飯屋のせがれ、魔術師になる。

藍染 迅

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第3章 魔術覚醒編

第152話 私が立つ場所は30年前に決まっている。

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 映像記憶フォトグラフィック・メモリーを頼りに、ヨシズミの動きを脳内に再生しながらステファノは己のイメージを理想の動きに重ねて行く。丁寧に、ゆっくりと。

 手の中の「杖」はずしりと重い。下手な振り方をすれば体を持って行かれ、握りの力加減を間違えば手首を傷める。

(初めて牛刀を持った時みたいだな)

 両手に伝わる重みを感じながら、ステファノは思い出す。

『包丁に振り回されんじゃねえ! 道具を握ったらてめえが王様だと思え!』

(怒鳴り回される王様がいるもんかね? 言ってることはわかるけど)

 鉄の塊のような牛刀を振るい、分厚いまな板の上で肉と骨を断つ。そうしているつもりでステファノは杖を振ってみた。重さに逆らわず、杖の動きを助けてやる気持ちで振り出し、加速し、切って、止める。

 50本ほど素振りを行ったところで、ヨシズミが止めを指示した。

「一旦それくらいで止めとケ。根を詰めると筋を傷めるからナ。初日にそれだけ振れれば立派なもンだ」
「はい。ありがとうございました。体を動かしたら、何だか頭がすっきりしました」
「そうだナ。人間頭だけ使うのも体だけ使うのも、あンまし良くねェみてェだナ」

「魔法と科学もバランスよく両立できれば良いんですね」
「そういうことだが、この世界では難しいナ」

 滲んだ汗をぬぐっていると、メイドが2人を迎えに来た。ネルソンとマルチェルがついたとのことであった。

「さて、一体どんな話になんだッペ? この世界の進む道が変わッかもしンねェナ……」

 ◆◆◆

 夕食は商会での昼食と同じメンバーでのものとなった。

「今日は東国人が来てるからねぇ。ケントクが張り切ったらしいよ」

 料理人が客を選ぶようなことを表立っては言えないが、黒髪黒目というだけでケントクとしてはまずい物を食わせるわけにはいかないと気合が入っていた。

「これは『シースー』という奴だろう? 生魚と米だよねえ。食べたことがある」

 したり顔で解説を加えているのはドイルであった。好奇心が強い彼は、食わず嫌いが比較的少ない。何にでもチャレンジするタイプであった。

「寿司だッペ。エラく珍しい食いモンだコト」

 顔を輝かせたのはヨシズミだった。

「『ワサビ』という香辛料はお好みでお使い下さいとのことです」

 今回マルチェルは給仕に回っている。「仕事の話」は食事の後にしようと言われていた。
 ならば自分も席を外すべきではとステファノは遠慮したのだが、ヨシズミに心細い思いをさせるなという一言で残された。

「あれま。ワサビまであンのケ? 良く探して来たもンだコト」

 驚きながらも、ヨシズミの顔はほころんでいる。

「では、頂きましょう」

 ホストであるネルソンの声を待ちかねたように、ヨシズミが握り寿司に手を伸ばす。

「あ。オレの国では寿司はこうやって手づかみで食べるのが正式な作法だったンダ。構わねェか?」
「好きなように食べてくれ。わたしも真似てみよう」

 ヨシズミはワサビをネタに載せ、小皿の醤油を少量つけて寿司を頬張る。酢飯、刺身、ワサビそして醤油の重なり合った香りと味を口中で堪能した後、ごくりと飲み込んだ。

「くーっ」

 額を抑えて仰向いたヨシズミの目じりから、涙が一筋流れた。

「ワサビは時に涙を誘うそうでございます」

 マルチェルが控えめに注釈を入れた。

 ヨシズミに涙のわけを尋ねる者は、1人もいなかった。

 ◆◆◆

「いや、珍しい物をご馳走になりました。お気遣いありがとうございます。醤油の味など忘れていました」

 ヨシズミにとって二十数年ぶりに口にする故郷の味であった。
 汁物、煮魚などほかの料理も寿司の味わいを壊さぬよう、塩と醤油を中心とした味つけで調理されていた。

 その心遣いに対してヨシズミは丁寧に頭を下げた。

「気に入ってくれたなら結構。お茶を入れさせようか……」
「待った!」

 茶の準備を止めさせるヨシズミの声に、ネルソンはいぶかしげに眉を寄せた。

「何か気になることでも?」
「いや、お礼にしちャお粗末さまだが、オレが自分でこさえた『緑茶』をお出ししたい。ちょっと中座すッけど、勘弁してもらいてェ」

 ヨシズミはそう言うと、部屋に戻り、荷物の中から緑茶の壺を持参した。

「口に合うかどうか……。納めて頂戴」

 マルチェルが受け取り、ネルソンに披露する。壺の蓋を開けると、緑茶特有の清冽な香りが立ち昇った。

「これが緑茶か。話には聞いたことがあるが、実物を見るのは初めてだ」
「僕も見たことがないね。緑色のままで保存できるとは知らなかった」

「良かったらオレに入れさせてくれ」
「お願いしよう」
「では、わたしは手順を学ばせていただきます」

 壺を持って戻ったマルチェルはヨシズミに渡した。

「せっかく沸かしてもらった湯があンだが、この湯は使わねェで入れさせてもらう」
「それは何か理由が?」
「この土地の水は緑茶に合わねェんだ」

 土壌のせいで水の硬度が高く、緑茶の味わいを損なってしまうのであった。

「水を蒸留してもイイんだが、今は魔法でお湯サ出さしてもらう」

 ヨシズミが語る間に、ケトルを満たした湯が一度消え、空になった。次の瞬間にはそこから湧き出したかのように湯が生まれ、ケトルの中で泡を立てつつ水位を上げて行った。

「湯の温度は好みによるが70~90度くらいが普通だッペ」

 ヨシズミはケトルの湯をカップに移し、それを茶葉を入れたティーポットにまた移した。

「30秒も待てば湯の中で葉っぱが開く。そしたらカップに注ぎ分けンダ」

 茶の濃さが均等になるように、少量ずつを人数分のカップに注ぎ分けて行った。

「ほい、急須……ポットのお茶は残さず注ぎ切って出来上がりだ」

 ヨシズミの目配せで、マルチェルが銘々の前に緑茶の入ったカップを置いて回る。

「口に合うかどうかわからねェけど、飲んでみてくれ」

 ネルソンたち3人にとっては生まれて初めて飲む緑茶であった。紅茶と異なる爽やかな香りと、細やかな味わいに感嘆の声が上がった。

「お粗末さンでした」

 ヨシズミが席に戻ったところで、「仕事の話」が始まった。

 ◆◆◆

 話の口火を切ったのはドイルであった。

「ネルソン、お前に聞いておきたいことがある」
「改まって何だ?」
「僕の魔術嫌いは知っているな? いや、正確に言えば『魔術師嫌い』なんだが」

 それが原因でアカデミーを事実上追放された男である。
 言われなくともネルソンはその騒ぎを目の当たりに見ていた。

「もちろんのことだ」
「ヨシズミの話を聞けば聞くほど、『魔術』という物がこの国にもたらす害が大きすぎるということを再確認させられたよ」
「世界の因果を乱すという問題かね?」

「それもあるが、それだけじゃない」

 ドイルはいよいよ本題に入った。

「この国は魔術という物に頼りすぎている。魔術の登場から600年余り、この国の科学はほとんど進歩していないことを知っているか?」
「いや、考えたこともなかった」
「進んでいないのだ。まるで目に見えぬ壁に阻まれたように、我々は足踏みをさせられている」

「その壁が魔術だというのか?」

 ネルソンの声も緊迫したものになった。

「魔術と、そしてギフトだ」
「ううむ」

「本来科学の進歩が担うべき役割を、ギフトと魔術が果たしているのだ。だからこの国では科学が育たない」

 ヨシズミから知らされた事実をドイルが自分の見解としてネルソンに告げた。

 ネルソンは重大な告発を聞かされ、沈思黙考した。

「……それが事実だとすると、貴族社会の基盤に関わるな」

 絞り出すようにネルソンは声を発した。

「お前はどうする? 僕はこのことをもっと深く研究し、事実であれば公表しなければならない。それが科学者であるボクの使命だ。お前はどこに立つつもりだ? それを僕は知りたい」

 ドイルは射抜くような眼光でネルソンを見た。

「私がどこに立つかだと? ドイル、お前がそれを私に聞くか? ならば答えよう。私が立つ場所は30年前に決まっている。30年前、王族を殺したこの手で私は100万の民を救うと誓いを立てた。ドイル……」

「私から薬学を奪う者がいたとしたら、私はすべてを懸けて戦うよ。たとえ相手が神であろうとも」
 
「私の名は薬学者ネルソンだ」

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第153話 ステファノは縛縄「蛟」を得た。」

「仕上げは『蛟』を使った『交流魔法』だナ」

 ヨシズミが授けた発動方法はこうだ。水魔法で「蛟」を覆い、結晶化している塩を塩水にして「蛟」に浸透させる。
 そこへ交流魔法で電流を流し、触れた相手を感電させるというものであった。

「蛟」にイドを纏わせれば、杖のように使うことも、鞭のように振り回すこともできる。

「縄を体の一部だと思って自在に使うことを目指せ」
 
 ……

◆お楽しみに。
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