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第4章 魔術学園奮闘編

第203話 上が下になり、外が内になる。

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 準備運動の後、今日は投げ技の稽古をしようというので用具室からマットを借りて来た。

「柔の道場には『タタミ』という草を編んだマットを敷き詰めていますが、ここではこのマットを使いましょう」
「草のマットですか? チクチク刺さったりしないんですか?」
「良く乾かした細長い草をしっかり編んであるので肌に刺さることはありませんよ」

 2人は広げたマットの上で組み合い、投げ技の打ち込み稽古を行った。

 柔の体系には寝技も含まれるのだが、「抑え込み」や「固め技」の多くは抱き合って動かないように周りからは見える。若い男女が2人で稽古するのは憚られるだろうという理由で、研究会の項目からは外していた。

 元々、戦場で敵の動きを封じた上で「鎧通し」で刺し殺すための技だと言われれば、ステファノとしても進んで身につけたいものではなかった。
 返し技を知っておくことには意義があるのだが、ステファノには魔法があった。敵に抑え込まれたまま死命を制されることは少ないだろう。

 打ち込み稽古では投げる前までの動きを反復する。
 崩し、足運び、技の入りを繰り返して、体に覚え込ませるのだ。

 それぞれの意味と稽古で留意すべきポイントを、ミョウシンがステファノに説明した。

 打ち込み稽古には技の上達を図る意味と、筋力を鍛える目的がある。掛け手と受け手を交代しながら2人は投げ技の稽古を続けた。

 2人で行う打ち込みは、ミョウシンにとっても久しぶりのことであった。懐かしい手応えに思わず心が軽くなるのを感じた。
 心が軽くなれば体も軽く動く。

 打ち込みのつもりでステファノの懐に入ったミョウシンであったが、腰の上にステファノを載せたところで勢いがつきすぎていることに気づいた。

(あ、いけない)

 そう思ったが、既にステファノは回転の中にある。止めようもなくミョウシンの背の上でくるりと回転し、ステファノは背中からマットの上に落ちて行った。

 パアン!

 小気味よい音を立ててステファノの左手がマットを叩く。

「ごめんなさい。勢いがつきすぎてしまった」
「気持ちよく回りましたね。本当に優れた技に掛かると相手は何をされたかわからないという言葉の意味が身に染みました。自分で飛んだ気がします」

 ステファノはきれいに受け身を取ったお陰で痛みもなく立ち上がった。

「申し合いもなしに投げられたのに、しっかり受け身を取れていましたね。練習が身についた証拠です」
「咄嗟のことでしたが、体が覚えていたようです」

 投げられると構えていたわけではない。天地が入れ替わるあの自分ではどうしようもない感覚の中で、受け身の動きが考えずにできた。
 思考ではなく、感覚と行動の連結が反復によって実現できたのであろう。

(あのぐるりとめまいがする感覚はどこかで感じたような気がする……。何だろう?)

 この感覚をこのまま逃がしてはいけない。ステファノはなぜかそう感じた。

「ミョウシンさん、すみません。稽古をちょっと中断させてください」
「良いですよ。丁度良い。10分休憩にしましょう」

 良い稽古ができた充実感でミョウシンの声が高揚していた。
 恋する乙女のような表情でまともに見つめられたステファノは、いささか面はゆい思いをした。

 もっともミョウシンが恋する相手は「柔」である。朴念仁のステファノでもそこを取り違えることはなかった。

 荷物から手拭いを取り出し汗を拭く。

(あの天地が入れ替わる感覚が、なぜ心に引っ掛かるんだろう?)

 ステファノは床に胡坐をかき、目を閉じる。「観」の目で、今の打ち込み稽古を外から・・・眺めてみる。

 自然な力でステファノの袖を引き込んだミョウシンがステファノの重心が崩れるのに合わせて、流れるようなステップでステファノの懐に入り込む。

 釣り手はステファノの自由な動きを封じつつ、引手に合わせてステファノの状態が動くべき方向を決めている。襟をつかんだまま折りたたまれたミョウシンの右ひじはステファノのわきの下に入るが、その力で持ち上げようとしているのではない。

 あくまでもステファノの動きを限定し、てこの支点となってステファノが回転するのを助けているに過ぎない。

(やっぱり回っているのは俺自身だ)

 自ら望んだごとく、ミョウシンを中心にステファノは回った。上にいたステファノが下になる。
 ミョウシンとステファノが入れ替わり、ステファノの天地が入れ替わる。

 投げられた後、床から見上げたミョウシンの顔は上下が逆になっていた・・・・・・・・・・

(これだ。この入れ替わる感覚だ。上が下になり、外が内になる。そして回るのは自分だ。相手でも世界でもない……)

「そうか! 俺が逆を向いていたのか?」

 ステファノは豁然かつぜんとした想いで目を開いた。

 ◆◆◆

「見てほしいものがあるだと?」

 柔の稽古を終えたステファノは、6時から魔術訓練場にドリーを訪ねていた。

「はい。実は昨日の美術入門で起きたことなんですが……」

 ステファノはデッサンの練習中に、図らずも魔道具のようなものを作り出してしまったとドリーに告げた。
 
「魔術学科長のマリアンヌ先生が実物をご覧になって、魔道具に間違いないと仰っています」
「ふうむ。珍しい話だな。私の周りでは聞いたことがないぞ」
「魔力を持たない者が使える魔道具となると、極めて珍しい物だと言われました」

 実際には「国宝級」とまで言われたのだが、話をあまり大げさにしたくなかったのでステファノはややあいまいな言い方をした。

「こんな感じの物です」

 ステファノは「私用のノート」の方に、ペンでさらさらと肖像画を描いた。意識してイドをまとい、「始原の赤」をペン先に載せている。

「この絵を見て下さい」
「似顔絵か? 何だか疑り深い顔をしたやつだな。いや、うんざりした顔なのか? うん? 驚いているように見えるが……」
「見る者の感情を反射する絵なんです」

「はあ? それはまた妙な物を……」

 半分呆れて手元の絵に目を落としたドリーは、一瞬後に目を丸くした。

「おい! この男!」
「え? ああ、魔術科の同級生でトーマって奴です」
「お前、こいつの知り合いか?」
「いや、2回ほど口を利いただけですけど」

「今日はこいつのせいで、大騒ぎだった!」

 ドリーは憤懣やるかたないといった表情であった。

 ◆◆◆

「お前も訓練希望者か?」
「いえ、見学を希望します!」
「見学だと? 最近はそういう奴が多いのか? 見学なら後ろに下がって、静かにしていろ。訓練者の邪魔になるようなら叩き出すからな」

 トーマは壁際に椅子を見つけて、ちゃっかりとそこに陣取った。
 シューティングレンジのブースで準備を始める訓練生をよそに、丹田法の呼吸を始めた。

 呼吸法だけならば流派の訓練をみっちり受けている。ディオール先生の指導がなくても、脳の活性化につながる深く静かな呼吸が整った。

 ちらりと横目で様子を見たドリーは、印象に相違して静かな瞑想を行うトーマを少しばかり見直した。

「よし! 次は風魔術だ。使えぬ者は壁際まで下がれ。準備は良いな? 1番から7番、風魔術発射を許可する。各人のタイミングにて、撃て!」

 ブースには7人の生徒が並んで、風魔術を思い思いに発射する。ほとんどは上級生で、新入生は例の3属性を操る少年ただ1人であった。

 それを見つけてつまらなそうな顔をしたトーマであったが、ここに来た目的を想い出し、気持ちを切り替えて瞑想を再開した。
 今回は丹田法を使いながら、己の感覚を前方の生徒たちに集中する。そう思ったが、全員に注意を向けるのは無理だったので、3属性持ちの男デマジオに意識を向けることにした。

(こいつの気配を探るなんてまったく気が乗らねえが……訓練のためだ。仕方ねえ)

 胸の前に2本の指を立て、瞑目したまま意識を外に向ける。今まで瞑想とは内なる自分と向き合うものと考えて来た。瞑想をしながら「外」に意識を向けたことはない。

 それを事もなげに「やってみろ」というステファノは一体何者なのか。心に持ち上がって来る疑問を今はねじ伏せ、トーマは必死にデマジオの気配を求めた。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第204話 トーマvs.デマジオ。」

「笑いましたね? 訓練中の生徒の成績を笑うとは何事ですか?」

 声を上げたのはデマジオであった。

「いや、失敬。お前たちのことを笑ったのではない。ちょっと他のことを想い出してしまった」
「それにしても失礼でしょう。大体、僕の標的がなぜ2点止まりなんですか? 胸の中央に当たっていますよ」

「失礼は詫びる。申し訳なかった。その上で査定評価についてだが、2点は急所に当てた分だ。くどくは言わんが、威力が不足している上に発動が遅い。威力で5点、発動速度で3点の減点だ」
「そんな馬鹿な! 減点が大きすぎる!」

「わははは! 馬鹿はお前だ、デマジオ! 蛙の屁みたいな風を飛ばしておいて、ガタガタいうな」
「何だと! 貴様、トーマか。魔力もろくに練れん癖に、偉そうに言うな!」
 
 ……

◆お楽しみに。
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