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第4章 魔術学園奮闘編
第306話 成り上がったものだ、飯屋のせがれ殿。
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「これを見てください」
「いつぞやの遠眼鏡だな。随分立派なものを持っていると思ったが」
「おい、それはギルモアの……獅子じゃないか」
「何? そうか、これはお前がギルモア閣下の庇護下にある証しか?」
ドリーは改めて獅子の紋章を間近に見た。
「必要な時はこれを示せと、旦那様に言われました」
「旦那様とはネルソン商会の主人か? なるほどそのつながりで……」
ほうとため息をつき、ドリーは遠眼鏡をステファノに返した。
「それにしても余程の手柄を立てたのだな? 成り上がったものだ、飯屋のせがれ殿」
冷やかしながらもドリーの声には感嘆の響きがあった。一平民が侯爵家の庇護など容易に受けられるものではない。何事か大きなことをステファノが成し遂げたことは間違いないのだ。
「マリアンヌ女史も魔術科単位の大盤振る舞いをしていたしな。実は、今回のことを相談したら自分の推薦権を私に預けると言われたよ。デリック、わたし、マリアンヌ学科長の推薦により、お前の第2試射場使用は許可されることになる」
「マリアンヌ学科長は、俺を早く卒業させたいようですね」
「そうかもしれんな。単位の認定に関しては正当な評価だと思うが、手回しが良すぎるとは感じた」
第3王子の肝いり案件など、厄介者以外の何物でもない。何かあれば自分の責任になるのだ。早く出て行ってもらうに限ると考えても不思議はなかった。
「気にしても仕方がない。お前は……お前だからな」
「何か諦められた気がしますね」
「自覚はあるのだな」
ドリーとステファノが横道にそれていくと、デリックが咳払いをした。
「ゴホン。検討を再開して良いかね?」
「ああ、すまん。私の『蛇の目』には水と風、2匹の蛇が観えた。それで間違いないか、ステファノ?」
「はい。蛇のイメージで標的を縛らせました」
デリックの肉眼には当然ながら水の蛇だけが絡みついて見えており、風の魔力も存在することは感じ取れていた。
「風の魔力はどういう働きをしていたのかね?」
「絡みつくだけなら水蛇だけでできます。風の蛇はそれを上から取り巻いて外からの妨害を防ぐ役ですね」
「水蛇を外そうとする手や力を排除するんだな?」
風水獄は2段構えの檻であった。1層目の水が体の自由を奪い、2層目の風が外からの干渉を排除する。
「魔術的な干渉はどうする? 水蛇を打ち消そうとしてきたら?」
「本来の使い方では風蛇の存在を隠します。肉眼には見えませんからね。水魔術を撃ち消そうと陰気を飛ばされたら、風の魔力でそれを跳ね飛ばします」
最悪でも陰気と風の共倒れで留め、水蛇を守ることが風蛇の仕事であった。
「ほらな? しつこい術だろう?」
「まったくだな。だが、内側からの陰気はどうする? 水蛇と体の間には何もないぞ」
もっともな疑問であった。縛られた者が腕の立つ術者であれば、内側から水魔術を消しにかかるだろう。
「それをやるとかわいそうなことが起こります」
「かわいそう? どういうことだ?」
「狙い通り水蛇が消えたら、どうなると思いますか?」
「そりゃ体が自由になるだろう?」
デリックは不審気な顔をした。
「いや、待て! 水蛇の外側には風蛇がいた。水蛇が消えれば風蛇が直接体に巻きつくのか?」
ドリーが次の展開を予想した。魔力を観ていた彼女だからこそ、すぐに答えられた結末であった。
「そういうことです。風蛇は大気よりも圧を低くしてありますので、相手の息を吸い取ります」
「……えげつないな」
「肺の空気まで吸い出されて、相手は一瞬で失神するでしょう」
ステファノのしゃあしゃあとした説明に、さすがのドリーも顔をしかめた。
「お前は本当にいやらしいな。『殺さず』と言う割にはすれすれまで攻めるじゃないか」
「たまらんな。チェスの嵌め手を食らうようなものだ」
監視官の2人が口々に文句を言う。
「あれ? 敵を倒すための魔術を練習しているんじゃありませんでした?」
責められることに釈然としないステファノは、疑問の声を上げた。
「そうだが! それにしても、やり方ってもんがありそうじゃないか?」
「……デリック、それを言っても仕方がない。これがステファノだ」
「ええー。酷くないですか?」
ステファノは思いがけず、傷ついた。
「そんなことはさておき、ステファノ。今の術は、飛んで行かなかったように見えたが?」
「……さすがですね、ドリーさん。観えましたか?」
「いや、正確に言えば観えなかった。術は突然、標的を襲ったな」
「ならば、成功です。術式の構成を、新しいものに変えました」
この少年は毎日新しいことに挑戦しなければ気が済まないのか? ドリーは感心を通り越して、呆れ果てた。
「よくもまあ、次から次へと新しい技を考えつくものだ。それを実現してしまうところが、輪をかけてとんでもないのだが」
ステファノは授業で学んだ「魔術円」を術式に取り入れたことを説明した。
「ああ、そんなものがあったなあ。魔術的な象徴だと思っていたが、実際の術に使えるのか?」
「少なくとも俺の場合は、イメージ構築の助けになります。独自に魔核と名づけた太極玉を、対象物に重ねて出現させる感じですね」
「ええと、待ってくれ。『マジコア』とか『たいきょくぎょく』という言葉が何のことかわからないのだが……」
ステファノとのつきあいがないデリックには、まったく理解のできない会話をドリーたちは交わしていた。
「すまん、デリック。これは『メシヤ流』の秘伝なのでな。部外者には明かせんのだ」
ドリーは大真面目な顔で言った。ステファノは一瞬怪訝な顔をした後、噴き出して爆笑した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第307話 飯屋流遁術、蛟龍雷瀑布。」
「救世主流とは聞いたことのない流儀だな」
「いえ……」
「何しろ田舎の流儀だからな。なあ、ステファノ?」
「ふふ。違いありません」
ステファノはドリーと顔を見合わせて微笑んだ。
メシヤとは聖なる書に記された「預言者」にして「救い主」のことである。
(ウチのは田舎の「飯屋流」だけどね。お腹を空かせた人くらいは救えるかな?)
……
◆お楽しみに。
「いつぞやの遠眼鏡だな。随分立派なものを持っていると思ったが」
「おい、それはギルモアの……獅子じゃないか」
「何? そうか、これはお前がギルモア閣下の庇護下にある証しか?」
ドリーは改めて獅子の紋章を間近に見た。
「必要な時はこれを示せと、旦那様に言われました」
「旦那様とはネルソン商会の主人か? なるほどそのつながりで……」
ほうとため息をつき、ドリーは遠眼鏡をステファノに返した。
「それにしても余程の手柄を立てたのだな? 成り上がったものだ、飯屋のせがれ殿」
冷やかしながらもドリーの声には感嘆の響きがあった。一平民が侯爵家の庇護など容易に受けられるものではない。何事か大きなことをステファノが成し遂げたことは間違いないのだ。
「マリアンヌ女史も魔術科単位の大盤振る舞いをしていたしな。実は、今回のことを相談したら自分の推薦権を私に預けると言われたよ。デリック、わたし、マリアンヌ学科長の推薦により、お前の第2試射場使用は許可されることになる」
「マリアンヌ学科長は、俺を早く卒業させたいようですね」
「そうかもしれんな。単位の認定に関しては正当な評価だと思うが、手回しが良すぎるとは感じた」
第3王子の肝いり案件など、厄介者以外の何物でもない。何かあれば自分の責任になるのだ。早く出て行ってもらうに限ると考えても不思議はなかった。
「気にしても仕方がない。お前は……お前だからな」
「何か諦められた気がしますね」
「自覚はあるのだな」
ドリーとステファノが横道にそれていくと、デリックが咳払いをした。
「ゴホン。検討を再開して良いかね?」
「ああ、すまん。私の『蛇の目』には水と風、2匹の蛇が観えた。それで間違いないか、ステファノ?」
「はい。蛇のイメージで標的を縛らせました」
デリックの肉眼には当然ながら水の蛇だけが絡みついて見えており、風の魔力も存在することは感じ取れていた。
「風の魔力はどういう働きをしていたのかね?」
「絡みつくだけなら水蛇だけでできます。風の蛇はそれを上から取り巻いて外からの妨害を防ぐ役ですね」
「水蛇を外そうとする手や力を排除するんだな?」
風水獄は2段構えの檻であった。1層目の水が体の自由を奪い、2層目の風が外からの干渉を排除する。
「魔術的な干渉はどうする? 水蛇を打ち消そうとしてきたら?」
「本来の使い方では風蛇の存在を隠します。肉眼には見えませんからね。水魔術を撃ち消そうと陰気を飛ばされたら、風の魔力でそれを跳ね飛ばします」
最悪でも陰気と風の共倒れで留め、水蛇を守ることが風蛇の仕事であった。
「ほらな? しつこい術だろう?」
「まったくだな。だが、内側からの陰気はどうする? 水蛇と体の間には何もないぞ」
もっともな疑問であった。縛られた者が腕の立つ術者であれば、内側から水魔術を消しにかかるだろう。
「それをやるとかわいそうなことが起こります」
「かわいそう? どういうことだ?」
「狙い通り水蛇が消えたら、どうなると思いますか?」
「そりゃ体が自由になるだろう?」
デリックは不審気な顔をした。
「いや、待て! 水蛇の外側には風蛇がいた。水蛇が消えれば風蛇が直接体に巻きつくのか?」
ドリーが次の展開を予想した。魔力を観ていた彼女だからこそ、すぐに答えられた結末であった。
「そういうことです。風蛇は大気よりも圧を低くしてありますので、相手の息を吸い取ります」
「……えげつないな」
「肺の空気まで吸い出されて、相手は一瞬で失神するでしょう」
ステファノのしゃあしゃあとした説明に、さすがのドリーも顔をしかめた。
「お前は本当にいやらしいな。『殺さず』と言う割にはすれすれまで攻めるじゃないか」
「たまらんな。チェスの嵌め手を食らうようなものだ」
監視官の2人が口々に文句を言う。
「あれ? 敵を倒すための魔術を練習しているんじゃありませんでした?」
責められることに釈然としないステファノは、疑問の声を上げた。
「そうだが! それにしても、やり方ってもんがありそうじゃないか?」
「……デリック、それを言っても仕方がない。これがステファノだ」
「ええー。酷くないですか?」
ステファノは思いがけず、傷ついた。
「そんなことはさておき、ステファノ。今の術は、飛んで行かなかったように見えたが?」
「……さすがですね、ドリーさん。観えましたか?」
「いや、正確に言えば観えなかった。術は突然、標的を襲ったな」
「ならば、成功です。術式の構成を、新しいものに変えました」
この少年は毎日新しいことに挑戦しなければ気が済まないのか? ドリーは感心を通り越して、呆れ果てた。
「よくもまあ、次から次へと新しい技を考えつくものだ。それを実現してしまうところが、輪をかけてとんでもないのだが」
ステファノは授業で学んだ「魔術円」を術式に取り入れたことを説明した。
「ああ、そんなものがあったなあ。魔術的な象徴だと思っていたが、実際の術に使えるのか?」
「少なくとも俺の場合は、イメージ構築の助けになります。独自に魔核と名づけた太極玉を、対象物に重ねて出現させる感じですね」
「ええと、待ってくれ。『マジコア』とか『たいきょくぎょく』という言葉が何のことかわからないのだが……」
ステファノとのつきあいがないデリックには、まったく理解のできない会話をドリーたちは交わしていた。
「すまん、デリック。これは『メシヤ流』の秘伝なのでな。部外者には明かせんのだ」
ドリーは大真面目な顔で言った。ステファノは一瞬怪訝な顔をした後、噴き出して爆笑した。
――――――――――
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第307話 飯屋流遁術、蛟龍雷瀑布。」
「救世主流とは聞いたことのない流儀だな」
「いえ……」
「何しろ田舎の流儀だからな。なあ、ステファノ?」
「ふふ。違いありません」
ステファノはドリーと顔を見合わせて微笑んだ。
メシヤとは聖なる書に記された「預言者」にして「救い主」のことである。
(ウチのは田舎の「飯屋流」だけどね。お腹を空かせた人くらいは救えるかな?)
……
◆お楽しみに。
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