得たってカ?」
ヨシズミが驚きの声を上げた。
誰もが魔法を使える世界にいた彼にして、治癒魔法の実例を眼にしたことがなかった。
「おそらく治癒魔法と呼ぶのは間違いだ。私にできるのは投薬したのと同じ効果を与えることのみ。薬には効く場合と効かない場合がある。『ヒュギエイアの杯』も効果があるとは限らない」
「施薬の因果を再現するというのはそういうことか」
伝説上の万能薬エリクサーのような機能は到底期待できない。ネルソンが知る医薬を再現できるのみであった。
「失った手足を生やすことはできん。一瞬で病を消し去ることもな」
「それでも……。薬品がない場所でも、君は病人を癒すことができるんだな?」
「ああ。どこにいようとも初期治療を施すことができる。患者にとっては生死の分かれ目になるかもしれない」
患部を消毒し、治療薬を施し、圧迫止血や患部保護の効果まで再現できる。
救急医療における価値は極めて大きかった。
「君の医学知識が備わってこその治療魔法か。実に君らしい能力だね」
ドイルには珍しく、正面からネルソンを祝福する言葉であった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第409話 旦那サンにはどっちも備わってンナ。」
「聞いたことのねェ魔法だッペ」
ヨシズミの世界には存在しなかったタイプの魔法であった。
もちろんこの世界で一般的な属性魔術とは全く異なる。
「因果を引き寄せ、改変する。その意味では明らかに魔法と呼んで良いね」
「しかし、属性には分類できませんね」
「うん。属性というものが人の決めた枠組みに過ぎないということなんだろう」
魔術の原則を、ドイルは嬉しそうに否定した。
……
◆お楽しみに。
眠りながらも意識の一部はふわふわとどこかに浮かんでいたように思う。
風なのか、波なのか。何かに押され、何かに乗って流れていた。
匂いだろうか、味だろうか? 慣れ親しんだ薬種の成分をふと感じた。
(これは「サルノモチグサ」だな。乾かした粉末を軟膏にすれば、血止めに効く)
そう思ったところ、目の前に薬効が傷口に働くビジョンが現れた。何人もの傷を癒して来たネルソンが持つ明確なビジョン。
意識はさらに漂い、今度は甘い香りが嗅覚を刺激する。
(「アゼルの実」か。煎じて飲ませれば、咳止めによく効く)
のどの腫れがひいて行く鮮明なビジョンが目の前に観える。
次々と薬種が眼前に現れ、その効能をビジョンに示した。回る風車の羽のように目まぐるしく入れ替わるビジョン。
そのすべてをネルソンは自分の一部として受け入れた。
(ああ、この草の採取は大変だった。この実を見つけた時は嬉しかったな。この組み合わせを見出すまでの苦労は忘れもしない)
どれもこれも、ネルソンの生きて来た道そのものだった。
(薬は人を救うが万能ではない。薬効には個人差があり、癒せない病変もある。それでも私は薬を求める)
そのままでは命を落とす人、手足を失う人を、「この一服」が救えるかもしれない。
救命の可能性を広げるために日夜研究に精魂を傾けた。
その成果がビジョンとなって押し寄せていた。
(これが「私」だ。これ以上でも以下でもない。私はこれを以て我が存在を世界に問う)
「コギト・エルゴ・スム」
眠りの中でネルソンの口が成句を紡いだ。
薬種効能のビジョンはネルソンの眼前で溶け合い、渦を巻き、光り輝く杯の形を取った。
その杯を取ろうと手を伸ばすと、ネルソンの袖口から一匹の蛇が這い出た。
蛇は輝く杯に絡みつき、杯と一つになった。
ネルソンは改めて手を伸ばし、盃を手に取った。
(ヒュギエイアの杯……)
教えられずともその名が心に浮かんだ。医神アスクレピオスの娘、ヒュギエイアが持つ薬学の象徴。
(私の旅はこの杯を得るためのものであったか)
深く得心して、ネルソンはヒュギエイアの杯を大切に胸に抱いた。
◆◆◆
「不思議なもンだッペ」
ドイル、ネルソン、それぞれの話を聞いてヨシズミはそう漏らした。
「向こうの世界じゃ魔力の発現に夢見なんぞが現れるとは、聞いたことネかったッペ」
図らずも2人が夢の中で魔力の覚醒を得たとなると、それがこの世界でのあり方なのかもしれない。
「先生が得たのは『灯の術』ですね?」
「うん。目覚めて試してみたら、この通り」
ステファノの問いを受けてドイルはいつものように人差し指を立てた。
「震えろ、アポロンの竪琴」
ドイルが立てた指先に、爪の先ほどの光球が浮かんだ。
「なるほど。一端の魔術師振りだな」
「そう言われても褒められた気がしないね」
ドイルは、ネルソンの評価を素直に受け取れなかった。
「それよりも君の得た『ヒュギエイアの杯』とは何なんだ?」
「我々薬学者の理想を表わすものだ。万能薬の象徴と言ってしまうと、安っぽくなるがな」
父であるアスクレピオスは医学の神であり、その象徴は1匹の蛇が絡みついた杖である。
娘のヒュギエイアは薬学の神。その象徴は同じく蛇が絡みついた杯なのであった。
「やはり、蛇なのかい」
「ここでの蛇は生命力の象徴とされている」
ステファノ愛用の杖には「ヘルメスの杖」と名前が与えられている。神話では2匹の蛇が絡みつく意匠とされているものであった。
ヘルメスの杖は医術を表わすと共に、商業や錬金術の象徴でもある。
「ヘルメスの杖は繁栄と富を象徴していると言うのがふさわしかろう」
「商売人としての君にはヘルメスの杖の方が似合っていそうだがね」
「私の商売はもう終いだ。ステファノの手にあれば魔法具師としての活躍を助けるものとなるだろう」
ネルソンにこれ以上の富は必要ない。その代わりにヒュギエイアの杯を得た。
「どんな能力を得たのですか、旦那様?」
ステファノが問うと、ネルソンは両掌を広げて見せた。
「この手は施薬の効能を再現できる」
「何と! 治癒魔法を得たってカ?」
ヨシズミが驚きの声を上げた。
誰もが魔法を使える世界にいた彼にして、治癒魔法の実例を眼にしたことがなかった。
「おそらく治癒魔法と呼ぶのは間違いだ。私にできるのは投薬したのと同じ効果を与えることのみ。薬には効く場合と効かない場合がある。『ヒュギエイアの杯』も効果があるとは限らない」
「施薬の因果を再現するというのはそういうことか」
伝説上の万能薬エリクサーのような機能は到底期待できない。ネルソンが知る医薬を再現できるのみであった。
「失った手足を生やすことはできん。一瞬で病を消し去ることもな」
「それでも……。薬品がない場所でも、君は病人を癒すことができるんだな?」
「ああ。どこにいようとも初期治療を施すことができる。患者にとっては生死の分かれ目になるかもしれない」
患部を消毒し、治療薬を施し、圧迫止血や患部保護の効果まで再現できる。
救急医療における価値は極めて大きかった。
「君の医学知識が備わってこその治療魔法か。実に君らしい能力だね」
ドイルには珍しく、正面からネルソンを祝福する言葉であった。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第409話 旦那サンにはどっちも備わってンナ。」
「聞いたことのねェ魔法だッペ」
ヨシズミの世界には存在しなかったタイプの魔法であった。
もちろんこの世界で一般的な属性魔術とは全く異なる。
「因果を引き寄せ、改変する。その意味では明らかに魔法と呼んで良いね」
「しかし、属性には分類できませんね」
「うん。属性というものが人の決めた枠組みに過ぎないということなんだろう」
魔術の原則を、ドイルは嬉しそうに否定した。
……
◆お楽しみに。
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