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第3章 魔術覚醒編

第112話 やはりギルモアは変わり種を引く!

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「『無声詠唱』だと。珍しいことをする」

 ネルソンは無声詠唱に関して知識があるようだった。

「あれは声を出さぬだけで、呪文詠唱を省略したわけではないからな。時間は短縮できんし、口元を見られたら魔術行使を悟られてしまうことに変わりはない」
「仰る通りかと。ただ、姿を隠した状態で魔術行使するという状況であれば、隠密性の役に立つかと思います」
「そういう使い方か」

 無声詠唱であれば成句が目立つことはない。ステファノはそう考えたのだ。

「よし。やってみるが良い」
「はい」

 ステファノは心を静めて「誦文式演舞法」の時の観相法を再現しようとした。内なる「理想像」と外なる「自己像」の対比を。
 この場合、目的は演舞ではない。理想像の核に置くべきはマルチェルの型ではなかった。

 ギフト行使の度、最初に現れるのは常に赤い光であった。アレはきっと「始原」の概念だとステファノは信じていた。「始原」すなわち「生成」を導くもの。

 ならばあらゆる属性の魔力は、あの赤い光から生まれるのではないか?

 あの光紐こうちゅうを「理想像」としよう。いや、もっとわかり易く「偶像」としよう。
 祈りの対象として、心の中心に赤い光紐を置くことにした。

「始原」の成句は「いろはにほへと」である。ステファノは「意味ある成句」である「色は匂へど」を用いる。

 エバの口元を思い出した。ほんのわずか、唇を割って白い歯先がのぞくほどの隙間。その隙間からかすれた息のみを漏らして。

<色は匂へどー>

 耳には「シュー」という擦過音だけが聞こえる。

 ふわり、ふわりと綿毛が浮かび、赤くほのかに光った。

(エバさんはどうしていたっけ? 手の上に、何かをすくうように……)

 ステファノは右手を持ち上げ、手のひらを上に、朝露を受けるように窪ませた。
 脳裏では赤い光紐が渦を巻いてうねる。

<散りぬるをー>

 ステファノは唇から細く吐き出した息を、右手の上に吹き掛けた。

 手のひらの上で塵が夕日を受けるようにチリチリとしたきらめきが浮かび上がり、息にあおられたように渦を巻く。
 自己像は「偶像」と重なり、赤い渦は光紐となり輝きを増した。

 ネルソンとマルチェルはまばたきも忘れて、ステファノの手元を食い入るように見つめた。

 光紐は回りながらきらめきを更に散らす。きらめきはだいだいの紐となり赤に巻きつきながら、渦の中心に向かって走った。

「炎よ、来たれ」

 ステファノが命じると、光紐は炎となって顕現した。
 手のひらの上に、小さな種火が灯った。

「「おおっ!」」

 滅多な事に驚かぬ大人2人が、瞠目していた。

「エバさんの真似をしてみたら、炎を出せました――」

 初めての魔術を成功させたステファノは、はにかんだように言った。種火がすうと消えて行く。

「導師の手解きもなしに術を結ぶとは、お前という奴は……」
「見たことがあるからと、できる物ではないはず……」

 それぞれに驚きを口にした。

「旦那様、ステファノの『千里眼』。いよいよ秘匿せねばなりませぬな」
「ははははは!」

 ネルソンは大笑した。

「旦那様?」
「殿下の仰る通りではないか? やはりギルモアは変わり種を引く! ふはははは……」

 マルチェルはあきれ果てたという顔で、ネルソンを見やった。

「そういうところは、ご先代にそっくりですな」
「いや、すまん。ふふふ。見よう見まねで魔術を発動するなど、魔術界全体を小馬鹿にしていると思ってな。はは、ドイルにも見せてやりたかった」

 今この瞬間も、呪タウンへと向かっているであろうひねくれた後輩を思い、ネルソンは遠くを見つめた。

「ステファノ……」

 マルチェルがステファノを見やれば、少年は静かに涙を流していた。

「俺にも魔術が使えました……」

 ステファノはその事実を嚙みしめた。

 単身故郷を離れ、見知らぬ土地で生き方を探した。周りからどう見えたかはわからぬが、本人にとってはすべてが未知であり荒野を行く心細さであった。
 幸いにして知遇を得、人に助けられた。才覚を発揮する場を与えられた。

 命の危機をも経験した。

 魔術の門は狭く、遠く、進むべき道は幾重にも折れて霧に包まれていた。

 それでも――。

「俺にも魔術が使えました……」

 未だ魔術師の道を歩み出してもいない。これ以上の術を使えるかもわからない。
 エバのように道を踏み外すことになるのかもしれない。

 それでも、ようやくここに来た。ここに来られた。
 そのことを噛みしめ、ステファノは涙を流していた。

「良くやりましたね。見事な術でした」

 マルチェルは短く、ステファノを労った。
 ステファノは1つ頷いて、「師」の言葉に応えた。
 
「何だか、御用だちゅーで来ましたがネエ?」

 大声でケントクがドア越しに尋ねて来た。

「ぷーっ」
「「ははは……」」

 ギルモアの主従3人は、声を揃えて笑い出した。

 ◆◆◆

「料理以外のことで呼ばれるんは、珍しいネ」

 椅子に座らされたケントクは若干居心地悪そうだったが、物怖じせずに言った。
 物事にこだわらない性格なのだ。料理以外では。

「忙しいところすまんな。東国に関することでお前に聞きたいことがあるのだ」
「へぇ~。珍しい話だワ。何が聞きたいかネ?」

「ケントク、このような歌か経文のようなものに聞き覚えはありませんか?」

 マルチェルがステファノに代わって「いろはにほへと」を読み上げた。

「はぁーっ! 珍しいもんを聞かされたがネ。ウチの婆さんを思い出すワ」
「聞き覚えがあるのか?」

 マルチェルが勢い込んで聞き返した。

「聞き覚えも何も……。ウチの方では子供でもうとうとったがネ」
「歌……。やはり、歌なのか?」
「歌っちゅうても普通の歌ではにゃあでヨ。そりゃあ『いろは歌』だがネ」
「いろは歌?」

「全文は? ……全文はわかりますか?」

 思わず、ステファノは前に身を乗り出した。

「手習い歌だで、そりゃあ知っとるワ。あのね……」

「いろはにほへと ちりぬるを」
「わかよたれそ つねならむ」
「うゐのおくやま けふこえて」
「あさきゆめみし ゑひもせす」

「そうゆうんだがネ」

 ステファノは膝頭を両手で握り締め、力の限り押さえつけた。
 そうしないと足の震えが隠せない。

 全身を震えが走った。

 これだ! これがギフトの成句だ! 魂が咆哮を上げていた。

「古い言葉なのですね。今は使わぬ語句もあります。意味は知っていますか?」

 マルチェルは冷静に先を促した。

「そりゃあ有名だでネ。上っ面だけなら知っとるヨ」

「色は匂えど 散りぬるを」
「我が世誰ぞ 常ならむ」
「有為の奥山 今日越えて」
「浅き夢見じ 酔いもせず」

 ステファノはケントクに成句の意味を聞き取りながら、全文をノートに筆記した。

「いや、助かった。知人に謎を出されてな。どうやら東国の歌が絡んでいるらしいとはわかったのだが、肝心の歌を知る者がおらん。お前が知っていたとは運が良かった」

 ネルソンがそれらしく、この歌について尋ねた理由をでっち上げた。
 ケントクは疑いもせず、役に立ったなら良かったと笑った。

「用が済んだんなら、帰ってもエエかネ」
「はい、ご苦労でした。そう言えば『いろは歌』と言っていましたね。今の読み方では『歌』らしくはありませんでしたが……」

 ふと、マルチェルが疑問を漏らした。
 すると、ケントクは照れ臭そうに頭に手をやった。

「歌ちゅうても『わらべ歌』だがネ。良い大人が歌うゆうンはこっずかしいんだワ。聞きテーかネ?」
「はい、良かったら聞かせて下さい」

「ほんなら、きたねエ声だが勘弁してちょーヨ」

「い~ろ~は~に~ほ~へ~と~」
「ち~り~ぬ~る~を~わ~か~」
「よ~た~れ~そ~つ~ね~な~ら~」
「む~う~ゐ~の~お~く~や~ま~」
「け~ふ~こ~え~て~」
「あ~さ~き~ゆ~め~み~し~」
「ゑ~ひ~も~せ~す~~」

「んー!」

 歌は、歌というのも似合わぬような不思議な旋律であった。
 単調でありながら、思わず声を合わせたくなるような。わらべ歌とはそういう物か……。

 マルチェルがふと見ると、ステファノが大きく身を揺すっていた。

 震えを抑えようと両腕で体を抱きしめているのだが、震えはだんだん大きくなる。
 食いしばった歯の間から、よだれが一筋垂れ落ちた。

「ステファノ、どうしました?」

「ふ、ぅううう。ううううう……」

 ステファノはひきつけを起こしたように、床に崩れ落ちた。

――――――――――
 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

◆次回「第113話 『あ』で始まって『ん』で終わる物なぁんだ?」

 幼い子供、女の子2人が地面に絵を描きながら語り合っていた。

「『あ』で始まって『ん』で終わる物なぁんだ?」
「え~? 『あ』で始まって『ん』で終わるの? えーと、えーと……」
「とっても大切な物よ~。なくなったら困る物~」
「えーと、『あん』! なくなったら、お饅頭が食べられない!」

「ざ~んねん。答えは『あいうえお』でした!」
「え~? そんなのずるいよ~!」
「ずるくないよ~」
「ずるいよ~!」

 ちょっとずるいかなあと、ステファノは思った……。

 ……
  
◆お楽しみに。
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