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第3章 魔術覚醒編

第127話 ジローの叫びは空しく波間を渡る。

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「冗談には気をつけてくれ。危うく取り戻せなくなるところじゃないか」

 あのまま風魔術を放っておいたら、背の立たない沖まで手拭いを飛ばしていただろう。
 ステファノはさすがに気分を害していた。

「何だ、今のは? 魔術を消したのか? どういう術だ?」

 少年はステファノの言葉など聞いていなかった。術を消し去られたことに気を奪われて、ステファノの大切な物を蹂躙したことなど考えてもいない。

 ステファノは答えてやる必要を感じなかった。

「用がないなら、俺は行かせてもらう。どいてくれ」

 手拭いを絞って海水を切り、ステファノは歩き出そうとした。

「待て!」

 赤毛の少年は上着の内ポケットから短杖ワンドを取り出し、ステファノに向けて構えた。

「どういうつもりだ?」

 ステファノは足を停めて、少年を睨みつけた。ここまでされればさすがに腹が立つ。
 喧嘩などしたことはないが、やられっ放しでいるつもりはなかった。

 ステファノのズボンからぽたぽたと海水がしたたり落ちた。

「僕と……僕と試合をしろ!」

 少年が叫んだ。顔が紅潮している。

「試合? 試合って何だ?」

 わけがわからず、ステファノは問い返した。

「君はそんなことも知らないのか? 試合といえば『術比べ』に決まっているだろう? 君の師匠は余程間が抜けているようだね」
「師匠、師匠と言うが、俺は魔術の師についたことはないよ」

 ステファノはうんざりして言った。

「嘘だ! 師匠もなしに、無詠唱の術など……」
「知らないよ。もう良いだろ? どいてくれ。俺の知っている魔術師なんて、ガル老師くらいのもんだ……」

 相手をするのに疲れて、ステファノは少年の横を通り抜けようとした。
 その時、少年の瞳が真っ赤に燃え上がった。

「ガルだと? 貴様ガルの弟子か!」

 血相を変えて、ステファノの肩を押さえつけて来た。
 それは反射的な行動であった。思わず――。

(散りぬるを~)

 左肩を掴んできた相手の左手に右手を乗せ、右ひじで相手の左ひじを制しながら左肩を引く。バランスを崩した相手は伸び切った左半身を、左足を踏み出すことで支えようとする。その膝前に自分の右足を踏み込みつつ、ステファノの右手は相手の手を離れ、上から相手の二の腕を抑えた。

 右手と入れ替わりに左手が相手の手首を掴んだかと思うと、右腕は敵の肩を決め、左手は手首を上方に捻る。

 脚運び、腰の捻り、両手の動き、そのすべてが回転運動に集約して行った。
 回転の中心には赤毛の少年がいた。

 しゅっ!

 風を切る音を立てて、少年はキリのように旋回しながら宙を飛んだ。

 ざばっ!

 波打ち際に投げ出された少年は飛沫を上げながら海中に沈んだ。

「くそっ! 卑怯だぞ!」

 全身濡れネズミとなった少年は、波打ち際から現れて再びステファノに短杖ワンドを突きつけた。

「俺は身を守っただけだ。言い掛かりは止めろ」

 ステファノは自然と「型」の姿勢を取り、念誦を行っていた。型に入れば雑念はない。
「意」は「護身」である。

 どんな攻撃を受けようとも、捌く気持ちで立っていた。

「うぬぅ。コリント伯爵家次男ジロー・コリント、貴様に決闘を申し込む!」

 やはりお貴族様か。ステファノの一部は冷静にこの場を眺めていた。謝って許しを請うか。この場を立ち去るか。それとも戦うか。

 答えはすぐに出た。

「『鉄壁』のマルチェルが弟子、ステファノ。決闘を受ける!」

 自分を馬鹿にされたことは良い。プリシラの手拭いを飛ばされたことも、知らなかったことであるから飲み込むことはできる。
 しかし、「師」を侮辱されたことは許せなかった。

 ぶちのめされることになろうと、引く気は一切なかった。
 死を覚悟したステファノから、イドの赤い光が立ち昇る。

「ふん、言ったな? ならば構えろ。短杖か、指輪か、タリスマンか? 好きな発動体を使うが良い」

 術者としての実力は自分の方が上だと見切ったのであろう。ジローは余裕を見せて、顎をしゃくった。

「発動体? そんな物はない。この両手で十分だ」

 ステファノは本心から言った。「師」は徒手空拳を以て百余の敵中に飛び込んだと言う。

 たった一人が何ほどか?

「良いんだな? では、お前の得意な水魔術で相手をしてやろう。水魔術とはこうするものだ!」

 ジローが短杖を振り上げると、頭上に3つの水球が生まれた。始めピンポン玉ほどだった水球は、空気中の水分を集めてみるみるテニスボールの大きさに膨らんだ。

「命までは取らん。手足をへし折ってやるから覚悟しろ!」

(あさきゆめみし ゑひもせす ん~)

 ジローの発した「水魔術」という言葉がステファノのインデックスを呼び覚ます。

『一粒の汗』

 ステファノのズボンを濡らした海水が、裾から一滴ひとしずく、ぽたりと地面に落ちた――。

 時のない世界が緑色の光に染まった。

 ず、ずぞ、ずぞぞぞぞ……。

 骨に響く音を立てて、赤毛の背後に立ち上がる物があった。
 陸に向けて吹いているはずの風を遮り、陽光までも通さぬ圧倒的な質量。

 戦いの最中であると言うのに、途方もない魔力の気配を感じ、ジローは背中を振り返らざるを得なかった。

「壁だ……」

 5メートルの高さにそびえる海水の壁が、横幅10メートルにわたって海面から立ち上がっていた。
 光を通さぬ真っ黒な壁であった。その奥行きは何メートルあるのか?

「津波?」

 呆けたように立ち尽くした赤毛の頭上から、形を維持できなくなった水球がざぶりと降り注いだ。

「馬鹿な、馬鹿な! こんな魔力があるものか? これは、これではーっ!」

「馬鹿、このおおおおーっ!」

 突然ステファノは足元を掬われて、頭から地面に落ちた。脳震盪を起こして一瞬前後不覚になる。
 リンクを失ったイデアは霧散し、津波は力を失って海面に落ちた。

 押しのけられた海水が大波となって、辺り一帯を飲み込んだ。

 波に揉まれ、ぼろくずのようになったジローがようやく海面に顔を出し、陸に這い上がった時にはステファノの姿は海岸から消えていた。

「畜生。何だ、何だ? 何なんだーっ!」

 ジローの叫びは空しく波間を渡るだけであった。

 ◆◆◆

「起きろっての、こノ!」

 脚を蹴られてステファノは目を覚ました。藁を敷き詰めた寝床のような所に寝かされていたらしい。
 湿った土の匂いがするのは洞窟の中であるかららしい。

 その割に、周囲は明るい。すぐに働き出したステファノのイドに魔力らしい波動が伝わって来た。

(今の声は誰だ?)

 働き出した警戒心と共にステファノは身を起こし、声がした方を見る。

「起きたか?」

 声を掛けて来たのはぼさぼさの黒髪を肩まで伸ばした、ひどく小柄な男だった。若くはない。若くないことはわかるのだが、ではいくつかと聞かれると上手く答えられない。

 男は七輪と言うのだろうか……小型の竈に鉄鍋を乗せて何かを煮ていた。魚介の匂いがするが、鍋の中に魚の姿は見えなかった。

「あの……」
「邪魔すんな。待ってロ」

 男はステファノに目もくれず、部屋の隅から小さな壺を持って来た。
 壺の中身を木のスプーンで掬って、鍋に入れる。

(何だろ、あれ? 何かのペースト? かぼちゃ……にしては色が濃い)

 男は真剣なまなざしで茶色いペーストを鍋のお湯・・に溶いた。そこで鍋を竈から外す。

「おめェらが邪魔すッカラ、朝飯がおそぐなっちまったッペ」

 言いながら男は傍らのざるに載っていた黒々とした草のような物を、片手に掴んでぱらぱらと鍋に入れた。

「えっ? 草? 食べ物じゃないの?」
「うるせェ。くぢ閉じてロッテ!」

 思わず声が出てしまったステファノを、男はぴしゃりと黙らせた。

「今、大事なトコなんだァ……」

 首を伸ばして覗き込むと、鍋に投入された草のような物は一瞬で鮮やかな緑に色を変えた。

「ああ、海藻か!」

 乾燥した物しか見たことがないステファノは、生の海藻を見て驚いたのだった。

「おめ、いい加減にシロ、コノ!」

 男が怒鳴ると、急にステファノは息苦しくなった。呼吸をしているのに、息苦しさが去らない。
 ステファノは慌てて呼吸をせわしくしたが、苦しさが増すだけだった。

「今度くっちゃべったラ、ぶっくらすド?」

 男は鍋の中身に、刻んだ青物をひと掴み散らした。

 途端に、ステファノの呼吸が正常に戻った。ぜいぜいと喉を鳴らして、ステファノは空気をむさぼった。
 わけもなく息ができないのは恐ろしい。一瞬、本当に死ぬかと思った。

 ステファノは許されるまで絶対に口を開くまいと、決意した。

「良し、できた! おめにもよそってやッかラ、そこサすわレ!」

 男の口調はぶっきら棒で声も大きかったが、不思議と乱暴には聞こえなかった。ちょっとダニエル先輩に似た感じだったせいかもしれない。目が細くて、鋭いところとか……。

 男は湯気が立っている鉄鍋を素手で持って・・・・・・テーブルに運んだ。
 テーブルといってもどこかから拾って来たらしい木箱であった。

 テーブルを挟んで椅子が2脚あったが、これも小さい木箱であった。男は木箱の1つに腰掛け、もうひとつを顎で示した。

 ステファノは黙って従った。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第128話 謎の男ヨシズミと洞窟にて語り合う。」

「今、お茶サれてやッかラ」

 男は小さな鍋に水を汲み、湯を沸かし始めた。
 ステファノは竈に燃料が入っていないことに気がついた。炭も薪も使っていない。

 にもかかわらず、男が鍋を竈に掛けるとじきにちりちりとなべ底から泡が立ち始めた。

 ステファノは鍋をイデアの眼で視る。不思議なことに「魔力」の働きは感じられなかった。
 「世界」が等しく纏う「始原の光」、その赤色のほのかな輝きしか観えない。

 魔術であって魔術ではない。男はステファノの知らない術を使っていた。
 
 ……

◆お楽しみに。
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