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第4章 魔術学園奮闘編
第378話 何を始めた? 吐き出してみろ!
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「あのー。伝声管よりも便利な通信手段がありそうなんですが……」
ステファノがおずおずと声を上げた。
「研究報告会の案件には含まれていなかったようだが?」
「報告会の後に取り掛かったものでして」
「何を始めた? 吐き出してみろ!」
ニンジンをつついていたフォークを放り出して、ドイルがテーブルに身を乗り出した。
「実は魔示板が通信機として使えそうなんです。まだ研究中ですが」
「黒板を通信機にするとはどういうことだ? あれは遠くに離れたら使えないはずだが」
ドイルもアカデミーの人間である。魔示板の働きについて一通りは知っていた。
「『雲に送る』という言葉を知っていますか?」
ステファノは魔示板の使用法に関する術語を持ち出した。
「それは聞いたことがないな。一応教務課の人間から使い方の説明を聞いたんだが、その時には出て来なかった言葉だね」
「そうか。ドイル先生は魔術師ではないから、自分で魔示板を使ったことはないんですね?」
「もちろんさ。君も知っている通り、授業では自分の手で黒板に文字を書いていたからね」
ドイルは魔術嫌いだが、魔術に関心がないわけではない。自分で魔道具を使えるのであれば、その原理を解析しようとしたであろう。
しかし、魔力ない者に魔道具は使用できない。その時点でドイルが直接魔道具を研究する道が断たれていたのだ。
「あれは頭の中に思い浮かべた文章や図表を表示することができるんです」
「それは知っている」
「文章の場合、どういう文字を使用するかは『中の人』が判断しています」
「うん? 『中の人』とは誰のことだ?」
ステファノは「使用者」の観点から魔示板の機能を説明する。使用者にしかわからない機微があるからだ。
「わかりません。ですが、誰かが判断していると考えなければ結果の辻褄が合いません」
「結果から原因を推定しているんだね。科学的なアプローチだと言えるだろう」
ドイルは魔術が嫌いだが、好き嫌いに関係なく、ステファノが魔道具の原理を解き明かそうとする姿勢を評価した。
科学者は客観的であらねばならないと、ドイルは信じていた。
「その時に思念の内容を『ペアリング』した魔示板に渡すのですが、『雲』を経由して『投げる』と説明されています」
「『雲』の上に『中の人』がいるとでも言うのかねぇ」
ドイルのつぶやきはあくまでもたとえであったが、一面の真実を指さしていた。
「そりャァ比喩だッペなあ」
ヨシズミが声を上げた。
「比喩だとするなら、本当の意味は何だね?」
「オレの世界と同じなら、『雲』ってのは『こことは別の場所にあるリソース』ってことだッペ。どうなってっかは詳しくわかんねェンで、もやもやしてっから『雲』ッつッたンだナ。仕事をする上では、『雲』がどこにあンのかは関係ねェんだ。『雲』を経由して情報を投げる先も、『網』につながってっから『住所』さえわかってればどこにあっても構わねェ」
ヨシズミは「迷い人」だ。違う世界からこの世界に紛れ込んだ人間である。
600年進んだ科学を持つ世界を知っている。
しかし、自らこの世界に異世界の科学知識を伝えようとはしていない。
この世界にはこの世界の進化があるべきだと考えるからだ。
魔示板の件は、既にこの世界に存在するものについての分析であった。自分が解説を加えても、この世界の秩序を乱すことにはならない。ヨシズミはそう考えた。
「『網』と『住所』という概念も『ヘルプ』に使われていました」
「どうやら考え方は同じみてェだナ。おそらく科学でなくて、魔術的な仕組みで作り出したもンだッペ」
「君の世界で『網』とはどういうものだったのかね?」
絹のように滑らかな声でドイルが尋ねた。魚を目の前にした猫のようだ。
黒目が大きくなっている。
「紙とペンサ貸してくれッケ?」
ヨシズミは紙の上に「LAN」、「WAN」、「インターネット」の模式図を描いた。
「たとえば1つの建物の中だけに限られて存在する『網』を『LAN』と呼んだッペ。『ローカルエリアネットワーク』だナ。建物の外、広い範囲に広がってンのが『WAN』だッペ。ネルソン商会の本店、支店をすべて結んだような場合だナ」
「むう。国中を『網』が覆っているのか」
「国中どころではねェ。『世界中』を覆いつくしていたッペ」
ドイルの眼がますます大きく見開かれた。
「この『線』は情報が行き来するルートを表わしているのだろう? それが世界中を覆っているだと?」
「ほぼすべての人間がどこにいてもネットにつながっていた」
「動き回っていてもか?」
「時速900キロで空を飛んでいる時でもだ」
「それは魔法が生まれる前からのことか?」
ドイルはよだれを垂らしそうな顔をしていた。
「インターネットは純粋なる科学の産物だ」
「むむ、ぐふぅー……。素晴らしい! 素晴らしいぞ! 全人類が結ばれていたとは。世界中の英知をすべての人が共有できたのだな?」
「概ねな。秘密にされる情報やガセネタもあったッペ。したっけ、地球の裏側で起きたこともその日のうちに伝えられたナ」
ステファノたちが情報革命研究会で追い求めるゴールをはるかに超えたところに、ヨシズミの世界はあった。
「他に拠り所がないから、ヨシズミの世界で言うインターネットがこの世界の『網』と類似のものだと仮定しよう。その場合『住所』とは個々の人、あるいは機械に与えられた識別コードと考えれば良いのか?」
「まあそういうことだッペ。オレも専門じゃねェけど、『居場所』と言うよりネットへの『接続地点』と言う方が正しかッペ」
「そうするとだ。『住所』さえわかれば地球の裏側にいる相手とも情報をやり取りできるんだな?」
「当然だッペ」
ドイルの問いを、ヨシズミはこともなげに肯定した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第379話 確かに伝声管どころの話ではないな。」
「それは……軍部にとっては悪夢のような仕組みだな」
機密管理への影響を想像し、ネルソンが唸る。
「ふふん。内務にだって表に出せない秘密はたくさんあるだろう。要するに情報の盗み合いになるということだな? 忍び込んだり、金庫を開けたりという時代ではなくなるわけだ」
「その通りだな。地球の裏側からでも情報は盗み出せる。何のことはねェ。現実界がイデア界に一歩近づくってことだッペ」
「時間と距離の制約がなくなる、と。そんな世界では僕やマルチェルのギフトが色あせてしまいそうだ」
主観的な時間を拡張するギフトである「タイムスライシング」と「邯鄲の夢」。その優位性を危うくするようなビジョンであった。
……
◆お楽しみに。
ステファノがおずおずと声を上げた。
「研究報告会の案件には含まれていなかったようだが?」
「報告会の後に取り掛かったものでして」
「何を始めた? 吐き出してみろ!」
ニンジンをつついていたフォークを放り出して、ドイルがテーブルに身を乗り出した。
「実は魔示板が通信機として使えそうなんです。まだ研究中ですが」
「黒板を通信機にするとはどういうことだ? あれは遠くに離れたら使えないはずだが」
ドイルもアカデミーの人間である。魔示板の働きについて一通りは知っていた。
「『雲に送る』という言葉を知っていますか?」
ステファノは魔示板の使用法に関する術語を持ち出した。
「それは聞いたことがないな。一応教務課の人間から使い方の説明を聞いたんだが、その時には出て来なかった言葉だね」
「そうか。ドイル先生は魔術師ではないから、自分で魔示板を使ったことはないんですね?」
「もちろんさ。君も知っている通り、授業では自分の手で黒板に文字を書いていたからね」
ドイルは魔術嫌いだが、魔術に関心がないわけではない。自分で魔道具を使えるのであれば、その原理を解析しようとしたであろう。
しかし、魔力ない者に魔道具は使用できない。その時点でドイルが直接魔道具を研究する道が断たれていたのだ。
「あれは頭の中に思い浮かべた文章や図表を表示することができるんです」
「それは知っている」
「文章の場合、どういう文字を使用するかは『中の人』が判断しています」
「うん? 『中の人』とは誰のことだ?」
ステファノは「使用者」の観点から魔示板の機能を説明する。使用者にしかわからない機微があるからだ。
「わかりません。ですが、誰かが判断していると考えなければ結果の辻褄が合いません」
「結果から原因を推定しているんだね。科学的なアプローチだと言えるだろう」
ドイルは魔術が嫌いだが、好き嫌いに関係なく、ステファノが魔道具の原理を解き明かそうとする姿勢を評価した。
科学者は客観的であらねばならないと、ドイルは信じていた。
「その時に思念の内容を『ペアリング』した魔示板に渡すのですが、『雲』を経由して『投げる』と説明されています」
「『雲』の上に『中の人』がいるとでも言うのかねぇ」
ドイルのつぶやきはあくまでもたとえであったが、一面の真実を指さしていた。
「そりャァ比喩だッペなあ」
ヨシズミが声を上げた。
「比喩だとするなら、本当の意味は何だね?」
「オレの世界と同じなら、『雲』ってのは『こことは別の場所にあるリソース』ってことだッペ。どうなってっかは詳しくわかんねェンで、もやもやしてっから『雲』ッつッたンだナ。仕事をする上では、『雲』がどこにあンのかは関係ねェんだ。『雲』を経由して情報を投げる先も、『網』につながってっから『住所』さえわかってればどこにあっても構わねェ」
ヨシズミは「迷い人」だ。違う世界からこの世界に紛れ込んだ人間である。
600年進んだ科学を持つ世界を知っている。
しかし、自らこの世界に異世界の科学知識を伝えようとはしていない。
この世界にはこの世界の進化があるべきだと考えるからだ。
魔示板の件は、既にこの世界に存在するものについての分析であった。自分が解説を加えても、この世界の秩序を乱すことにはならない。ヨシズミはそう考えた。
「『網』と『住所』という概念も『ヘルプ』に使われていました」
「どうやら考え方は同じみてェだナ。おそらく科学でなくて、魔術的な仕組みで作り出したもンだッペ」
「君の世界で『網』とはどういうものだったのかね?」
絹のように滑らかな声でドイルが尋ねた。魚を目の前にした猫のようだ。
黒目が大きくなっている。
「紙とペンサ貸してくれッケ?」
ヨシズミは紙の上に「LAN」、「WAN」、「インターネット」の模式図を描いた。
「たとえば1つの建物の中だけに限られて存在する『網』を『LAN』と呼んだッペ。『ローカルエリアネットワーク』だナ。建物の外、広い範囲に広がってンのが『WAN』だッペ。ネルソン商会の本店、支店をすべて結んだような場合だナ」
「むう。国中を『網』が覆っているのか」
「国中どころではねェ。『世界中』を覆いつくしていたッペ」
ドイルの眼がますます大きく見開かれた。
「この『線』は情報が行き来するルートを表わしているのだろう? それが世界中を覆っているだと?」
「ほぼすべての人間がどこにいてもネットにつながっていた」
「動き回っていてもか?」
「時速900キロで空を飛んでいる時でもだ」
「それは魔法が生まれる前からのことか?」
ドイルはよだれを垂らしそうな顔をしていた。
「インターネットは純粋なる科学の産物だ」
「むむ、ぐふぅー……。素晴らしい! 素晴らしいぞ! 全人類が結ばれていたとは。世界中の英知をすべての人が共有できたのだな?」
「概ねな。秘密にされる情報やガセネタもあったッペ。したっけ、地球の裏側で起きたこともその日のうちに伝えられたナ」
ステファノたちが情報革命研究会で追い求めるゴールをはるかに超えたところに、ヨシズミの世界はあった。
「他に拠り所がないから、ヨシズミの世界で言うインターネットがこの世界の『網』と類似のものだと仮定しよう。その場合『住所』とは個々の人、あるいは機械に与えられた識別コードと考えれば良いのか?」
「まあそういうことだッペ。オレも専門じゃねェけど、『居場所』と言うよりネットへの『接続地点』と言う方が正しかッペ」
「そうするとだ。『住所』さえわかれば地球の裏側にいる相手とも情報をやり取りできるんだな?」
「当然だッペ」
ドイルの問いを、ヨシズミはこともなげに肯定した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第379話 確かに伝声管どころの話ではないな。」
「それは……軍部にとっては悪夢のような仕組みだな」
機密管理への影響を想像し、ネルソンが唸る。
「ふふん。内務にだって表に出せない秘密はたくさんあるだろう。要するに情報の盗み合いになるということだな? 忍び込んだり、金庫を開けたりという時代ではなくなるわけだ」
「その通りだな。地球の裏側からでも情報は盗み出せる。何のことはねェ。現実界がイデア界に一歩近づくってことだッペ」
「時間と距離の制約がなくなる、と。そんな世界では僕やマルチェルのギフトが色あせてしまいそうだ」
主観的な時間を拡張するギフトである「タイムスライシング」と「邯鄲の夢」。その優位性を危うくするようなビジョンであった。
……
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